episode 6 重要人物監視中
瑞樹志乃視点
6月下旬の水曜日。
あの日から約1か月が過ぎた。
季節は梅雨真っ最中といった感じで、今日も今日とてしとしと雨が降ってる。
通ってるゼミで期末テスト対策を受講した私は、人通りが疎らになっているオフィス街を抜けてO駅へ向かってる。
受験生だからと思われがちだけど、私は高校に進学して初めての夏休み前からこのゼミに通ってる。
中学3年になったばかりの私の偏差値じゃ大体進学する流れが出来ていた【上野高校】という学校があるんだけど、諸事情により私はそこを受験せずに偏差値的に無理目だった【英城学園】という私立高校を専願で受験したのだ。
勿論担任や進路指導の先生達に反対されたし、お父さんとお母さんも遠回しに進路を考え直すように何度も促されてきた。
でも、私は周囲の反対を押し切ってでも英城を受験すると決めていた。
当時通っていた塾の講義や学校の授業を必死にこなして、周りを黙らせる事が出来る成績を収めるようになって、その結果を武器に何度も話し合いなんとか英城を受験する許可がおりた時は嬉しかったな。
それからは更に目の色を変えて猛勉強に取り組んだ結果、見事に難関校に合格して晴れて英城学園の生徒の権利を勝ち取ったんだ。
だけど、英城に通う事になる前からある程度は覚悟してた事ではあったんだけど、実際に授業が始まると想像以上に授業のレベルが高くて無理に入学した私にとって、死活問題レベルの内容だった。
周りの反対を押し切って入った学校なのに、結局授業についていけないうえに、早々に予備校に通わせて貰ってるんだから、なんて親不孝な娘なんだと自覚はしてる。
だけど、そのおかげで2年に進級する頃には、少し余裕をもって授業についていけるようになったし、3年になった今ではしっかりと受験を見据えて勉強に取り組めている。
高校であれだけ学費を捻出させてしまったんだから、大学は絶対に自宅から通える国立大学一択と決めてるんだ。
(人間必死になれば大抵の事はなんとかなるものなんだよ)
「み、瑞樹さん!」
そんなすっかり通い慣れたゼミからの帰り道、傘をさして歩いてると後ろから私の名前を呼ぶ声がした。
足を止めて顔だけ呼ばれた方に向けると、学生服を着た男子が小走りでこっちに近付いてきた。
私は「なんですか?」とだけ応えて、声をかけてきた男子の反応を待つ。
「僕、ゼミで同じクラスの佐竹っていうんだけど、知ってるかな? ……知らないよね」
何時ものように睨みを利かせて、この男も突き放したかったんだけど、親に無理をいって通わせて貰っているゼミの関係者と余計なトラブルなんて起こしてしまったら、両親に申し訳が立たないからとグッと堪えた。
「ごめんなさい。知りません」
噛みつきたい気持ちを必死に抑え込みながら表情を一切変える事なく冷たい口調で答えたんだけど、彼は苦笑いを浮かべるだけで怯む事なく話を続ける。
「だ、だよね。話した事とかないもんね」
「…………」
「ぼ、僕さ。前から瑞樹さんと話してみたいって思っててさ。訊きたい事もあったから声かけたんだけど、ちょっと時間もらえないかな」
正直秒で拒否したい気持ちしか湧かなかったけど、諸事情でそれが出来ずに何とか断る口実を探す。
「あの」
「な、なに?」
「何時からあのゼミは出会いの広場になったんですか? 私はそんな所に通ってるつもりはないんですけど」
「い、いや……そんなつもりはなかったんだけど……ただ、瑞樹さんと話がしたかっただけで……」
それが出会いを求めてると言わないのかと思ったけど、面倒臭いからスルーして、私は黙ったまま駅に向かった。
すると佐竹って奴も黙ったままついてくる。ついてくるなと言いたいところだけど、こいつも電車を使って帰るのなら私にそんな権利はないと何も言わずに歩いた。駅に着いて改札を抜けてホームに向かう。
少し後ろを歩いている佐竹の様子をチラッと確認したら、相変わらず俯いてトボトボとついてきている。
「……はぁ」と溜息を吐いてから私は重たい口を開いた。
「あの、佐藤さんでしたっけ」
「あ、いえ、佐竹……です」
「こっちは下り線ですけど、佐藤さんもこっちなんですか?」
「あ、うん。そう! 下り方面だよ、あと僕の名前は佐竹ね」
「……そうですか」
「……うん」
また無言の時間が流れる。別に話したくない私にすれば問題ないんだけど、チラチラとこっちを見る視線が鬱陶しかった。あと名前を間違えたのはわざとだ。
電車が到着するまで数分かかるみたいで、足止めされた私は少し離れた場所で立ち止まっている佐竹の方をチラッと見る。
佐竹は相変わらず俯いていて激しく落ち込んでるみたいに見えた。
別に私が悪いわけじゃないんだけど、何だかちょっと可哀そうに思えて、少しだけ相手してあげる事にした。
「ところで、訊きたい事ってなんだったんですか?」
やれやれといった感じを惜しみなく滲ませながらそう問うと、顔を上げた佐竹の顔つきが気持ち悪いくらいに明るくなっていた。
「あ、うん! 実はこの事が訊きたくてさ」
佐竹はそう言いながら、ゼミ用に使っているらしい鞄を漁り始める。
私は佐竹の隣に立って漁っている鞄から取り出そうとしてる物を待ってると、向けていた視線の先に見えた人影に目が釘付けになった。
(あ、あの時の!?)
