episode 3 落とし物
瑞樹志乃視点
5月27日 22時30分頃、予備校の最寄り駅であるO駅のホームにあるベンチの背もたれに凭れて小さく息を吐く。
「ふぅ……遅くなっちゃったな」
私こと
いつもより遅くなったから先に家族に連絡しておかないとと、スマホを取り出してRHINEで今から帰るとメッセージを送ると、何も返答はなかったけど既読がついた事を確認して鞄にスマホを仕舞った。
(まったくもう! 解らなかった単元があったから講義の後に個人的に質問したのは私だけどさ……。まさか根本的なところから説明されるとは思わなかったよ……はぁ)
私は現在高校3年生で受験生である。
中学時代色々あってかなり無理目な高校を受験してなんとか合格出来たのはいいけれど、バリバリの進学校なだけあって入学してすぐに授業についていけなくて、親に頼み込んで1年生の時から今の予備校に通わせてもらってる。
そのおかげで2年になる頃から授業についていけない事はなくなって、3年になってもそれは変わりなかったからコマ数を増やして頻繁に通っている生活だ。
ボンヤリと電車が入ってくる方を眺めながら、自転車の鍵に付けてるキーホルダーの飾りを指で転がす。特に意味があるわけじゃないけれど、手持無沙汰になると殆ど無意識でやる事で、僅かにだけど気持ちに余裕が出来て落ち着く気がするからだ。
無理に進学した学校が私立でただでさえお金がかかるのに、そのうえ予備校にまで通わせて貰ってる立場からすれば、両親には感謝の気持ちしかない。
だけど、それと疲れやストレスが溜まっていくのは別問題で、最近溜息が増えたように思う。
(といっても、今の私って勉強くらいしか本気でやりたい事なんてないしなあ……)
中学時代の大失敗を教訓にして無難に高校生活を送って、志望大学に合格する。ホントなら高校生の時でしか味わえない青春ってやつを送るべきなんだろうけど、今の私には必要がない。
なら疲れたとか言ってる場合じゃなくて、ストレスと上手く付き合っていかないとなと目立たないように深く息を吐いた。
駅のホームが途切れた先にチカチカと光るライトが見える。素人には何の為のライトなのか分からないけど、きっと鉄道を安全に運営する為に必要なんだろうなとジッと点滅する光を見ていると、突然背後から「ねえっ!」と声を掛けられた。
完全に意識をホームの先に向けていたから不意をつかれる形になってしまって、肩を跳ねさせて振り向くと、そこには私服だったけど私と同い年くらいの男が2人立っていた。
疲れから完全に油断していた意識を奮い立たせて、私は瞬時にスイッチを切り替えて露骨に近寄るなと言いたげに2人を見上げる。
「ねえってば! めっちゃ可愛いじゃん! なにしてんの? 結構暇だったりするんじゃね? 全部俺らがオゴッしこれから遊びにいかない?」
露骨な顔を向けているというのに、まるでそれを込みで声をかけてきたみたいに、というかきっとそうなんだろう。2人は馴れ馴れしく典型的なナンパ台詞をマシンガンのように浴びせてくる。
なんでこういう馬鹿はどいつもこいつも空気が読めないのかと、わざと2人に聞こえるように舌打ちして顔を正面に向けた。
「おいおい! こんなに可愛い顔して舌打ちとかないわー。そんな拒否なくていいいじゃん。ただ遊びに行こうぜって誘ってるだけなんだしさあ――なっ?」
男の1人がそんな軽口を叩きながら顔を近づけてきて、汚らしい手が私の肩に触れた瞬間、全身に鳥肌がたった。
「汚い手で気安く触んな! キモいんだよ!!」
気が付けば大声でそう叫びながら、肩に乗せられた手を払いのけてベンチから立ち上がり様に、逆の手で男の顔をバチンッと振り抜いていた。
大きな声と頬を叩く音で周囲の目が私達に集まった――けど、誰もかれもトラブルに関わる気がないと、すぐに目線を在らぬ方向に向けるのが見えて私は内心舌打ちを打つ。
大きな声をあげて男の頬をひっぱたくという行為は逃げる為というより、騒ぎを大きくする事で周囲に助けを求める意味合いをもたせた行為だったんだけど……やっぱり他人をアテにならないみたい。
「ってえなぁおい! ちょっとレベル高いからって何しても許されると思ってんじゅねえぞ!!」
まったく何を言ってるんだか……。
こうなる前に拒否してたのを無かったことにして、ただの暴力女みたいに言われたら堪ったもんじゃない。こういう輩にはそんな正論なんて通じない事は経験上分かっていた事だけど、ホントにやってらんない。
それじゃ次の手だと、さっきホームに流れたアナウンスを思い出して、私はホームに背を向けてあいつらと対峙して手に持っていた学生鞄を両手で持って構えた。
「あ? なんのつもりだ!? 女が俺らをどうにかしようってのか!?」
さっきの不意打ちのビンタとかならともかくとして、男相手に力で勝てるわけがないのは勿論わかってる。
「女がちょっと叩いたくらいで大の男がキレんなよ。そんなんだからモテないんでしょ!」
「んだと!? もうゼッテー許さねえかんなぁ! 朝まで玩具にして穴だらけにしてやんよ!!」
ホント男ってどうして〝それ〟ばっかなんだと、思わず呆れの息が漏れた。
