第42話 断罪と追放
その日の夜のことだった。
ナナセはファミリーハウスに持っていく為の薬を自宅の調合台で作り、薬を持ってファミリーハウスに向かった。薬の調合にもだいぶ慣れてきたナナセの薬は、性能が少し上がっている。より早く、より大きく効果が出るようになったので、少なくともメンバーに「役に立たない薬」と陰口を叩かれるような出来ではない。
いつものようにファミリーハウスの扉を開けて中に入ったナナセは、誰かがいる気配を感じてリビングルームに顔を出した。
「おう、ナナセ。来たな」
ソファに深く腰かけ、ふんぞり返っているゼットがナナセに軽く手を上げた。リスティはその隣に置かれた自分専用の一人掛けソファに座っている。
「こんばんは、ナナセ」
「ゼット、リスティ。こんばんは、二人がいるの珍しいね」
リビングにはベインともう二人、元々ベインのファミリーメンバーだった男が二人がいた。ナナセとはあまり話したことのない二人である。
「こんばんは……」
「そこに座りなよ、ナナセ」
ベインがナナセに座るように促した。ナナセは言われた通り、ゼット達の向かい側にあるソファに腰かける。ゼットとリスティと向かい合うような形になり、三人を見守るようにベイン達がそれぞれ周りに椅子を置き、座っていた。
(何だか嫌な感じだ)
直感的にナナセは感じた。そう感じてから彼らを見ると、どことなく表情が硬い。
最初に口を開いたのはリスティだった。
「ナナセ、引っ越しするって本当?」
「……え? ああ、マルに聞いたの? そうなんだよ。急に決まったんだけど、いい家が見つかったんだ」
何を言われるかと思えば、単なる引っ越しの話かとナナセは胸を撫で下ろした。
「どうして私達に黙って引っ越しを決めたの?」
リスティの表情が険しい。明らかに不機嫌な彼女を見て、ナナセは慌てた。
「黙ってたわけじゃないんだけど、友達と一緒に共同で家を借りようって話になって……キャテルトリーにちょうどいい家があったから、決め」
「あのさあ、ナナセ」
ナナセが話している途中だと言うのに、ゼットが荒い口調で口を挟んできた。
「俺達の目標は知ってるよな? ヒースバリーにファミリーハウスを借りて、メンバーを増やして『ハイファミリー同盟』に加入することだって。なのになんでナナセだけキャテルトリーに残ろうとするんだよ?」
「……もちろん目標は知ってるけど、ファミリーハウスに通えれば家はどこにあってもいいと思ってた……。それに私だけって、マルは? 彼もキャテルトリーから出るつもりはないって」
「マルも一緒にヒースバリーに引っ越す予定よ」
リスティがピシャリと言い放つ。
「マルが上級料理人になったら、ヒースバリーのレストランで働く方がいいでしょ? あっちの方が高級な食材が手に入るし、客のレベルも高いし彼の為にもなるのよ。マルは喜んで一緒にヒースバリーに引っ越すって言ってたわ」
「マルが……?」
ナナセと話した時、マルは「マリーワン」で働くことが夢だと言っていた。だがリスティと話した後、マルはヒースバリーのレストランで仕事を見つけると決めたようだ。リスティに頼まれれば、彼は嫌だとは言わないだろう。
「ナナセはいつも勝手に動くよな。マルから話を聞いて、リスティはショックで泣いてたんだぞ? リスティはみんなでヒースバリーに引っ越せると思ってたんだ。ナナセに裏切られたって、今も落ち込んでるんだぞ」
ゼットの口調が更にきつくなったところに、ベインまで加勢してきた。
