第3話 急に現れた協力者
広場を出ると多くの建物が並ぶ「商店通り」に出る。木材と石を組み合わせた二階建ての小さな建物が、道路を挟んでずらりと並んでいる。広場よりも多くの人々が行き交っていて、賑やかな通りだ。
キョロキョロと目移りしながら、ナナセはゆっくりと歩く。住民の恰好も個性的で、見ているだけで楽しい。ナナセのようないかにも新米冒険者、といった出で立ちの者もいれば、立派な鎧を身に着けた者もいる。裾を引きずりそうな程長いローブ姿の者は魔術師だろうか?
「ええ? あそこで武器を買ったの? 屋台通りで買えばもっと安く手に入ったのに」
「そうなんだけど、前に屋台通りで剣を買ったらぼったくられてさ。やっぱり正規の武器屋で買うのが一番だよ……」
「はー腹いっぱい! 美味かったなー」
「やっぱり『マリーワン』は最高だよな! あそこに行くと故郷に帰ってきたって気がするよ」
「もう20シルしかないよ! 明日からどうやって食べていけばいいの?」
「20シルしかないの!? 何を買ったらそうなるのよ……。新しい仕事探しにギルドへ行ったら?」
「えー……働くの面倒くさい……」
「もう私お金貸さないからね!」
他人事ながらちょっと心配になるような声や、様々なドーリア達の声がナナセの耳に入る。彼らは本当に、ここで暮らしているのだ……ナナセはじわじわと新しい世界に来た実感が湧いてきた。
新しい暮らしが、新しい人生がこれから始まる。ナナセの未来は明るかった。
ナナセはムギンの地図と睨めっこしながら商店通りを抜け、更にしばらく歩いてようやく巨大な門の前にたどり着いた。
ここは「西門」で、門の前には真っ白な鎧を着たガーディアンが立っている。ここのガーディアンは衛兵のような役割をしているようだ。見た目は冒険者ギルドのガーディアンと似ているが、それぞれ役目に合わせて恰好が違う。
微動だにせず立っているガーディアンの横を通り過ぎようとすると、ガーディアンの視線がぐりんと動き、ナナセを見つめてきた。
何を言われるのかと構えたが、ガーディアンは無言でナナセを見ているだけだ。居心地の悪さを感じながら、ナナセはガーディアンの横を通り過ぎる。
「住民登録試験の方ですね。お気をつけていってらっしゃいませ」
ガーディアンは突然ナナセに声を掛けた。ナナセは飛び上がるほど驚き、オドオドしながら「あ……ありがとうございます」と答えた。
ナナセの格好を見て、住民登録試験中だと判断したのだろう。ガーディアンは再び視線を戻し、何事もなかったように直立の姿勢を続けていた。
門の外に出ると、ここでも別のガーディアンが門を守っている。しかも外には門の両脇に二人のガーディアン。中にいるのと同じ鎧だが、こちらは長い槍と盾を持っている。魔物か何かから町を守っているのだろうか。
外のガーディアンにも何か話しかけられるかと思ったが、彼らは視線すら動かさなかった。彼らはあくまで外からの訪問者にだけ反応するのだろう。
門の外に出たナナセは視線を前に向けた。
「……わぁ……」
思わず声が漏れる。緑溢れる美しい景色がそこに広がっていた。さわさわと頬をやさしく撫でる風が心地よい。町の周りは開けていて、先の方に森が見える。奥には山々が連なり、山の上に大きな白い雲。そして真っ青な空が広がっている。
「ほうきみたいな雲、海の色みたいな空……最高!」
ナナセはうーんと伸びをして、深呼吸をしながら空を見る。素晴らしい世界がここに本当に存在していた。
ムギンに表示された地図には、町の周辺の地図が表示されている。ここはキャテルトリー西という場所のようだ。地図には試験の目的地がマークされているので、ナナセは目的地を目指してひたすら歩けばいい。
周囲を見回してみたが、ナナセの他に人影は見当たらない。聞こえるのはざわざわと草が揺れる音と、遠くで響く甲高い鳥の鳴き声。
