【完結】鳳仙花(作品241112)
菊池昭仁
鳳仙花
第1話
子どもの頃、庭に
「ここに種が入っているのよ」
母が鳳仙花の種袋を潰すと、種が周囲に飛び散った。
私はそれが不思議で面白く、次々に種袋を潰して回った。
満月の夜だった。
私たちはコルトレーンのJAZZを聴きながら部屋の明かりを消し、アロマキャンドルを灯して酒を飲んでいた。
「とても綺麗なお月さま」
「この月の美しさも都には勝てない」
「私、このお月さまよりもキレイ?」
私はグラスに半分残ったジントニックを飲み干し、都を抱き寄せキスをした。
(今夜こそいけるかもしれない)
都のマシュマロのように柔らかな潤んだ唇。彼女も軽くそれに応じた。
そして私が服の上から都の乳房に触れた時、彼女の体がビクンと動いた。
それは感じての反応ではなく、拒絶反応だった。
私は都から体を離した。
(今夜もダメだったか・・・)
落胆した。
私は何事もなかったかのようにソファから立ち上がり、キッチンで新たなジントニックを作り始めた。
都は黙っていた。
都が私の家で同棲を始めて、もう2年になる。
都は大学で准教授をしていた。専門は海洋気象学。
「宇宙のことはかなり解明されては来たけど、海のことはまだ謎が多いわ。そこが海の魅力なのよ」
彼女は私によくそう言っていた。池尻都、54歳。そして私は還暦の物書きだった。
都は聡明で美人で料理、洗濯など家事全般を完璧にこなし、やさしくて思いやりがあり、数年前には介護士の資格も取得した。
将来、私の介護をするためだと言う。
そんな女房にするには絶対条件を都は備えていた。
ただひとつを除いて。
都はセックスが苦手だった。苦手というより拒否していた。
付き合い始めた頃は自分から積極的に求めて来るほどの女だったが、同棲して1年が過ぎた頃からセックスに対して無関心になっていったのである。
それ以外はいつもとなんら変わりがなかった。私たちは普通に暮らしていたのである。
そしてこんなにムードがある夜ですら、カラダを交わらせることが出来なかった。
私は先にベッドに入って都を待っていた。都が風呂からあがり、私の隣に横になった。
「起きてる?」
「ああ」
都は私に義務のように体を絡めて来た。私も都を抱きしめた。
「何もしなくていいよ」
私がそう言うと、都は黙って唇を重ね、私の股間に触れた。
「胸を触ってもいいか?」
都は黙って頷き、パジャマ代わりに着ていたTシャツをたくし上げた。
私は乳房を揉み、乳首を指で擦ったが反応はなかった。
そこで今度は舌で乳首をチロチロと舐めてみた。
「くすぐったい」
私は乳首を舐めることを諦め、前戯にじっくりと時間を掛けた。
下腹部に手を伸ばし、最も敏感な陰唇に触れると、そこは十分に濡れていた。
彼女の股を開き、クンニリングスを試みたがやはり反応はなかった。
挿入しようとしたが、酒を飲み過ぎていたこともあり、勃起力が弱く不可能だった。私は挿入を諦めた。
「指を入れてもいいか?」
「奥まで入れないでね」
私は指の第一関節までを入れたが彼女はまるで人形のようだった。
私は指を抜いた。
すると都は私の左乳首を舐め始め、萎えたペニスを握ると、勃起を試みてくれた。
それが膨張しないことを知ると、今度はフェラチオをしてくれた。
それは私に対しての謝罪の行為だった。
「もういいよ。今夜は寝よう」
「ごめんね」
都は体を私に寄せて静かに目を閉じた。
第2話
午後、執筆を終え、私は秋のそよ風を書斎に招き入れた。
今日は体調がすぐれないので、行きつけの純喫茶、『ムーミン』で書くのは辞めた。
『ムーミン』にはBGMがなかった。コーヒーも美味い。
そして何よりマスターが私の小説のファンであり、長居して小説を書くことを歓迎してくれていたのである。
恋愛小説を書いていると、もっと激しい恋をしてくればよかったと思うことがある。そうすればより物語にリアリティが生まれるからだ。
だがそれは必ずしも体験しなくてはならないものではない。サスペンスを書くのに、人殺しの経験は不要だからだ。
想像で書く、所詮芸術とは空想なのである。
男は女の何に惹かれるのだろう?