「ナナセ、ファミリーになるってことをもっと真面目に考えないと。俺達は仲間なんだから、自分だけがいいって考え方はどうかと思うよ。リスティがどんなに悲しんだか、彼女の気持ちを分かってあげないとさ」
ベインの横にいる二人の男も「そうそう」「リスティに謝りなよ」などと言っている。
「え……と、リスティ。何も言わずに家を借りたのは悪かったと思うけど、そもそも私は資金がないからヒースバリーで家を借りられないんだよ。新しい家も五人で借りるから家賃が払えるわけだし。だから分かって欲しいよ」
ナナセは必死にリスティに訴える。だがリスティは俯き、首を振るばかりだ。
「私、すごく悲しいの。私のファミリーは、いつもみんな一緒じゃなきゃ。それなのにナナセがここに残るなんて。いつかナナセが私のファミリーを離れてしまうんじゃないかって……」
「そんなことないよ」
そう言いながら、ナナセはずっとリスティが「私のファミリー」と繰り返すことが気になっていた。
「リスティ……ほら、泣くなよ」
自分が作ったファミリーなのに「私のファミリー」呼ばわりされても、ゼットは少しも気にする様子がない。実質的なリーダーをリスティと認めているようだった。少しも涙が出ているようには見えないが、リスティは指で涙をそっと拭う仕草をした。
「悪気があったわけじゃないんだよ。だから引っ越しを認めてくれないかな? もう契約しちゃったし、みんなで暮らすの楽しみにしてるんだよ」
その言葉がカンに触ったのか、ゼットが急に口を荒げた。
「へえ、お前はファミリーよりそのオトモダチってのが大事だってのか。リスティが泣いてる姿を見て、お前は何とも思わないのか?」
「そうじゃないってば……落ち着いてよ、ゼット」
「は! 落ち着けだって。俺は落ち着いてるよ。そもそもお前はずっと信用できない奴だと思ってたんだ。レオンハルトのことだって……」
「レオンハルト?」
ナナセの顔色がさっと変わる。なぜゼットの口からレオンハルトの名前が出るのか分からず、ナナセは混乱した。
「ゼット、レオの話は今は……」
リスティがゼットの服の袖をぐっと引っ張る。
「リスティ、いい機会だから言おうぜ。お前、レオンハルトを罠に嵌めて奴をブラックリスト入りにさせたらしいな?」
「罠に嵌めた……!? ゼット、何言ってるの?」
罠に嵌められたのは間違いなくナナセの方だ。だがゼットはナナセがやったと言っている。しかもリスティ達の表情を見ると、ゼットの話を信じているようなのだ。
「レオンハルトに直接聞いたんだよ! お前、レオンハルトが親切にしたのに裏切ったらしいじゃねえか。どうせヒーラーに嫉妬してるとか、そんな理由だろ? お前リスティにも冷たいもんな」
「そんなわけないじゃない。ヒーラーに嫉妬? そんなこと考えたこともないよ! リスティに冷たくしたつもりもないよ。話を聞いてよ」
どういう行き違いなのか、全く違う話としてゼット達にレオンハルトの新人狩りの事件が伝わっている。
「ゼット、もうやめて……。レオのことは私がナナセと話すって言ったじゃない。誰にでも間違いはあるわ」
リスティは弱々しくゼットを止めた。
「はあ……ほんとに、リスティは心が広いな。ナナセを許してうちのファミリーに置いてやろうってんだから」
「そんなことないわ。私はただ、ファミリーを大切にしたいだけなの」
「リスティは本当に優しいよ」
「リスティほどファミリー思いの女性はいないよ!」
「リスティは優しすぎるんだよ。だからこういう奴になめられるんだ」
ゼットはリスティを愛おしそうに見つめ、リスティはゼットを見上げて微笑む。ベイン達もそれぞれがリスティを称えている。
(何これ……?)
