第22話 飛行船に乗ってみたい

 魔術ギルドの訓練所では、今日もナナセが訓練に励んでいた。ギルド長ルシアンの指導が終わった後も、ナナセは居残って訓練を続けている。


「ナナセ、まだ続けるの?」

 魔術書を抱えたメイジ仲間が、ナナセの背中に声をかけた。

「うん、もうちょっと頑張るよ」

「そうなんだ、頑張ってね」

「ナナセはすごいなあ」

「あまり根詰めないようにね」


 彼らはナナセと仲がいい三人組だ。黒髪で大人しそうな男のノア、カラフルな髪色で明るい雰囲気の女のマカロン、紫色の長い髪を後ろで一つにまとめ、眼鏡をかけた女のヴィヴィアン。三人とも気さくで優しいメイジだ。


「大丈夫だよ! また明日ね」

 仲間と挨拶を交わした後、一人残ったナナセは訓練用の人形相手に鍛錬を続けている。時間を忘れて没頭していると、携帯端末ムギンからメッセージが来ているとの知らせがあった。


『冒険者ギルド総本部、ガーディアンのブラックです。先日コートロイにて、世界の裂け目に落ちた件についてお聞きしたいことがあります。一度ヒースバリーの総本部までお越しいただければと思います』


 メッセージを聞き終わったナナセはため息をついた。ガーディアンがわざわざ総本部まで呼び出すなんて、一体どんな用件なのだろうか。


 訓練を切り上げたナナセがロビーに出ると、床に座り込んで「ヒーラーの心得」を読んでいるルインが目に入った。

「あれ、どうしたの? 先に帰ったと思ってた」

 ナナセは小走りでルインの元へ向かう。

「さっきそっちを覗いたらまだ頑張ってたみたいだから。先に帰るつもりだったんだけど、ガーディアンからメッセージが来たからナナセを待ってたの」

 ルインは本をパタンと閉じると、すっと立ち上がった。

「あ、ルインにも届いたんだ。何の用件だろうね?」

「分からない。裂け目を探すお手伝いをしたこと、ひょっとしてまずかったのかな」

 ルインは不安そうな顔をしている。

「そうかも……私たちみたいな下級冒険者が関わっちゃいけなかったのかな」

 ナナセの表情も俄かに暗くなっていく。

「とりあえず、行ってみるしかないよ。ガーディアンの呼び出しなんて無視できるわけないし」

「うん……そうだね。今すぐ行く?」

「そうしよう。ちょっと遠いから『乗合ビークル』より『飛行船』で行く方がいいね」

 ルインはにやりと笑う。ナナセも「飛行船」と聞き、急に表情が明るくなる。

「やった、飛行船! 実は一度乗ってみたかったんだよね!」

「ナナセも? 私もだよ」

 二人は顔を見合わせると、今にも吹き出しそうになった。そして早足で魔術ギルドを後にすると、弾むような足取りで飛行船乗り場を目指した。



♢♢♢



 飛行船乗り場は、キャテルトリーの町外れにある小高い丘の上にある。丘の上まではふもとから無料のポータルで移動できる。丘の上には大きな飛行船乗り場の建物があり、周辺はちょっとした公園のようになっていた。

 ナナセとルインは初めての飛行船乗り場に興奮気味だ。建物の中には小さな売店もあった。そこでは軽食と飲み物が売られている。売店を名残惜しそうに眺めながら、二人はスロープになっている通路を歩き、飛行船へ向かった。


 それはまさに空を駆ける「船」だった。船体の側面にオールに似た羽根が沢山ついている。だだっ広い船室には既に乗客が数人乗っていた。中には椅子やテーブルがあちこちに置かれ、二人連れの乗客が飲み物を片手に談笑している。

「やっぱり飲み物買えば良かったね」

 ナナセが耳打ちすると、ルインも残念そうに頷いた。


 上級冒険者が移動手段に使うのは主にポータルなので、飛行船や乗合ビークルなどの時間がかかる移動手段はあまり人気がない。だがのんびりと旅をしたいという需要もそれなりにあり、売店で買った食べ物をつまみながら、ゆっくりと飛行船の旅を楽しむ者もいるようだ。


