episode 8 背中越しの再会
瑞樹志乃視点
「さて諸君! 忌々しいテストも終わって夏休み直前だぜ! 人気者のうちは物凄い速さで予定が埋まっていくから、うちの時間を独占したい奴らは今ここで受け付けてやつぜ?」
私の男嫌いの下りがようやく落ち着いたかと思ったら、今度は麻美がふんぞり返ってまるで人気タレントにでもなったかのように得意気に白い歯を見せる。
「志乃って実際どんな勉強法やってんの?」
「ん~特別な事なんてしてないよ? ゼミの講義をしっかり受けて、兎に角大小関わらずテストを受けまくってるみたいな感じだね。あとはしっかり理解できなかった単元はその日の内に個人的に教えてもらって、あとは反復して覚え込むって感じかな」
「はぁ~、やっぱそこまでやらんと駄目かね」
「あはは、私が人一倍覚えが悪いからだよ」
やっぱり当然だけど、皆今年受験だから去年までと違って勉強の話が中心になってる。正直早く受験を終えて楽しい話で笑いたいよ。
「ちょっっっと!! うちの話をスルーすんなし!!」
意図的にやってた事だけど、想像以上のリアクションに私達3人は殆ど同時に吹き出す。
「夏休みなんだから遊びに行こうって言ってんでしょうが!」
改めてそういう麻美は高々と拳を突き上げる。どっかのアニメの影響なのかもしれない。
「おいおい、テストの結果がシャレにならんって泣いてるアンタが、そんな呑気な事いってていいのかぁ?」
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべて煽る摩耶に「ぐぬぬ、今それ言うかね」と悔しがる麻美。リアルでぐぬぬなんて言う人初めて見たよ。
そうしてると摩耶のド正論に異議を唱える事が出来ない麻美の突き上げた拳が弱弱しく下がっていくのが可笑しくて、私達はまた笑いあった。
「そうだよ! うち達は受験生だよ。でも受験生にだって息抜きは必要じゃん! JK最後の夏なんだしさ、1回くらい皆でどっか遊びに行こうよ! ねっ、志乃もそう思うっしょ?」
「あー……行きたいのは行きたいんだけど、さ。私終業式の次の日からゼミの夏合宿があってね。これから色々と準備しないとなんだよ」
同意を求める声にそう答えると、麻美だけじゃなくて摩耶と絵里奈も「えーーーっ!?」とブーイングを飛ばしてきた。摩耶と絵里奈はこっち側だと思ってたのに、裏切られた気分だ。
「だからさ。合宿から帰ってきたらまた誘ってくれないかな」
「う~ん、そっかぁ。この中で一番成績がいい志乃がそれだけ頑張ってるのに、私達がそんなんじゃヤバいなマジでさ」
「そうだね~。やっぱり夏を制する者が受験を制すってスローガンには抗えないって事だねぇ。ね、あさみん」
「…………あい」
どこからかチーンって音が聞こえてきそうな様子でガックリと肩を落とす麻美を見て心苦しい思いはあったけれど、今は受験を乗り切って皆で笑うのが先決だからと慰めるのを止めた。
「麻美もがんばろ。受験が終わったら思いっきり遊ぼうよ。卒業旅行いくんでしょ?」
「っ! そうだ! うちには卒業旅行というビッグイベントがあったんだ! その為に今は遊んでる場合じゃない!」
う~ん、麻美のこのチョロいところは魅力だとは思うけど、ちょっと将来が心配になるほどチョロいな。
とはいえ、これで私も夏季合宿に集中できるわけだし、お父さんに無理いって参加させてもらうんだから絶対に偏差値あげてこないとだ。
そうしてテスト明けのランチタイムを終えた私達4人は駅に向かって、下り線で帰るのは私だけだから改札を抜けた所で皆と別れて下り線のホームに繋がるエスカレーターを登る。
「受験かぁ……」
まもなく世間の学生達は夏休みという名のビッグイベントが始まる。
だけど、私達受験生は対極な期間に突入するのだ。誰が言ったか夏を制する者は受験を制すという名言。これが本当なら死に物狂いで取り掛からないといけない。
高校受験の時に散々苦労したくせに大学受験も苦労すること間違いなしの名門大学【K大】を志望してる私は、ちょっとアホなんだろう。
勿論高校受験の時みたいな動機でK大を目指してるわけじゃない。進路の先生や周りの友達には入りたい教授のゼミがあるからとか言ってるんだけど、本当のところはこれ以上親に迷惑をかけたくないというのが志望動機だったりする。
私立高校専願で入学したのにも関わらず1年の時から予備校に通わせてもらってるんだから、かなりのお金がかかっている事は子供の私でも分かる事。両親はそれ以上に苦労をかけてるんだから気にするなと言ってくれてるけど、実際必要以上に働かせてしまっているのは私なのだ。
だから大学は金銭的に迷惑をかけたくない一心で、自宅から通える国公立の大学を探したら名門のK大しかなかったというだけだったりする。
私立の大学なら得意科目だけ受験できる入試方法が殆どだから楽なんだけど、国公立はそういうわけにはいかない。現在の合格判定がBまでしか上がらない英語をどうにかしないと、私の野望は達成できないんだ。
その為にこれから始まる夏季合宿で何が何でも英語の苦手意識を払拭する必要がある。
そうなんだ。あの人の事で最近調子が上がらなかったけど、今はそんな事を気にしてる場合じゃなかったんだ。
(切り替えろ、私!)
