ジーニスト

@Nishiki_Iori

ジーニスト

 「僕だって、努力してるのに。」

はっと、目が醒めた。大成はひどく汗をかいていた。なにか、恐ろしい何かを見たように顔を動かした。目に入るのは書き潰された紙と、ぼろぼろになった教科書だった。

「夢だったのか。」

そう思うと、動悸が治まってきた。

 大成は私立大学に通う学生だ。第一志望だった国立大学に落ちて、第二志望のこの大学に入学することにしたのだ。この大学に入学することになったときの親の顔は、ひどく落胆したように見えた。高校受験もうまくいかず、直前に志願変更して公立高校になんとか受かった大成は、大学受験こそは、と努力を重ねた。しかし、結果は芳しくなかった。

通学の道中で、大成が志望していた国立大学の最寄り駅がある。そこの学生と見られる二人組が目に入った。

「まじ単位落としそうだわ。」

「ぶっちゃけテスト頑張ればいいんちゃう?」

「そうやな。そこまで難しくないしな。」

そんな会話が聞こえる。

「天才なんだな。いいな。」

ふとそんな言葉が口をついて出た。嫉妬か諦念か後悔か。そんなことを考えているうちに最寄りに着いた。

「はい。ですからここではこの微分方程式を解く必要があります。では、そうだな。」

講義している初老の男がこちらを値踏みするように見渡す。

「そこの、確か水野君といったかな。解はどうなりますか。」

自分が指されると思っていなかった大成は、急いで計算する。

「少し時間がかかりそうなので、そこの佐々木くん。どうなりますか。」

「はい。ラプラス変換を用いて―」

大成はサラッと答えた学生をちらりと見た。いかにも勉強ができそうな人だ。実際、教授にも覚えられるほど優秀な学生である。大成はまたもやよくわからない感情に苛まれた。

 講義が終わったあと、大成はいつものように勉強しようと図書館へ行こうとした。教室を出て、図書館がある棟へ行こうと外へ出た瞬間、視界が揺らいだ。ここ最近まともに寝ていないせいだろうか、と考えているうちに地面が近づいてきた。

気がつくと、白い天井が目に入った。病院だろうか、勉強しなければ、と起き上がろうとした瞬間、違和感を覚えた。妙に思考がスッキリしている。大成は久しぶりに寝たからか、と思いあまり考えなかった。

「どこか違和感はありますか?」

若く、健康そうな看護師が大成に尋ねる。

「いえ、特にありません。強いて言えば頭がスッキリしているところですかね。」

ハハハ、と笑いながら返答した。

「水野さん、かなり睡眠が足りてなかったみたいですよ。学生さんなので勉強に励む気持ちはわかりますが、自分を大切にしてください。体は資本なんですから。」

いかにも、人々の健康を願う仕事らしい言葉をかけられた。次からは気をつけます、と言い病院をあとにした。

 病院でしばらく寝てしまったのか、辺りはすっかり暗くなっていた。大成は家に帰り、勉強をしようと机に向かった。教科書を開き、今日の講義の復習をする。すると目覚めたときと同じような違和感が大成を支配した。講義中は全くわからなかった問題が、今となってはすんなり理解できる。それだけでなく、過去に躓いた単元の問題も、他の講義の問題も、未習分野のところもなぜか余裕を感じるくらいすらすらと解けてしまう。とりあえず、復習と予習を終わらせた大成は、しっかり睡眠をとることができたからだろう、と自分に言い聞かせて、ベッドとシーツの間に挟まった。

 「水野君、この問題のアプローチはどうなると思いますか?少し発展的な問題なので、間違っても構いません。」

教授が大成を指す。大成はまたも自分が指されると思っていなかったが、昨日と違うところは答えがわかることだ。

「はい。右辺を積分することで、簡単な方程式に直すことができます。その際、キング・プロパティを用いることでより少ない計算量で積分できます。」

昨日までの大成なら、きっとわからなかったであろう問題を、いとも簡単に答える姿を見た教授は、喫驚したようだった。

「素晴らしいですね。その解法は想定してませんでした。」

他の学生たちは少し騒然とした。隣の佐々木も興味深そうにノートにペンを走らせていた。

「今、水野君が示してくれた解法でやってみましょう。まず―」

その日から、大成は優秀な学生として、学生や教授たちの間で共通の認識を持たれた。

 「水野くん、少し時間ありますか?」

授業後、声をかけてきたのは佐々木だった。

「ありますが、なんの用でしょう?」

初めて佐々木に声をかけられた大成は、狼狽えた。優秀なやつに話しかけられるようなことをなにかしただろうか、と思考を巡らせた。

「今日の問題のアプローチ、すごいと思いました。僕には思いつかない解法で、しかも煩雑にならないように工夫して考えていた。どこからその思考が生まれたのですか?良ければ一緒に勉強しながら、教えていただきたいです。」

