第48話 二人のナナセ

 ルシアンは自分の机に向かい、椅子に腰かけると魔術書を机にゆっくりと置いた。

 ナナセは机の横に立ち、興味深そうにルシアンの手の動きを目で追う。


「このように、欠けた魔術書は内容が殆ど分かりません。欠けた部分を復元する為には、私の持つ魔術から似ている部分を探して当てはめていきます。とりあえず一番欠けた部分が少ないページからやってみましょう。うまくいけばページが復元できるのですが……」

 ルシアンはページを開きながらナナセに説明をしている。


「残念ながら、完全な復元というのは不可能です。この世界に存在する魔術から似ているものを組み合わせ、近いものに作り上げることはできるのですが……」

「前にギルド長が創った『変装術』も、完全なものじゃないって言ってましたよね」

 ナナセが以前マリーツーから変装術をかけられた時、マリーツーは一度ごとに魔術書から魔術を引き出していた。

「そうです。どうしても変装術をマリーツーに習得させることができませんでした。覚えさせてもすぐに忘れてしまうのです。苦肉の策として、使用するごとに魔術を一から覚えさせています。彼女にとっては非常に面倒なことですが、仕方ありませんね……」


 ルシアンはある欠けたページをじっと見て、ガタっと音を立てて椅子から立ち上がると、本棚にびっしりと埋められた魔術書の中からいくつか取り出し、席に戻った。

 ナナセはその様子をじっと見ている。ルシアンは真剣な表情で似ている魔術を探しているのだろう。何冊か調べるうちに、彼の指があるページでピタリと止まった。

「これで合っているといいのですが」

 ルシアンは机の上にあった細長いペンのようなものを取り出すと、インクも付けずに欠けたページの上にペンを置き、何かを書きこむ仕草をした。


 その瞬間、ぱあっと強い光が本からほとばしり、思わずナナセは目を閉じる。

「このページは近いものを見つけました」

 ルシアンの安堵した声に、ナナセは目を開ける。すると四分の一ほど欠けたページが復元され、元に戻っているように見えた。

「凄い、元に戻ってますね!」

 魔術書のページはまだ光を放ち、魔術書自体が光に包まれていた。

「完璧ではないですが、まあいいでしょう。さて、次は……」

 ルシアンは椅子から立ち上がり、別の魔術書を探しに本棚へ向かう。魔術書はいまだ光を放っていた。その光は暖かく、なぜかナナセはその光に惹きつけられた。


 無意識のうちに、ナナセは魔術書に手を伸ばしていた。そしてナナセの指が光る魔術書に触れた瞬間、ナナセの体に痺れるような刺激が走った。


 ガターンと大きな音がしてルシアンが振り返ると、ナナセがその場に倒れていた。


「ナナセ、ナナセ!?」

 ルシアンは慌ててナナセを抱き起こした。



♢♢♢



──ピッ、ピッ、と規則的な音が聞こえる。ナナセはゆっくりと目を開いた。


 ナナセは白いベッドの上にいる。ベッドの横には機械が置かれ、機械から伸びた管がナナセの指にクリップで留められている。彼女を心配そうな顔で覗いている中年男性を見て、ナナセはホッとしたように言葉を発した。


「……お父さん」

「七瀬。目が覚めたか? お疲れさん」


 眼鏡をかけ、無精ひげを生やした七瀬の父親は、笑顔で娘を見つめた。だがその瞳には悲しさが浮かんでいるように見える。


「記憶のコピーは成功だよ。これで『レムリアル』で暮らす準備ができたから、いつでもレムリアルに行ける。レムリアルは凄い世界だよ、永遠に楽しく暮らせる『もう一つの世界』なんだ……」

 父親はなぜか泣きそうな笑顔だった。七瀬は父親に心配させまいと、明るく笑って見せた。


「楽しみだなー。本当に何でもできるの?」

「もちろん! 冒険者になってもいいし、職人になってもいいし、商人になってもいい。何にだってなれるのがレムリアルの良い所だよ」

「良かった。これで安心していつでもあの世に行けるね」

 父親はぐっと言葉を詰まらせ、娘を見つめた。

「そんなことを言うんじゃない。七瀬はここで頑張って、元気になって早く家に帰らないと」

「分かってるよ、ごめん。ちょっとふざけただけ」


「七瀬、レムリアルでは永遠の命を手に入れ、いつまでも幸せな人生を送れる。でもこっちの七瀬がこのまま消えるわけじゃない。七瀬が向こうに行っても、こっちの七瀬も頑張って生きていることを忘れないでくれ。と言っても……向こうに行ったら全て忘れちゃうかな。でも、どこかでこのことを覚えていてくれたら嬉しいよ」


 七瀬は微笑み、父親に言った。

「忘れないように頑張るよ、お父さん。私に新しい人生を用意してくれて、ありがとう」──



♢♢♢



 ナナセはハッと目を覚ました。怯えた眼差しの彼女を、心配そうな顔でギルド長ルシアンが覗き込んでいる。

「目が覚めましたか。心配しましたよ」

 ナナセは慌てて体を起こした。そこはギルド長ルシアンの研究室で、ナナセはソファに寝かされていた。

「そうだ、私……何で倒れたんだっけ? 欠けた魔術書を見てて……」

 ナナセは明らかに混乱していた。頭を押さえ、目は見開き、体は震えている。


「大丈夫ですか? 私が振り返ると、あなたは倒れていたんです」

「お父さんは?」

「え?」

 ルシアンは首を傾げた。

「お父さん……いや、違う。ここは病院じゃない。どうして私はここに?」


「……記憶の混乱が起きている」

 ルシアンはナナセの様子を見て呟くと、ナナセを落ち着かせようと背中を撫でた。

「ナナセ、落ち着くのです。すぐにブラックの所へ行きましょう。あなたは今混乱している。ブラックと話した方が良さそうだ」


 ルシアンは急いでブラックに連絡を入れ、ナナセをソファから立ち上がらせると「ポータルの鍵」を取り出した。

「ブラックが待っています。急ぎましょう」

ポータルの鍵は強い光を放ち、二人ともその場から消えた。



♢♢♢



 ヒースバリーの冒険者ギルド総本部。ここには黒の手の代表であるガーディアン「ブラック」がいる。

 ルシアンはナナセを伴い、冒険者ギルド近くのポータルポイントに移動した。ナナセはずっと無言で、ルシアンに言われるまま彼の後を着いていく。

 そのままギルドに入り、エレベーターで「黒の階」まで行くと、廊下の先でブラックが待ち構えていた。


「お待ちしておりました。さあ、中へ」

 中に入ったナナセは、部屋の中央に置かれた一人掛けの椅子に座るようブラックに促され、大人しく腰かけた。

「では、後のことはお願いします」

「はい、ルシアン」

 ルシアンはブラックにナナセを預けると、ブラックと簡単な挨拶を交わして部屋を出て行った。




 ブラックは椅子に座るナナセの前に立った。


「ナナセ。あなたはレムリアルに来る前の記憶を取り戻したのです」


 ナナセは目を大きく見開き、無表情のブラックをじっと見つめた。

「……人間だった頃の私、っていうことですか?」

「その通りです。あなた方ドーリアは『人間』を模して造られたものです。あなたは人間だった頃の記憶をコピーされて、この『レムリアル』に誕生しました」

「……みんな、元々は人間なんですか?」

 ブラックは頷く。

「人間の寿命には限りがあります。人間は永遠の命を手に入れる為に、自らの記憶をコピーしたドーリアという人口生命を生み出し、レムリアルという世界を創りました」


 ナナセは少し考え、ブラックに質問した。

「私はどうして急にその……人間だった頃の記憶を思い出したんですか?」

「お答えします。人間だった頃の記憶を持ったままレムリアルに誕生すると、人間時代とあまりに違うルールにドーリアが混乱する可能性があります。その為記憶をそのままコピーするのではなく、本人の思考パターンや好みなどを登録し、そのデータをドーリアにコピーしています。人間時代の記憶は持たないというのが決まりなのですが、実はドーリア達は『隠しファイル』として人間時代の『重要な記憶』を少しだけ持っています」

「重要な記憶……」


「ドーリアが人間時代の記憶にアクセスすることは、通常ではありえません。ナナセは珍しいケースです。ルシアンの報告から考えますと、欠けた魔術書の復元作業中にナナセが魔術書に触れたことにより、隠しファイルにアクセスされたものではないかと考えています」


 ナナセは眉間にしわを寄せながら、更にブラックに質問をする。

「どうして私達はその、アクセスできない記憶なんてものを持ってるんですか?」

「ここからは少し情報の重要性が上がりますが、ナナセにはお話ししましょう。ドーリアは人間を模したものだとお話ししましたね。ドーリアが人間と似ているということは、ドーリアが自身の判断で人間と同じ考えを持つ可能性があります。どういうことかと言うと、ドーリア同士で争う可能性があるのです。争い自体を否定はしませんが、そのことで『レムリアル』の安定に危険が及ぶかもしれません」

 ブラックの説明に、ナナセは背筋が寒くなる思いがした。


「その時に『人間時代の記憶を持つ者』が現れることで、人類の歴史で繰り返されてきた愚かなことを避けるよう、あえてドーリア達に人間だった頃の大事な記憶と、人類の重要な歴史をデータとして持たせているのです。この『隠しファイル』は通常の手段ではアクセスできず、殆どのドーリアは知らぬまま生きています。ファイルにアクセスできる権限を持つのは、私を含めごく一部のガーディアンだけです」


「つまり……私は通常ではアクセスできない記憶に触れてしまったということなんですね。でも……今思い出したんですけど、私今までも時々『あっち』の記憶が出ていたみたいなんですけど」

 ナナセは記憶を辿る。時々、夢で見たのか想像なのか分からないものの名前が出てきたりしていた。あまり気にしたことはなかったが、今思えばあれは人間だった七瀬の記憶ということになる。


「以前、ナナセが新人狩りにあった時に検査をしたと言いましたね。その時に私はあなたの記憶に、人間時代の記憶がいくつか混じっていることを知っていました」

「え! 知ってたんですか?」

 ブラックは頷き、話を続ける。

「理由は不明ですが、あなたは以前から人間時代の記憶にほんの少しですがアクセスできていたようですね。実はあなたを『黒の手』に勧誘する理由の一つがそれでした。記憶を持つ者は、レムリアルにとっても我々ガーディアンにとっても、非常に重要な存在になり得ます。できるだけあなたを私の側に置くべきだと考えました。私の目的の為にルインを巻き込んでしまったことは、申し訳ないと思っています」


 一度に色々なことを明かされ、ナナセの頭はパンク寸前だ。頭を押さえながら必死に情報を整理する。


「あの……記憶を持つ者、というのは私以外にもいるんですか?」

「以前はナナセ以外にも記憶を持つ者はいました。ですがそのドーリアは事実を受け入れることができず、自ら『始まりの場所』へ還る決断をしました。他にもジェイジェイのように、一部だけ記憶を持っている者がいます」

「ジェイジェイさんが!? ……それって『世界の裂け目』を探すのが上手いことと関係ありますか?」

「その通りです。彼は世界の全てを知っているわけではありませんが、世界の裂け目が存在しうる理由を理解しています。ですから彼は裂け目を効率的に見つけることができるのです。最も、彼は人間時代の記憶を取り戻したわけではありませんので、我々としては敢えてこのことを伝えずに彼を見守っている状態です」

「なるほど……」


 ジェイジェイだけが何故「世界の裂け目」を見つけることができるのか、それはこの世界が完全ではないことを理解しているからなのだろう。様々な建物や自然、オブジェなどの間に生まれるほんの少しの「隙間」が世界の裂け目となる。彼はその隙間が存在していることを理解し、受け入れているのだ。


「そして、記憶を持つのは私も同じです。私はガーディアンとしてこの『レムリアル』に生まれましたが、元はナナセと同じ人間でした」

 ナナセはブラックの思わぬ告白にぽかんと口を開けた。


「人間……? え? でもブラックさんはドーリアじゃない……」

「はい。私は人間の記憶を持っていますが、ドーリアではありません。私は『レムリアル』を創った人間達の一人です。この世界を見守る為、ガーディアンとしてこの地に送られました」


 ブラックは他のガーディアンとどこか違うと思っていたナナセは、彼女の告白を聞いて驚くと同時に納得するものを感じた。


「他にもジェイジェイのように一部の記憶を持つドーリアはいますが、今現在、完全な記憶を持つドーリアはナナセともう一人、タケルだけです」

 タケルの名前を聞き、ナナセは頭を殴られたような衝撃を受けると同時に、なぜか全てが腑に落ちたような感覚になった。


「タケルさんが……? それってあの、いつから?」

「タケルが私と最初に出会った理由がそれでした。最初に彼女と出会ったのはクオン歴1年ですから、今から6年前になります。彼女は混乱していましたが、記憶を持つ者としてこの『レムリアル』の為に人生を捧げると誓いました。その後自警団を立ち上げ、後の流れはナナセが知っている通りです」

「そんな……そうだったんですね。どうしてタケルさんがあんなに献身的に私達の為に動くのか、自警団を作ったり黒の手に入ったり……不思議だったんです。でも今、全てがはっきりしました」


 タケルはこの「レムリアル」という世界を守る為に生きている。記憶を持つ者としての責任感なのか、一種の罪悪感なのか。タケルに直接聞かなければ分からないことだが、住民を守るのが使命だと彼女が考えていることははっきりした。


 今すぐに、タケルと話したいとナナセは思った。今の自分の気持ちを誰かと分かち合いたい。それはタケルしかいないのだ。


「タケルさんと話したいです。話してもいいんですよね?」

「構いません。記憶を持つ者同士で協力しあうのは大事なことです。ですが他のドーリアにこの話をすることは、避けていただくようお願いしています」

「ルインにもですか……?」

 ブラックはこくりと頷いた。

「記憶を持たない者に、人間の話をしても理解してもらえない可能性が高いです。無用な混乱を避けるためにも、お願いします」

「……分かりました」

 ルインなら分かってくれそうなのに、とナナセは一瞬思ったが、確かに記憶がないのに「あなたは元々人間だったんですよ」と言っても荒唐無稽な話と取られてしまうだろう。そもそもこの世界では、人間というのは「宵の世界」からやってくる魔物の一種なのだ。


「ナナセ。あなたには『記憶を持つ者』として今後は我々ガーディアンに協力していただくこともあると思います。人間の記憶を持つドーリアとして、全てのドーリアの手本となるようお願いします」


 ブラックはピンと背筋を伸ばしたまま、ナナセに向かってお辞儀をした。ナナセは慌てて椅子から立ち上がり、ペコペコとブラックに頭を下げる。

「わ……分かりました。私に何ができるか分からないけど、頑張ります」




 ナナセはブラックと別れ、冒険者ギルドを出た。

 目の前にはいつもと同じ広場の光景が広がる。広場の中央にあるのは「構築者モシュネ」の像。

 ナナセは頭上にある像を見上げた。誰だか分からない謎の「構築者」は人間だったのだ。フードで顔を隠し、男女の区別もつかない姿。手に持っているのは恐らくタブレットだ。

 ポケットからナナセはムギンを取り出した。これはスマートフォンのようなものだろう。ナナセの過去の記憶にあるものよりも薄くて少し大きい。


 ここにいるドーリア達が全て、人間の記憶をコピーした存在。ナナセは今でも信じられない思いがしていた。手をぎゅっと握ったり開いたりしてみる。その感覚はリアルで、人間だった頃と少しも変わらない。たとえ自分がプログラムで生み出された存在だとしても、今こうしているのは間違いなく自分自身だ。


 過去の記憶では、人間だった頃のナナセは病弱だった。こんな風に自由に出歩いたり、山道を登って洞窟に行ったり、船に乗ったりなんてできなかったはずだ。

 ナナセがドーリアとしてこの世界に生まれた後、向こうの「七瀬」がどうしているのか、今のナナセに確かめる術はない。


(向こうがどうとか、関係ない。だって私は今、間違いなくここで生きているんだから)


 ナナセは再び、ぎゅっと強く拳を握りしめ、構築者モシュネの像を見上げた。

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