第55話 マルの誤解

 季節は少し進み、春の気配が近づいていた。


 住人達の服装にも変化が表れていた。分厚いコートを脱ぎ、暖かいマフラーを外し、キャテルトリーの街を彩るのは桜の花だ。淡いピンクの花に合わせ、住人達も同じピンクのものを身に付けたり、桜の花を浮かべたジュースを飲んだりと春を楽しんでいる。


 ナナセとルインはようやくお金の都合がつき、自分のビークルを買い、移動にビークルを使えるようになった。街から遠い所へ職人仕事の為に素材採集に行くこともだいぶ楽になり、二人とも職人の腕をめきめきと上げている。

 ナナセは上級調合師へはまだ少し足りない、というレベルだが、ルインの成長はそれよりも早かった。ルインは目指していた上級裁縫職人の試験に合格し、晴れて一流の職人となったのである。


 その日、ナナセとルインの姿はヒースバリーにあった。

 上級職人になると、扱う素材も変われば客も変わる。ヒースバリーやエルムグリンなどの大きな街にあるギルドに拠点を移す職人は多い。

 職人としても冒険者としても、階級が上がるほど大きな街が活動の拠点になっていくのは仕方のないことだ。二人とも、最近はほぼ毎日ヒースバリーに通っている。職人ギルドで依頼を受けつつ腕を磨いたり、冒険者ギルドで魔物狩りの依頼を受けたりとそれなりに忙しい毎日を送っていた。



「それじゃ、ここで。皆さん、お疲れ様でした!」

「お疲れ様、またよろしく」

「また一緒に狩りに行こう!」

 ナナセ達に挨拶をして去って行く三人の冒険者。彼らは以前ハリシュベルで出会ったジュード、アイト、ウメだ。最近はこうして一緒に魔物狩りに行くことも珍しくない。

「みんなまたね!」

「お疲れ様!」

 ナナセとルインは笑顔で手を振った。今日は五人での狩りだったが、ヴィヴィアン達も一緒に行くこともある。みんなそれぞれ成長し、頼りになる者ばかりだ。


「さすがに長い狩りだったから疲れたね。どこか店で何か食べて行かない?」

 ナナセの顔には疲労の色が見えた。

「賛成。何か甘い物がいいな」

 ルインの顔にも疲れが見える。その胸元にはきらりと「魔力のペンダント」が光っていた。


 二人とも上級魔術師になり、ローブを新しいものに買い替えていた。といっても見た目が大きく変わったわけではなく、素材がより薄く軽くなり、生地がより丈夫になった。黒が基調のメイジ用、青が基調のヒーラー用なのは以前から変わっていない。

 安く丈夫で性能が良く、誰にでも合うデザインなので街を歩くと同じローブの魔術師に嫌と言うほど出会うが、二人とも全く気にしていない。むしろヴィヴィアン達もお揃いのローブを身に着けているほどだ。


 ルインはいずれ魔物の落とし物を使用した、希少なローブを作るのが夢だと話している。上級魔術師になったとしてもいきなり強力な魔物を狩れるわけではない。冒険者として研鑽を積み、より良い装備品を身に着け、更に自分の能力を高めていかなければ、上級冒険者として活躍することはできない。もっと強力なローブを作る為に、ルインは日々頑張っている。




 ナナセとルインはヒースバリー商業区にあるカフェ「バターの誘惑」に入った。

 その名の通り、バターをふんだんに使った料理が名物で、特に有名なのが雪のようにたっぷりとバターのかけらが乗せられたパンケーキである。


 店内はいつも多くの客で賑わっている。中は混雑していたので、二人は外のテラス席に座った。

 テラス席は通りを眺められる場所にあり、行き交うドーリア達を眺めているだけでも楽しい。ヒースバリーにも春がやってきていて、木々が青々としている。あちこちに置かれた鉢植えには色とりどりの花が咲いていて、通行人の目を楽しませている。

 注文を取りに来た店員に、二人とも名物の「バターたっぷりパンケーキ」と紅茶を頼んだ。


「はあーお腹空いた。今日はハードだったねえ」

 ナナセはお腹をさすりながら言った。

「ジュードは結構スパルタだよね。結構ぎりぎりかなって強さの魔物もどんどん狩っていくし」

 マユマユの元仲間だった剣士のジュードは、スキルがあがり頼れる盾役になってきた。

「今日一日で、私だいぶ成長した気がする……アイトもウメも強くなるわけだよ。このままじゃ私達、追い越されちゃうかもね」

 アイトは気の弱いヒーラーだったが、最近は自信がついたのかしっかりしてきた。ウメは短剣使いの剣士で、魔物を翻弄する様々な技を使う。ウメの成長も目を見張るものがあった。

