episode 4 最低な自分

「あ、あのさ……探してる物ってもしかしてこれだったりする、かな」


 1度通り過ぎて帰ろうとしていた男がまた私の所に戻ってきたかと思うと、そう話しながら手に握ってたものを見せてきた。

 男の掌にあるそれは、見慣れたガラス細工が施されている球体と小さな鈴が付いたキーホルダーで、先端には自転車の鍵が取り付けられている物で、まさに私が探しているものだった。


「あ、あった!」


 見つかった嬉しさと驚きが私の体内を駆け巡っていって、自分でもハッキリと分かる程に強張っていた顔の筋肉が一瞬緩む。

 その事を自覚した瞬間、慌ててもう1度スイッチを入れて睨みつける表情を作り直した私の脳裏に、今度は大切な物を無くしてしまった原因であるO駅にいたチャラい男達に絡まれた苛立ちが募っていく。


 元々睨んでいた目つきが更に鋭くなっていく。自分でも制御が効かない程に……。

 そして口から飛び出そうとする言葉に、止まれと自分自身に言い聞かせたんだけど……。


「なんでアンタが持ってるわけ!? つか必死に探してる私をそこから隠れ見て笑ってたんでしょ! 信じらんない! マジありえないし!!」


 自分の意思を無視してあれほど止まれと念じた言葉が口をついて、差し出されたキーホルダーをひったくるように奪い取ってしまった。


 男は物凄く驚いた顔をしている。

 それはそうだろう。


 偶然拾ってくれた自転車を鍵を探し物をしてる私の物かもしれないと、親切に声をかけてくれただけだ。しかも目が合っただけで睨みつけるような相手にだ。


 きっとこの人は本当に優しい人なんだろう。


 こんな場所で大人の男が女子高生に声なんてかけたら変質者と間違われる恐れだってあったのに、この人はそれ以上に困ってる私の事を考えてくれたんだから。

 でも、今の私にはそんな優しさすら信じる事が出来ない。


 疑う事しかできない私だから、あんな事を平気で言ってしまえる。

 男はそんな私の行動に言葉が出ないのか、ただ差し出した体制のまま固まってしまってる。それは当然の反応で、おかしいのは私の言動だ。


 頭の中では完全に自分が間違ってるって判断出来ているのに、1度動いてしまった口と体は簡単に止まってくれそうにない。

 だけど、これ以上この人を傷つけたくないから、口を閉ざしてこの場を立ち去ろうと急いで荷物を鞄に詰め込んだ。

 そしてすぐさま拾ってくれた鍵を使って自分の自転車を開錠して、何も話さずに駐輪場を出ようと歩く。


「おい、なんだよそれ!! 困ってるみたいだったから親切に声をかけただけだろうが!!」


 その時、1階へ降りるスロープの手前で大きな声が飛んできた。

 私はなるべく表情を変えずにチラッとスーツ姿のあの人を見る。

 ついさっきまでの雰囲気が嘘みたいに私を睨みつける男。物凄く怒っているのが一目でわかる。両目が怒りで充血して真っ赤になってて、両肩が微かに震えてるのが見えたからだ。


 怒るのは当然だ。


 ただ、この人の気持ちを考えれば当然の事だと思うけれど、出来ればあのまま行かせて欲しかったな。これ以上傷つけるような酷い事を言いたくなかったから……。


「はぁ? 誰もそんな事頼んでないじゃん! こういうのなんて言うか知ってる? 恩着せがましいって言うんだよ! いい年して未成年をエロい目で見てたんじゃねえの? おっさん!」


 やっぱりどうしても止まってくれなくて、更にあの人の表情が険しくなっていく事に心が凄く痛んで、もうこれ以上は本当に大変な事になってしまいそうな自分が怖くなり、私はあの人の反応を待たずに逃げるようにスロープを降りた。


 1階に下りた直後に2階から「ふざけんなっ!!」という大きな怒鳴り声と金属を叩きつけたみたいな音が響いてきて、思わず体がビクッと跳ねる。

 私は怖くなって必死で自転車を漕いで家に帰った。


 玄関を開けて廊下を進んでいくと、リビングで寛ぐ両親と目が合う。


「……ただいま」

「おかえり」


 お父さんがテレビを見ながらそう答えると、お母さんもソファーから立ち上がって「おかえり、志乃。いまご飯温め直すから」とキッチンへ向かう。


「ごめん、お母さん。今日は食欲がなくて晩御飯いらない」

「あら、そうなの? どこか具合でも悪いの?」

「ううん、大丈夫」

「そう? なんだか顔色が悪く見えるんだけど」

 

 大丈夫だと言ってもお母さんは心配そうに、俯いてる私の顔を覗き込んできた。


「ん、ホントに大丈夫だよ。最近遅くまで勉強してて寝不足なだけだから……心配かけてごめんね。今日はお風呂に入って寝るよ」


 これ以上ここにいたら虚勢を張ってるのがバレてしまうと、適当に煙を巻いた私は自室へ急いで戻った。

 部屋に戻った私は鞄を投げ捨てて入浴の支度をして、浴室へ向かってすぐにシャワーを頭から浴びる。


 なんであんな酷い事しか言えないんだろう。

 あの人は落とし物を親切に届けてくれただけなのに……。

 なんでお礼の一言も言えないんだろう。


 馬鹿なの……私。


 あんなのただの八つ当たりだ。

 私にどんな事があっても、あの人には関係のない事なのに。

 ううん、違う。O駅での出来事がなかったとしても、きっと私は素直にお礼なんて言えたとは思えない。


 本当に人として最低だ、私。


 こんな人間になってしまったのには理由があるけど、だからといってアレは最低だ。


(……ごめんなさい)


 何時からこんな最低な事が出来るようになってしまったんだろ。そんなに自分を守る事が大事? 関係ない人まで傷つけてまで……。


(……ごめんなさい)


 嫌な事や気持ちが沈んだ時は何時もこうして頭からシャワーをジッと浴びながら1人懺悔する。

 O駅で絡んできた馬鹿共の事は一瞬で記憶から消し去ったけど、何度も記憶を深く沈みこませようとしても、あの人のあの時の顔が脳裏に焼き付いて消えてくれない。

 すぐに切り替えないとドンドン気持ちが沈んでいってしまうのに……。


「……なんでよ」


 名前も知らない人なのに、もう会う事もない人なのに……なんで……。


 結局一時間近くリセットを試みたけれど、どうしてもあの人の事だけは処理できずに疲れ切った思考を放棄するように眠りについた。


 あの人の最低な出会いが、そしてあの人の存在が、まさかあんなに濃密な時間を得る事になるなんて、この時の私には想像すら出来なかったんだ。

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