その人影が一番会いたくない相手のものかもしれないと思った瞬間、私は咄嗟に隣にいる佐竹の背後に回り込んだ。
そして佐竹が着ている制服の背中と腕の袖をキュッと握りしめながら、体を少しでも小さくしようと背中を丸めて隠れた。
身を隠した佐竹の肩越しからその人物を目で追う。
(やっぱり間違いない。あの時キーホルダーを届けてくれた人だ)
見かけた人が間違いなくあの時の人だと認識した途端、あの駐輪場で目を真っ赤に充血させて怒っている時の顔が私の頭の中を駆け巡っていく。
勿論、今はそんな顔してないんだけど、なんだか困ってるように見えて気になった。
(……どうしたんだろ。なんだか困ってるような? なにかあったのかな)
「あ、あの……瑞樹さん、どうしたの?」
あの時の事が忘れられないからなのか、私はあの人の様子が気になって引き続き肩越しから監視を続行してると、意識を集中させている逆の方から声を掛けられた。
自分の顔付近から聞こえてきた声を視線で追うと、そこには顔を真っ赤に染めた佐竹の顔があった。
「うわっ! ご、ごめんなさい!」
顔を真っ赤に……ううん! 顔を真っ青にした私は両手を千切れる程にブンブンと振り回しながら、戸惑ってる佐竹から緊急離脱してアタフタと謝った。
「う、ううん! 大丈夫だよ。気にしないで!」
私の方が全然ダイジョブくないのだ。こんな事をしたらほぼ確実に勘違いさせてしまうから……。
「ほんと、ごめんなさい」
謝って下げた頭を上げて佐竹を見ると、表情筋が死滅してしまったみたいにゆるゆるになった顔で私を見ていた。
(……あぁ、やっぱりそうなるか……)
全く望んでなんていない空気になってしまった事が気にはなったけれど、今はそれ以上に咄嗟に隠れてあの人に気付かれずに済んだ事にホッと安堵した方が勝った。
それからすぐにホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ時、私はあの人が隣の車両に乗り込んだのを確認した。
車内はわりと空いていてどこでも座れたんだけど、私は車両の一番端にあるBOX席を陣取る。隣の車両に乗り込んだあの人を引き続き監視する為に。
「あの、隣座っていいかな」
シートに座ってすぐに隣の車両の様子をガラス越しに観察してると、私の目の前に立っていた佐竹が恐る恐る声をかけてきた。
空席は他に沢山あるんだからわざわざ隣に座る事なんてないって言いたかったけど、さっき隠れ蓑にした手前断りにくくなってしまった私は、体を少し端に詰めて「どうぞ」とだけ答えて再び隣の車両に意識を集中させた。
ガラス越しにニコニコと嬉しそうな佐竹の顔が写ってる。どうやらやっぱりさっきの行動が思った以上に在らぬ誤解を招いてしまったようだと、頭痛を覚えずにはいられなかった。
「さっきの話なんだけど」
そう話しかけてきた佐竹が1枚のプリントを見せてきたから、私は監視体制を一旦解いてプリントの内容を確認する。
見せてきたプリントは私達が通ってるゼミで毎年行われてる7泊8日の夏季勉強合宿の案内だった。
この合宿は勿論私も知ってて参加費用がかなり高額だったから、1~2年生の時は参加しなかったものだ。
だけど今年は受験生という事で両親に頼んで参加の許可を貰っていて、この前参加の申し込みを終えたばかりだ。
「この合宿って瑞樹さんも参加するの?」
「はい。この前参加の申し込みを済ませたところです」
私がそう答えると佐竹は更に表情を明るくさせて、声も妙に張りがでてきた。
「そうなんだ! 僕も参加するんだけど、知り合いがあんまりいなくて寂しかったんだよね!」
