第45話 真の闇の日

 今日は「真の闇の日」だ。


 真の闇の日というのは、年に一度「レムリアル」の世界が完全な闇に包まれる夜のことを指す。

 その夜は「レムリアル」の世界で暮らすドーリア達は、何があろうと外に出てはいけないとされている。建物の中に籠り、じっと夜が明けるのを待つ。そして夜が明けると新年が始まる。事前に用意していたご馳走を食べ、みんなで新年を祝うのだ。


 ナナセは朝から新年の準備で大忙しだ。ルイン、ヴィヴィアン、マカロン、ノアの四人とキャテルトリーで共同生活を始めたナナセは、初めて迎える新年を仲間達と一緒に過ごせるということに喜びを感じている。早朝からマカロンの叫び声で叩き起こされたが、今日のナナセは機嫌がいいので少しも気にしていなかった。


 家の裏から、ノアが朝から薪割りをする音が聞こえる。ナナセは裏口から外に出て、ノアを手伝いながら世間話に花を咲かせていた。

「後は僕一人でやるから大丈夫だよ、ありがとう」

「分かった。手が足りなかったら言ってね」

 ナナセはノアと別れ、裏からぐるりと玄関の方へと向かう。


「やったー! 完成―!」

 マカロンの大きな声が辺りに響いた。彼女は早起きして外の庭に雪だるまを作っていた。目は魔物の落とし物と思われる目玉を使い、奇妙な柄の布を首に巻き、手の代わりなのか黒く長い羽根を二本刺してあった。


「マカロン、お疲れ様!」

 マカロンの様子を見に来たナナセは、ちょっと気味の悪い雪だるまをじっと見た。


「……目玉がリアルでいいね!」

「でしょ? いつか何かに使おうと思って取っておいたんだあ。あちこちから雪をかき集めるの大変だったんだよ。一回失敗して壊れちゃったし」

 早朝の叫び声はそれだったのか、と思いながらナナセは奇妙な雪だるまと見つめ合っている。

「頭の部分を持ち上げる時だけノアに手伝ってもらったけど、後は殆ど私一人でやったんだよ! この羽根は『音痴なカラス』の落とし物でさ……」


 マカロンが得意げに作品の解説をしていると、ヴィヴィアンが玄関から眉を吊り上げながら出てきた。

「マカロン! 朝起きたら部屋を片付けてって頼んでたの忘れたの!?」

 マカロンは「やばっ」と小声で呟き、愛想笑いでごまかした。

「ごめん、ヴィヴィアン。今すぐやるよー」

「早くしてね。今日中に片付けないと残った荷物を捨てるって約束だったでしょ? この後明日の準備をするんだから時間が……」

「分かってるって。すぐね、すぐ!」

 マカロンは大慌てで家の中に戻って行った。

「やれやれ……」

 ヴィヴィアンがため息をつきながらマカロンの後ろ姿を見送ると、入れ違いに中にいたルインが出てきた。


「ナナセ、ヴィヴィアン。朝ご飯作ったけど食べる? ただのオムレツだけど」

「食べる!」

 ナナセとヴィヴィアンは同時に叫び、競うように家の中に戻って行った。




 朝食を終えたナナセ達は、揃って買い物に出かけた。

 街中は新年を迎える準備で、どこか浮かれた雰囲気がある。住宅やファミリーハウスにはそれぞれ飾りつけがされていて、マカロンが作ったものとは違う可愛らしい雪だるまが飾られていたり、木に沢山のランタンを吊り下げていたり、家の前にぬいぐるみが沢山置かれていたりと眺めているだけで楽しい。

 キャテルトリーの商業区は、この日が本番だと言わんばかりに賑わっていた。商店通りでは何故か装備品の安売りをしているし、屋台通りに行けば職人達が声を枯らしながら客の呼び込みをしている。


「安いよ、安いよ! こんなに安いのは今日限り! 回復薬の安売りだよー!」

「ベリージュースはいかが? どれも美味しいよ」

「自信作のフルーツケーキ、残り三個だよー!」


 ナナセ達は人込みをかき分けながら歩き、目当ての物を買う。明日は新年のお祝いなのでご馳走が欠かせない。みんなで食べるケーキ、新鮮なジュース、ソーセージやハムなどの保存がきくもの。ナナセ達は全員料理が得意ではないので、凝ったものは作れない。それでも食べたいものを買ってテーブルに並べれば、それなりにご馳走が揃う。