「ヒースバリー行き、間もなく出航いたします……乗客の皆様は船室にてお待ちください」


 船内にアナウンスが流れ、しばらくするとガタンと大きな音がして、船室がぐらりと揺れた。どうやら出航したようだ。


「乗客の皆様、お待たせいたしました。甲板を解放いたします……」


 どうやら出航しないと船室の外に出られないようだ。他の乗客らは一斉に船室の外へと出ていく。

「ねえルイン、私達も甲板に出てみようよ」

「うん、行こう」

 二人ははしゃぎながら船室を出て、階段を上り甲板に出た。

「わあ……!」

 ドアを開けると強い風が吹き込んできた。ナナセとルインは髪の毛を押さえながら甲板の中央に進む。改めて外の風景を目にした二人は、思わずため息をついた。

「綺麗だね」


 飛行船からの景色は息を飲むほどの美しさだった。白い雲が目の前に浮かび、下を覗き込むとついさっきまでいたキャテルトリーの町が既に遠ざかっていた。

「あれが冒険者ギルドの塔だよね」

 ルインは遠くからでもはっきりと分かる白い塔を指さした。細長くて高い塔は空の上からでもはっきりと見える。そして塔の周囲を囲むように、キャテルトリーの街並みが広がっている。


 高い塀に囲われたキャテルトリーの町を上から見下ろせるのは、恐らく飛行船だけだろう。他の乗客達も景色を見ながら、それぞれ楽しそうに過ごしている。ナナセは、ポータルを使わずにわざわざ飛行船に乗る乗客の気持ちが理解できる気がした。

「たまにはこういうのもいいね」

 ルインも景色に見とれながら呟き、ナナセも「そうだね」と返した。



♢♢♢



 飛行船はヒースバリーの飛行船乗り場に到着した。ヒースバリーの乗り場はキャテルトリーよりも更に大きかった。船も一艘だけではなく、同じ形のものがいくつも並んでいる。

 飛行船乗り場を出たナナセとルインは、キャテルトリーと同じように無料のポータルでふもとのポータルまで移動し、冒険者ギルド総本部へと向かった。冒険者ギルドはヒースバリーの中心地に存在している。二人は賑やかな通りを歩きながら目的地へと向かった。


 ナナセとルインはヒースバリーに来たことはあったが、夜だったので明るい時間に来たのは初めてだ。昼間の賑やかな時間にヒースバリーを歩いたことがないので、どこを見ても新鮮だ。

 道行く人の服装は、どれもキャテルトリーでは見たことのないものばかりだ。ヒースバリーには上級冒険者や上級職人が多く暮らしている。豪華な装飾が施された鞄や帽子、目立つアクセサリーや艶のあるブーツなど、オシャレなものが目に入る。道の真ん中はビークル専用になっていて、住民がビークルで移動している。街の規模が大きいヒースバリーでは、ビークルでの移動は欠かせないようだ。


 冒険者ギルドは中央区にある。ギルド前には構築者モシュネの像があり、周囲は広場になっている。この造りはキャテルトリーと同じだ。

 ギルド前の広場には多くの人がいて賑わっていた。冒険者のパーティが何やら話し込んでいたり、楽器を演奏している者がいたり。像の前では何やら演説をしている者もいる。


「……構築者モシュネは、自分に似せた形の『ドーリア』を創り、この世界に生み出しました。構築者モシュネはいつも私達を見守っていてくださいます。私達の勉強会にぜひ参加してください……世界の全てを、知りたくはありませんか? 私達と共に、学びましょう……」

 演説をしている者の周囲には、少しの聴衆がいて真剣に聞き入っていた。


「勉強会? どういう人たちなんだろう」

 ナナセは不思議そうな顔で彼らを見た。

「ああ、あれね……キャテルトリーの広場で見たことあるけど、ここにもいるんだ。彼らはああやって聴衆を集めて、ファミリーへの勧誘をしているみたいだよ。あそこに入ると、結構お金を寄付しなきゃいけないから大変みたい」

「へえ、詳しいねルイン」

「まあね、うちのファミリー、人数だけは多いからファミリー掲示板で色々情報が入ってくるの。私は発言しないで見るだけだけど」

 ルインは肩をすくめた。




 広場を通り過ぎ、二人は冒険者ギルド総本部の中へと入った。昼間ということもあるのか、一階のホールには多くの冒険者がいた。中央に円形のカウンターがあり、数人のガーディアンが受付業務を行っている。

