第52話 嫌な噂

 エマと再会して数日が経った頃、ナナセとルインにタケルから連絡が入った。


「おう、お前ら時間あるか? ちょっと話あんだけどさ」

 その時、ナナセとルインは自宅にいて夕飯をとっくに食べ終え、寝室でくつろいでいたところだった。


「今からですか?」

 ちょっと嫌そうな声で、ルインが耳に手を当てながら答える。

「今でもいいし、明日でもいいぜ」

「じゃあ明日でもいいですか? もう遅いですし」

「ナナセ、明日はみんなでヒースバリーの『中古市場』に行く日だったでしょ?」

 ルインはすぐ隣にいるナナセを軽く睨んだ。

「あっ、そうだった!」

 二人の会話を聞き、タケルの声がより大きくなった。

「なんだお前ら、明日ヒースバリーに来るのかよ! じゃあちょうどいいや、中古市場に行く前でいいから、ちょっと『マリーツー』の店に寄ってくれよ」

「マリーツーさんの……お店にですか? それって……」

 もしや「変装術」をまた使う任務だろうかと、ナナセはルインに目をやった。

「新しいその……『仕事』ですか?」

 この部屋には二人しかいないとは言え、いつマカロンが矢のように部屋に飛び込んでくるか分からない。ルインは声を潜めた。

「あーいや、今回はそのことじゃねえんだ。ルイン、ナナセに聞いたろ? エマと会ったこと」

「ああ……」

 エマと再会し、レオンハルトについて聞いた話を、ナナセは当然ルインにも話していた。

「レオンハルトのこと、何か分かったんですか?」

 ナナセの声色が変わった。

「まあ、色々な。そのことでちょっと話したいから明日店に来てくれ。マリーツーには俺が話しておくから」

「分かりました」

 ナナセとルインは顔を見合わせながら頷いた。




 翌朝、ナナセとルインはヴィヴィアン達よりも少し早めに家を出た。

 今日は一週間の中で「休息日」と呼ばれる日である。冒険者にとって休日はないのだが、商人や職人は休息日に休む者が多い。レストランや薬屋など一年中開いている店もあるが、基本的には体を休める日だとされている。


 そんな休息日にだけ開かれる市場がある。それが「中古市場」だ。


 ヒースバリーのような大きな街で週に一度、休息日に住人の不用品などが売られる。品物は家具や洋服、アクセサリーに魔物の落とし物までなんでもありだ。店よりかなり安いものもあれば、高めに値がつけられているものもある。客の目利きがしっかりしていないと、粗悪品を高値で掴んでしまうこともあるので、客にもそれなりの心構えがいる。

 中古市場はヒースバリーの職人区にあり、街の中心から少し離れた場所にある。


 今日はヴィヴィアン達と初めてヒースバリーの「中古市場」へ出かける約束をしていた。マカロンは新しいローブが欲しいと気合を入れているし、ノアは釣りで使うルアーを探している。ヴィヴィアンは中古市場を信用していないと言い、今日はマカロン達の見張り役だ。


 ナナセとルインにも欲しいものがある。それは中古の「ビークル」だ。

 ビークルがあれば街中も、街の外も移動が格段に楽になる。ビークルは高いものだが中古市場にはビークルも売られているらしいと噂がある。もし安く手に入るのなら、多少の好みの違いなど気にすることはない。たとえ派手な装飾がされていても、嫌な配色であったとしても。


 ナナセとルインは仲間達に「用事があるから先に行く」と告げて家を出た。マカロンはまだ寝ているし、ノアもコートロイの漁師ギルドに寄ってからヒースバリーに行くというので、ヒースバリーで直接待ち合わせることになった。




「もうあいつの顔を見なくて済むと思ってたのに、こうして名前を聞くはめになるなんてさ」

 ルインの機嫌はすこぶる悪い。ヒースバリーに来てからもずっと眉間にしわが寄っている。

「また険しい顔になってるよ、ルイン」

 ナナセが注意すると、ルインはハッとして顔を元に戻した。

「ごめんナナセ。つい色々考えちゃって」

「そうだよね。ブラックリストってあんまり意味がないのかなあとか、私も考えちゃったよ」


 ブラックリストレベル1は、被害者が加害者と接触できなくなる罰だ。被害者にとっては顔も見たくない相手を「文字通り」見えなくするものなので、有り難い制度ではあるのだがそれ以上の罰を与えるにはレベル2以上の処分が必要だ。しかしレベル2の処分は、本人の反省と周囲のサポートがあれば解除される可能性があるものだとナナセは知った。