「こっちのケーキも美味しそうだなー」

「マカロン、ケーキはもう買ったでしょ?」

 もうフルーツケーキは買ってあるのだが、更にチーズケーキも買おうとしているマカロンを、ノアは必死に止めている。

「いいんじゃない? これくらいなら食べられそう」

 ヴィヴィアンは苦笑いしながらノアに言った。ナナセも綺麗な焦げ目のついたチーズケーキに目を奪われている。

「私も食べたいな、これ」

「賛成多数! 決まりね」

 マカロンとナナセは目を合わせてほくそ笑んだ。




 大量に買い込んだナナセ達は、家までの長い道のりをはしゃいで歩いた。初めて迎える新年を、ナナセは楽しんでいた。


 リスティにファミリーを追放されたナナセは、仲間達には落ち込んだ様子を少しも見せなかった。いつも通りに明るく過ごしていた。


 タケルには追放されてからすぐ後にメッセージを送って、追放されたことを報告した。タケルはすぐにナナセに連絡を取ってきた。




──それはメッセージを送った直後のこと。タケルからの呼び出しに、ナナセは慌てて右のピアスに触れて応じる。

「はい、タケルさ……」

「お前さ、なんでさっさと脱退しなかったんだよ。追放なんてされたらお前が悪いみたいだろ?」

 タケルの怒ったような声が耳に突き刺さる。


「あー……そうしたかったですけど、向こうに先手を打たれました」

「だから金を要求された時にさっさと抜けてりゃこんなことに……おい、お前まさか金払ってねえだろうな?」

 ぐっと言葉を詰まらせながら、ナナセは返答する。


「……払っちゃいました。でも一回だけだし……」

「バーカ! なんで払うんだよ! ったくもう……」

「すいません……」


 ダークロードの新しいファミリーハウス代、という名目でナナセはリーダーのゼットにお金を渡してしまっていた。その直後にリスティにファミリーを追放されたので、この点についてはナナセもだいぶ後悔している。タケルにそのことを責められてもナナセには返す言葉もない。

「その金、なんとか取り戻せねえのか?」

「いえ、お金のことはもういいです」

「なんでだよ? お前にとっちゃ大金だろうが」

「お金はまた稼げばいいですし……私はもう、あのファミリーには関わりたくないんです」

 タケルはナナセの強い言葉を聞き、無言になった。

「……まあ、お前がそう言うならそれでいいけどさ。それでお前、今後どうすんだ? どこかのファミリーに入るのか? もし探してるなら俺がいい所紹介してやろうか」

「いえ、私はもうファミリーに入るつもりはないです」

 ナナセがきっぱり言い切ると、タケルは「……そうか」とだけ言った。


「まあ、お前にとっちゃムカつく野郎と縁が切れたんだから、これで良かったと思うしかねえな。友達と一緒に家を借りたんだろ? ならファミリーなんて無くても気にすることはねえよ」

「はい、私もそう思います」

 タケルに励まされ、ナナセは話しながら笑顔がこぼれた──




 タケルやルイン、友人らに励まされ、ナナセはすっかり元気を取り戻していた。


 だが彼女の心に宿った怒りの炎は、時間が経った今でも少しも衰えてはいない。



♢♢♢



「あー! キャンドル買い忘れたー!」

 マカロンの大声が部屋中に響く。ナナセ達は買い物から帰り、自宅で「真の闇の日」を迎える準備をしていた。

「キャンドル? 何に使うのよマカロン」

「部屋中に置くんだよ! 真の闇の日は外の光が無くなるんだよ? 怖くないの? ヴィヴィアン」

「……そう言われてみれば、怖くなってきた」

「僕買ってこようか?」

 ノアも怖くなったのか、急いで立ち上がった。

「行くなら急いだほうがいいよ。日が落ちる前に」

 ルインの忠告に焦りながら、ノアとマカロンは揃ってまた買い物に走った。


 日が落ちると完全に外は闇に包まれる。外出ができなくなり、夜が明けるまで安全な場所で過ごすのがこの世界「レムリアル」のルールだ。

 ちょっと恐ろしい「真の闇の日」だが、夜が明けると新しい一年が始まる。ナナセ達はバタバタしながらも、期待に胸を膨らませ新年の準備を進めた。



♢♢♢



 一方その頃リスティは、ノヴァリス島で最も大きな都市「ヒースバリー」の居住区にいた。

 大きな屋敷と広い庭。庭の一部には剣術と弓術の訓練場と魔術の訓練場があり、いつでも腕を磨くことができる。裏庭にはプールもある豪華な造りだ。ここはリスティが手に入れた新しいファミリーハウスである。

 屋敷は高台にあり、ヒースバリーの美しい街並みを一望できる。景色を眺めながら、リスティは一人、二階のバルコニーで物思いにふけっている。


「ここにいたのか、リスティ」

 にやけ顔のゼットがリスティに声をかけた。釣り目で短髪の彼は見た目から気の強さが溢れた男だが、そんな彼が目いっぱい目じりを下げ、口元は緩みっぱなしだ。

「……ゼット」

 リスティはどこか元気がない。

「疲れたか? 急な引っ越しだったもんな。でもこんなに早く念願のファミリーハウスを手に入れられるなんて……リスティのおかげだよ」

 ゼットは上機嫌でリスティの隣に並んだ。


「……でも、私が本当に欲しいファミリーハウスはここじゃなかった。あっちが良かったの」

 リスティは高台の更に上を指した。一番高い場所にある最も大きなファミリーハウスは、ノヴァリスにあるファミリーの中で最も大きなハイファミリーが借りている。

「あそこか!? あそこは『不敗の軍団』のものだからなあ。ハイファミリー同盟のトップにならないと無理だろ……それに滅茶苦茶高いんだろ? あそこを借りるの……」

 ゼットは困ったような顔を浮かべ、頭を搔いている。

「でも、私はあそこがいいの」

 駄々っ子のようにリスティはすねた。

「分かった、分かった。今は無理でも、いつかあのファミリーハウスを手に入れてやる。なんたって俺達は『ハイファミリー同盟』の『ブルーブラッド』なんだからな! これからガンガン魔物狩りをして、ランクを上げて『不敗の軍団』からあの家を奪い取ってやろうぜ!」


