episode 5 戦友

  間宮良介視点


 最悪な誕生日から4日が過ぎたが、あの時の事を忘れられずに引きずってしまっている。

 だけど、昨日までは幸いというのも変だけど、仕事が忙しくて時間に追われていたから、あの時の事をあまり考えずに済んでたんだけど、今日からはそうもいかないみたいだ。

 緊張感から解放されたせいで気持ちに余裕ができてしまったせいで、仕事に集中してるつもりでも余計な雑念が頭の中に渦巻いてしまって調子がでない。

 周りの同僚達に気付かれないように気を付けていたつもりでも、普段なら絶対にしないような凡ミスを連発してしまって散々迷惑をかけてしまった。

 こんな日は無理に仕事しても碌な事がないのは経験上よく知っている。伊達に社会人を数年こなしてきたわけじゃない。


(……今日は大人しく帰ろう)


 今日の調子を冷静に分析した結果、無理にミスの挽回を図るよりとっとと帰って仕切り直そうと帰宅する事にした。

 そういえば、私情が仕事に影響してしまったのなんていつ以来だろうか。

 そんな事を考えながら1階のロビーを抜けようとしたところで「おう、間宮。今帰りか?」と、降りてきたエレベーターの方から声を掛けられた。


「松崎か。あぁ、今日は調子が悪いみたいだから帰る事にしたんだ」


 声をかけてきたのは同期入社の松崎まつざき貴彦たかひこ。1課と2課の違いはあるけど、同じ営業職に就いた俺達は新人の頃から業績を争う仲であり、そしてお互い支え合ってきた仲間でもある奴だ。


「そうだ! 珍しく2人揃ってこんなに早く仕事終えたんだ! これから飲みにでもいかないか?」


 松崎はニッと笑みを向け、お猪口を口元に当てる仕草を見せて、飲みのお誘いをかけてきた。

 どうでもいい事なんだろうけど、20代にしてその仕草がさまになってるのは如何なものかと言いたい。言ったら怒るから言わないが。

 それはそれとして、正直このまま帰宅しても悶々とあの夜の事を思い出す時間が増えるだけだろうし、それなら気心の知れた松崎こいつと酒を酌み交わすのも悪くないか。なにより単純に俺もこいつと久しぶりの飲みたいしな。


「いいねえ。どこの店いく?」

「そうだな……あ、この前駅前にできた店はどうだ?」

「新しい店? そんなのできてたのか」

「ああ。隠れ家的な店らしくて落ち着いて飲めるらしいんだ。ウチの若い連中が話してるのを聞いてさ」

「へぇ、そんな店があるのか。暫く家と会社の往復しかしてこなかったから、気が付かなかったな」

「この仕事人間が、ったく。よぅし! んじゃそこに決定な!」


 突撃する店が決まって初めてスイッチが切れた気がした。結局のところ気持ちの問題なんだから、今夜は美味い酒を飲んで明日に繋がればいいと思えたんだ。

 店に着いて店内に入るとすぐにスタッフに案内された席に、2人並んで腰を下ろす。2人だけだからカウンター席に通されたが、この店はカウンター席でも左右を壁で区切っていて個室風の席になっていて、照明も薄暗く落とされ聞いていたとおり確かに落ち着ける空間を演出されていた。


「へぇ、確かに落ち着いて飲めそうな店だな」

「だろ? 俺のお勧めに間違いはないんだよ」

 

 ドヤ顔でふんぞり返る松崎に「聞き耳立ててただけのくせに」とツッコんでやると、「まあな」とニッと笑みを向ける。

 早速注文を取りにきたスタッフに「とりあえず生ビール2つ」でと告げる松崎を見て、今度は我慢できずに吹き出してしまった。


「んだよ」


 突然吹き出した事に怪訝な顔をしてそう尋ねてくる松崎に「似合い過ぎ」と言ってやると、ハンッと鼻息を荒くして反論を始める。


「何言ってんだ! 俺達はまだ20代なんだぜ? こんな台詞が似合うようになるのはまだまだ先の話だろうが!」

「そうか? すでに板についてたんだけどな」

「るっせーよ!」

 

