第74話 おかしな場所

 ナナセは強い力で押されるような感覚の後、視界が一瞬真っ暗になった。そして次に目に飛び込んできたのは、どんよりとした曇りの夜のような重苦しい空と、紫色のもやのようなものが広がる空間だった。

 ナナセの周囲には既に大勢の冒険者達がいて、ざわざわと周囲を見回しながら何やら話している。ここは今まで彼らが知っているダンジョンとは全く違う世界だった。


 ここは広場のような空間になっていて、ボロボロの噴水とベンチがあった。広場の先に真っすぐ伸びる道も見える。ナナセ達の背後には、シャトルフの森にあったものと同じ扉があった。広場の近くには建物のようなものはなく、木はあるものの全て枯れていて、枝だけの状態になっていた。目を凝らすと、もやの向こうにうっすらと何か建物のようなものが見える。


「死んでる街だ」

 ナナセはポツリと呟いた。生き物の気配がしない、太陽も月もないその世界は、全ての役目を終えて朽ちていくだけの世界に見えた。

「そうだね」

 ルインもナナセの言葉に同意するかのように頷く。

「なんか、ここ怖いよ」

 マカロンは怯えた声でヴィヴィアンの服の袖を掴んだ。


「みんな大丈夫か?」

 タケルは周囲に声をかけて回っていた。ナナセ達の姿を見つけると、タケルは急いで駆け寄ってきた。

「お前ら、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

 ナナセが頷くと、ルイン達も気丈に「大丈夫です」と口々に言った。

「この辺に魔物はいないみたいですね」

 ナナセは辺りを見回しながら言った。生き物の気配どころか、ここには魔物の気配すらなかった。

「この辺りはとりあえず安全みたいだな……。お前ら、ここからは決してはぐれるなよ」

 タケルはナナセの肩を軽く叩き、すぐにその場を離れて別の仲間の元へ向かう。




「とりあえず、いくつかグループに分けて移動しよう。先頭は俺達で──」

 タケルはツバサ達と話し合っている。彼らが作戦を立てている姿をぼんやりと眺めていたナナセ達の所に、背が高く美しいウィザードの女がやってきた。


「あなた……ナナセよね? リスティとやり合ったって?」

「あ、はい! やり合ったっていうか……」

 戸惑いながらナナセが応じると、女はにやりといたずらっぽい笑顔を見せた。

「初めまして、私はルビィ。タケルから噂は聞いてるわよ。リスティを怒らせたらしいじゃない? やるわね」

「あなたがルビィさん! 私もあなたの噂は聞いてます。一度お会いしたかったです」

 ルビィはリスティと同じ「ブルーブラッド」のメンバーだったが、リスティを怒らせファミリーから追放された。ナナセは自分と同じ境遇のルビィに、勝手に親近感を持っていた。


「私もよ。お互いリスティから追放された者同士だもんね。リスティ、あなたがファミリーにいたなんて一言も言ってなかったのよ」

「リスティは私のことを話してなかったんですか?」

 ナナセは呆れ顔でため息を吐く。

「前のファミリーに、女の子は一人もいなかったって言ってたわ。でも実際にはあなたがいて、リスティはあなたを追放した。あなたとの揉め事を私達に知られたくなかったんでしょうね」

「そうやって、彼女は自分に都合のいい話に作り変えてきたんです。彼女の話はでたらめばかりだけど、信じてしまうメンバーも多くて……みんな彼女の信者みたいになってしまうんです」

 ルビィはナナセにうんうんと頷く。

「私みたいな賢い女には効かないけどね。ねえ、私達ドーリアってみんなどこか『絶対的なリーダー』を求めている所があるじゃない?」

「絶対的なリーダー?」


「そう。私達を導いてくれる存在。リスティはそれなのよ。この道が正しい!って言いきってくれて引っ張ってくれるのって、とても魅力的に見えるわ。そんなリーダーと一緒にいれば、なんだか自分も偉くなったような気分になれるじゃない?」

「ああ……確かに」


 ナナセはリスティ達と冒険者ギルドで話し合いをした時の、尊大な態度のゼットを思い出していた。リスティの護衛である彼が、まるで官僚にでもなったかのような威張り様だった。


「あの女は、自分に従ってくれる奴かどうかすぐに見抜くの。友達のマオは見抜かれて取り込まれたけど、私は排除された。私はね、リスティなんかどうなってもいいと思ってるの。タケルはあの女を助けるつもりみたいだけど、私は何かあったらリスティを見捨てて、自分の仲間だけを助けるつもり。みんなも同じよ。彼らはみんな、ダンジョンをリスティ達に独占させない為にここへ来たの。あなたはどうなの? あなたの気持ちを聞いておきたいのよね」