顔? スタイル? 髪? 胸? それとも局部?
若い頃はそうだったかもしれないが、年齢を重ねて来るに従い、外見にあまり興味を感じなくなる。それは生殖機能の衰えもあるのだろうが、もう女体に神秘性がないからではないだろうか?
つまり男にとってセックスが単なる挿入行為になってしまい、ときめきや感動がなくなって来ているからなのかも知れない。
ではなぜ男は女に惚れるのだろう?
それは心だと思う。目には見えない、心に男は惹かれるのだ。
それは女も同じはずだ。
一緒にいると安心する
それは声であったり話し方であったり話題であったり何気ない日常のしぐさがそれだ。
つまりそれは相手の考え方であり、お互いに心の深い部分でシンクロしているからなのである。
都と私がそうであるように。
都は申し分のない女だった。
何をしても完璧にこなす女だった。一緒にいてラクであり、楽しい。
ただし、セックスを除いては。
都はセックスに消極的になってしまった。
以前は自分から求めて来るような女であり、それはお互いに満足のいく行為だった。
それがなぜそうなってしまったのか? 私は都にその理由を問い質すことが出来なかった。
もし、その原因が自分にあるのだとすれば、私は自に失望するだろう。それが怖かったのである。
閉経し、体が私を受け入れなくなったというのなら仕方がない。
だが別の理由でそうだとすればそれは少し寂しい気がする。
別に昔のように激しいセックスがしたいわけではない。ただ肌を重ね、彼女のぬくもり、鼓動を感じるだけで良かった。
よく老人になっても女に執着する男、若い男に入れ込む女もいるが、年を取ると精神的繋がりが欲しくなるものだ。 ひとりで出掛けてもつまらないし、ひとりで食事をしても美味くはない。
『孤独のグルメ』というドラマが人気らしいが、それを真似て独りで外食する男もいると聞く。
暇さえあればどこへでも出掛け、美味い物を探し、それをSNSに投稿し、自慢し、自己満足に浸るのだ。
「こんなに美味かった」とか「ソースが絶品だった」とか。
自分の行動に伴う飲食を紹介するのはいい。だがそのためだけに毎日ラーメンやカレーばかりを食べて全国をひとりで回る、それは貴重な人生を無駄にしていることである。
なぜなら人は食べるために生きるのではなく、「生きるために食べる」のだから。
食べる行為と性行為は似ている。皇族が食事をしている姿を映像に記録することがないのはそのためだ。それは卑しい下品な行為だからである。
食べ物を口に入れる、男性器を女性器に挿入する。それはどちらも五感を刺激し、心地よいエクスタシーを感じる行為に他ならない。
それが悪いと言っているのではない。人間が生存し、子孫を残すためには重要な事であり、五感を満足させること、欲望を満たすということだからだ。
人間がカネを求めるのは、常に乾いた五感を満足させたいからに他ならない。
そして欲を満たそうと努力することで人間は進化と成長をすることは否めない。
昼飯を作ろうとも思ったが、後片付けが面倒なのでいつものラーメン屋へ行った。
「餃子とビール、それから中華そばをくれ」
「あいよ、先生、今日は遅かったね?」
「今日は筆が進んだからな?」
「それは良かった」
店主は餃子を包み始めた。ここの店主はテレビの取材を受けない。スマホでの撮影も禁止していた。
小学生以下の家族連れも入店を拒否する。
「テレビでやるとロクでもないグルメ気取りの客が増えるからね? それにガキは残すだろう? せっかく俺が作ったラーメンを残されるのもイヤなんだよ」
それが店主の言い分だった。
私は餃子を摘みながら冷えたビールを飲んだ。
第3話
私はイブ・モンタンの『枯葉』を聴きながら、夕食の支度をしていた。
夕食は私が作るのが通例になっていた。
都が大学から帰って来た。
「ただいまー、あー、お腹空いたー」
「今日はハンバーグにしてみたんだ」
「私、あなたのハンバーグ大好き。着替えて来るわね?」
都は私の頬にキスをして寝室へと入って行った。
私は缶ビールを片手に鍋のキャロット・グラッセを労るように転がしていた。
都は部屋着に着替えると、テーブルにランチョンマットを敷き、カトランとワイングラス、そしてボルドー・ワインを用意した。