 俺と同い年の松崎は年齢の事を凄く気にしてるみたいで、どんなに忙しくてもその辺のケアは常日頃から気を付けている男だ。老けていく事はみんな平等で、誰だって同じように年をとっていくんだからとズボラな俺とは真逆の価値観をもっている。

 まぁ身近にそんな人間がいるから、俺も最低限のケアはするようになったし、社会人になってから典型的な運動不足でたるんできた体を引き締め直そうと基本的な筋トレをするようになったんだけど。


 やれもう30代になってしまう嘆きや仕事の愚痴なんかを話してると、注文していたビールとお通しが運ばれてきた。

 松崎の「お疲れ!」って号令を合図にジョッキをガツンと付き合わせた俺達は、ゴクゴクと豪快にビールを喉に流し込んだ。


「やっぱ仕事終わりの一口目のビールは堪んねえな!」

「やっぱすでにオヤジじゃん。似合い過ぎだって」

「うっせ! 美味い物を美味いって言うのに、年齢なんて関係ないんだよ!」


「それはたしかに」と松崎理論に納得しながらもう一口ビールを流し込むと、じわりとアルコールが体に浸透していくのが分かる。

 確かにビールの一口目は最高だと思うけど、二口目の何とも言えない感覚も好きなのだ。

 ひと心地ついて周囲を見渡してみると、何時の間にか殆どの席が埋まっていた。オフィス街の駅前で最近できた店ともなれば当然なのかもしれないけど、俺達と同じように仕事帰りの客達が至福の表情を浮かべて酒を酌み交わしている。

 そんな居酒屋独特の雰囲気を楽しんでいると、同じようにひと心地ついた松崎の声のトーンが少し下がった。


「んで? なにがあったんだ?」

「え?」

「気付かれてないと思ってたのかよ。何年の付き合いだと思ってんだ?」


 松崎とは同期入社で研修中も同じグループで正式な辞令が降りるまで、何時も一緒に行動してきた。

 俺達はわりとタイプが違っていたんだけど、何故か妙に気が合ってそれ以来付き合いが続いている。今ではお互い切磋琢磨してるライバルであり、信頼してる仲間でもあった。


「……そんなにバレバレだったか? 気付かれないように気を付けてたつもりだったんだけど」

 

 何時もと違ったのは自覚してる。実際ミスばかりで周りに迷惑かけたから。

 だけど、同じ課の人間ならいざ知らず、営業2課にデスクを置く松崎に気が付かれるとは思ってなかった。


 どうしてという顔を向けると、松崎は溜息をついて口を開く。


「あのなぁ……。俺様の視野の広さをなめんじゃねえよ。ミス連発してペコペコ謝ってるお前の姿が何度も視界に入るんだよ」


 俺が所属している営業1課と松崎が所属する営業2課は部署こそ違うものの同じフロアにあり、別に各部屋に別れてるわけではなくてオフィスラック等で区分けされているだけではある。


