第1話 無能特待生

 僕は紛れもなく無能だ。


 辺りが茜に染まり始め、影が少しずつ伸び始めた実技室で僕は授業が終わってもなお、手を前に押し伸ばしただひたすら術式を詠唱していた。


「【ミニファイア】!! 」


 火属性の初等魔法である。


 魔法は難易度と威力を基準に下位、中位、上位とクラス分けされており、特に中位魔法は初等魔法、中等魔法、高等魔法とさらに細かく分類されている。


 初等魔法とは、属性に関係のなく使用できる下位魔法よりかは少しだけ高度な属性魔法の基礎、いわば属性魔法のチュートリアルなのだ。


 完璧な詠唱を終えた、しかしながら何も起こらない。


 暖かくなるどころか、魔法陣が展開される予兆もない。


 僕は思わずため息をついた。


 廊下から忍び笑いが聞こえる。


 おそらく帰るところ偶然通りかかった生徒だろう、見なくても容易に想像できる。


 かなり小さいが声も聞き取れる。


「あれ、特待生の世話役だろ? 」


「初等魔法すらできないとか終わってる。ほんとに同級生? 同じ学校に通う生徒? 自分が恥ずかしくなってきたわ」

 

 一人がせせら笑う。


「あいつたしか特待生なんだっけ? 信じらんねえ。どうせ特待生様の金魚のフンの裏口入学だろ。あんなゴミカスの一般人が特待生で入れるなんてこの名門・国立ブリンデンブルク魔法学院も堕ちたもだぜ」


 静かな廊下を二つの足音だけが響く。


 小さくなっていく足音に僕は唇を噛んだ。


 何か反論したい気分になるが、正論でしかないし、紛れもない事実であり実際のところそうでしかないのだから反論のしようのない。


 僕はこの名門・国立ブリンデンブルク魔法学院の生徒ではあるのだが、間違いなくこの学校に不釣り合いな存在だ。


 僕には魔法の加護がなにひとつないのだから。


 僕に魔法の加護がなにもないと分かったのは、小学院の最高学年である九年生になった時だった。


 並大抵の人間であれば、小学院に入る頃には自らの魔力に色が灯る。


【女神】から授かった魔法の加護の発現だ。


 次々と友達の魔力が色を伴って輝き始める中、僕の魔力だけはなぜかずっと無色透明だった。


 あまりに遅すぎる加護の発現に親は心配し、一度王都の大きな教会で診てもらうことになったのだが、そこで事実が発覚したのだ。


 確かに僕の体には魔力が流れている。


 しかし加護がないため、加護がなければ使うことのできない初等魔法から始まる中位・上位魔法のような属性魔法は使うことができず、加護なしで使えるような下位魔法が僕の限界だったのだ。


 だがそんなことは信じたくない。


 調べてみたところ、加護の発現は個人差があると言う学者は実際いる。


 話によると20半ばになって新たな加護が発現した人がいたとかいなかったとか。


 正直かなり信用に欠ける話だが、それでも僕は絶対諦めない。


 いつか加護が発現して、僕は魔法を使いこなすんだ。


 あれから小一時間くらい過ぎただろうか、日は落ち込み、辺りは闇に包まれ始めている。


 長い影が刺さっていた実技室は、時間になると発光する魔晶が一つ、弱々しくも輝いていた。


 あれから休むことなく詠唱を唱え続けた僕だが、魔法が展開されることはなかった。


 魔法に憧れ、息巻いている僕だが、実際今のところ僕はただの下位魔法しか使えない無能だ。


 そんな人間は本来魔法学院に入れるはずがない。


 ましてや国一番の国立ブリンデンブルク魔法学院など、ありえない話だ。


「んん」


 部屋の隅でゴソゴソ音がする。


 実技室の硬い床で一人、少女が眠りに落ちていたのだ。


「そろそろ帰ろうか、フラン」


 フランと呼ばれた少女は透き通るような白銀の髪をなびかせゆっくりと起き上がると、まるで猫のような伸びをした。


 欠伸と共に夕陽のように輝く茜の瞳に涙が溜まる。


 長く艶やかな白銀の睫毛についた涙を拭うと、僕に顔を向け目を細めた。


「お疲れ様、ノエル。」


「おう、ありがとな。悪い遅くなった」


「ううん、全然大丈夫」


 側から見ればただの煽りでしかないのだが、彼女は至って本心で言っているのだ、僕には分かる。


 自らの荷物をまとめ上げ、フランの荷物も一緒に手に取ると実技室を後にした。


 誰一人いない、所々に発光魔晶の明かりのついた廊下に二人の足音がこだまする。


 僕がこの学校に通える理由、それはこの銀髪赫眼の物憂げな少女にある。


 フランソワーズ・シュヴェーヌマン、6つ全ての属性の魔法の加護を持つ千年に一度の天才。


 学院からの推薦によって構成された、数少ない特待生のうちの一人。


 王都から離れた小さな村で共に幼少期を過ごした僕の幼馴染。


 だが人々は彼女のことを天才とは言わない。


 彼女は異端児と呼ばれている。


 魔法以外があまりにも異端すぎるのだ。


 初めましてはおろか、何度か顔を合わせたことのある人間とも僕の手助けなしではまともに話すことができない。


 魔法や学問の覚えは驚異的なほどに早いのにそれ以外は物忘れが極めて激しく、入学して一ヶ月は経ったというのに学校からたった徒歩5分くらいのところの寮まで一人で帰れないし、もしかすれば村の実家の形すらもう覚えていない可能性がある。


