第9話 2,000円のありがたみ
「———お兄さん、今日は来てくれてありがとうっ! 私と二人だけの時間を楽しんでいってね?」
のれんを潜って早々、みぃこさんがいた。
満面の笑みで手を振ってくれている。
もちろんサインを書くための長机と、顔の辺りには大きなアクリル板を挟んでいる。
更に、そのサイドには黒服の剥がし役が付属していたが、それでもいきなり眼前に現れたので俺は緊張を隠せなかった。
「~~っ!」
ドキンっと胸が高鳴り、呼吸が苦しくなる。
か、かわええぇぇ……キューティーすぎるぞ!
目でかっ!
アクリル板越しなのに透明感えぐっ!
アクリル板に映る銀髪のズボラ男キモっ!
「ど、どうしましたか? そんなに私のこと好きじゃなかったですか?」
「い、いやいやいやいや、もう大ファンですよ! ほら、だからその……握手してください!」
俺はアクリル板の下の握手用の空間から手を差し出した。
手汗? 夏だし、緊張してるし、もちろんドバドバ分泌してるけど、そんなの知らん。
手汗如きを気にして推し活などやってられるか!
「ふふふっ……面白い人ですね! チェキはどうしますか? 一枚2,000円ですが」
2,000円。安いのか高いのかよくわからないが、料金は既に把握済みだ。
「撮ります」
俺は握手を解除し、ポケットから財布を取り出す。
そして中を確認する。
1,000円しかない。
くそ! 金がねぇ!
ヒーローギルドから給料が振り込まれたのに、朝寝坊したせいで金を下ろし忘れていた。
さすがにグッズ購入に割ける金は工面できなかったから、せめてツーショットだけでもほしいと思っていたのに……無念。
だが、この財布を確認する沈黙の時間すらもったいない。
なんとかベロを回して言葉を紡がねば!
「1枚2,000円ですか。じゃあ、1,000円払うんで、お互いに顔の半分だけ映るチェキとか撮れますかね?」
二人揃って2,000円なら、二人とも半分ずつ映れば1,000円になる理論だ。
いや、待て。俺一人に1,000円の価値があるとは思えないな。みぃこさん単体で2,000円と考えるならば、この理論は破綻してしまう。
「え?」
渾身の提案は理解されずにとぼけ顔で掻き消されてしまった。
理論云々前の話だった。
「……もちろん冗談ですよ? ほら、ギャグですから」
結果、俺は即座に見苦しい言い訳をした。
同時に背後から現れた女性スタッフが俺の肩を叩く。
「———はーい、グッズをお持ちでないので30秒でトークタイムは終了となりまーす! そちらの出口からお帰りくださーい!」
「……早すぎるぞ」
「文句あるならグッズを買ってくださいねー。では、次の方どうぞ~」
この抽選チケットだって1枚20,000円もするのに、更に高いグッズまで買ったら金が底をついてしまう。
そもそも、ヒーローギルドから金をもらっているとはいえ、金を下ろし忘れてしまったのが運の尽きか……
「お兄さん、短いけど楽しい時間をありがとうございました! またいらしてくださいねっ!」
立ち去る間際。みぃこさんは小さく手を張って微笑みかけてきた。
萌を体感したい諸君は、今すぐみぃこさんに会いに行くと良い。
一瞬で体感できるぞ。
「っ! も、もちろんっ! また来ます!」
手を振り返した俺は即座に元気を取り戻した。
共に過ごした時間の長さなんて関係ない。大切なのは限られた時間の中でどれだけ濃密な話ができるかだ。
俺はやり遂げた。
多分、印象には残ったと思うし、少しくらいは覚えてくれたと思う。
それだけでもファンとして嬉しい限りだ。
まだまだコミケは始まったばかりだが、今日はとことん楽しむとしよう!
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