良く分からないことでナナセはみんなから責められ、全く違う事実でゼット達は一つに団結している。
「だから、全く違うんだってば! 私がレオンハルトに嵌められたんだよ。そもそも、どうしてレオンハルトを知ってるの?」
「レオは私の魔術の師匠なのよ。彼はとてもいいヒーラーよ、嘘をつくようには見えないわ」
ナナセはレオンハルトがリスティの魔術を教えていたと知り、さあっと体が冷たくなるような気分になった。訓練所に通わなかったリスティは、ヒーラーを雇って個人的に魔術を学んでいたようだが、まさか教えていたのがレオンハルトだとは想像もしていなかった。
彼女にとって師匠に当たるレオンハルトのことを、リスティが信用してしまうのも仕方がないことかもしれない。だが同じファミリーとして一緒に時間を過ごしたナナセより、レオンハルトを信じてしまったリスティに、ナナセは心の底から失望した。そして同時に体が震えるような怒りを感じていた。
「……もういいよ。分かってくれないなら、話してもしょうがないね」
ナナセはガタンと音を立ててソファから立ち上がり、背を向けた。
「逃げるのか? ナナセ」
ゼットの怒った声が背中に突き刺さる。
「行きたいなら行かせてやれば? リスティ、もういいだろ? こんな奴一人いなくても困ることないだろう? また新しい奴探せばいいんだからさ」
「ベイン……。そうね、私が止めても無駄かもしれないわ」
リスティの声は驚くほど低くなった。
ナナセは何も言わずにリビングを出ていく。
「おいナナセ! 出ていく前に薬を置いて行けよ!」
ゼットの勝手な言い草に腹を立てながら、ナナセは無言でファミリーハウスを出て行った。
♢♢♢
自宅に帰ったナナセは、他に何もやる気が起きずそのままベッドに倒れこんだ。怒りと悲しみが交互に押し寄せる感情の波を、ただ一晩中受け続けたナナセは夜明け前にようやく眠りに落ちた。そして眠りについたナナセを叩き起こすように、リスティからメッセージが届いたのは翌朝のことだった。
ムギンに届いた音声メッセージを再生すると「二人だけで話がしたいの。朝の八時に飛行船乗り場まで来て」とリスティの声が流れた。
ナナセはよろよろと起き上がり、簡単に支度をして飛行船乗り場まで向かう。なぜリスティがこんな遠い場所を指定してきたのか分からないが、とにかく行くしかない。
ナナセは分かっていた。ファミリーメンバーとしてリスティと会うのは、これが最後になるだろうと。
♢♢♢
飛行船乗り場は賑やかな中心地からは離れた場所にある為、普段から人通りはあまりない。早朝ならば尚更だ。
飛行船乗り場の周囲は広場になっていて、ちょっとしたベンチも置かれている。ここからの眺めはキャテルトリーの街並みが一望できるので、ナナセのお気に入りの場所でもあった。
まだリスティは来ていないようだ。ナナセはベンチに腰掛け、ぼんやりと高台からの景色を見つめていた。
「ナナセ」
聞き覚えのある声でナナセは振り向く。約束の時間からだいぶ過ぎて、リスティが現れた。普段明るい色を好んで身に着ける彼女だが、今日はシンプルなキャメル色のコートと同系色のつば広帽子を被っていた。
「高台の上は寒いわね」
時間に遅れたことを謝るでもなく、リスティはぶるっと体を震わせた。ナナセは小さくため息をつき、ベンチから立ち上がった。
「どうしてこんな所まで私を呼び出したの?」
リスティはふっと笑みを漏らした。
「こういう話は、誰かに聞かれたくないだろうと思って」
「私は別に、聞かれても構わないよ」
ナナセはやけに落ち着いていた。ナナセの態度が予想外だったのか、リスティは少し動揺したように何度も瞬きをしてふうっと息を吐くと、昨夜あんなにメソメソしていた姿とは別人のような怖い顔になった。
「ならば、さっさと済ませましょう。ナナセ、我が『ダークロード』はあなたをファミリーから追放します」
「追放……?」
ナナセの顔が歪む。リスティは勝ち誇ったような顔で続けた。
「あなたは私のファミリーに相応しくない。ファミリーの和を乱すのよ。あなたを追放することは、ファミリー全員が同意しています」
「全員? それって……マルも? セオドアやノブも?」
全員が追放に同意していると言われ、ナナセはさすがに動揺を隠せない。
