第56話 完成した魔術書
ハイファミリー「ブルーブラッド」のメンバー、ルビィはファミリーハウスの廊下を歩いていた。背が高く、意思の強そうな赤い瞳が華やかな印象のある彼女だが、その表情には怒りが浮かんでいる。
荒々しく扉を開けてリビングルームに入ると、仲間達とにこやかに談笑していたリーダーのマティアスの前に仁王立ちした。
「ちょっとリーダーと話があるんだけど、悪いけど外してくれない」
じろりと仲間達を睨んだルビィの剣幕に、マティアス以外のメンバーは気まずそうにリビングを出ていく。
「何だよ、ルビィ。何かあったのか?」
怪訝そうな顔で尋ねるマティアスに、イライラした顔でルビィは腰に手を当てた。
「私を次の合同討伐から外したわね! どういうことなの? 私の力が役に立たないとでもいいたいわけ?」
椅子に座るマティアスを見下ろし、強い口調で詰め寄るルビィの怒りは相当のものだった。マティアスは焦ったようにルビィをなだめる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ルビィを外した? そんなわけないだろ。うちのメンバーで一番のウィザードである君を外すなんて考えられない。きっと何かの間違いだろ?」
ルビィはフンと鼻で笑う。
「間違いかどうか『リスティ様』に聞いてみたら? 次の合同討伐のメンバーリスト、ちゃんと確認したんでしょうね? マティアス」
「ま……待ってくれ、今確認する」
マティアスは自分のムギンを取り出して操作した。
ハイファミリー同盟に加入すると「合同討伐」というものに参加することがある。一つのファミリーだけでは倒せないほどの強力な魔物や、踏破が難しいダンジョンに挑む時に同盟の中でいくつかのファミリーが力を合わせて魔物討伐に出かける。討伐に出かけるファミリーは話し合いで決められ、挑む魔物やダンジョンも同盟の中で話し合われる。強い魔物はハイファミリー同盟が実質的に独占して狩りを行っている状態だ。
「……確かに、メンバーリストにルビィの名前がない。おかしいな、ルビィを外す理由はないはずだ」
マティアスはムギンに表示された合同討伐のメンバーリストを見ながら困惑している。
「その理由ってのを、リスティから聞いてくれる? リスティがメンバー管理してるんだから。私が連絡しても無視されるのよ」
「そ……それは、リスティは忙しいんだよ。いちいちメンバーの問い合わせに答えてる暇はないんだ」
「はーい、リスティ様はお忙しいのよね、良く分かってますー。だからマティアスから聞いてくれって言ってんの」
ルビィは呆れたように天を仰ぎ、乱暴に言葉を吐き捨てた。
「分かったよ、必ずルビィをメンバーに戻すから少し待ってくれ。きっと何か手違いがあったんだ」
マティアスは必死に古い付き合いのルビィを慰めた。ルビィは優秀なウィザードで、強力な攻撃魔術に素早く効果的な回復魔術を持つ。並みのヒーラーでは太刀打ちできない技術を持っているのだ。
「リスティは私が目障りなんでしょ。この前の魔物狩り、ひどかったのマティアスも知ってるでしょ? あの子、上級ヒーラーと思えないくらい下手くそなんだもの。そのことで私が彼女に注意をしたからへそを曲げたんでしょうね。でもね、合同討伐に個人的な好き嫌いを持ち込むのはどうなの? あんなのをメンバーに入れてたら勝てる狩りも勝てなくなって、困るのは私達だけじゃない、他のハイファミリーにも迷惑がかかるのよ」
「……すまん、でもリスティは好き嫌いでメンバーを決めたりしない。ちゃんと勝てるメンバーを選抜してる。ルビィが外れたのは何かの手違いだ」
「あっそう」
ルビィは鼻で笑う。
「それにリスティのヒーラーとしてのスキルだが……確かにメインヒーラーとして任せる程の力はない。だが彼女もいきなりハイファミリーに入って環境の違いに戸惑っているのかもしれない。今はまだ頼りないが、すぐに慣れて俺達の力になってくれるさ。ルビィ、頼むよ。君の方が魔術師として先輩なんだから、彼女を見守ってくれ」