「っあ! 駅員さん助けて下さい!」
目が怒りと欲望で血走らせた男と対峙してた私は、とっさに横を向いて助けを呼ぶ。
「っな!?」
男たちが声をかけた方向に焦った顔色でそっちを向いた瞬間、私は2人に背を向けて走った。
「あっ! あいつ! 逃がすかよ!」
ハッタリだと気が付いた馬鹿共が追ってくるけど……もう遅いってね。
私が男共を無視してホームに滑り込んできた電車の車両に飛び乗ると、必死に追いかけてきた2人はドアの前で急ブレーキをかける。それは私が乗った車両が女性専用に車両だったからだ。偶にそんなのお構いなしに男が乗ってくる事もあるけれど、流石にこの車両に乗ってきたら私がどうするか分かったんだろう。
やがて車両のドアが閉まって完全にあいつらと切り離せた私は「べっ!」と舌を出して揶揄ったやったら、ものすごい形相で走り出す電車を睨みつけてた。
駅のホームが見えなくなってから、私は空いてるシートに体を預けて、盛大にため息をついた。
まだジンジンと痺れのような感覚が残る右手をジッと見て、ついさっきの事を振り返る。
(男なんて……どいつもこいつもあんなんばっかりだ)
しつこく付き纏われた事。無遠慮に体に触れられた事。そして私が要求に応じるどころか完全に拒否すると、自分の思うようにいかなかった事にキレて怒鳴り散らされた事。それらを思い出せば軽く吐き気さえして……私は上体を倒して気持ちの悪さを堪えた。
自宅からの最寄り駅であるA駅に電車が到着して、私は足早に下車してさっさと改札を抜ける。
こんな気分の悪い日は一秒でも早く帰ってシャワーを頭から浴びて、苛立った気分の落ち着かせたいから。そんな思いで私は月極で契約してる駐輪場へ急いだ。
駐輪場の建物に入ってすぐに2階に繋がっているスロープが建物の脇にある。緩やかな傾斜になっているスロープを登りながら、鞄に仕舞ってある自転車の鍵を取り出そうと手を入れた時、違和感を覚えて自分の自転車を停めている場所に着く前に足を止めた。
「無い……自転車の鍵が……無い? え? なんで!?」
いつも仕舞ってある鞄のポケットの中にあるはずの鍵がない事に気が付いた私は、自分の顔が一気に青ざめていくのが分かった。
「こ、こういう時は……冷静に……冷静に……」
私は気持ちを落ち着けて冷静になろうと小さく息を吐いて、眉間にできた皴を解して、朝ここに自転車を停めた時からの記憶を掘り起こす。
そして予備校からの帰りでホームのベンチでいつもの癖で、キーホルダーを指で転がしてた事を思い出した。
「……そうだ。あいつらに絡まれるまで手に持ってたんだ。という事はあの時ホームで落とした? ううん、でも……」
逃げる前に制服のポケットに入れたはずだと一部の望みに縋るみたいに、私はポケットというポケット全部に手を突っ込んだけど――あの小さな鈴の音が聞こえる事はなかった。
「……やっぱりホームで落としたの?」
もう1度駅に戻ろうと登ってきたスロープの方に体を向けたけど、戻ったらまだあの連中がいるんじゃないかと思うと足が動こうとしれくれない。
だけどアレだけは諦められない私は、もしかして鞄の底に潜り込んでしまったんじゃないかとテキストやゼミのタブレットに筆記用具、関係ない生徒手帳まで引っ張り出した時に、チリンと聞きたかった鈴の音が聞こえて手を止めた。といっても手を止めたのは探し物が見つかったからじゃなくて、聞きたかった音色が鞄の中からじゃなくて違う方向から聞こえたからだ。
広い空間に小さな鈴の音が聞こえただけで、正確に聞こえてきた場所を特定できたわけじゃないけど、一番大きく音色が聞こえた気がした方向に目を向けたけど、そこには柱が立っているだけだった。
「……そこに誰かいんの?」
確証があったわけじゃない。
でも、柱の向こう側に誰かがいる気がして、私は柱に向かってそう問いかける。
すると「あ、えっと……」とまるで親に叱られるのが怖くて隠れていた子供が見つかってしまったような顔をした男が、柱の陰から姿を見せた。
常に周囲の男を敵視してる私の目には、姿を見せた時の様子なんて関係なく
威嚇の効果があったのか、男はどこか落ち着かない様子で「いや……別に」とだけ答えて、警戒してる私の横を通り去っていく。ナンパの類じゃなさそうだと男の背中を見届けた私は鈴の音なんて珍しいものじゃないんだからと、すでに空っぽになってた鞄の中をまるで警察が捜査するみたいに隈なく調べを進める。警察が捜査するの見た事ないけど。
そんな鞄をまさぐる音だけがする空間の中に、ガシャンという金属音が聞こえて暫くした後、さっきの男が自転車を押してこっちに近付いてきた。ナンパの類じゃないと判断した私は意に介さずに探し物を続ける。男もそんな私を気にせずにしゃがみ込んでる私の横を通り過ぎてスロープの方に歩いていく。
が――少し離れた所で自転車のスタンドを立てる音がしたかと思うと、立ち去ったと思ってた男が戻って来て「あの」と声をかけてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます