第46話 謎のオブジェ

 真の闇の日も過ぎ、普段通りの街の姿に戻ったある日のこと。ナナセとルインは魔術ギルド長ルシアンに呼び出され、久しぶりに魔術ギルドを訪れた。


 ルシアンの研究室は、相変わらず物が多くて雑然としている。スマートで落ち着いている彼の姿とは一見して結びつかないその部屋に、ナナセとルインは居心地が悪そうな顔を浮かべながら椅子に腰かけていた。


「突然呼び出してすみません。お二人とも、上級メイジとしての訓練は続けていますか?」

 ルシアンは笑みを浮かべながら、二人の向かい側に座った。

「は、はい……」

 ナナセとルインは曖昧な笑顔で頷く。

「上級になったとしても、一流のメイジとしてはまだまだスタートラインに立ったも同然です。今後も訓練を怠ってはいけませんよ」

「はい、ギルド長」

 二人は揃ってピンと背中を伸ばした。


「さて……今日お二人を呼んだのは、こんなお説教めいた話をする為ではありません。お二人にお願いがありまして……黒の手の任務についてです」

 ナナセとルインは背を伸ばしたまま、お互いに目を合わせた。

「以前お二人には『欠けた魔術書』が見つかったら持ってきて欲しいとお願いしていましたね。そのことについてなのですが、是非一度調べて欲しい場所があるのです」

「分かりました。私達もどこを調べていいかさっぱりだったので……」

 ナナセはルインと頷きながら答えた。欠けた魔術書がどこにあるのか、全く手がかりがない中で探し出すのは難しい。


「キャテルトリーから南……シャトルフ村を越え、更に南にある『エルムグリン』という街に、ノヴァリス島に存在する魔術書と武術書、それと職人の技術書を全て収めた書庫があります。お二人にはその書庫へ行き、欠けた魔術書がないか調べていただきたいのです」

「書庫……ですか?」

 ナナセはぽかんと口を開けたまま答えた。

「その書庫は一般の冒険者が入ることを許されていません。資格があるのは各街のギルド長と一部のギルド職員のみです」

「ちょ、ちょっと待ってください。私達には資格がないですけど」

 ルインは慌てて話に割り込んだ。

「通常はそうです……ですがギルド長が委任した者であれば入れます。我々ギルド長がギルドを離れて遠出をするというのは、なかなか難しいですから」

「私達が、ギルド長の委任を受けて書庫へ……? そんな重要な場所に私達が入って大丈夫でしょうか」

 ナナセは緊張気味に言った。

「そんなに緊張しなくとも平気ですよ、ナナセ。書庫は全ての書を保管してある場所ですが、複製したものをそれぞれのギルドが保管してありますから」

「そ、そうなんですね。良かった」

 ナナセはホッとして息を吐いた。


「私がまだギルドの職員だった頃、書庫に何度か行ったことがあるのですが、あそこにあるのは完成した書だけのはず。ですがひょっとすると欠けた魔術書があるかもしれません。可能性が少しでもある以上、書庫を一度調べる必要があると思っています」

「分かりました。でもギルド長、どうして調査をしてなかったんですか?」

 ルインが疑問を呈すると、ルシアンは頷いた。

「そうですね、ルイン。あそこは冒険者ギルドが管理している場所ですから、欠けた魔術書のような不完全なものが存在するとは、今まで想像もしていませんでした。その為タケルには、街の外の建物や洞窟や……色々な場所を調べてもらっていました。おかげでいくつかは発見できたのですが、最近はさっぱり見つかりません。そのせいか先日タケルにもっと視野を広げて、足元から調べるべきだと忠告されたのです」

 ルシアンが書庫を調べようとしなかったのは当然だとナナセは思った。だがタケルが忠告したように、探し物は意外と近くにあったりするのもよくあることである。


「はい、ギルド長! 一つ質問があります」

 ナナセは片手をピシッと上げた。

「何でしょう、ナナセ?」

「欠けた魔術書があるということは、欠けた武術書や欠けた技術書もあるということですか?」

「当然、あるでしょうね。ですが私の管轄は魔術のみですので。それぞれのギルドも探しているかもしれませんが」

「なるほど……分かりました」


「他に質問がなければ……話を進めてもよろしいですか? タケルは忙しい身ですし、私の代わりに、エルムグリンの書庫へ行っていただけると助かります」

「やります!」

「もちろん、任務ですから」

 ナナセとルインはそれぞれ答えた。ルシアンはホッとしたように笑顔を浮かべる。

「そう言ってくれると思っていました。エルムグリンは少し遠いですが美しい街ですよ。木に囲まれた緑の街と呼ばれています。それでは早速委任状を書きましょう……少しお待ちください」

 ルシアンはすっと立ち上がり、机に向かうと大きなムギンを机に置き、何やらムギンを操作し始めた。


 それが終わるとルシアンは戻ってきて、ナナセとルインにムギンを差し出すように言い、二人のムギンをルシアンのムギンに近づけた。

「お待たせしました。お二人のムギンに委任状を登録させていただきました。これで書庫へ入ることができます」

 ルシアンはそう言って二人にムギンを返した。二人はそれを大事そうにポケットにしまい込む。


「それではナナセ、ルイン。書庫の調査をよろしくお願いします」

「はい、ギルド長」

 ナナセとルインは再び背筋をピンと伸ばした。



♢♢♢



 エルムグリンを目指すには、まずキャテルトリーから南へ向かい「シャトルフ村」へ行く。そこから更に南に下った先にエルムグリンはある。


 ナナセとルインは今回、陸路でエルムグリンに向かうことになった。エルムグリンまで飛行船で直接行く方法が最も早いのだが、ルインがシャトルフ村に立ち寄ることを希望したのだ。


「シャトルフにはいいシルクが安く手に入る店があるらしいんだ」

 ルインはついでに裁縫の素材を仕入れたいと言う。ナナセも行ったことのない村を見てみたいという気持ちがあったので、ルインの希望を快く受け入れた。


 シャトルフ村までは「レンタルビークル」で向かう。相変わらずマイビークルを持っていない二人にとってレンタルビークルは有り難いシステムだ。一日使い放題で値段は10シル。返却はどこの街でも良い。日にちが延びるほど料金が上がる仕組みだ。

 とはいえ自分のビークルはやはり欲しいものだ。マイビークルなら自由にカスタムできるので、スピードを上げたり沢山荷物を載せられるようにできたり、色や飾りなども自由自在。ナナセもルインも、ヴィヴィアン達もみんなマイビークルが欲しくてお金稼ぎに精を出す毎日である。




 街道沿いをひたすら進むと、次第に大きな森が見えてきた。

 シャトルフは巨大な森のふもとにポツンとある小さな村だ。地面にはうっすら雪が積もり、針葉樹の葉を白く染めている。

 村に入ったナナセとルインは、入り口のガーディアンにビークルを預け、揃って歩き出した。

 村と言っても、二人が以前訪れた「エインメニル村」よりも大きく、それなりに通行人の姿がある。小さな木造の家が点在しており、家々の煙突からは煙が立ち昇る。妙に人気がなく気味の悪さがあったエインメニル村とは違い、ちゃんと村人が生活している雰囲気がある。


