第19話 アイシーちゃん

「準備は、いい?」


「ぐぅっ……! 喰らいなさい!」


 エメラルドヴァイパーは、余裕綽々なアイシーちゃんを目掛けて、口からドロっとした粘液を放出した。


 粘液は高速でアイシーちゃんの右の頬の辺りに着弾したが、特段何かがあるわけではなかった。


「なにこれ?」


「強烈な酸性粘液さ! サイボーグとはいえまともに浴びたらひとたまりもないよ!」


「……そう」


 エメラルドヴァイパーの言葉通り、アイアンちゃんの右の頬はぶすぶすの音を立てて煙を上げていた。

 内部に侵食し始めているらしい。


 あまりよろしくない気がするが、本人はそれほど気にしていないように見える。

 痛覚とかはうまい具合に感じないようになっているのかもしれない。人間よりも便利で素晴らしいな。



「じゃあ、いくよ」


 やがて、アイアンちゃんは溜め込んだ力を爪先の鋭利な刃物に集約させると、エメラルドヴァイパーの脳天から足の先までをなぞるようにして狙いを定めた。


 次の瞬間。


 アイアンちゃんは地を駆けた。


 足の裏についているジェットを惜しみなく使用し、エメラルドヴァイパーの頭上へと容易に到達する。

 そして、何の躊躇もなく脳天を目掛けて、刃物が飛び出た両手を振り下ろす。


「……ざん


 たった一言。


 アイアンちゃんが両手を振り下ろし地面に着地する頃には、既にエメラルドヴァイパーは瀕死に陥っていた。

 断末魔を上げることすら許されないその一撃は洗練されていた。


「おー!」


 感服して惜しみない拍手を送ると、アイアンちゃんは少しだけ照れ臭そうに笑う。

 右の頬は一部溶けているようだが、サイボーグということもあってかあまり深い傷には至っていない。


「え! アイアンちゃんが照れた!?」


「人間なんだから照れることくらいあるだろ」


 何を言っているんだ、ミカヅキは。

 アイアンちゃんはサイボーグだがその前に人間だ。

 感情があることに対してなぜ驚いている。


「だってアイアンちゃんって誰とも仲良くしないし、基本的には単独行動だし、感情を出してるところなんて誰も見たことないのよ?」


「へー、チョコバナナをあげたら喜んでたし、一緒にコミケの販売ブース巡りをした時はずっと楽しそうにしてたぞ? なぁ?」


 俺がチラッと視線を向けて声をかけると、アイアンちゃんはとてとてと寄ってきた。


「うん。楽しかった。初めて」


 無機質な声だが俺にはわかる。

 少しだけ声色が上擦っているし、多分嬉しいんだろうな。


「そりゃよかった。アイアンちゃんはまだ5歳だから、こんなおばちゃんに文句言われる筋合いはないもんな?」


「誰がおばちゃんよ! 18歳のピチピチガールに何言ってんのよ! そんなこと言うならあなたは23歳のジジイじゃないの!」


 隣でムキーっとなって怒っている黒と黄色の女がいるが、俺は無視を決め込んだ。


「ねぇ」


 アイアンちゃんはこちらに近づいてきた。


「ん? どうした?」


「名前」


「名前?」


「アイアン・シールドロック」


「アイアン・シールドロック?」


「うん」


「ん?」


 ボソッと一言だけで何かを伝えようとしてきているのだが、俺は心が読める超人ではないのでさっぱりわからない。


「別の呼び方がいい」


「あー……そういうことか」


 その言葉で合点がいった。

 ピンク色の髪で黒いワンピースを着ている幼女なら、もっと可愛い名前をつけてあげたい。

 もちろんアイアンちゃんという呼び方も素敵だが、少し堅苦しいし解釈違いだ。


 アイアン・シールドロックか……作成者がどんなやつか知らないが、絶対機械とかロボットのオタクだろ。男キャラにつける名前だぞ、これ。


 なのにここにいるのは幼女だもんな。


 サイボーグだしデータ的にも植え込んでるだろうから、名前を丸ごと変えるのはダメだな。


 となると、あだ名がいいか。


 アイアン・シールドロック……アイアン・シールドロック……アイ、アイ……シー……これだ。


「アイシーちゃん。可愛いだろ?」


 呼びやすいし可愛い。

 アイアンちゃんよりも愛嬌があるし、女の子っぽくて良い。


「っ……うん、好き」


「いいだろ?」


「嬉しい。ハイド、優しい」


 アイシーちゃんは俺の胸に飛び込んできた。


「知ってる」


「……ねぇ、あなた子供には優しくない? 私には最初から当たり強かったのに」


「ん? 優しくしてほしいのか? じゃあアイシーちゃんと一緒に抱きしめてやるから来いよ、ほら、来いよ! ぎゅーって優しく抱きしめてやる! 今日は暑い中たくさん歩いたからちょっと汗臭いかもだけどな!」


「キモっ!」


「なっ? こうなるだろ?」


「うん……というか、なんでそんなに懐かれてるのよ。私だって仲良くしたくてお菓子をあげたり、お出かけに誘ったりしたのに全部断られてるのよ? ねぇ、アイシーちゃん、どうしてお姉さんには懐いてくれないの?」


 ミカヅキは優しい口調でアイシーちゃんに尋ねた。


「……理由はない。ハイドの方が好きだから?」


「ふんっ! これが、差ってやつだな」


 俺はアイシーちゃんの答えを聞いて悦に浸った。

 上から目線な感じでミカヅキのことを見下ろしてやった。気持ちいい……。これが勝利の味ってやつか。


「悔しいぃぃぃーーーー!!!」


 心底悔しそうにするミカヅキを見れて満足だ。


 しかし、ここで一つ思い出す。


「あっ……レイちゃんさん!」


 俺とミカヅキは同時に気がついたが、真っ先に動いたのは彼女の方だった。

 縦方向に両断されたエメラルドヴァイパーの元へ駆け寄ると、腹部からレイちゃんの体を引っ張り出した。

 ドロドロの粘液で塗れて苦しそうな面持ちだったが、息はしているようで命に別状はなさそうだ。


生意気で口うるさいヤツだが、悪い性格ではないのはわかる。模範的なヒーローだ。


 対するエメラルドヴァイパーは、俺たちが談笑しているうちに絶命したらしい。アイシーちゃんのあの一撃に耐えられる耐久力は評価できる。

 

「……疲れちまったな」


 諸々が終わりを告げたことで俺は嘆息した。

 夏コミケが台無しだ。


 ここにいても、他のヒーローやら警察が来て面倒ごとに巻き込まれそうだし、ミカヅキの意識があっちに向いてるうちに退散するとしよう。


 ごたごたに巻き込まれるのはごめんだ。


「んじゃ、アイシーちゃん、またな」


「うん。またね、ハイド」


 俺は抱き上げたアイシーちゃんを優しく地面に下ろすと、一言だけ別れを告げてこの場を後にした。


 ミカヅキに出会ってからトラブル続きだ。

 大好きだったみぃこさんは美を愛するあまり変異した醜いモンスターだったし、ひょんなことからヒーローランキング第5位の幼女とも出会ってしまった。


 しばらくは引きこもって過ごすとしよう。

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