「視野が広いとかの次元じゃない気もするけど……なんというか心配かけて悪かったな」

「別に謝る必要なんてないだろ。俺はただ誰かに話したら少しは気が晴れるんじゃないかって思っただけだ」


 そう言って、松崎は頭をガシガシと掻いて飲みかけのジョッキを空にした。


「……そっか。じゃあちょっと聞いてもらえるか? つっても大した事じゃないとは思ってるんだけどさ。実は――」


 俺はあの駐輪場で出会った女子高生の事を出来るだけ詳細に話して聞かせた。


 最後まで黙って聞いてくれていた松崎はずっと何かを我慢してるみたいだったけど、聞き終えた途端限界を迎えたようで腹を抱えて笑いだした。


「ぶわっはっはっは! じゃあなに! 落とし物を親切に届けただけなのに泥棒呼ばわりされるは、ウザがられるわ、とどめにおっさん呼ばわりされたってわけか!」


 ウケまくる松崎に悪気がないのは分かってるけど、ウケを狙ってたわけじゃないから複雑な気分だ。


「ワリッ! で? それからどうなったんだよ」

「別にどうもなってない。罵倒するだけして、逃げるみたいに駐輪場から出て行ったからな」


 そこで俺達が高校生だった頃を思い出しながら、以前から気になっていた事を松崎に訊いてみた。


「なあ、最近のガキはどうしてあんなんばっかなんだろうな。何であんな事を悪びれもなく言えたりするんだよ……。俺には理解できないんだよなぁ」


 今の世代の未成年達の言動にはあの女子高生以前から思う所があった俺は、同年代の松崎がどう思ってるのか気になったのだ。


「まぁな……。全員が全員そうだとは言わねえけど、そんなガキをよく目にするわな。俺達だって真面目に生きてきたわけじゃないけど……」

「あぁ、やっていい事と駄目な事、言っていい事と駄目な事の線引きはしてきたつもりだ」


 俺達だって決して真面目な優等生をやってきたわけじゃない。

 だけど、学校内の事ならともかく世間に関して……特に目上の人間に対しては気遣って高校生をやってきた。それが偉い事でも褒められる事なんかじゃなくて、当たり前の事だと思ってたんだ。


「最近のガキはその辺りの線引きが薄くなっちまってるんじゃねえかな」


 松崎の見解を聞いて仕方のない事なのかもと一旦は思えたんだけど、あの女子高生の場合ちょっと違う気がしたんだ。


「で? その子ってどうだったんだよ」

「どうって?」

「決まってんだろ。見た目だよ見た目! 可愛かったのか?」

「んだよ。最近のガキはって批判してたくせに、興味津々じゃないか」


 それも男の悲しい性かと、俺は腕を組んで天井を見上げてあの子がどんな容姿だったのか思い出そうとしてみた。

 駐輪場の照明のせいか真っ黒じゃなくてダークブラウンの髪が背中辺りまでの長さがあって、艶やかな髪がサラサラと揺れ動いていたのが印象的だった。

 背丈は160㎝を少し超えてる感じで、スタイルは制服のブレザーを着ていたからよく分からなかったけど、足はスラっと細くて長い綺麗な足だったと思う。

 顔は小顔で全体的にバランスが整ってたと思うんだけど、なにせ敵を睨みつける顔が殆どだったからな。

 でも、落とし物を見せた時に一瞬だけ見せた表情は凄く印象に残っている。


「まぁ、可愛かったんじゃないかな――多分だけど」

「なんだよ、随分と曖昧な言い回しだな」

「その日ずっと仕事中コンタクトに違和感があってさ。会社から帰る時コンタクト外して裸眼で帰ったからさ」

「あー、お前って目が悪いんだっけ」


 俺は基本的にコンタクトか眼鏡をかけて生活をしているけど、それらに頼らないと見えない程に視力が悪いわけじゃない。ただ本を読む時なんかで少し見え辛くなってきてて、予防を兼ねて使っているだけで裸眼でも私生活にさほど影響があるわけじゃない。


「そこまで悪いわけじゃないけど、薄暗い場所じゃ裸眼だと少しジッと見ないと駄目だからさ」

「じゃあ、その子の顔は見えてなかったって事か?」

「ハッキリとはな。制服着てたから高校生ってのはすぐに分かったんだけど」

「なるほどなぁ……。そんな睨みつけてくるような子をガン見なんてしたら、何言われるか分かったもんじゃないもんな」


 松崎は焼き鳥をかじりながら、一定の理解を示す。


 曖昧な言い方になってしまったけど、可愛いと言ったのはなんとなくじゃなくて一応理由がある。

 確かに正面からしっかりと見る事は出来なかったけど、自転車を押しながら横切った時、あの子の横顔だけはしっかりと見る事が出来たからだ。

 スッと通った鼻先にまつ毛が長くて目もパッチリと大きかったと思う。ダークブラウンのサラサラした髪が耳元を隠してしまっていて、その部分しか見えなかったんだけど、個人的な総評として恐らくかなりの美人だったはずだ。