「結構冒険者もいるんだね、ここ」

 道を歩きながらナナセは村を観察している。頑丈な鎧に身を包んだ冒険者が歩いているのが見える。

「あ、あそこに宿屋があるよ。冒険者が立ち寄る場所でもあるのかな」

 ルインは周囲の建物より一回り大きな二階建ての建物を指した。看板にベッドのマークがあり、そこが宿屋であることが分かる。

「そうだね……あっ、ルイン。あれってお店だよね?」

 ナナセは宿屋の向かいにある店らしき建物を指さした。看板には糸と布の絵が描いてある。

「本当だ。行ってみよう!」

 目当ての店を見つけたルインは、たたっと駆け出した。ナナセは慌ててルインの後を追い、二人は店の中に入った。


 店は裁縫に使う素材が沢山売られていた。小さな店の中には数人の客がいて、それぞれ素材を真剣な表情で選んでいる。きっと彼らも裁縫職人なのだろう。

「シャトルフ村は『シルク花』の名産地なんだよ。ほら、あれがシルク花……白くて丸い花が沢山ついてるでしょ? あれがシルクでシルク糸の元になるの。ここのシルクはとっても質がいいって言われてるんだよね。キャテルトリーで仕入れると高いから……」

 ルインは目を輝かせながら店内に置かれたシルク花を指した。一本の茎から白い球のようなものが沢山ついていて、見た目にも可愛らしい。


「へえ、シルクって虫から取るんじゃないんだ?」

「え? 虫? まさか、違うよ」

 何気なくナナセが発した言葉に、ルインは眉をひそめた。



 シルク花から加工されたシルク糸を沢山買い込み、首尾よく目当ての品を手に入れたルインは、上機嫌で店を出た。

「良かったね、ルイン」

「うん。わざわざここまで来た甲斐があったよ。ありがとね、ナナセ。付き合ってもらって」

「いいよ! 私もシャトルフに来てみたかったし。じゃあ仕入れも無事終わったから、軽く何か食べてから出発しようか」

「そうだね……ん? ねえナナセ、あそこにいるの、ジェイジェイさんじゃない?」

 ルインは目を細めて遠くを見つめている。ナナセがルインの見ている方向に目をやると、確かにジェイジェイに似ている男が歩いていた。

「本当だ、ジェイジェイさんだ!」

 ナナセは思わず駆け出し、ジェイジェイに手を振った。


「……」

 ジェイジェイは無言で二人を見つめ返し、やがてハッと気づいたように二人の元にやってきた。


「……驚いたな。こんな場所で『仲間』に会うとは」

 ジェイジェイは長い前髪の間から覗く瞳を見開き、驚きの表情で二人を見ている。

「お久しぶりです、ジェイジェイさん」

 ナナセは(私達の顔を忘れてたな)と思いながらぺこりと頭を下げた。


「ジェイジェイさん、ひょっとして『裂け目探し』ですか?」

 ルインは声を潜めた。ジェイジェイはナナセ達と同じ「黒の手」のメンバーで「世界の裂け目」を探す任務の為、ノヴァリス中を駆け回っている。ナナセ達は以前タケルから「ジェイジェイの手伝いでシャトルフに行っている」と聞いていたのだ。

「ああ、そんなところだ」

「シャトルフの裂け目探しって大変なんですね。確かずっと前からここに来てると聞いたんですが……」

「いや、一度コートロイに戻っていた。ここへは昨日戻ってきたところだ」

「そうなんですか。ではまた『裂け目探し』の再開ですか?」

 ルインが尋ねると、ジェイジェイは首を振った。

「いや、そうだな……何と言ったらいいか。裂け目探しがまだ終わってないのは確かなんだが……他にちょっと気になることがな」


 ジェイジェイはあまり口数の多いタイプではない。言いよどみながら、どこまで二人に話すか迷っている様子もある。

「裂け目とは違うことですか?」

 ナナセが気になって尋ねると、ジェイジェイは首を傾げた。

「まだ分からん。だが……この『シャトルフの森』に、以前はなかったものが出現した。俺はそれを調べに来たんだ」

「なかったもの……?」

 ナナセとルインは顔を見合わせた。


 ジェイジェイは二人にムギンを見せた。

「これは何ですか……?」

 そこにはある画像が表示されていた。森の中に石の柱で作られた、扉か門の枠組みだけのようなものが写っている。

「何なのか分からん。森の奥にこんなもの、以前はなかったはずだが……ここは俺が既に調査した場所なんだが、昨日通りかかったらこれを見つけて、記録しておいた。見た所おかしなところはない。裂け目のようなものも見つからない。これが何なのか、今の所不明なんだ」