大成は驚いた。まさか、優秀な佐々木に教えを乞われるなんて、という感情と、なにか自分の天命を全うしたかのようなたまらない嬉しさが大成を駆け巡った。

「そのように佐々木くんに褒めていただき、嬉しいです。俺なんかで良ければ。俺も佐々木くんの勉強法や、思考プロセスを知りたかったので、ぜひ教えてください。」

 佐々木と勉強する時間は、とても心地よいものであった。

「今日はありがとうございました。水野くんの考え方、超参考になりました。」

「こちらこそ、すごく楽しかったです。効率の良い勉強方法を教えてくれて、ありがとうございます。実践します。」

「本当に、久しぶりに楽しく議論できました。周りの人を勉強に誘っても、話があまり合わなくて…」

そう話す佐々木の顔は暗かった。孤独を受け入れ、諦めたような顔であった。大成は何も言えなかった。

「よかったら、これからも俺と勉強しませんか?」

沈黙を破って、大成が口を開く。佐々木は先ほどの暗い表情から一変、朗らかな甘い笑顔になった。

 大成は、病院にいた。今までの自分とは明らかに違うと考えたからだ。あの日以降、段々と自分の頭が良くなっているのを感じる。日常生活において、視界に数式が浮かぶようにもなった。鬱雑いほどではないが、流石に大成は気になって仕方がないようだ。医師に大成の症状を話すと、医師は黙り込んでしまった。その際にも、大成の頭にはカレンダーに書かれた『娘:十六歳の誕生日』という情報から、娘さんの誕生日の曜日を計算していた。そして大学病院の紹介を受け、大成は病院へ伺った。大学病院で同様に症状を話すと、医師は検査を促した。

「頭部MRI、CTを見ても、脳に異常はありません。血液検査の結果を見ても、感染症、薬物などの目立った結果は見られませんでした。」

大成はほっとしたが、同時に不安になった。

「あの、俺はなんでこういう事になっているんでしょうか?」

「所謂、後天性サヴァン症候群でしょうか。サヴァン症候群は発達障害や知的障害を抱えていることが多いのですが、これはなにか脳に衝撃が加わったりすると、特異的な能力が発現したりします。水野さんの場合は暗算、論理的思考あたりが発現したと考えられますね。世間一般的に『天才』や『ギフテッド』と呼ばれる方と同等の能力を持っていることが多いです。」

大成は医師の説明を聞いて、驚愕した。自分が、天才と同等の能力を持つなんて到底信じられなかった。大成は、嬉しかった。憧れの『天才』になれたことがとにかく嬉しかった。

 「ここって、なんでこういう考え方になるの?」

佐々木が首を傾げながら聞いた。

「超大統一理論ってわかる?今って、世界のすべての力は四つの力に分類できるって感じじゃん?電磁気力・弱い力・強い力・重力の四つ。でも、それは宇宙の始まりには統一されてたってやつ。そこから、この考えが出てくるよねって感じ。」

大成は答えた。サヴァン症候群と診断された日から、勉強に勉強を重ねた。やればやるほどわかると、大成は楽しくなっていた。

「やっぱ水野くんすげーな。天才じゃん。めちゃくちゃわかりやすい説明ができるとか尊敬だわ。失礼だけど前までそんな印象なかったから。」

佐々木は憧憬の念を宿した顔で大成を見た。

「勉強したらできるようになったんだよね。すごい自分でもびっくりしてる。」

「一本論文書いてみたら?大学院行くでしょ?しかも教授顔負けの知識と頭脳を持つ水野くんだったら結構いいもの書けると思うんだけど。」

「論文、か。」

大成は確かにそうだった、と言わんばかりに鸚鵡返しした。誰もが認める天才、アルベルト・アインシュタインも相対性理論の論文を書いて注目を浴びていた。今の大成なら、それができるかもしれない。学部生の大成は教授に無理言って研究をさせてもらうために、研究室に配属させてもらった。

 たった一年。大成は研究をまとめられた。

「研究発表をさせていただきます。B4の水野大成です。テーマは『重力閉じ込め型熱核融合炉の技術的可能性と問題点について』です。では背景から―」

大成は、一年間、時間の合間で進めてきた研究を発表した。

「以上で終わります。何か質問がある方はいらっしゃいますか?」

大成は発表中は夢中になって気づいていなかったが、学会に参加している方々は、仰天していた。大成の研究は革新的で、すぐに実現できそうだからである。改めて表情を見る。大成は目を疑った。純粋な称賛を得られると思っていたが、目に見えるのは、嫉妬に震える顔、怒り、悲しみ、認められないと言わんばかりの感情ばかりであったからである。大成は振り返る。過去一年間、研究室で腫れ物扱いされたこと。講義は退屈で、欠席したこと。大学で話す人がいなかったこと。

「天才は孤独、か。」

 鋭い拍手の中で、大成は降壇する。

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