 暗い表情の二人は、商業区にあるマリーツーの美容室に到着した。店のドアには「閉店」というプレートがかかっていた。


 二人が店の中に入ると、奥の部屋からマリーツーがひょっこりと顔を出した。

「いらっしゃーい! 二人とも入って入って!」

 はつらつとした声で、マリーツーが二人に声をかけた。

「お久しぶりです、マリーツーさん」

「久しぶりね! 全然来てくれないんだもん、どうしてるのかなあって思ってたのよ。二人ともお腹すいてない? 茹でたじゃがいもあるけど食べる?」

「あーいえ、結構です」

「塩もあるわよ」

「さっき食べてきたんで……」

「そう? 遠慮しなくていいのに」

 ナナセは(マリーワンさんとは双子だけど、料理の天才のマリーワンさんとは違ってマリーツーさんは料理をしないんだな)と思いながらマリーツーの勧めをやんわりと断った。


「そうだ、後でアイシャドウの新色があるんだけど試してみない? リップもあるし。髪の色もちょっと変えてみるのもいいかもね! ちょっと見てみる?」

 今度は自分の商品の営業を始めたマリーツーに二人が困惑していると、ドアが開く音がしてタケルが入ってきた。


「営業は後でやれよ」

「タケルさん! こんにちは」

 助かったという顔でナナセとルインが振り返ると、タケルは「悪いな、遅くなった」と言いながら奥の部屋へ向かう。


「じゃあ早速話するか。奥を使っていいんだよな? マリーツー」

「もちろんよ。二人もいらっしゃい」

 マリーツーに手招きされ、二人は奥の部屋に入った。


 ナナセとルインは以前もこの部屋に入ったことがある。変装術をかけてもらった時に来た時以来だ。それほど広くない部屋には椅子が二脚並べられていて、マリーツーは二人にそこへ座るように言った。


「さてと、お前らこの後中古市場行くんだろ? さっさと話を済ませるか」

 タケルは椅子には座らず、机に腰かけていた。ナナセとルインは神妙な顔でタケルを見つめる。


「エマと会ってレオンハルトの話を聞いた後、色々と探ってたんだけどさ。マリーツーがいい情報を教えてくれたんだよ」

 タケルはマリーツーに視線を送った。

「リスティって名前、知っているわよね? ナナセの知ってる子でしょ?」

 リスティの名前が出たナナセは、驚いた顔で頷いた。その表情を見たタケルがマリーツーに続く。

「レオンハルトを『ブルーブラッド』に加入させたのはリスティに間違いねえ。どうやらリスティがブルーブラッドの副リーダーになったらしいんだよな」

「え……リスティが!?」

 驚くナナセは隣のルインと顔を合わせた。ルインも驚いた顔をしている。


 わけが分からないという顔のナナセに、マリーツーが説明した。

「ブルーブラッドってね、ハイファミリー同盟に入ってるんだけど最近はめっきりメンバーが減っちゃって。噂だけどかなりお金に困ってたらしいのよね。ほら、ハイファミリー同盟に入ってると色々お金がかかるわけ。彼らが狩る魔物はどれも強力だから装備品とか薬とか準備が大変で、お金はいくらあっても足りないし、彼らが借りてるファミリーハウスもすごく豪華だから家賃も高いしで……家賃の滞納もしてたみたい。お金もない、人手も足りないだと魔物狩りに支障が出るから、聞いた話だとブルーブラッドは、近々ハイファミリー同盟から脱退させようってことになってたみたいなの」

 早口でまくし立てるマリーツーの話を、ナナセとルインはうなずき人形のようにただ頷いている。


「でも最近、急にメンバーが増えてハイファミリー同盟を脱退しなくて済んだみたいなのよね。どうやら他のファミリーを吸収してメンバー不足を補ったみたい……しかもね、これは噂なんだけど……家賃も肩代わりしてもらったみたいよ」

