第16話 世界の裂け目

 海沿いの岬に建つ大きな灯台の前に到着したナナセとルインは、目の前に広がる大海原に興奮していた。

 どこまでも続く海。はるか遠くにかすかに見える陸地。海の中を進む船を見るのも当然初めてだ。タケルに尋ねると、その船はコートロイとシャートピアという北の港町を結ぶ定期船だという。

「船はあまり人気がないんだよな。船賃は安いけど時間がかかるから……でも、のんびり船旅したいなら悪くねえよ」

 タケルは遠くに小さく見える船を指さしながら話した。

「日が暮れる前に、早く始めよう」

 ジェイジェイが声をかけ、灯台の中に入っていった。ナナセ達もその後を追う。


「ここで『裂け目』に落ちたと思われる冒険者がいた。冒険者は無事戻り、裂け目も塞がれたが、今も灯台のどこかにまだ別の裂け目がある可能性がある。今日はそれを見つける」


 ジェイジェイは淡々と説明を終えると、いきなり壁に向かって歩き、手を伸ばして壁を押した。そしてジェイジェイは再び元の位置に戻り、また壁に向かって手を伸ばしては壁を押す。


「これが、裂け目の探し方だよ。地味だろ?」

 ジェイジェイがひたすら同じ動きを繰り返しているのを、タケルはナナセとルインに説明した。裂け目の探し方は、実際に歩いてみて裂け目に当たるまでひたすら繰り返す。どこにあるのか分からないので、見つかるまでひたすら同じ動きを続けるという、非常に根気がいる作業になるのだ。

「ナナセ、ルイン。一番上に行ってガラクタをどかしてきてくれ。ジェイジェイが作業しやすいようにな」

「は、はい!」

 タケルの指示で、ナナセ達は急いで階段を上った。


 螺旋階段の先には、大きな光源が設置されている部屋があった。今はまだ昼間だが、夜になると明かりがつくのだろう。部屋の中は木箱が積み上げられ、捨て置かれた服やら、ゴミと思われるものが散乱していた。ナナセ達は木箱を持ち上げ、また螺旋階段を下りて灯台の外に置いた。

 木箱の中は空のようで重くはないが、何度も階段を往復しているとさすがに二人とも疲れが出てきた。片付けながらジェイジェイの様子を見ると、彼は表情一つ変えずに同じ動作を繰り返しながら、色々な場所を調べている。思っていたよりもジェイジェイの仕事は大変なのだとナナセは思った。




 最後の木箱を取りに、ナナセは螺旋階段を上っていた。少し急ぎ足だったのが良くなかったのかもしれない。ついよそ見をしていたのが悪かったのかもしれない。

 一番上の段に足をかけた時だった。ナナセは少しバランスを崩し、体が傾いて壁に当たってしまった。


 その時だった。ナナセの体がするりと壁を抜け、そのままナナセは姿を消した。




「タケルさん! ジェイジェイさん! すぐ来てください! ナナセが……!」

 ルインが血相を変えてタケルとジェイジェイの所に駆け込んできた。

「どうした?」

 振り返ったタケルは、ルインの表情を見てただごとではないと察した。

「……消えっ、消えちゃったんです! ナナセが!」

 タケルとジェイジェイは顔を見合わせ、すぐに螺旋階段を駆け上がっていった。



♢♢♢



 ナナセの周囲は全くの無の世界だった。


 少しの光もない、暗闇の世界。右も左も、上も下も分からない。そもそも足が地につかず、フワフワと浮いているのだ。

「ど……どうしよう」

 入り口も出口も分からず、どこへ向かえばいいのかも分からない。

「おーい! ルイン! タケルさん! ジェイジェイさん!」

 ナナセは叫んでみるが、何の反応もない。


(一度裂け目に入ると、自力で戻るのが難しいんだよ。運が良ければすぐ戻れるけど……ずっと戻れなくなる奴もいるんだ)


 タケルの言葉を思い出し、ナナセはゾッとした。もしこのまま戻れなかったら……? 構築者モシュネが救出するとか言っていたが、それがいつになるのか?


