episode 7 気にしてる人

 瑞樹志乃視点


 7月7日 学期末テスト最終日


 キーンコーンカーンコーン


 小さい頃から聞き馴れた鐘の音が、全教科の期末テストが終わった事を告げる。

 担任が後ろの席から答案用紙を集めるように指示を出して、テストから解放された生徒達の疲れ切った声が教室を埋め尽くした。

 手応えがあった人、すでに現実逃避に走る人と様々なのもお馴染みの光景で、ピリピリした空気が無くなって何時もの雰囲気を取り戻す。


 かくいう私も例にもれず上半身を机に突っ伏して「はぁ~」と溜息をついていた。


「志乃、おつかれ!」


 後ろの席から背中をツンツンと突かれて、そんな声がかかる。

 突然背中を突かれて変な声が出そうにあったのをなんとか堪えて振り返ると、そこには悪戯な笑みを浮かべる女子がいた。


「お疲れ様、麻美」


 そう返しながら突かれていた手の甲を軽く摘まんでやる。


「痛い! 痛いって!」


 軽く摘まんだだけなのに大袈裟に騒ぐその子は遠藤えんどう麻美あさみ。1年生の時から同じクラスで学校にいる時は殆ど一緒に行動している私の大切な友達の1人。

 少しウエーブをかけたボブカットの髪型に白いヘアバンドがトレードマークになっている、活発で行動力に溢れた女の子だ。


「テストに出来はどうだった?」

「うーん……全体的にはまあまあって感じだったけど、やっぱり英語がヤバいかなあ。麻美は?」

「ウチは全体的にヤバいかも……もう受験だってのに本気で予備校探そうかな……」


 元々私立の高校は公立と比べて授業時間も長く、しかも毎日沢山の課題が出るから、これ以上勉強したくないからと頑なに予備校を避けてきた麻美。

 だけど今回のテストに相当自信がないみたいだ。


「予備校通う気になったの?」

「通いたくはないんだよ? でもこのままじゃマジで受験ヤバいしね……。あ、志乃って1年の時から予備校通ってんだよね? どんな感じなん?」

「どんなって悪くないと思うよ? 全然授業についていけなかった私でも、なんとかなってきたからね」

「そういえばそうだった! でも志乃の予備校ってO駅の近くだったよねえ」


 麻美は私が通うゼミが学校から自宅へ向かう方向とは真逆みたいで、面倒臭がりの麻美にはそこがネックみたいだ。

 だけど、あれだけ逃げ回っていた麻美が予備校を考え出したのを見て、私は本格的に受験シーズンの到来を実感した。


「ところで志乃はこれからどうすんの?」

「ん? どうって?」

「これから摩耶達とカフェでランチしようって話してたんだけど、志乃もどうよ」

「それいいね! カフェでテストの反省会だね」


 私が反省会なんて言ったから、麻美が当分勉強の事は考えたくないと項垂れるのを見て思わず笑ってしまった。


(……あれからもう3年が過ぎたんだな。私はあれから少しは変われたんだろうか)


「よっし! 反省会はともかくそうと決まれば行こっか、志乃!」

「え? あ。うん。そうだね!」


 ホームルームを終えた私達が教室から出ると他の生徒達もテストから解放された余韻を楽しんでるのか、いつもより賑やかだった。そんな賑やかな空気の中を隣で元気よく歩いてる麻美を見て思う。


 麻美達が昔の私を知ったら……ううん。絶望的な立場にいた私を見たらどうするんだろうと……。そんな事を考えても意味がない事と知りつつ、やっぱり思ってしまう。こうして楽しく話をしていても、心のどこかで構えてしまってるんだと。


 学校を出た私達は待ち合わせしてるカフェに向かった。

 カフェの店内に入ると「おーい、麻美、志乃こっち!」と私達の名前を呼ぶ声がした。

 手を振って呼びかけるテーブルの元に「おまたせ」と小さく手を振りながら、私達も席に着く。


「2人共、テストおつかれ~」


 ふんわりした長い髪を綺麗にリボンで1つに結った髪型で、少し垂れ目の大きな瞳が特徴的な、ほんわかした雰囲気をもった女の子が仲見なかみ絵里奈えりな。因みにこんな感じでほわほわした喋り方してて、偶にあざといとか言われてるみたいだけどこれが素だ。


「やっとテスト終わって夏休みを待つばかりだねえ」


 肩までの長さの艶のある綺麗な黒髪で切れ長の瞳、ちょっとたらこ唇が妙に色っぽさを感じさせるのが本庄ほんじょう摩耶まや。この4人の中でお姉さん的な立ち位置で、凄く面倒見のいい女の子。