「リスティが私に直接頼むのならね。とにかく、私をちゃんとメンバーに入れるよう、彼女に言っておいてよ、頼むわね」
ルビィは言い捨てると、足音をわざとらしく立てながら歩き、リビングを出て行った。
♢♢♢
ところ変わって、ここはキャテルトリーの魔術ギルド。
ナナセはギルド長ルシアンの研究室を訪ねていた。
欠けた魔術書の復元作業を見学していたナナセは、うっかり魔術書に触れたことがきっかけで倒れてしまった。そのことをルシアンは気にしていたようだ。この日ルシアンから連絡をもらったナナセは、慌てて魔術ギルドへと駆け付けた。
「いらっしゃい、ナナセ」
いつものように優しい笑顔のルシアンは、ナナセを研究室へ迎え入れた。
「こんにちは、ギルド長」
ナナセは中に入ると、そわそわした様子で部屋の奥にあるルシアンの机に視線を送った。机の上には一冊の魔術書が置かれているのが見える。
「思ったよりも順調に、修復作業が進みましたよ」
そう言いながらルシアンは、机から魔術書を持ってきた。
「これ……完成ですか?」
ナナセは目を輝かせながら魔術書を見た。見た目は何の変哲もない、ただの一冊の本でしかないが、この中には未知の魔術が収められている。
「一応、完成です。ナナセにはこの本の修復作業でご迷惑をおかけしました。本の完成は一番にナナセに伝えようと思っていたのですよ」
「そんな、迷惑だなんて。私が勝手にこの本に触れたのが悪いんですから」
「ブラックから、ナナセはこの本に触れたことで記憶に障害が出たと聞きましたが……その後、変わりはないですか?」
ルシアンは心配そうにナナセの顔を見た。ナナセが欠けた魔術書に触れ、人間だった頃の記憶を取り戻したことは、同じ経験をしたタケル以外は知らない。
「あ、はい。大丈夫です。ちょっとびっくりしただけで……」
嘘は言ってない、と自分に言い聞かせながらナナセは答えた。
「それなら安心しました。それでは……今日の本題に入りましょうか。ナナセ、この修復された魔術書をあなたに習得して欲しいのですが、お願いできますか?」
ナナセはぽかんと口を開けたまま、ルシアンの話を聞いていた。
「え……私、ですか?」
「はい、ナナセに」
ルシアンはにっこりと微笑む。
「あの……とっても貴重な魔術書なんですよね? 私が覚えちゃっていいんですか?」
恐る恐るナナセはルシアンに尋ねる。
「貴重なものですが、修復させたのはいずれ誰かが使う為です。貴重だからと言って本棚に鍵をかけて飾っておくのは、魔術の発展の為になりません。この魔術書はメイジ専用の魔術で、マリーツーも習得できますが彼女は既に『変装術』を習得しています。変装術をマリーツーに教えたのは、変装という魔術が美容師でもある彼女に適していたからでした。この新しい魔術書は『移動魔術』になるのですが、マリーツーに教えたとして、ヒースバリーの店から殆ど出ない彼女に教えても意味がありません。冒険者であるナナセに教えるのが妥当だと思います」
「移動魔術……ですか?」
「簡単に言うと『ポータル』と似ているものです。習得には上級メイジ程度の魔力とスキルが必要です」
メイジの自分にしか覚えられない魔術。ナナセの心が躍るのも無理はなかった。
「分かりました。わ、私で良ければ覚えます」
ナナセの返事を聞いたルシアンは、ホッとしたように口元を緩めた。
「ナナセが私の提案を受け入れてくれて安心しました。では、このまま魔術の習得に移りたいのですが、一つ約束してください。変装術と同じく、この新しい魔術は『黒の手』のメンバー以外には話さないようお願いします」
「はい」
ナナセは心得ている、と言いたげに頷く。
「それともう一つ。ブラックが見込んだメンバーなので心配はしていませんが、この特別な魔術を私利私欲の為に使用することは禁止です。いいですね?」
笑顔のルシアンだが、彼の言葉は厳しく重みがあった。ナナセはもう一度「分かりました」と真剣なまなざしで答えた。
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