「はい、お待ちどうさま」
「わあー、洋食屋さんみたい」
「三つ星レストランと言って欲しいな?」
「グランメゾン東京みたい。行ったことないけど。うふっ」
「キムタクは嫌いだが、鈴木京香は好きだ」
「私もキムタクは嫌い。鈴木京香は普通かな?」
私も都も殆どテレビは見ない。テレビのニュースは世論操作による捏造ばかりだからだ。
天気予報も当てにならない。雨になるかどうかなど、空を見ればわかる話だ。
「美味しいー、あなたは小説家なのにお料理も出来るなんて凄いわね?」
「作家が料理をしているんじゃなくて、料理人が小説を書いているだけだ」
「そうかもしれない。お料理の出来る男性はモテるしね?」
「だから俺は料理を勉強した」
「あら意外」
「男は女にモテるために努力をする生き物だ」
「それじゃあ小説を書いているのも女にモテたいから?」
「小説は俺のために書いている」
都は微笑んで私が飲み干したワイングラスにワインを注いだ。
年齢を感じさせない美しい白い手だった。
「もう一本開けようか?」
「スパークリングワインにしてくれないか?」
「はーい」
都は冷蔵庫からスパークリング・ワインのロゼを出して来た。
私はソムリエナイフを使ってコルクを抜いた。
「グラス、変えた方がいい?」
「別にいいよ、洗い物が増えるだけだから」
「それじゃあこのワイングラスに注ぐわね?」
この何気ないひと時が、私に無上の幸福を与えてくれる。
「ジェノバで貧乏生活をしていた時、グリッシーニとチーズ、そして安いテーブルワインを飲んでいたものだ」
「パンとワインだけでもしあわせよね?」
「そして今はお前がいる。俺はしあわせ者だよ」
「私もよ」
都はサラダのブロッコローを口に入れた。
私たちは空気のような存在ではない。そんなただ命をつなぐだけの物ではなく、お互いを心から必要としていた。
都は私の生き甲斐だった。
第4話
小説を書いていると、ふと死にたいと思うことがある。
芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫。自死した作家など枚挙に暇がない。
物語を書いていると、その世界に自分が埋没してゆく。
その場面に瞬間移動し、私の作ったキャラクターたちが勝手に話し出すのだ。
それを私が俯瞰して文章にしていくのである。
ゆえに体力が許す限り、私は永遠に小説を書き綴ることが出来るというわけだ。だがその代償は大きい。
精神科医がそうであるように、私は次第に登場人物たちに物語の中に引きずり込まれてゆく。
それに抗うことは出来ない。身を任せるしかないのである。架空の人物たちに。
突然目の前に主人公が現れ、年齢と名前を私に告げる。
すると物語が勝手に動き出し、脇役がどんどんやって来て会話を始めるのだ。
映画のようにドラマが流れ、音楽や周りの音が聴こえて来る。
そしてそこから抜け出せなくなるのである。
よく「産みの苦しみ」と言うが、小説を完結させるとはそういうことなのだろうと思う。
ネタには困らない、だが書くのが、見るのが辛くなることはある。
出会いと別れ、悩み苦しむ私の生み出した出演者たち。
するといつの間にか現実と虚構が混同し、死を恐れなくなり、死を望む自分がいる。
今日はそんな気分だった。
私は自殺の方法、手段に思いを巡らせた。
苦痛を伴って死ぬのはイヤだし、人に迷惑も掛けたくない。
出来れば静かにひっそりと独りで死にたい。
そうなると誰も知らない、人里離れた場所ということになる。
本来なら死んで宇宙空間を漂うというのが理想だが、それにはとてつもない費用が掛かってしまう。
となると海か森となるのだろうか?
太平洋と日本海なら断然日本海だ。太平洋には明るい大海原のイメージしかない、だが日本海には暗い印象がある。
ロシアに中国、北朝鮮に韓国など、暗い環境には十分過ぎる。
山なら海抜の高い山でなくとも、森林地帯があればいい。
そしてやがて朽ち果て白骨化し、私は身元不明の遺体となって処理される。
そうなれば私の小説は私の死後、遺作となり、再び脚光を浴びるかもしれない。
私はそんな妄想をした。
私が死んだら一体誰が悲しんでくれるだろうか? そして誰が喜んでくれるだろう?