 ナナセ達はカウンターに向かい、ガーディアンに声をかけた。

「あの、すみません。ガーディアンの『ブラック』からここへ来るように言われたんですが」

 ナナセがおどおどしながら話しかけると、男のガーディアンはじっとナナセとルインを見つめた。

「はい、確認いたしますのでムギンをお願いします」

「あ……はい」

 ナナセは慌ててポケットからムギンを取り出し、ルインもそれに続いた。ガーディアンは自身の端末で二人のムギンを読み込むと、納得したように頷いた。

「ナナセ様とルイン様ですね。それでは奥のエレベーターに乗っていただき『黒の階』まで向かってください」

「分かりました、ありがとうございます」

 ナナセ達が頭を下げると、ガーディアンは穏やかな笑みをたたえたまま「お気をつけて」と口を動かした。



 ナナセ達が以前ここを訪れた時は、タケルとフォルカーも一緒だった。タケルはガーディアンに声もかけずに勝手にエレベーターに乗っていたが、彼女らは総本部に気軽に出入りできる立場なのだろうか。ナナセは二人のことを何も知らない。いつも稲妻のように突然目の前に現れて、用が済んだらどこかへ行ってしまう。つかみどころのないドーリア達だなとナナセは思った。


 エレベーターで「黒の階」に着くと、以前見た景色と同じものが広がっていた。沢山のドアが並ぶ、ひたすらに長い廊下。黒の階と言うが、床も壁も扉も、全て真っ白なのは一階と変わらない。


「どの部屋だろう」

 ナナセがルインに耳打ちすると、ルインも首を振り「分からない」と答えた。だが二人が悩む必要はなかった。廊下の先にあるドアが開き、中から黒い服に身を包んだガーディアン「ブラック」が出てきたからだ。

「お待ちしておりました。中へどうぞ」

 ブラックに促され、二人は部屋の中に入った。


 部屋の中もやっぱり真っ白だった。中央に置かれた机と窓があるだけのシンプルな部屋。ガーディアンには家具も装飾も必要ないということなのだろう。

「今日はこちらまで来ていただきありがとうございます。私は総本部の外に出る権限がありませんので、失礼ながらお二人をこちらに呼び出させていただきました」

 ブラックは軽く頭を下げた。

「いえ、大丈夫です」

 ナナセは首を振った。ブラックはこの白い塔から外に出ることができない。ナナセはそれを少し気の毒に思ったが、そもそもガーディアンが外に出たいと思うこともないのかもしれない。


「先日、ジェイジェイの『裂け目』探しを手伝った件について、詳しく話を伺いたいと思います。まずは当時下級冒険者だったお二人を裂け目探しに巻き込んでしまったこと、お詫びいたします」

 ナナセとルインは顔を見合わせた。ルインは眉をひそめながら口を開く。

「裂け目探しは、あなたが頼んだ仕事なんですか?」

 ブラックはゆっくりと頷いた。

「はい、そうです。ジェイジェイは裂け目を探す能力に長けていました。我々ガーディアンに見つけられない裂け目を、彼はいくつも探し当てたのです。それ以来、正式に私が彼に依頼をして、裂け目を探してもらっているのです」

「そうだったんですか……」

 ナナセは謎が解けたといった表情で頷く。


「ナナセ、あなたはあの時コートロイの灯台にあった裂け目に落ちましたね。なぜその後、すぐに裂け目から戻ってこられたのでしょう?」

 ブラックに尋ねられ、ナナセは困ったような顔で何度もまばたきをした。

「なぜ、と言われても……ジタバタしてたら、地面に足が着いて……そしたら光が見えたから、そっちに向かっただけです」

「ふむ……地面に足が? なるほど……そして光が見えた、と」

 ブラックは何やら自身のムギンに記録を取っている。

「普通は、すぐに戻れないものなんですか?」

 ルインはブラックに尋ねた。

「はい。通常裂け目に落ちたドーリアを発見するまで、三日以上は必要です。ドーリアが行方不明になった場合、三日経つと『救難信号』で我々ガーディアンに知らされるのですが、裂け目の中は複雑で、居場所を特定するのが困難です。ドーリアが自力で戻ってくるケースもありますが、それでも一日以上はかかる場合が殆どです」