 ナナセは一瞬言い淀んだ。ナナセの本音もルビィと同じだからだ。だがブラックにはリスティ達を助けてくれと頼まれている。


 横で話を聞いていたルインは、じっとナナセを見つめている。ナナセは意を決したようにルビィを真っすぐに見た。


「……私は、自分の大切な仲間を守る為に、ここにいます」

 ルビィはホッとした表情を浮かべた。

「それを聞いて安心したわ。じゃあ後でね」


 ルビィが去って行く後ろ姿を見ながら、ルインはナナセに声をかけた。

「それでいいと思うよ」

「……うん」

 ナナセは静かに頷いた。




 ナナセ達一行はダンジョンの中を進んだ。先頭はタケルとフォルカー、コーヒーゾンビのメンバー。その後ろにナナセとルイン、ヴィヴィアン達三人が続く。ジェイジェイもナナセ達の近くにいた。

 間の世界はまるで、朽ちたノヴァリス島のようだ。建物は全てボロボロに崩れているが、そこに集落があったことを思わせる。大木も枯れていて枝だけになっていて、幹に立てかけるように置かれた一本のクワがなんだか物悲しい。

 道中には所々「宵の泉」があり、時折魔物が現れた。だがここにいるのは手練れの冒険者達である。殆ど前方を歩く強者が狩ってしまうので、ナナセ達は殆ど何もすることなく歩いた。


「魔物が少ねえな。リスティ達が先に狩ったのかもしれねえな」

「そうだろうな」

 タケルとフォルカーは先頭を歩きながらそんなことを話していた。


 道中にある廃屋を調べると、宝箱が見つかることもあった。だが中身は全て空で、冒険者達を失望させた。

「これも空じゃねえか」

 古びた屋敷の寝室で見つかった大きな宝箱は、いかにも意味ありげにそこに置かれている。だがそれは鍵もかかっておらず、中身は空だった。

 タケルは空の宝箱を見つける度にため息をつく。

「リスティ達が持ってったのかもな。それとも、そもそもまだ中身を入れてねえとか……」

「入れてないって?」

 ポツリと漏らすタケルの言葉に、そばにいたツバサは怪訝な顔をした。

「何でもねえ。こりゃ宝箱は期待できねえな。先を急ごうぜ」

 タケルはごまかすように大げさに首を振り、さっさと屋敷を出て行った。


 しばらく道沿いに歩いていた一行は、やがて大きな橋にたどり着いた。

 彼らより少し先を歩いて索敵をしていたタケルは、腰のベルトに吊り下げた小さな望遠鏡を取り出すと、橋の向こう側を覗いた。


 望遠鏡を下ろしたタケルは、驚愕の表情を浮かべている。

「どうした?」

 追いついたフォルカーが心配そうにタケルの横顔を見る。



「橋の向こう側にめちゃめちゃデカい魔物がいる! リスティ達も近くにいるぞ!」

 タケルは興奮しながら叫び、仲間達に振り返った。

「本当か!?」

 駆け寄ったツバサが慌てて自分の望遠鏡で橋の向こう側を覗く。

「なんだあれ? 霧が濃すぎて良く見えないな……ドラゴン? に見えるけど……ドラゴンにしちゃ大きすぎないか?」

「俺もドラゴンだと思う。だけど確かに大きすぎるなあ」

 コーヒーゾンビのリーダー、ヤマケンも望遠鏡を覗きながら頷く。彼らはその魔物が何なのか理解できず、困惑していた。確かに見た目にはドラゴンのような形をしている。だが胴体がとても大きく、いかにも重そうで空を軽々と飛び回れるようには見えない。


 そのドラゴンと距離を取り、隠れるように橋のたもとに潜んでいる集団がリスティ達に違いない。その表情まではうかがい知れないが、橋の影からドラゴンの様子を探っているように見える。

 ナナセとルインも駆け出し、タケル達の近くへ行くとそれぞれ自分の望遠鏡を取り出した。

「いた! やっぱり先に来てたんですねリスティ達は。まさか、リスティ達はあのドラゴンと戦うつもりなんでしょうか?」

 望遠鏡を覗きながらナナセはタケルに話しかけた。

「やるつもりだな、あれは。何人連れて行ったか知らねえが、あいつらだけで倒せる魔物じゃねえぞ」


「どうする、タケル? あいつらがドラゴンと戦うのは勝手だが、あそこで全滅されたら面倒だぞ」

「むしろ全滅してくれた方が、連れ帰るの楽なんじゃねえ?」

 フォルカーの心配そうな顔をよそに、タケルはヒヒッと笑った。

「笑ってる場合じゃないぞ、タケル。ドラゴンに気づかれないようにあいつら全員運ぶんだぞ?」

 ため息をつくツバサに、タケルは「分かってるよ。でもあいつらが俺達の言う通りにすると思うか?」と言い返した。


「やってみるしかないだろう。とにかく俺達もリスティ達の所に向かおう。慎重に進めば見つからずに橋のたもとまで行け……ああ、クソッ!」

 珍しくフォルカーが悪態をついた。その場にいた全員がリスティ達がいる橋の向こうに視線を集中させた。


 リスティ達が光に包まれるのが見える。戦闘を始める為に魔術を使ったに違いなかった。ナナセは慌てて望遠鏡を動かし、リスティ達に焦点を合わせる。すると霧の向こうで多くの人影が動いたのが分かった。