「はぁ、そうなんですか」
「だから合宿の前に瑞樹さんと話がしたくてさ! 思い切って話しかけて――」
その辺りまでは何とか話を聞いていたんだけど、大した用件じゃなかった事で隣の車両が気になり過ぎてる私は、その後の話なんて殆ど頭に入ってこなくなっていた。
一応悪いとは思ったんだけど、一方的に話してるだけなんだからと適当に相槌を打ちつつ、隣の車両にいるあの人の監視に集中する。
そんな感じの私達を乗せた電車がA駅の1つ手前にあるM駅に着いて、ここで隣に座っていた佐竹が席から立ってずっとそっぽを向きながら相槌だけ打ってた私に声をかけてくる。
「あ、僕この駅だから降りるね」
「はい。お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様。またゼミで! 合宿楽しみにしてるよ!」
そう言い残して佐竹はスキップでもするかの勢いで電車を降りていく。
邪魔者もいなくなってやっとあの人の監視に集中できるとほくそ笑んだのも一瞬、私は遅れて佐竹が言い残した言葉が引っかかった。
(……ん? なにが楽しみなんだろう。勉強が楽しみって意味? まさか変な約束とかしてないよね……私)
1度気になってしまったらドンドン不安が大きくなっていくけど、そんな先の事より今はあの人に見つからずに家に帰る事の方が重大だとまた隣の車両に目を移した。
あの人は相変わらず困った顔をしてる。そういえば駐輪場で初めて顔を見た時もあんな顔をしていた気がする。
そんな風に物思いに耽ってるとすぐに電車がA駅に着いた。私はあの人の動きを監視しながら、慎重に電車を降りる。
電車を降りた後もあの人と距離を適度にとりつつ、改札を抜けて駐輪場へ向かった。
「雨が降ってて助かったな」
雨が降ってるおかげであの人の後ろを歩いていても、傘で顔を隠せるからバレる可能性は低いだろう。
少し前に倒してる傘の先からあの人の後ろ姿を凝視する。この前はイライラしてて気が動転してたから、しっかりとあの人の背格好なんて碌に見てなかったけど、こうして改めて見ると肩幅があって背中から腰に掛けて綺麗な線を描いている。スーツの上からなのにそれが分かるんだから、かなり鍛えてある細マッチョ体型じゃないだろうか。それに脚もスラっと長くてそのフォルムはとても綺麗だった。
(……なによ、スーツをカッコよく着こなすスタイルのいいお兄さんじゃない)
とてもスタイリッシュで落とし物をわざわざ手渡してくれた人を……私は徹底的に罵倒したのか。
溜息をついてブツブツと呟いてると何時の間にか駐輪場に着いていて、私は慌てて出入口が見える物陰に隠れてあの人が出てくるのを息を殺して待つ。
『いつまでも本当に逃げ隠れしていくつもりなの?』
だって怖いんだもん。
『ちゃんと謝ればいいじゃない!』
出来るならとっくに謝ってる!
『自分が悪いんだから謝るのは当然なのに、隠れて言い訳ばっかりして逃げるんだ!』
そんな事わかってる! でも、今更……。
待ってる間そんな自問自答を繰り返してるうち、あの人が自転車を押して駐輪場から出てきた。
その姿を目にした時、あの人の方に2歩、3歩と足を進めたところでピタリと止まった。
そんな馬鹿な私の事なんて知らないあの人は自転車のサドルに跨って小雨が降る中、街中に姿を消していった様子を見送る事しか出来なかった。
「……意気地なし! 私は私が大嫌いだ」
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