「ええ、そうよ。これは『ダークロード』の総意なの。今後、私のファミリーには一切関わらないとここで誓ってもらうわ」
リスティは眉を吊り上げ、口元は醜く歪んでいる。なるほど、この顔をメンバーに見られたくなかったから、こんな遠い場所に呼び出したのだとナナセは気づいた。
「分かった。もう二度と『あなたのファミリー』には近づかないよ」
こんなにあっさりナナセが引き下がると思っていなかったのか、リスティは再び何度も瞬きをする。
「……ならいいわ。それじゃ、話が終わったらナナセをメンバーリストから追放しますから」
「その前にリスティ、一つだけ聞かせて。レオンハルトの話、本当に信じてるの?」
ナナセはリスティにどうしても確かめたかったことを聞いた。上級ヒーラーのレオンハルトを新人のナナセが罠に嵌めるなど、どうみても荒唐無稽な話をなぜリスティが信じたのか。
リスティは口元を片方だけ持ち上げ、フンと鼻で笑った。
「信じるわけないじゃないの、あんな話。レオは上級ヒーラーだから機嫌を取ってただけよ。上級ヒーラーを味方にしておくと何かと便利だものね」
ナナセは彼女の言葉にあっけにとられた。リスティにとってはレオンハルトすら自分の為に動く駒でしかない。
「……そう、分かった。もうあなたと話すことはないから、先に帰るね」
「ちょっと、ナナセ。あなたは追放されるのよ? もっと何か言うことはないわけ?」
ナナセはリスティと話し合う気は更々ない。リスティはあっさり引き下がるナナセにイライラしているのが丸わかりだ。
「もう何もないよ。お元気で」
ナナセはリスティに背を向けた。リスティの苛立った声が辺りに響く。
「そうそう、言い忘れてたわ。前にマルから調合台を譲ってもらったでしょ? あれ、私のファミリーの持ち物だったんだから返してくれる? ファミリーハウス宛に送っておいて」
「……え?」
思わず足を止め、信じられないといった顔でナナセはリスティの顔を見た。リスティは意地の悪い顔でナナセを睨んでいる。
「あれはマルの持ち物で、マルからもらったんだよ」
「マルは私のファミリーメンバーよ。マルの持ち物は我が『ダークロード』の持ち物でもあるの。分かるわね? すぐに送って」
「……わかった」
何か言い返そうとしたナナセだったが、もうその気力もなくしていた。一言だけ返すと、ナナセはそのままその場を離れた。
ナナセは商業区まで移動して通りを歩く。ムギンを取り出してみると「ファミリーを追放されました」というメッセージが表示されていた。ナナセの名前の横にあったファミリーネームも消えている。
「そっか、私、追放されたんだ」
リスティに追放される前に、昨夜のうちにさっさと脱退しておけば良かったとナナセは後悔した。追放、という言葉はいかにも自分に落ち度があるように感じる。
「落ち度か……」
過去の自分の振る舞いを考えていたナナセは、確かにファミリーに馴染もうと努力しなかったことに落ち度はあると思った。だがリスティがメンバーになってから明らかに変わった仲間達と同じように、ナナセもリスティに迎合すべきだったのか。
「いや、それは違うよ」
ナナセは独り言をつぶやく。やっぱりダークロードの雰囲気はおかしい。ルインも散々忠告してくれていたのに、せっかく仲間にしてくれたからと我慢していたが、それがあだになってしまった。
とにかく、もうダークロードから追放され、ナナセは悩みの種が一つなくなったのだ。今はただ、その事実を受け止めて前に進むしかない。
(落ち込んでいても仕方がない。家に帰ったら調合台を送り返して、それから調合ギルドに行って新しい調合台を買わないと……明日引っ越しだから、引っ越し先に届けてもらって……それから荷造りもして……)
調合台を快く譲ってくれた優しいマルは、追放のことをどう思ったのだろう。セオドアやノブは? リスティの言いなりだった彼らだが、仲間の追放にも何も言わなかったのか。ということは、彼らもナナセを疎ましく思っていたということになる。
(私はそんなにみんなから嫌われてたんだ……)
ぼんやりしながら、ナナセは人通りの少ない通りをただ歩いていた。
空はどんよりと曇っていた。やがて、ちらちらと白いものがナナセの肩に落ちては溶けた。
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