都は悲しんでくれるだろうか? 例え私が彼女にとって、私が抱かれたくない男だとしても。
私はパソコンから離れ、街へ散歩に出掛けることにした。
第5話
土曜日、私は都を連れて房総にあるシーフードレストランへドライブに出掛けることにした。
海沿いを走っている時、波音と潮風を車中に招き入れようと、私はクルマの窓を全開にした。
愛車のクーペがたちまちカブリオレになった。
「海風が気持ちいいわね? 嫌なことなんかみんな忘れてしまいそう」
「都にも嫌なことなんてあるのか?」
「あるわよ、私にだって嫌なことくらい・・・」
ハンドルを握っているので彼女の表情を読み取ることは出来ない。だが都にとってそれは珍しいことだった。
「大学で嫌なことでもあったのか?」
すると彼女はわざと話題を変えた。彼女の「嫌なこと」とはどうやら大学でのことのようだった。
だが私はそれを追求しようとはしなかった。私は人が言いたくないことを無理やり聞き出すような下卑た男ではないつもりだ。
言いたければ言えばいいし、言いたくなければ言わなければいい。それだけのことだ。
気まずいい沈黙をサザンの歌がかき消してくれた。
その店の名物は伊勢海老のピラフだった。既に20人ほどが並んでいた。都が順番待ちのリストに「嵐山」と私の名前を書いた。
「凄い人気ね? テレビとかでも紹介されているのかしら」
「ここは取材拒否の店として有名らしい。おそらく口コミで拡がったんだろうな? テレビなんかで紹介されなくても、これだけ多くのリポーターがいれば、SNSですぐに拡散するよ。いい情報も悪い情報もな?」
「楽しみだなあ、どんなピラフなのかしら? 伊勢海老ならお刺身とか巨大エビフライにして食べたいけど」
ようやく私たちの順番になり、その一番人気の伊勢海老のピラフを注文した。
「帰りは私が運転して行くから飲んでもいいわよ、生ビール、飲みたいでしょう?」
「そうか? 悪いな? それじゃあ遠慮なく」
ビールが運ばれて来た。私はグラスを都の前に置いた。
「一口どうぞ」
「それじゃあちょっとだけ」
都は一口だけビールをゴクリと飲んだ。
「今日はここに泊まって行っちゃおうかなあ?」
「それもいいな?」
「すみません、生ビールもうひとつお願いしまーす」
15分ほどして伊勢海老ピラフが運ばれて来た。
「あはははは あはははは 何この大きさ!」
「こんなの見たことないな? 流石は伊勢海老だ」
私たちはその大きさと豪華さに驚いた。まず、ピラフを食べてみた。
大きなブラックタイガーがゴロゴロ入っていて、これだけでも十分に旨かった。
私は都の伊勢海老を掴むと、殻を剥いてやった。
「海老の味噌も美味そうだな?」
「ありがとう、大きいわねえー」
都は大喜びで伊勢海老にかぶりついた。
「夢見たい! なんて贅沢なのかしら!」
「たまにはいいだろう、これくらいの贅沢をしても」
私たちは光る太平洋を見ながら食事を続けた。
食事を終え、私たちは代行を呼んで、急遽予約した海が見える旅館に宿を取った。
夕食にはまだ時間があったので、近くの海辺を散策することにした。
私たちは若い恋人同士のように、手を繋いで波打ち際すれすれに裸足で歩いた。
波が打ち寄せて来ると、あわてて逃げた。
「あはははは なんだか恋人同士みたいね?」
「もう恋人同士だろ?」
「愛人? 年齢的には?」
都はそう言って楽しそうに笑った。
海に反射した太陽の照り返しが、都の顔を照らしていた。
都は私の頬にキスをして、私たちはしばしの散歩を楽しんだ。
第6話
夕食は部屋で摂ることが出来た。
食卓には沢山の海の幸、山の幸、そして肉が所狭しと並んだ。
私たちは波音を聴きながら食事を堪能し、酒を飲んだ。
「なんだか吉田拓郎の『旅の宿』を思い出すよな?」
「浴衣の~君は~、ススキの
「もう一杯いかがだなんて、妙に~、色っぽいね。あはははは」
「それじゃあもう一杯どうぞ」
都は戯けて私の盃に酒を注いで見せた。
食事が終わり、床が並べて敷かれた。
私は予めポチ袋に入れた1,000円札を仲居に渡した。
始めは固辞していたが、それはよくあることらしく、彼女はうれしそうにそれを受け取ると、部屋をすぐに出て行った。