 ナナセは改めてじっくりと画像を観察してみた。それはどこかへ通じる門のように見えなくもない。


「本当に昔はなかったものなんですか?」

 ナナセの質問に、ジェイジェイは自信たっぷりに頷いた。

「確かになかったはずだ。こんなものがあったら絶対に気づく。ブラックに報告したが、あいつは『危険がなければ放置でいい』と言ってる。でも俺はどうしても気になるから、もう一度調べに来た」

「そうだったんですね」

 ガーディアンのブラックが放置でいいと言っているのなら、危険なものではなさそうだが、突然現れたこの不思議なオブジェは、ナナセ達にとっても気になるものだ。


「お前達はこの後森に入るのか?」

 ジェイジェイの質問に、二人は揃って首を振る。

「いいえ、私達はこれから『エルムグリン』へ行くんです。ここへはルインの買い物があって、寄っただけです」

「そうか、それなら良い。二人とも、この『妙なもの』を見かけても決して近づくなよ。ふとした拍子に『裂け目』が開くかもしれないからな」

「分かりました」

 ナナセは怯えた顔で頷いた。以前ナナセは実際に「裂け目」に落ちたことがある。もうあんな目には合いたくないと思っていた。

「なら俺はもう行く。じゃあな」

 ジェイジェイはその場を離れようと背を向けた。

「はい、また!」

「お気をつけて」

 二人が慌てて挨拶をすると、ジェイジェイはふと足を止めて振り返った。


「そういや、言ってなかったな。俺達の新しい仲間になったこと、歓迎するよ」

 ナナセとルインはぱあっと笑顔になり、揃って「ありがとうございます!」と返した。




 ナナセとルインが「エルムグリン」に到着した時は、既に辺りが暗くなっていた。

「ふー、スケルトンが出なくて良かったねぇ!」

 移動ばかりでさすがに顔に疲労が浮かぶ。ナナセは思い切り伸びをした。

「私、途中で見たよ? スケルトン。こっちに気づかなかったみたいだから近づいてこなかったけど」

「えっ!? こわ!」

 夜になると現れる骸骨のような形の「スケルトン」という化け物は、冒険者を見つけると問答無用で襲ってくる。街道沿いはガーディアンが巡回しているので比較的安全だが、それでも夜道が危険なことには変わりはない。


 街の入り口近くにあるレンタルビークル屋に行き、ビークルを返却した二人は、宿屋を探して街を歩く。

「大きな街だねえ」

 ナナセは広い通りを歩きながら周囲を見回す。ヒースバリーのように背が高い建物ばかりではないが、三角屋根の建物がびっしりと建ち並ぶ。特徴的なのは街に木が多いことだ。

「大きな街だけど、あまり人通りが多くないね」

 ルインの言う通り、ヒースバリーやキャテルトリーと比べると、行き交う住人はそれほど多くない。夜とは言え、まだ遅くない時間なので人通りが減る時間ではない。

 静かで落ち着いた街。これがナナセ達がエルムグリンに抱いた印象だ。


 二人は宿屋を見つけ、今夜はここに宿を取ることにした。近くのレストランで簡単な食事を済ませ、疲れていた二人は宿に帰るとすぐに眠りに落ちた。




 翌朝、すっきりと目覚めたナナセはベッドから体を起こし、窓辺に行って外の景色を見た。

「わあ……綺麗な街」

 思わずナナセはうっとりとした顔で呟く。昨夜はよく見えなかったが、朝日に照らされたエルムグリンの街並みはとても美しかった。大きな木と建物が調和し、まるで木も建物の一部のように見える。通り沿いには花壇が作られ、どこを見ても植物だらけだ。


 ナナセは急いで支度をした。今日はいよいよエルムグリンの書庫へ行き、欠けた魔術書を探すのだ。

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