episode 9 戦闘準備
間宮良介視点
7月下旬の月曜日
カタカタとデスクからひと際早いタイピング音を響かせている。明日から出張に出る為、片付けておかないといけない案件が山の様にあるからだ。
「あとはこのデータを課長に送って、こっちを総務課に送れば……ん、こんなもんだなっと」
最後に大きな動きでエンターキーを押した音が、予定していたタスクの処理が全て終わった事を告げる。
そそくさとPCをシャットダウンさせて肩回りをゴキゴキと鳴らしながら「ふ~っ」と肺にある空気を全部吐き出すように息をつきながら、両手を天井に向けて大きく背筋を伸ばした。
「これで出張期間、俺がいなくても問題ないな」
天谷社長の無茶ぶりのような要請にまさか会社が了承するなんて思ってなくて、大慌てでそれまでに片付けないといけなくなったタスクを全てホッと一息ついてると「おつかれ」と後ろから声を掛けられた。両手をあげまま振り返れば隣の部署に所属している同僚の松崎がいた。
「終わったんだろ? 向こうで珈琲でもどうだ?」
本当はビールがいいんだけどなとニカッと白い歯を見せながら、自販機のある方に親指を向ける松崎に「おう」とついていく。
自販機で缶珈琲を買って休憩スペースにあるベンチに揃って腰を下ろした。
「ここんとこ、かなり遅くまで残ってたみたいだな」
「……まあな」
俺達はまるでビールジョッキを突き合わせるようにして、お互いの労をねぎらう。
「聞いたぜ。明日からの出張内容! あれってマジなんか?」
「マジだよ。まさかあんな案件が受理されると思ってなかったんだけどな」
「はは、だろうな。そんな出張きいた事ねえもん。ま、それだけ上の連中も必死ってこったろ。この契約がとれればかなり潤う事になるだろうからな」
そう言って笑う松崎に、つい愚痴が零れる。
「だから急いでリスケしてたんだけど、忙しすぎて出張の準備が全然進んでないんだよ」
「そっか。ま、男の出張なんていざとなれば殆ど現地調達で成り立つもんだし、無理に準備なんてしないで気楽に行ってこい」
「……他人事だと思いやがって」
飲み干した缶をゴミ箱へ放り込みながら「そりゃ他人事だしな」と笑う松崎にジト目を向けると「土産話と土産楽しみにしてる」と催促の追いうちを喰らう。
「まぁ何があるのか知らないけど、適当に買ってくるよ。土産話の方は失敗談ばっかにならないように、俺なりに頑張るわ」
「はは、おう! じゃあな、頼むぜ我が営業部期待の星!」
まだ仕事が終わらないみたいで手をヒラヒラさせながら自分の部署へ戻っていく松崎に「じゃな、お先に」と告げて、俺も自分のデスクに戻った。
帰り支度を済ませて課長のデスクへ書類を渡す為に向かうと、何時もは話しかけても目線すら滅多に合わそうとしない課長が、俺を見て珍しく手を止めた。因みに俺と目も合わそうとしないのは自分の椅子が俺に奪われるかもしれないからだと、松崎が言ってた。
「課長、それでは明日から行ってきます」
書類を手渡して明日からの出張の挨拶をすると、手を止めた課長が立ち上がる。
「うん、お疲れさん! 頼んだぞ、間宮!」
ウチに課長が部下に対してこんな言葉をかけるのは本当に珍しい事で、その証拠に周りにいる同僚達も驚いた顔をしてこっちを見てる。
「は、はい。もし何かありましたら、可能な限り連絡がつくようにしておきますので」
恐らく問題はないとは思うが、もしイレギュラーが発生した場合でも対処すると告げたのだが、課長は首を横に振って口を開く。
「いや! こっちの事は向こうにいる間は忘れてくれていい。間宮は先方の期待に応える事だけを考えてくれ!」
これまた予想外の返答が返ってきた。
自分のミスで起こったトラブルでさえ部下に休日を潰させて対処させるような課長に、そんな頼もしい事を言われたのは入社して初めてだ。
「いえ、それでは――」
お前に出来るのかと思わなくもなかったが、それでも迷惑をかけるのはと課長に告げようとしたのだが、途中で遮られる。
「――今期のウチの部署の数字が芳しくないのは知ってるだろ? だが、ここで間宮の商談がまとまれば一気に業績を巻き返せるんだ!」
と鼻息荒く言う課長は不摂生の象徴を揺らして、俺の手をガシッと掴んできた。
「期待してるぞ! しっかりと先方との契約をとってくるんだ!」
ああ、なるほど。そういえば最近頻繁に呼び出されてたみたいだったけど、きっと部長あたりから業績の事で相当言われてたんだろうな。そんな課長にしてみれば今回の話は恵みの雨みたいな感じだったんだろう。
「はい。精一杯頑張ってきます」
言いたい事はあるけど、不必要に課長と絡んでる暇も惜しいからそれだけ返して会社を出た。
帰宅後軽く食事を済ませて、全く捗っていなかった出張準備に取り掛かる。とはいえ、松崎が言うように男の準備なんていい加減なもので必ず必要な物以外は雑にスーツケースに押し込んで、足りなければ現地調達すればいいかと早々と準備が完了した。
それからシャワーを浴びて眠る前に大好物のビールを片手に明日からの資料に目を通す。
(まさか、また俺がアレをやる事になるなんてなぁ……)
当時の俺を知っている人だからこその依頼であり、またその繋がりがあったこそ今回の話を貰えたんだから、課長に言われるまでもなく真剣に取り組むつもりではいる。
とはいえ、つい最近高校生に気分を害された身としてはまさにタイミングの悪い案件であり、その事を考えるとジワジワと心を削られていく気がした俺は早々に眠りについたのだった。
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