 リスティはようやく機嫌が直ったのか、笑顔を見せた。

「ありがと、ゼット。あなたが作った『ダークロード』を解散させちゃって、私、あなたに悪いことをしたと思ってたの」

 ゼットは慌てたように手を振った。

「何言ってんだよ! 俺はリスティと一緒にハイファミリー同盟に入るのが目標だったんだから、別に名前なんてどうだっていいんだよ。だから一緒に頑張ろうぜ。これからもっと忙しくなるんだからさ」


 リスティはにっこりと微笑んだ。

「そうね。あなたにも色々と力になってもらわないとね? ゼット」



♢♢♢



 真の闇の日。

 陽が落ちる直前、一斉に住民達のムギンからアラームが鳴る。


『もうすぐ日没です。ただちに安全な屋内に入ってください。もうすぐ日没です……』


 外に出ていた住民達は、大慌てで自宅やファミリーハウスなどへ帰っていく。魔物狩りをしている冒険者も、この時だけは狩りを中断せざるを得ない。自宅が遠い場合は最も近い街に入り、どこでもいいので建物の中に避難する。


 やがて日が落ちると、突然外が真っ暗闇に包まれる。


「うわっ、ほんとに『真の闇』だ!」

 家の中から窓の外を見ていたナナセは驚いて叫んだ。通常なら、街灯や家から漏れる明かりで多少は外の様子が分かる。だが今ナナセが見ているのは、全く何も「ない」ように見える暗闇だった。

「玄関も開かないよ!」

 マカロンがガチャガチャとドアを開けようと頑張っていた。だがドアだけではなく、窓も全てびくともしない。外に出ようと思っても出られなくなっていた。

「ほら、みんな座りなよ。外に出られないんだから、今夜はここでじっと過ごすしかないよ」

 ルインは落ち着いた様子で、暖かい紅茶を飲んでいた。

「そうだね、そうする……」

 ナナセは振り返り、ルインの隣に座ろうと腰を下ろした。


 ……腰を下ろした……所で、ナナセの記憶はぷっつりと途絶えた。




「……あれ?」

 ハッと気づいたナナセは、隣に座るルインの顔をじっと見た。

「あれ? もう夜が明けてる?」

 ルインも不思議そうな顔をして、窓の外を見ていた。


 いつの間に夜が明けたのか、外が明るくなっていた。

「私、寝ちゃってた?」

 ナナセが尋ねると、ルインは首を振った。

「分かんない。ついさっき夜になったと思ったんだけど……」

 ルインの手には紅茶のカップが握られたままだ。湯気が立つほど暖かかった紅茶はすっかり冷めてしまっている。


「びっくり! 急にドアが開いたと思ったら、もう夜が明けてたよ!」

 マカロンがバタバタと走ってリビングにやってきた。

「真の闇の夜、ってこういうことなの? ほんの一瞬まばたきしたら、もう夜が明けてるなんて」

 ヴィヴィアンも目を丸くしている。

「一瞬で夜が明けるなんて驚きだよ……どおりで、真の闇の夜がどんなものか、みんな知らないわけだ……」

 ノアも窓の外を見ながら呆然としていた。


「と、とにかく。これで新年が始まった……んだよね」

 ナナセは立ち上がり、窓を見ようと歩き出した。その時、外から歓声のような声が聞こえた。

「何だろう?」

 ナナセ達は不思議そうに顔を見合わせ、外に出てみた。外では住民達が外に出て、新年を祝っていた。グラスを持ったまま外に出て、飲みながら道を歩いている者や、奇妙な仮装をしてはしゃいでいる者がいる。


「新年おめでとう!」

 飾りを沢山付けた帽子を被った男が近づき、ナナセ達に挨拶をしてきた。

「し、新年おめでとう!」

 戸惑いながらナナセは挨拶を返す。道に出てみると他にも住民が外に出ていて、みんな新年の挨拶を交わしていた。

「みんな楽しそう」

 ルインは彼らのはしゃぎぶりに少し圧倒されている様子だ。マカロンとノアは真っ先に通りに飛び出し、楽しそうに彼らと挨拶を交わしている。


「みんなと新年を迎えられて良かったなあ」

 ふとナナセが呟いた言葉に、ルインは無言のままナナセの横に立ち、彼女の体を軽く小突き、二人は顔を合わせて笑みを浮かべた。

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