「ブルーブラッドに吸収されたファミリーって……」

 ナナセは確信を持った顔でマリーツーに尋ねた。


「そのファミリーのリーダーがリスティって女らしいわ。その女、ユージーンのお気に入りって噂になってた女と同一人物みたいなの」

「……間違いないです。ブルーブラッドは前に私が所属してた『ダークロード』を吸収したんでしょうね。でも、マリーツーさんの情報には少し違うところが……リスティはリーダーじゃなかった。ダークロードのリーダーはゼットという男なんです」

 マリーツーは目を丸くした。

「あら? ゼットなんて男の名前は聞いたことないわ……でもリスティがブルーブラッドで副リーダーになっているのは確かな情報よ。契約料を肩代わりする代わりに、そのダークロードっていうファミリーのリーダーが、ブルーブラッドの副リーダーになったと私は聞いたけど」

 ルインの顔が再び不機嫌になった。

「リスティは実質的なダークロードのリーダーだったんですよ。メンバーだけでなくリーダーですらリスティの言いなりです。ナナセはリスティに疎まれて、ダークロードを追放されたんですから」

「やだ、そうだったの?」

 マリーツーが驚いてナナセの顔を見た。ナナセは気まずそうに苦笑いをする。

「まあ、そんな感じです」

「災難だったわね。リスティって女……下手に関わると大変そうね。早めに縁が切れて良かったかもしれないわ」

 タケルもマリーツーに同意するように頷いた。

「リスティって女の野心は確かにすげえな。ちょっと前までキャテルトリーの小さなファミリーにいたんだろ? それが今じゃハイファミリー同盟の一員にまでなっちまった。このままじゃハイファミリー同盟のリーダーになっちまうかもな」

 タケルは冗談ぽく話しながら笑ったが、ナナセとルインは一緒に笑う気分になれなかった。


「とにかく、リスティがブルーブラッドの副リーダーになってるのは間違いねえ。これでレオンハルトがブルーブラッドに入れた理由も説明がつくな」

「そうですね」

 ナナセは点と線がようやく繋がってすっきりした気分だった。レオンハルトの身分を保証したのも、ブルーブラッドに入れたのもリスティだったのだ。


「ブルーブラッドの動きには要注意だな……ナナセ、ルイン。お前らもブルーブラッドには気をつけろよ。レオンハルトはお前らに接触できねえとは言え、ナナセを追放したリスティもいるファミリーだからな」

「はい、気をつけます」

 二人は揃って返事をした。


 ナナセは静かに怒りを抑えている表情をしていた。見たことのないナナセの顔に、ルインは不安な顔でナナセを見つめた。




 話が終わったナナセとルインは、ヴィヴィアン達との待ち合わせがある為に先に美容室を出た。タケルは新色のリップを試していくと言い、店に残った。


 ナナセはずっと何かを考えているような難しい顔をしていた。ルインはナナセの横を歩きながら、心配そうにナナセの横顔を見つめている。

「ナナセ、大丈夫?」

 ルインが声をかけると、ナナセはハッとした顔をしてルインを見た。

「え? 大丈夫だよ」

「さっきからずっと何か考えてる。レオンハルトのこと? それともリスティのこと?」

 相変わらずルインは勘がいい。ナナセはふっと微笑み、足を止めた。


「……あのね、ルイン。私ね、すごく腹が立ってるの。くだらない理由で私達を陥れたレオンハルトにも、私を追放しただけじゃなく私と話すことを仲間に禁じたリスティにも。今でも許せないって思ってる。もう忘れなきゃって思うけど、許せないって気持ちがどうしても消えないんだよ」

 ナナセは今にも泣きだしそうな顔でルインを見つめた。


「あいつらのこと、許さなくてもいいかな?」


 ルインは微笑み、頷いた。

「いいよ。私もレオンハルトのこと許してないし、許すつもりもないよ」

「良かった。過去は断ち切って前に進めとか、許す心が大切だとかよく言うじゃない? でも私、全然許す気になれないんだよ。私の心が狭いのかと思ってさ」

 ナナセはホッとしたように笑う。

「そんなつまんないこと、一体誰が言ってるの?」

 腕組みをしてナナセをじっと見つめるルイン。お互いに顔を見合わせ、同時に吹き出した。


「ありがとう、ルイン。これですっきりしたよ」

「元気が戻ったね、ナナセ。じゃあ早く行こう、ヴィヴィアン達がもう来てるかも」

 ナナセとルインは笑いながら、競うように走り出した。

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