「ほんとにそうだね。やっぱり冒険者一本でやってると成長が早いのかな……」

 ナナセもルインも冒険者として頑張ってはいるが、ジュード達のような成長著しい冒険者を見ると、二人とも焦りのようなものを感じてしまっていた。


「上級魔術師になった時は、一人前になったような気分だったけど……上級になって終わりじゃないんだよね。むしろここからがスタートというか」

 ルインもナナセの言葉に頷く。

「今のままじゃ強い魔物も狩れないし、もっと強い、大型の魔物なんて見る機会すらないかも。上級になった後、他の職業に転職を繰り返す冒険者も多いんでしょ? 他の職業の経験があった方が狩りに生かせるとか……」

「そうだね、上級職の条件は複数の職業を上級まで上げることだったっけ? 確かギルド長はウィザードだったよね。メイジとヒーラーを上級まで上げるのが条件だったかな」

「そうそう。両方上級なんて大変だよ。職人の仕事だってあるのに……やること沢山」

 ルインが天を仰ぎながらため息をついた。


 しばらく待っていると、店員がパンケーキと紅茶を持ってきた。パンケーキの上に降り積もった雪のようなバターは目にも美しい。しばらくパンケーキを上から横から眺め、ひとしきりはしゃいだ後ようやく二人は食べ始めた。

「美味しい……! 労働の後のパンケーキは体に染みる……!」

 みるみる疲労が回復していく味だ。ナナセは口いっぱいにパンケーキを頬張りながら、なぜ「美味しい」と思うのか不思議な気持ちだった。この世界は人間が創った「ニセモノ」なので実際には味はないはずなのだが、こうしてそよ風を感じながら甘いパンケーキを味わう。この感覚は本物だとナナセは感じている。


(この感覚自体も、偽物なのかな……? でもいいや、今こうして感じてる気持ちが本物なんだもん)


「ナナセ、どうしたのぼーっとして。そんなに美味しかった?」

 不思議そうな顔で尋ねるルインに、ナナセは慌てて笑顔を作り「うん、美味しすぎてぼーっとしちゃった!」と取り繕った。




 二人が食事を済ませ、店を出て通りを歩いていると、後ろからナナセを呼ぶ声がして二人は振り返った。そこには意外な人物が立っていた。


「ナナセ、久しぶりだね!」

「マル……」


 白い帽子と白い服を着た料理人のマルだ。走ってきたのか軽く息を切らせている。

「さっき僕の店に来てたでしょ? 慌てて休憩もらって出てきたんだあ」

「マル、さっきの店で働いてたの?」

 ナナセは驚いて後ろに見える「バターの誘惑」を見た。マルはリスティの紹介でヒースバリーの店で働くことになったと聞いていたが、店の場所までは知らなかったのだ。

「そうだよー。ここで働きながら、二階に住まわせてもらってるんだ! 元気だった?」

 マルはまるで何事もなかったようにナナセに話しかける。ナナセの表情がこわばっていることに気づいたルインは、会話に割って入った。

「ナナセ、私達用事がその……ね?」

 ルインの視線で言いたいことを悟ったナナセも頷く。

「あ、そうだった……ごめんマル。私達もう行かないと……」

 気まずそうに笑みを浮かべ、去ろうとしたナナセを見てマルは急に顔色を変え、ナナセに駆け寄ってきた。


「待ってよ、ナナセ。ずっとナナセに連絡したかったんだよ。だけどリスティがダメって言うから……」

「知ってるよ」


 ナナセを掴もうと伸ばされたマルの手を、ナナセは咄嗟に振り払った。

「聞いてよナナセ。実はぼく、とっても大変なんだ。お願いだよ、ぼくを助けて欲しいんだ」

 マルは必死な顔でナナセに訴えてきた。思ってもいないマルの言葉に、ナナセは戸惑いその場に立ち尽くした。


「助けてって、どういうこと?」

 ナナセが聞き返すと、待ってましたとばかりにマルの口から言葉があふれだした。


「リスティの紹介だから頑張って働いてるけど……今の店、朝から晩まで働かなきゃいけなくてすっごく忙しいし、そのせいでリスティと全然会えなくなっちゃったんだよ。ヒースバリーに引っ越したらリスティや他のみんなといっぱい遊べると思ったのに、魔物狩りも連れて行ってくれないんだ。ファミリーが増えたのはいいんだけど、ファミリーハウスに行っても料理ばかり作らされて、みんなと話す時間もないんだよ!」