「ああ、行っちゃった!」

 ナナセが大声を上げた。その時、地鳴りのような音が辺りに響き渡った。

「何だこれ、ドラゴンの声か!?」

「すごい音だ!」

 その場にいた冒険者達が怯えた顔で周囲を見回す。


「しょうがねえ、俺達も行くぞ!」

 タケルは意を決したように叫び、ナナセはルインと顔を合わせて頷く。彼らは一斉に橋に向かって駆け出した。ドラゴンとナナセ達一行を隔てる川はとても大きく、橋も広くて長い。彼らの視線の先には、あの巨大なドラゴンが見える。ドラゴンは完全に身体を起こし、足踏みをする振動が橋にまで伝わるほど大きい。


「あんなの俺でも戦ったことねえぞ」

 タケルがうろたえているのを見たナナセは不安に襲われた。この世界で長く暮らし、様々な魔物と戦ってきた彼女が弱気になるほどの魔物が、今目の前に迫っている。


 いよいよ橋を渡り切り、向こう側の土地に足を踏み入れたその時、ナナセ達全員がその場所の異常に気づいた。


 ナナセはまず、体が突然重くなった気がした。まるで見えない何かに上からのしかかられているような気がした。


「何これ……体が……重い」

「ナナセも? 私もだよ」

 隣のルインもナナセと同じ状態のようだった。ルインだけではなく、ヴィヴィアン達も同じだ。

「何で? どんどん重くなる」

 ヴィヴィアンは辛そうな表情でなんとかロッドを構える。

「こいつのせいなの?」

 マカロンは帽子を押さえながら上を見上げた。山のように巨大なドラゴンの身体がゆっくりと動いている。ドラゴンの向こう側にはリスティ達がいるに違いない。ドラゴンがいる周辺は木々も建物もない空間が広がっていて、そのはるか奥には山々の連なりが確認できた。


 ナナセも謎の重みに耐えながらドラゴンを見上げる。すると突然ドラゴンが目の前から消えた。


「え!?」

「ドラゴンは?」

 ぽかんとする一同。だが消えたと思われたドラゴンはすぐに姿を現した。

「どうなってるの?」

 ロッドを握りしめながら困惑するルイン。タケルは周囲が動揺している中、ナナセに近づいてきて彼女に耳打ちをした。

「これがブラックの言う『未完成』ってことだろうな」

「なるほど……」


 ナナセはタケルを見ながら小さく頷く。不安定な挙動に制限される動き。この状態であんな魔物と戦うのは不可能だとナナセは感じた。タケルも同じことを思ったようで、ナナセに頷き返した後、仲間達に声を張り上げる。


「みんな、落ち着け! この状態じゃまともに戦うのは無理だ。リスティ達をなんとか連れ出して橋の向こうへ逃げるぞ」

「了解。ヒーラーとウィザードはシールド魔術を! 盾持ちは前に! ドラゴンには手を出すな」

 ヤマケンが素早く指示を出し、ヒーラー達は一斉に仲間達へシールド魔術をかける。


「向こうに回り込もう」

 フォルカーが先導し、一行はドラゴンに近づく。ドラゴンの近くに行くと更に体は重くなった。ドラゴンは時々消えたり現れたりしている。


「いた、リスティ達だ!」

 タケルが水の中を泳ぐような動きで、なんとか指を指す。ドラゴンが一瞬消えた時、遠くにリスティ達が固まっているのが確認できた。

「早く向こうに……」

 後ろを振り返り、言いかけたタケルはぎょっとした。後ろにいるはずの多くの仲間達の姿が消えていた。


「え? え?」

 戸惑うタケルの前に、再び仲間達が姿を現す。

「びっくりした。今みんな一瞬消えなかった?」

 ツバサも呆然としていた。


「ドラゴンだけじゃなく、私達も時々消えたように見えるのかも。でも実際に消えてるわけじゃない、姿が見えなくなるだけです」

 ナナセの言葉に、タケルはふうっと息を吐き、落ち着きを取り戻した。

「なるほどね。面倒だなこりゃ」

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