episode 2 最悪の誕生日
「もしかして、君の探してるものってこれだったりする、かな」
俺はポケットからO駅で拾った鍵を取り出して、しゃがみ込んでいる女子高生に恐る恐るといった声色でそう尋ねてみた。
もう関わる事のない相手にまた声を掛けられて驚いたのだろうか、また目つきを変えたかと思えば俺が差し出した物を見た途端、女子高生は本当に心の底から安堵した嬉しそうな顔を見せた。
だがそれは一瞬の事で、すぐさま差し出したキーホルダーをひったくるように奪うと、キッと俺を睨む付けてくる。
「な、なんでアンタがこれ持ってんのよ! つか必死に探してる私を隠れて笑ってたんでしょ! 信じらんない! ホント最低!!」
女子高生の予想の斜め上の言い分に「なっ!?」と言葉に詰まらせた俺は、開いた口が塞がらないという言葉の意味を初めて理解した。
唖然と固まっている俺を横目に、ひっくり返した鞄の中身を手早く仕舞いこんだ女子高生はお礼すら言う事なく、ひったくった鍵で自転車の鍵を開錠する。
「お……おい! なんだよそれ!」
鍵を開錠する音で我に返った俺は、何事もなかったかのように自転車を押してスロープの方に進みだした女子高生の背中に声を上げた。
するとキッと小さなブレーキ音と共に足を止めた女子高生が睨みつけながら「なにが?」とだけ返してくる。
「困ってるみたいだったから、もしかしてって声かけたんだぞ!?」
下心なんて微塵もなかった。 それどころか警戒されて通報される事を恐れて1度はなにもせずにこの場から立ち去ろうとした程だ。そんな自分の善意に対してとった女子高生の態度には流石に我慢ならなかった。
別にちゃんと礼をしなくてもいい。小さく会釈する程度だけでもよかったんだ。いくら未成年の高校生だといっても、人として最低限の礼儀くらいとるべきだと抗議した次の瞬間、信じられない言葉が俺の鼓膜を震わせる。
「は? なに? 礼でも言えっての?」
「…………え?」
「あのさ、それって何ていうか知ってる? おっさん。恩着せがましいって言うんだよ。頼んでもない事に浸ってんじゃねえよ!」
「……っ」
もう言葉が出なかった。
最近の子供はあまりにも常識を理解しない者が多く、これらの世代が社会の中心になった時、日本の経済はどうなるんだと危惧していた評論家の言葉を思い出した。
そんな少しズレた事を考えて黙り込んでると、女子高生は言いくるめたと思ったのか「ふんっ」と目線を切って、そのまま俺から離れてスロープを降りて行ってしまった。
誰もいなくなった場所でついさっきの言葉の暴力ともいえるものをぶつけられた俺の中からじわじわと怒りが込み上げてきて、気が付けば籠に入れてあったコンビニの袋を振り上げていた。
振り上げた腕を力いっぱい振り下ろして「ふざけんなっ! 糞がっ!!」と怒鳴る声と、ケーキがグシャリと潰れる音と、缶を叩きつけた金属音が鳴り響く。
「なんなんだよ! 俺が何したってんだ!!」
俺は叩きつけられて袋の中身から飛び出した物を睨みつけて苛立ちを吐き捨てたが、ささくれた気持ちは一向に収まってくれない。
「……帰る、か」
このままここにいても気持ちが収まってくれるわけでも、ましてやさっきの女子高生が改心して謝りに来るわけでもないのならここに留まる意味はないと、誰に聞かせるわけでもなく独り言ちたあと荷物を回収して自転車を押して駐輪場を出た。
サドルに跨りペダルに足を乗せる。未だにジワジワと湧き上がってくる怒りを足に込めて全力で自転車を漕ぐと、いつもより半分の時間で自宅のマンションに着いた。
全力で自転車を漕いで荒くなった呼吸に構う事なく、自宅に入って荷物を投げ捨てて一目散に風呂場へ向かい、熱いシャワーを暫く微動だにせずに頭から浴びた。
昔から嫌な事があると頭を空っぽにして熱いシャワーを浴びる事で、大抵の事は流れ落ちていくお湯と一緒に洗い流してきた。
だから今回も洗い流そうとしたんだけど、中々ささくれだった気持ちが落ち着いてくれなくて、そのまま10分ほど続けてきたが結果は変わらなかった。
「くそ……駄目か」
いつまでも浴びてるわけにはいかないと諦めた俺は、乱暴にバスタオルで頭や体を拭きながらリビングへ戻る。
それならと今度は冷蔵庫から冷えたビールを取り出しつつ、放り投げてたコンビニの袋から買ったケーキを取り出して投げ出すようにソファーに体を沈めた。プシュッと心地いい音と共にプルタブを開けて苛立ちを鎮めようと、何時もより豪快にビールを喉に流し込む。
「ぱあっ! ふうぅぅ」
何時もより苦味を強く感じる。やっぱり酒は気分によって味が変わるなと、ひと心地ついたところでテーブルに置いてあるケーキに目を向けた。
ケーキはぐしゃぐしゃで原型を留めてはなかったけど、奇跡的に容器から飛び出してはなくて食べる分には問題なさそうだ。
一応誕生日に買ったケーキという事で、そういえばこの部屋で以前同僚の誕生日を祝うという名目で宅飲みした時に、余った蝋燭があったはずだと辺りを探してみる。
「あった、あった。途中で折れてるけど問題ないだろ」
途中で折れてしまって短くなってしまっている蝋燭をケーキに刺して、ガスの切れかかったライターで明かりを灯す。
間接照明だけの薄暗い部屋でゆらゆらと燃える蝋燭の灯りをぼんやりと見つめてると、ようやく荒れていた心が落ち着いてきた。
シャワーとビールとゆらゆらと揺れる蝋燭の火のおかげで駐輪場の事を思い返してみても苛立たない事を確認したところで、俺はようやく肩の力を抜く事ができた。
思えば散々な1日だったな。
直接関係のないクレーム対応で休日を潰されて、売れ残りのケーキを無気力な店員から買い、そして親切で声をかけた女子高生に散々罵倒されるんだもんな。
「これまで生きてきた中で、一番最悪な誕生日になっちまったな……」
1人そう呟きながらグシャグシャになったケーキを頬張ってみたけど、何故かあまり甘さを感じなかった。
「……まあ、俺らしい誕生日だったかもな」
散々だった1日をそう締めくくった時、チェストの上に置いてあった腕時計から小さな電子音が、俺の29歳になる誕生日が終わった事を知らせた。
だけど、この時の俺は知らなかったんだ。
あの女子高生とまた出会ってしまう事態になるなんて……。
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