 この2人も1年の時から一緒にいる大切な友達だ。


 ランチメニューからそれぞれスタッフに注文を通した後、待っている間にテストの出来栄え報告会が始まった。


「ねえ、麻美と志乃はテストどうだった?」


 摩耶がテストの話題を私達にふった途端、麻美の顔色がみるみる青ざめていく。


「訊かないで……。志乃とも話してたんだけど、今回はシャレになってないと思う」

「アンタ碌にテス勉してなかったでしょ」

「……だって……忙しかったし……」

「遊んでただけじゃん。テストの前日にカラオケ誘ってきた時は正気を疑ったよ、マジでさ」

「……うぅ」


 テスト前日にカラオケ行こうとしてたのか……。それは摩耶じゃなくても正気を疑うな。


「っても、あたしも今回はキツかったかな。問題解ききるまで時間かかっちゃって、後半なんて駆け足だったもん」

「あ~、それ私もだよ~。テスト範囲は授業の内容からだけど、今回は受験本番を意識した内容になるって先生が言ってたのは、この事かぁって思った」

「そういえば言ってたね。なるほど、本番はあんな感じになるのか」

 

 麻美もだけど摩耶も絵里奈も予備校に通ってなくて、大学受験の入試テストがどんな感じなのか知らなかったみたい。私は1年生の頃からそういうカリキュラムが組まれてたから、対策もバッチリだったけど。


「その点、志乃はいいよねぇ! 今回もバッチリだったんしょ?」


 摩耶と絵里奈が今回のテストの総括を訊きつつ意識は食後のスイーツをどれにするか、テーブルに目立つように置かれている限定スイーツに意識を向けていたら急に私の話題になった。


「え? う、うん。なんとかね」


 聞いてるふりしてたとバレないようになんとか返事をしたけれど、正直テストの出来は可もなく不可もなくといった感じで所謂低迷してる状態あり、志望大学の合否判定でいえば微妙な位置にいるのが現状だ。


「だよね~確かぁ2年生になってからだっけ~。志乃の成績が急激に伸びて担任も驚いてたよね~。それからずっと学年の成績順位も30位以内だもんねぇ。肖りたいよ~」


 摩耶のフリに絵里奈がのほほんと混ざってきた。羨ましがられる成績じゃないんだけどなぁ。


「あっ! 今度志乃先生に勉強教えてもらおうよ!」

「ええっ!? 偉そうに教えてあげられるような成績じゃないんだって! ここに入学して自分がどれだけ馬鹿なのか思い知らせされたくらいなんだよ!?」


 摩耶がギョッとする提案をするもんだから、自分がどれだけ勉強が出来ないかと熱弁する羽目になった。自分で言っててかなり凹んだ。


「またまたー! 謙遜しなくていいってば! 確かに前はそうだったかもだけど、今は全然違うじゃん? うちだったらふんぞり返ってるよ」


 それは麻美あんたが極端に成績悪いからじゃん。そもそもその学力でどうやってウチに合格出来たのか不思議なくらいなんだからね。

 カラカラと笑う麻美に思わずため息が漏れる。


「ホントに大した事ないんだって。相変わらず英語が致命的に苦手だし」

「苦手科目なんて誰でもあるじゃん。麻美なんて得意科目探す方が難しいんだから」

「う、うるさいな! そこでうちを引き合いにだすなし!」


 謙遜でもなんでもなく事実を話す私にフォローする為なのか、ここぞとばかりに麻美をネタに使う摩耶。それを大層不服だと訴える麻美のやり取りを見て、私と絵里奈が笑いあう。

 この空間にこの空気。そしてこの時間が今の私には本当に大切なものなんだ。

 この時間を取り戻したくて誰も知り合いのいないこの学校を無理矢理受験したんだ。今の私達の関係を維持する為なら勉強の苦労なんて大した問題じゃない。


 もう2度と失いたくないんだと、楽しそうに笑う3人を眺めながら思う。その為に私は私を変えたんだと。


一通りランチを食べ終えた私達はお茶をしながら女子トークに華を咲かせてると、テーブルに置いてあった摩耶のスマホが震えた。

「ちょっとごめん」と断ってからスマホを覗く摩耶の顔色が曇っていく。


「はぁ。テスト終わった途端に猿モードかよ」と摩耶がため息交じりに呟いた。


「なになに? 前に言ってた大学生の彼ピ?」


 摩耶の反応にいち早く反応したのは麻美で、相手が今付き合ってる大学生の彼氏からだと予測する。


「そ。テスト終わったんだからウチに来いってさ。あたしはどっかのデリヘルかっつの!」


 デリヘルというのがなんなのか分からないけど、摩耶の彼氏さんがしようとしてる事は分かる。


「い、忙しいだね……摩耶」


 少しはこういう話題にだってついていける所を見せようとしたけど、やっぱり私には荷が重かったみたいでたどたどしくなってしまった。


「志乃がこういう話に絡んでくるなんてメッチャ珍しいじゃん!」

「それな! うちも思った!」


 摩耶と麻美が本当に驚いた様子でそう言う。余計な事を言ったと後悔。


「もしかしてぇ?」と絵里奈が反応するのと同時に、摩耶と麻美の視線も興味津々といった感じで向けられた事で、3人が何を言いたのか分かった。


「違うから! そんなんじゃないから!」


 すかさず全力でその疑惑を否定したんだけど、3人のニヤケ顔が更に酷くなっていく。


「「「とか言って~?」」」

「しつこい! ホントに怒るよ!」


 ニヤニヤトリオは否定する私に追い打ちを掛けてきたから、この手の誤解は絶対にされたくない私はテーブルを叩いた。

 本当はたいして怒ってはないんだけど、どうしてもこの話を止めさせたくて私は口を尖らせてそっぽを向いて見せる。

 そんな私を見て意図を汲んでくれたのか絵里奈が「ごめんねぇ」とクスクスと笑みをこぼしながら謝ってくれた。


 だけど「……でもさ」と摩耶がまだなにかあるのか指を顎に当てて、マジマジと私を穴が開くんじゃないかと思う程に見ながら割り込んできた。


「志乃ってやっぱ超可愛いじゃん?」

「へ?」

「小顔で白くて綺麗な肌にパッチリ二重の大きな目。スッと通った鼻筋に少し小ぶりな艶のある唇……しかもスッピンの状態で」

「へ? へ?」


 確かに摩耶の言う通り普段からお化粧はしなくて、必要最低限のケアしかしてない。それは自分の見た目が整ってる方だと自覚してて、そのせいで散々な目にあってきたから。

 だから余計に目立つメイクなんて絶対にしたくなくて、学校外であっても基本的にスッピンが私のデフォなんだ。

 とはいえ、いきなり摩耶が私の見た目の分析を始めて、口をパクパクさせてばかりで中々言葉が出てきてくれない。しかも摩耶の分析はまだ続くようで……。


「それらがシャープな輪郭にバランスよく収まってさ、もはや顔面偏差値は東大医学部レベルじゃん。そんな顔面を落ち着いたダークブラウンの傷みを知らない綺麗なサラサラストレートの髪が……」

「ち、ちょっ? え? なに?」

「手足も長くて体つきなんてスレンダーなのに出るとこはしっかり主張してて、まさに女の黄金比ってやつだしさ」

「ちょっと、さっきからなに――」

「だから同じ女のあたし達から見ても、志乃は完璧なんだって話だよ」

「いや、だからなんの話してるのって……その」


 摩耶が突然に私を褒め殺しにかかってくるもんだから、恥ずかしくなって顔が真っ赤になってしまったのを自覚する。


「そう、それ! そんなチートビジュでそんなリアクション見せたら大概の男は魂抜かれるんだよ!」

「人を悪魔みたいに言わないで!?」

「だからマジで勿体ないってあたしは言いたいわけ!」


 さっきまでの話の流れにそんな要素があったのか分からないけど、摩耶は時々こうして私にもっと女子高生らしく楽しめと言ってくれていた。

 摩耶にこの学校に入学してから男に対しての冷たい対応しかとらなくて、時々ケンカ腰になる場合すらあったほど徹底的に周囲の男達に分厚い壁を作ってた私に理由を聞かれた時の事を思い出した。

 だけど、私はそんな摩耶にごめんとしか言わずに、理由を話す事をしなかった。それから私の行動の理由は訊いてこなくなったけれど、偶にこうして女のあるべき姿みたいなものを説いてくる。


「……ごめんね」


 ここで軽く受け流すようなリアクションをとれれば良かったんだけど、つい思わず心配してくれてる摩耶の期待に応えられない事に謝ったもんだから、私達の席の空気が少し重くなってしまった。


「ま、まあ? 数々のイケメンを撃沈させてきた志乃だけど、さ。好きな男はともかくとしてちょっとだけでも気になってる人とかもおらんの?」


 重くなった空気を変えようと麻美がそんな事を訊いてきたんだけど、微妙に話題がすり替わってない事に気が付いてないんだろうか。

 気になってる人、か。少し前なら即答でいないって答えたんだろうけど……。


「う、うん。そんな人もいない、よ」


 こう返した内容に嘘はない。

 気になる人はいないけど、気にしてる人がいるだけだから。


 今までどんなに冷たい態度をとって相手を怒らせてきても気にしないように努めてきた。中途半端な態度をとってしまったら、また同じ事を繰り返してしまうかもと心の底から恐れているから。

 また大切な時間を失ってしまうかもしれない。そうなってしまう事が今の私にとって、何よりも怖い事だから。


 誰にも好きになるどころか隙を見せる事もしないと、ずっとあの時から心に決めてきたんだ。


(……なのに)


 あの時の事だけは今でも気にしてる。

 何故なのかは分からなくて、あれからずっと考えてきたけれど、今の私にはその答えに辿り着ける気がしなかった。


「もし気になる人とかぁ好きな人とかできたら~、絶対に私達に報告してねぇ」


 あの人の事を少し考えてると、絵里奈が相変わらずのほほんとした口調でそんな有り得ない事を言ってくる。


「それな! 志乃、これは決定事項だから」と麻美が絵里奈の話に乗ってきたけれど、どのみち誰かを好きになる事なんて有り得ないんだからと、私は苦笑いを受けべながら頷いたんだ。

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