私たちは部屋に備えられた檜の露天風呂に一緒に浸かった。
「波の音が聴こえる、星も凄くキレイ」
「やはりここは東京とは違うな? 空気が汚れていない」
「東京は汚れているもんね?」
都は敢えて「空気が汚れている」とは言わず、ただ「汚れている」とだけ言った。
私は都を抱きしめたい衝動に駆られたが、断念した。また拒絶されそうだったからだ。
「先に上がるわね?」
都が湯船から上がると、彼女の女性器の茂みから雫が落ちた。
私に白い尻を向け、彼女はカラダをバスタオルで拭いて、下着を着けて浴衣の帯を締めた。
私も湯船から上がり、浴衣に着替えた。パンツは履かなかった。
今夜こそ、私を受け入れない理由を尋ねようと思った。
私は最近、死んでもいいと考えることが多くなっていた。だから都の性行為に対する拒否の理由が、例え私に起因するものだとしてもやむを得ないと覚悟を決めていた。
都が私に尋ねた。
「お風呂上がりのビール、飲む?」
「そうだな?」
都は冷蔵庫にグラスを冷やしてくれていたようで、ビールの冷たさが際立っていた。
「あー、美味しいー」
私は静かに都に尋ねた。
「俺とのセックスを拒む理由を教えてくれないか?」
都が持っていたグラスを座卓の上に置いた。
「別に拒んでなんかいないわよ」
「嘘だ、お前は以前のように俺を受け入れなくなったじゃないか!」
「女のカラダは複雑なのよ、そういう時もあるわ。もう閉経しちゃったし。
私、もう女じゃなくなったの、お婆ちゃんになったのよ」
「俺に原因があるんだよな? そうだろう? 俺のどこがイヤなのか、ハッキリ言ってくれ!」
「あなたのせいじゃない。それは本当よ」
「じゃあ他に理由があると言うのか?」
都はビールのグラスを持って、縁側の藤の椅子に座ると目を閉じ、シクシクと泣いた。
私は都を背後から抱きしめて言った。
「ごめん、言いたくなければ言わなくてもいいんだ」
「ううん、言うわ、言うべきなのよ・・・」
それは衝撃的な事実だった。私は悪い夢を見ているのかと思った。
第7話
「私、レイプされたの」
「いつ!」
「1年前」
「誰に!」
「・・・ウチの教授によ」
「鈴木教授か!」
都はそれには答えず、私に抱き着いて号泣した。
「あなたを受け入れられなかったんじゃないの、もう私は汚れてしまった。男性恐怖症になってしまったのよ。ううううう
男が怖い・・・」
鈴木は都の上司ということもあり、私もよく知っていた。
今はアメリカのシアトルの大学で研究を続けている筈だ。
銀縁メガネを掛けた小太りの男で、妻子持ちだった。
その鈴木が都をレイプしたというのか?
「どうして今まで黙っていたんだ!」
「話を大きくしたくなかったのよ。教授はアメリカへ栄転だし、私も大学にいられなくなるかもしれないと思ったから」
「そうだったのか? それは辛かったな?」
私は都を強く抱きしめた。
「私もいい歳だから、小娘みたいなことは言いたくなかった。でも鈴木だけは生理的に無理だったし、何よりもあなたに申し訳ないと思った」
「もう何も言うな、何も」
その夜、私たちは何もせず、抱き合ったまま朝を迎えた。
第8話
私は鈴木に会うために、シアトルに向かって機上の人となっていた。
私は都と話をした。
「鈴木に会って来る」
「シアトルに?」
「そうだ」
「お願いだから辞めて、もうあの男とは関わりたくないの」
「君に迷惑は掛けないよ。これは男のケジメなんだ。
不同意性交は犯罪だ、それはいかなる理由があろうとも許されるものではない。
戦争で兵士が女を強姦する、戦争だからと民間人を凌辱することは許されるものではない。
今、話題になっているあのお笑い芸人も狂っている。
売れっ子芸人だかなんだか知らないが、自分の立場を利用して、居酒屋での飲み会のように後輩芸人を使って呼び出し、メンツが揃ったところで場所をホテルの個室に変える。携帯電話を没収し、恐怖に怯える女を無理やり犯す手口。
それもひとりやふたりではなく、長年に渡ってそれを繰り返して来ている。
性欲はあるものだ、しかし人間の尊厳を踏みにじって行うものではない。人間は性においても平等であるべきなんだ。レイプは決して許される行為ではない、これは犯罪なんだ。