 マルの必死な訴えを、ナナセは複雑な表情で聞いていた。今マルが話していたことは、ナナセにも容易に予想できたことだ。人気店で忙しく働いていれば、仲間と会う時間は当然減る。ダークロードでのんびりしていたようにはいかない。中級冒険者のマルがハイファミリーの魔物狩りに同行できないのも当然である。


「その……大変だね。でもマルは料理人なんだし、今は料理人として頑張るしかないんじゃないかな」

 ナナセは彼を傷つけないよう、言葉を選んで励ました。

「ぼくはもっとのんびり暮らしたいんだよ! みんなと一緒に遊んで、美味しいもの食べて……たまに魔物狩りに行ったりしたいよ。リスティもみんなで遊ぶのが好きだって言ってたのに、近頃ぼくの知らない奴らとばかり遊んでるんだよ。メッセージを送ってもちっとも返事が来ないし、たまに話しかけてきたと思ったら『今すぐケーキを焼いて』とか『急いでお茶を淹れて』とかばっかり。ねえ、ナナセからリスティに話してくれないかな? ナナセならリスティと同期だし、同じ女の子だし、きっと話を聞いてくれると思うんだ」


 ナナセはマルの言葉がどこか遠くで響いているような気分だった。必死に訴える彼の気持ちが全くナナセに届かない。


(こいつは何を言ってるんだ)


 ナナセの顔がより厳しくなっていることに気づいたルインは、心配そうにナナセを見た。


「あのさ……私がリスティにファミリーを追放されたの、マルも知ってるよね?」

 マルはナナセの言葉を聞き、目を丸くした。

「え!? リスティがナナセを追放した!? そんな馬鹿な。リスティがナナセを追放するなんて、そんなひどいことするわけないよ。ナナセ、何か誤解してるんじゃない?」

 今度はナナセが目を丸くする番だ。

「誤解も何も、私は直接リスティから『あなたを追放します』って言われたんだよ」

「そんなはずないよ! ナナセは自分から脱退したって聞いてるよ? リスティはナナセが勝手に脱退したことにすごくショックを受けてたんだよ? きっとリスティは今も悲しんでるよ」


 きょとんとするマルを見て、ナナセは思わず頭を抱えた。マルの言っていることに嘘の匂いはしない。だとしたら、マルが何事もなかったように話しかけてきたのも頷ける。


「なんか……話が行き違ってない?」

 ルインは困惑したように呟く。

「ううん、行き違ってるというか、リスティが嘘をついただけだよ。リスティは自分が追放したことを仲間達に隠したんだよ」

 ナナセの瞳には再び怒りの炎が燃え上がった。


「そんな……リスティは嘘をつくような子じゃないよ。ナナセ、きっと何か誤解があったんだよ。リスティの話をちゃんと聞かなかったんじゃない? そうだ! リスティと一度ちゃんと会って話そうよ。話し合えばきっと誤解も解けてさ、またみんなで仲良くなれる……」

「悪いけど」

 話を遮ったナナセの低い声が響いた。


「誤解がないことは、私が一番よく知ってるから。マルの力になれなくて悪いけど、あなた達のファミリーの揉め事はあなた達で解決してくれる? 私はもう関係ないから」

 ナナセは怒りを抑えるように、ぎゅっと拳を握った。

「ナナセ……? どうしたの? なんで怒ってるの?」

 マルはオロオロしている。ナナセは自分を落ち着かせるように大きく息を吐き、マルを真っすぐに見た。


「さようなら、元気でね。お仕事頑張って。行こう、ルイン」

「う……うん」

 さっさと踵を返して歩き出すナナセ。ルインは後ろのマルを気にしながら後を追った。


 マルは呆然とその場に立ち尽くしていた。この状況になっても、なぜ自分がナナセに拒絶されたのか理解できていないようだった。

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