 ナナセはリュウと名乗るレオンハルトに騙され、地下室に放置された時のことを思い出していた。動けないまま暗闇の中で長い時を過ごした。あんな思いはもう二度としたくないと思っていたのに、まさかこんなことになるなんて。


「こんなところ、早く出なくちゃ」

 運が良ければすぐ戻れる、タケルのその言葉をお守りのように胸に抱いた。ナナセは前を向き、手足をバタつかせながらなんとか前に進もうとした。


 しばらくもがいていると、ふと手に何かが触れ、ナナセは思わずそれを掴んだ。

「なんだろう?」

 真っ暗なので何も見えないが、確かに何かが手の中にある。何か細長く、やわらかいものだった。とりあえずそれをしっかり掴んだまま、ナナセは更にもがいた。


 進んでいるのか戻っているのか、そもそもどこへ向かっているのか分からないままもがいていると、ふと足先に何かが触れるのを感じた。


「地面だ……!」

 ナナセはしっかりと両足で地面らしき所に立った。

 地面に両足で立つ、これだけなのに安心感が違う。ナナセは一歩ずつ足を前に進めた。このままどこへ行くのか分からない。だがじっとその場で待つよりもずっと良かった。

「絶対に戻る、絶対に戻る」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、ナナセは慎重に足を進めた。




 しばらく歩いていると、視線の先にうっすらと光が見えた。

「出口だ……!」

 ナナセは思わず駆け出した。暗闇の中に一筋の光が見える。光は近づくとますます強く、大きくなった。

 間違いない、ナナセは確信を持ってその光に思い切り飛び込んだ。



♢♢♢



「ナナセ! 戻ってこれたのか!」

 ナナセの視界には、あの灯台の景色があった。彼女が戻ってきたことを、ルイン、タケル、ジェイジェイの三人が喜びあっている。

「私……戻ってこれたんだ……」

 ナナセは呆然としたまま呟いた。

「良かった、ナナセ……! いきなり目の前から消えるんだもん。びっくりしたよ……!」

 ルインは顔をくしゃくしゃにして今にも泣きだしそうだ。

「良く戻ってこられたな。運が良かった」

 ジェイジェイもクールな顔を崩し、笑顔を見せている。

「ごめんな、ナナセ! まさかお前が裂け目に入っちまうなんて。怖かっただろ」

 タケルはナナセを強く抱きしめた。

「怖かった……でも、絶対に帰るって思ったから……」

 ナナセから体を離したタケルは、ナナセの肩をガシッと掴んで顔を覗き込んだ。


「それで! 中はどうだった? どうやって戻った?」

 タケルは好奇心を抑えられない顔をしている。

「えと……中は真っ暗で、上も下もなくて……でもバタバタ動いてたら、地面に足が着いたんです。それで歩いてたら、光が見えて……」

「なるほど、地面があったか……そういう話も聞いたことがあるが」

 ジェイジェイは顎に手を当てている。

「それで!? 中は何もいなかったか? ……あれ、ナナセ、手に何を持ってる?」

 タケルはナナセが手に何かを持っていることに気づいた。


「あ、これ……」

 ナナセは手を広げて見せた。それは鳥の羽根のようなものだった。青くて所々キラキラと輝く、美しい羽根だ。

「裂け目の中で、何か手に触れて……それで思わず握ったんです。なんだろう? これ」

 美しい羽根を持ち、持ち上げて珍しそうに眺める。


「おっ、それは『歌わない鳥』の羽根だな。魔物の落とし物が何で裂け目の中にあるんだ?」

 タケルは羽根をじろじろと見ながら言った。ジェイジェイも横から羽根を覗き込む。

「魔物が裂け目にうっかり入り込んだか、以前裂け目に入った冒険者が落としたのかもしれない……。裂け目の中のことは俺も、ガーディアンですら良く分かっていないんだ。そもそも座標もめちゃくちゃで、地図が存在しないからな」

「だからか。歌わない鳥はこの辺りに生息してないはずだからなあ。ナナセ、その羽はいったん俺が預かっていいか?」

「いいですよ、拾い物ですし」

 ナナセは躊躇なくタケルに羽根を渡した。

「悪いな、この羽根のこと調べたいからさ。ジェイジェイ、裂け目が一つ見つかったし、今日はこの辺で終わりにするか」

「そうだな。ガーディアンへの報告もしなきゃならないし、ここで解散にしよう。二人とも、今日は助かった」

 ジェイジェイはナナセとルインにお礼を言った。

「いえ! お役に立てて良かったです」

 ナナセとルインは慌てて頭を下げた。


「タケル、やはりこの子たちに手伝わせるのは最後にしよう。こういうことがあると危険だ」

「分かったよ、俺も反省したわ。裂け目のこと、軽く考えすぎてた。こいつらに関わらせるのは危険すぎたわ……」

 珍しくタケルがしおらしい態度になっていた。

「私は大丈夫です」

 ナナセは慌ててタケルに言った。

「いや、もう危険なことはさせねえから。今日は疲れたろ? 『コートロイ酒場』で飯を食っていくか。何でも好きなもん食わしてやるよ」


 ナナセとルインは目を輝かせ「行きます!」と揃って叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る