性犯罪に時効はない。それをアイツはいい奴だからとか、早く復帰して欲しいとかなど、ありえない話だ。
俺は鈴木に償わせる。俺の愛する都を苦しめた男に復習する権利が俺にはある。
これは都だけの問題ではない、俺と鈴木の問題なんだ」
「どうやって復習するつもりなの?」
「君は知らなくていい、あの男はそれを償う義務がある」
「絶対に暴力は止めてね? あなたが罪に問われることにでもなったら大変だから」
「安心しろ、俺はそんな馬鹿じゃない」
俺は女を寝取られた、間抜けなピエロだ。
シートベルトの装着サインが出た。飛行機はシアトルの空港へ着陸態勢に入ったらしい。
最終話
シアトルに着くと、私はそのまま鈴木が勤務する大学へと向かった。
タクシー・ドライバーは太った陽気な黒人だった。
「旦那、シアトルは初めてですかい?」
「昔、一度だけトランジットしたことがあるだけだ、街には出ていない」
「大学の先生なんですか?」
「いや、殺し屋だ」
「日本人にもブラック・ジョークを言える紳士がいるんですねえ? あはははは」
私はそれ以上話すのを辞めた。
鈴木の研究室は大学の5階にあった。意外と怪しまれることなく、すんなりと通してくれた。
「プロフェッサー鈴木の部屋はこちらです」
案内してくれた女性がドアを三回ノックした。
「教授、日本からのお客様です」
「Come in」
ドアを開けると、その女性は私にウインクすると、静かに戻って行った。
机に座ってパソコンを見ていた鈴木が顔を上げた。
「これはこれは嵐山先生、シアトルに来るなら仰っていただければ空港までお迎えにあがりましたのに。シアトルには小説の取材か何かですか?」
「確かめたいことがあって来ました」
鈴木の顔から血の気が引いた。どうやら私がここへ来た理由を察知したようだった。
「何をです?」
鈴木はとぼけたふりを装った。
「わかっているはずだ、俺と一緒に俺の泊まっているホテルへ来い。拒否すればお前の女房と子どもにその事実を伝える、お前はこの大学を去ることになり、豚箱行きた」
「わかりました」
鈴木は仕方なくそれを承諾した。
私は鈴木に全裸になるように命じ、手足を結束バンドで縛り、ホテルに監禁した。
私はスマホを鈴木に向けた。
「これから俺が言うことを言え。「私は池尻先生をレイプしました」、早く言え」
鈴木は黙っていた。
私は鈴木の萎んだペニスをペンチで挟んだ。
「悪いチンコはこれか?」
「わ、わかった言うから勘弁してくれ」
「よし、早く言え」
私はペンチを握る手に、僅かに力を加えた。
「わ、私は池尻先生をレイプしました」
「聴こえねえなあ、もっとデカい声で」
「私は池尻先生をレイプしました!」
私は保存したスマホの動画を確認した。
「お前が今後、都に対して不当な扱いをすることがあればこれをネットに拡散するからな?」
「いくらお支払いすればいいんですか?」
「カネは要らない。その代わり都を教授にしろ」
「でも今、教授には今村君が・・・」
「どっかの大学に飛ばせばいいだろう? それともお前がシアトルの大学を辞めるか?」
鈴木はそれを渋々承諾した。
帰国した私に都は尋ねた。
「シアトルでアイツに何をしたの?」
「何もしてはいない、ただ大人の話をしただけだ」
「乱暴なことはしなかったでしょうね?」
「俺は小説家の端くれだぞ、そんなつまらん真似はしない」
三ヶ月後、都は教授になり、私たちは結婚した。
「おめでとう、池尻教授」
「良かったですね先生、ようやく論文が認められて、そして嵐山先生とご結婚なんて」
「ありがとう、これからもっと多くのことを解明していくつもりよ、協力してね?」
もちろん今回のことは私と鈴木だけの秘密だった。都は何も知らない。
うれしそうにみんなから祝福される都の顔を見ていると、私は子どもの頃に潰して回った鳳仙花の種袋を思い出していた。
これから沢山の美しい鳳仙花が花を咲かせ、私たち夫婦の周りに咲き誇ることだろう。
『鳳仙花』 完
【完結】鳳仙花(作品241112) 菊池昭仁 @landfall0810
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