「えっ、そんなにかかるんですか?」

 ナナセが驚いていると、ブラックは頷いて話を続けた。

「自力で戻ったドーリアを調査しましたが、全員裂け目の中は真っ暗で何も見えなかったと証言しています。裂け目の中は上下左右が『存在しない』場所なのです。戻ろうと進んでも、見当違いの場所へ行ってしまう。だから落ちたドーリアは自分で戻る場所が分からなくなると考えられています」


 ナナセは今更ながら恐怖が沸き上がるのを感じた。あの時、戻ろうともがいていたら地に足がつき、たまたま見えた光へ向かったら外に出られた。あれはひょっとするととても運のいい出来事だったのかもしれない。

「私、とても運が良かったんですね」

 ナナセは呟きながら視線を床に落とした。


「運ではありません。あなたは『光が見えた』と言いましたね。あなたには出口が見えるのです。それはとても珍しいことです」


 ブラックの思わぬ言葉に、ナナセは戸惑った顔でルインと見つめあった。

「出口が見える……?」

 ルインが疑問を口にすると、ブラックは話を続けた。

「先ほど、ジェイジェイは裂け目を見つける能力が優れているというお話をしましたね。それと同じです。ナナセ、あなたは裂け目からの出口を見つける能力が、他よりも優れているいうことなのです」

 ナナセは信じられないと言いたげな顔をしていた。

「あなたが裂け目から戻れたのは幸いでした。ですが今後も同じように裂け目の出口を見つけられるかは分かりません。くれぐれも裂け目に落ちないよう、お気をつけください」

「は、はい」

 気をつけろと言われてもな……と思いながらナナセが頷くと、ブラックは続けてルインに視線を移した。

「次はルイン、あなたに伺います。ナナセが裂け目に落ちた時、あなたは目の前で見ていましたね。その時のことを、詳しく説明していただけますか?」

「はい、あの時私がナナセの後ろを歩いていて……」

 ブラックはルインから、ナナセが裂け目に落ちた時のことを聞き出し、頷きながらムギンに記録を取った。



 ブラックは一通り話を聞き終わると、ムギンを机の上に置いた。

「お二人とも、ご協力ありがとうございました。今日はこれで終わりです。ちなみに、お二人はここまでどうやって来られたのですか?」

「飛行船です」

 ナナセが答えた。

「飛行船ですか。お二人は中級ですから、もうビークルの免許を取ることができるはずですが、免許は取りましたか?」

 ナナセとルインは顔を見合わせ、首を振った。

「ヒースバリーにはビークル屋があり、そこで免許を取ることができます。簡単な運転試験で免許が取れますから、ヒースバリーに来たついでにビークル屋を訪ねることをお勧めしますよ」

「ビークルの免許!」

 ナナセは声を弾ませ、ルインとはしゃぎ声を上げた。


 ナナセのファミリーメンバーも持っているビークル。それがあれば自由にあちこちを移動できるので、ナナセも早くビークルが欲しいと思っていた。

「あ……でも、ビークルの免許を取ったとしても、ビークルを買うお金がないよ」

 ルインはしょんぼりしている。

「確かにビークルは高価なものですが、最も安いモデルでしたら1000シルから買えます。あるいはそれぞれの町にある『レンタルビークル』を利用する方法もあります。先に免許だけ取っておいて、お金が貯まったら自分のビークルを買う。そのようなやり方でも良いのではないでしょうか」

「そっか……確かに!」

 ナナセはすっかり乗り気になっていた。レンタルビークルは一日ごとに利用料がかかる仕組みだが、どこの町でも借りられるのでお金のない冒険者には有難いシステムだ。

「じゃあこの後ビークル屋に行ってみようか」

 ルインの言葉にナナセはうんうんと首を縦に振った。

「それでは、お二人ともお気をつけて」

 ブラックは背筋をピンと伸ばしたまま頭を下げた。




 ナナセとルインは冒険者ギルドを出た後、ビークル屋がある通りを目指して歩いていた。

「ブラックさんって、なんだか変わってるよね。彼女だけ黒い服を着てるし」

 道を歩きながらルインが呟いた。

「そうだね、他のガーディアンとは少し違う感じ……でもビークル免許のことを教えてくれたり、親切なガーディアンだよね」

「うん、悪い感じはしないかな。何者なのかよく分からないけど……」


 ブラックのことを話しながら歩いていた二人は、商業区の外れにある「ビークル屋」にたどり着いた。

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