 一人で髪を乾かすこともできなければ、一人で制服のリボンを結ぶことも難しい。


 家事や自分の身の回りの整理なんて、できるはずがない。


 それらを共同生活によって全てカバーするのが僕の仕事だ。


 彼女のいわば召使いとして、僕たちの小さな村に魔法学院の人間が彼女をスカウトしにきた時に、僕も特待生として一緒に連れてこられたのだ。


 特待生には推薦枠のほかに応募枠もわずかに存在すると言うが、特待生は全学費免除、入学試験免除の他、いろいろと高待遇なのでかなり応募者数も多い。


 しかし応募枠には厳しい審査があり、実際今年は応募した志願者全員が審査で落とされたという。


 僕が入試も受けずにこの学校に通えているのは、彼女のおかげと言っても過言ではないのだ。


 だがひとつ疑問がある。口下手どころか口雑魚の彼女であったが、とても小さな村だったこともあり、近所付き合いもしっかりしたものだったので、友達は僕だけという訳ではなかった。


 2、3人はいたし、その中には女の子もいれば、なによりみんな僕より遥かに魔法の才に恵まれていた。


 でもなぜか僕が選ばれた。


 単に同世代の友達からランダムに選ばれたのか、それともフランから何か言ったのか。


 一度フランに聞いたことがあるが、知らないの一点張りだった。


 もしかしてこいつ忘れたんじゃね?


 まあそんなことは今どうだっていい。


 周りになんと言われようとも、僕はフランを支えると決めたんだ。


「今晩何食べたい?」


「ハンバーグ」


 ハンバーグはフランの大好物だ。


「ハンバーグは昨日食っただろー。もうお肉ありません。ということで今日は野菜炒めです、野菜食え野菜」


「むー、聞いた意味ない。でもノエルの作ってくれたご飯、全部美味しい。好き」


「ん、そう言ってくれると作り甲斐があるよ」


 校門を抜けると、そこには街が広がっており、街灯と店の光が煌びやかに輝いていた。


 フランの綺麗な銀髪が街の光を吸い込み乱反射する。


 僕らは自らの寮へと足を向け、帰路についた。














 目覚まし時計ベルの音がとてもうるさい。


 風呂に入って晩ご飯を食べたら急に眠気が襲ってきてしまい、昨夜はそのまま眠り込んでしまったのだ。

 

 ドレープの隙間から差し込む強い朝日に顔をしかめ、眠たい目を擦り、誘惑の強い掛け布団を足で蹴飛ばすと、上体を起こし机に向け手を押し伸ばした。


「【念動】! 」


 目覚まし時計の音が止まる。

 

 下位魔法【念動】。小学院で初めて習う魔法であり、魔法とは何かを初めに生徒に解くための魔法だ。

 

 無詠唱で発動でき、自分から半径2mくらいに位置するちょっとした物であれば動かすことができる。

 

 実は僕の一番好きな魔法だ。初めてこの魔法を見た時どれほど心が躍ったか。


「でも重たいものは無理、遠くても無理。ほんとに初歩的な魔法だけどな……」


「さて……【ステータス】! 」


 下位魔法【ステータス】。同じく小学院で習う魔法だ。自分のレベルや経験値、取得した魔法など多くの情報を数値化して見ることができる。

 

 毎朝こうして起き抜けに【ステータス】を確認するのが日課だ。


 もしかしたら寝てる間に加護が発現しているかもしれない。

 

 加護の欄を見遣る。いつもと変わらない虚しい空欄。


「今日も変化なしっと」


 いつもと変わらない日常だ。制服に腕を通す。


 洗濯干して朝ごはん作らないと……それより先にまずはフランを起こさないとな。

 

 自分の部屋から出ると隣の部屋をノックする。

 

 もちろん出るはずがない。まだ寝ているのだから。


「入るぞー」


 木製のドアを開けた途端、目に眩しい朝日が差し込んできた。

 

 カーテンと窓が開いている。優しい春の風が吹き、白銀の艶やかな髪がなびいた。


「おはよ、ノエル」


 僕の思考は完全に停止した。

 

 僕の脳みそが再起動してまず考えたのは僕自身が寝坊した可能性だ。

 

 昨日はたしかいつもと同じ時間に眠りについたはずだ。夜更かししたわけでもないし、なにより目覚まし時計で起きてるんだから、寝坊した線はまずありえないともすれば……え、ほんとに時間通りに起きたの!? まじで!? 今日雪とか降っちゃう!? 傘五本くらい持って行ったらいい!?