 唐揚げをもそもそと食べながらあの子の事を思い出していると、腕時計を見た松崎が少し驚いた声をあげる。


「お? もうこんな時間か。まだまだ話し足りないけど、今日はこの辺で撤収するか」

「あぁ、明日も仕事だしな」


 帰る事にした俺達は手荷物を片付けながら残ってた料理を胃袋に回収してると、近くを通りかかったスタッフに松崎が会計を伝える。どうやらこの店はレジで精算するんじゃなくて、座った席で会計をする仕組みになっているみたいだった。


「いつもありがとうございます! 税込みで6230円になります」


 料金を聞いて財布を広げたようとした俺の手を松崎の手が制止する。

 そして流れるような動きで「じゃあこれで」と一万円をスタッフに支払った。


「ここは俺が払うから、その財布は仕舞っとけ」

「え? なんでだよ。半分払うって」

「いいから、いいから。誘ったのは俺なんだし、ちょっと臨時収入があったから元々ゴチるつもりだったんだよ」

「いや、でもさ」


 ご馳走してもらう理由なんてないのに奢ってもらうなんて気が引けてしまう。缶コーヒーを奢ってもらうのとはわけが違うんだから。


「俺の顔を立てると思ってさ」


 その台詞は卑怯だと思う。

 俺も同じ男として松崎の気持ちを簡単に汲めてしまうから。

 それに松崎は1度言い出したらなかなか意見を引っ込めたりしない性格だって事は、長い付き合いでよく知っている。

 だから、この場は松崎を立てる事にして、俺は俺で抵抗を試みる事にした。


「わかった。今回は甘えさせてもらうよ。でも、次に飲む時は絶対に俺が払うからな」

「はは、了解。楽しみにしてるわ」


 会計を済ませた俺達は店を出て駅まで並んで歩いた。その間あれだけ話してたっていうのに何故か2人共なにも話さなかったんだけど、この無言の時間が酔った体に快くてついさっきまであったモヤモヤが晴れている事に気が付いた。

 そこで隣を歩く松崎の横顔を見て、なんとなく飲みに誘ってきた理由を察した。


 駅に着いて改札を抜けた後、松崎は上り線で俺は下り線だからそこで足を止めた。


「今日は誘ってくれてありがとな。久しぶりに楽しかったわ」

「おう! 俺も久しぶりにお前と飲めて楽しかったわ。今度は週末にガッツリ飲もうぜ!」

「はは、そうだな。その時の会計は俺に任せてもらうぞ」

「はっは! 青ざめるくらい飲んでやるから覚悟しとけよ! んじゃ帰るわ。また明日な」

「あぁ、お疲れさん」


 挨拶を済ませて上り線のホームに向かって歩き出す松崎の背中を見送って、俺も下り線のホームに向きを変える。

 だけど、どうしても気になっている事があって2、3歩足を進めたところで振り返りながら「松崎!」と呼び止めた。


 呼び止められた松崎は不思議そうな顔をしながら、こっちに顔を向けて足を止める。


「本当は仕事片付いてなんかなかったんだろ? 俺の事を心配して暇なふりまでして誘ってくれたんだよな?」

「はは、バレてたか。確かにそうだけど、俺様を誰だと思ってんだ? あの適度の遅れなんざ余裕で追いつけるから心配すんな!」

「……お前のおかげで楽になった。サンキュ」

「気にすんな、じゃあな!」


 松崎は少し照れ臭そうに背を向けて手をヒラヒラさせながら、エスカレーターへ姿を消したのを確認して、俺も下り線のホームへ向かって電車が到着するまで近くにあったベンチに腰を下ろした。


 もう6月で梅雨入り間近だというのに、今夜は湿り気の少ない気持ちのいい風がホームを吹き抜けて酔った体を優しく冷ましてくれる。

 きっと昔の事で、松崎に過剰な心配をかけてしまったんだろう。

 昔の事を知ってる数少ない友人の1人に、目を閉じて心の中で感謝の言葉を呟く。


――ありがとな、戦友。

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