ホームに着いて電車を待ってる間ベンチに座ってスマホを立ち上げた時、ある事に気付いた。
(そういえば、今日って7月7日の七夕じゃん)
七夕といえば彦星と織姫が1年に1度だけ会える日だ。
織姫はきっと綺麗で優しい人なんだろうな。少なくとも私みたいな生意気で可愛げのない女じゃないんだろう。
私みたいな女だったから彦星も幻滅して会いになんてこないだろうから……なんて似合わない乙女チックな自虐が入った妄想なんてするのは、きっとテスト勉強で寝不足のせいなんだ。
そんな事を考えたからか、本当にどうしようもない程の眠気に襲われてウトウトと意識がぼやけてきた時、後ろからギシッと軋むような音が聞こえた。どうやら背中合わせになってるベンチに誰かが座ったみたいだ。
後ろに座った人の声が聞こえる。声の内容からして電話中みたいだ。
「もしもし天谷社長、間宮です。何時もお世話になっています。はい、はい、それで社長……例の件ですが社の了承がとれましたのでお引き受けさせて頂きたいと思います」
(お仕事の話かな? 社会人も大変だよね……)
「はい、わかりました。では18時に御社にお邪魔させて頂きますので、詳細はその時に伺います。はい、では失礼します」
(……なんかいい声だな。優しく低い声で凄く耳に馴染む……心地がいい)
まるでその声を子守歌にしたみたいに、私は最後の抵抗も空しくそこで意識が完全に途切れてしまった。
☆★
――やっちゃった!
瞼を開けて今もベンチに座ってる事を確認してからホームに設置してある時計を見て、私はガバッと預けていた上体を起こして辺りをキョロキョロと見渡した。
どうやら本当に寝てしまったみたいで、電車を2本乗り過ごしてしまったみたいだ。とはいっても今日は帰るだけで特段予定があったわけじゃないけれど、変な男に囲まれてたなんて事態になってなくて心底ホッと胸を撫でおろす。
普段ならどれだけ眠たくてもそんな無防備になるような事なんてするはずがない私だけど、さっき後ろに座っていた人の声が妙に聞き心地が良くて常に維持していたはずの警戒態勢を解いてしまっていたみたいだ。別にその人が悪いわけじゃないけれど、恨み言の1つも言いたくなる。
「って後ろの人いないじゃん」
チラッと座っていたベンチの裏に目をやってみたけれど、あの聞き心地のいい声の持ち主の姿というか、誰もベンチに座っていなかった。
「2本も乗り過ごしたんだから、そりゃそうだよね」
姿がない事を少し残念に思ったのは何故だろう。男嫌いでいつも近づかせないように立ち回ってる私がそんな事を思うなんて。
私は?だらけになった頭の中を一応整理して考えてみた結果、きっと今日は七夕で彦星と織姫の事なんて柄にもなく考えてたから、きっと少し頭がメルヘンチックになってたからだと結論付けた。無理があるのは分かってるんだけど、とりあえずそういう事にしておくとした。
だからあの時の私は気付くどころか考えもしなかったんだ。後ろに座っていたのがあの人だった事に……。
そしてあの時、可愛げのない織姫が会いたくないと彦星と背中越しに再会していたという事に。
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