 

 まさしく奇跡だ。


「お、おはよう。一人で起きられたんだな」


「うん、目が覚めた」


「いまから洗濯干すから自分でできるところまで着替えといてー」


「ん、」


 そう言うとフランがいきなり寝巻きのボタンを外し始めた。慌てて回れ右をする。


「ちょっと待ってちょっと待って!! いきなり脱ぐ奴がいるかバカが!! 」


 あーびーっくりした。幼少期から共に過ごした幼馴染とは言え、年頃の男の子には刺激が強すぎる。


 フランの下着を干すときですらドギマギしていると言うのに。

 

 顔が熱い。後ろで微かに笑う声が聞こえる。


「ノエルには、見せても、いいのに」


「うるせえ!! 着替えてろよ!! 」


 僕は扉をピシャリと勢いよく閉めた。







「忘れ物はないな? 」


 僕は完璧。フランの荷物は僕が持ってる。フランの服装はバッチリ。いつも使ってるか知らないけどちゃんとハンカチも持たせた。

 

 髪よし。いつもは起こそうとしても全く起きず、30分ぐらい格闘しているところだが今日は一人で起きてくれたからなんと編み込む時間もあった。


 我ながら完璧。可愛すぎる。


「多分ない」


「よし、行こうか」


 魔法で鍵を掛けると、どこか行ってしまわないようにフランの手をしっかりと握り締め寮を去った。


 夜と朝とでは街の様子がガラリと変わる。


 昨日帰りに見た街並みと全く違う様相の中、学校までの道のりを練り歩いていく。


 徒歩5分ほどの通学路、少し歩けばその巨大な構造物はすぐに姿を現す。


 国立ブリンデンブルク魔法学院。その壮大な西洋造りの校舎は学校というかもはや城と表現した方が正しい。


 アーチ状の巨大な校門を潜る。


「見てあれ、特待生様よ」


「今日も綺麗……」


「三つ編み可愛すぎ……」


 周囲から声が聞こえるがある意味仕方がないことだ。


 その艶やかで長い白銀の髪と宝石のように輝く赤い瞳、少し幼なさの残る彼女の外見は精巧な人形そのものを彷彿とさせる。


 もう大丈夫だろう。僕は手を離すとフランの後ろを付いていくようにして歩く。


 完全なる召使いムーブだ。この学校に入学して一ヶ月、かなり板についてきた。


 僕はフランの世話役としてこの学校に通っているのだから、当たり前な行為ではあるのだが、フランが少し不満げな顔をしてるのはなぜなんだろうか。まあいっか。


 教室に向かう。僕とフランは同じクラスであり、席も隣同士だ。


「そういえば今日なんで早起きできたんだ? 」


 廊下を歩いている中、浮かんできた何気ない疑問をフランに投げかける。


 フランは顔色ひとつ変えず、僕にその緋色の瞳を向けた。


「わからない。でも、ずっとノエルに頼り切りじゃダメ、思った」


「そう、か」


 至極当たり前のことだし、そうしてくれるととても助かる。今日も一人で起きてくれてかなり時間に余裕があった。でもなぜだろう。

 

 なぜこんなに胸騒ぎがするのだろうか。








「この時間は次週より実践的な内容に入っていく。自らの魔法を活用する技術を磨いていく。各々予習として鍛錬に励むように」


 チャイムが鳴り、先生が教室を去る。生徒が一斉に帰り支度を始める。


 僕は凝り固まった肩と背筋をほぐした。今日の授業もぎりぎり追いつけるくらいだった。次週から始まる演習が心配でしかない。


「おいフラン、今日も実技室に行きたいんだけど、いいか? 」


 肩を叩くが反応がない。もう一度声をかけようとした時、彼女の様子を見た僕は声を掛けるのをやめた。


 熟れたトマトのように赤い瞳が瞬きもせずに爛々と輝き、羊皮紙の上を尋常ではない速度でペンが踊る。


 緻密な術式理論が紙の上でワルツを踊り、興奮のあまり口角が上がり、フヒッフヒッっと変な声が溢れている。いつもの仏頂面はどこへやら。

 

 これはダメだ。フランは病的なほどに過集中な面がある。自分の世界に入り込んでしまった彼女はしばらくこのままだ。


 しょうがないしばらく待っているか、そう思っていたときだった。


「おう、俺らと行かねえか?実技室。付き合ってやるよ」


 めんどくさい人間に声をかけられた。声のする方にゆっくり顔を向ける。


 うるさいほどに鮮やかな金髪を掻き上げ、群青の瞳で僕をじっとめ付ける。


 整った顔には笑みが浮かび、取り巻きが含み笑いをしている。

 

 アラン・カンパーニョ。上流貴族カンパーニョ家の次男、火、水、風、土の4つの属性の加護を受けた言わずもがな秀才。


「ほら、行こうぜ? 」


 顔に形だけのいい笑みが貼り付いている。これは勧誘なんかじゃない。いわば脅迫だ。


 フランはこの調子だ。少しくらいなら席を離しても大丈夫だろう。


 無言のまま、立ち上がった。


「ほら、来いよ」


 取り巻きに両腕を掴まれる。僕は実技室とは全く逆の方向の、人目の少ない校舎裏へと連れてかれた。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

裏口入学の無能特待生、下位魔法を極め最強魔導師に 玖波 @Kuhatan9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画