ナナセは地図を再びじっくりと見た。目的地はここから西へ、街道沿いに真っすぐ行けばいいようだ。ムギンには試験の内容も載っていて、目的地で「お手伝いの幽霊」の画像を記録するという非常に簡単なものだった。幽霊というものをナナセは見たことがないが、ただそれを画像で記録するだけの試験なので、危険はないはずだ。
試験をクリアしてキャテルトリーで住民登録できれば、晴れてキャテルトリーの住人として新しい人生を始めることができる。
♢♢♢
地図に表示された目的地に到着したナナセは、緊張した表情で目の前に建つ大きな建物を見上げていた。
「……この中…?」
それはとても大きな屋敷だった。だがそこには誰も住んでいないのが明らかだ。壁は外壁が剥がれてボロボロ、周囲を囲む石垣は一部が崩れているし、門は片方が開いたまま歪んでいる。
ここで「お手伝いの幽霊」の画像を記録しなければならない。確かにこれだけ古い建物ならば、幽霊の一人や二人いてもおかしくなさそうである。空は明るいはずなのに、建物の周りだけなんだか薄暗いように見える。本当に危険はないのか、ナナセは急に不安になった。
「大丈夫、大丈夫。記録するだけなんだから」
ナナセは自分に言い聞かせるように呟き、気持ちを奮い立たせた。武器は一応持ってはいるが、これは戦闘試験ではない。幽霊を見つけたら画像を記録し、素早く退散すればいいのだ。
恐る恐る門をくぐろうとしたその時、ナナセの後ろから突然声がした。
「そこ、一人で入ると危ないよ」
驚いて振り返ると、そこには一人の若い男が立っていた。頭にフードを被り、足元まである長いローブを身に着けている。首元には大きくて黒っぽい石がはめられたネックレスをしていた。
「え……危ないって……?」
男はにっこりと微笑みながらナナセに近寄ってきた。
「ここ、魔物が『湧く』んだよ。なんの準備もしないで行くと魔物に襲われるよ?」
「湧く……?」
「君、住民登録試験で来たんでしょ? 魔物の説明とか受けてない? 魔物は決まった場所から『湧く』んだよ。湧く場所をみんな『
「そ……その『宵の泉』がこの屋敷の中にあるってことですか?」
男は目を見開きながら、にいっと口の端を引き上げた。
「その可能性が高いってこと。泉の場所は決まってないけど、ある程度は絞れるよ。まず大前提として、人が沢山いる場所には湧かない。湧くのは大抵、人気のない森の中とか、洞窟みたいな暗い場所とか、あとはこういう廃墟とかね」
ナナセはもう一度屋敷を見上げた。確かにこういった廃墟には、何か得体のしれないものがいてもおかしくないな、と思う。
ナナセは再び男に向き合った。
「あの……ありがとう。あなたに教えてもらわなかったら、知らずに屋敷の中に入っちゃうところでした。やっぱり試験って一筋縄じゃいかないんですね」
男はアハハ、と大きな声で笑った。
「まあ、試験だからね。準備不足で失敗する新人もいるから」
「そうなんですか……あ、そうだ。私、ナナセって言います。さっきキャテルトリーに来たばっかりで」
「俺はリュウ、よろしく。君よりは少し先輩ってとこかな。一応『ヒーラー』やってます」
リュウは笑顔でナナセに握手を求めた。ナナセも笑顔で握手に応じる。
「ヒーラーなんですね。それって冒険者の傷を癒したりする職業ですよね」
ヒーラーは冒険者が選ぶ職業の一つだ。魔物と戦い、傷を負った冒険者の体力を回復させ、傷を癒すことができるヒーラーは、この世界「レムリアル」では非常に大事にされ、敬われるべき存在とされている。
「そう、そのヒーラー。まあ俺はまだまだ半人前だけどね」
などと言いつつ、リュウはどこか得意げな顔だ。
「すごいなあ、私も早く立派な冒険者になりたいです」
「へえ、冒険者になりたいの?」
「まだどうするかは決めてないんですけど、いずれはなりたいなって」
ナナセは恥ずかしそうに笑った。
「まあ、冒険者になって名を上げるのが、この世界で成功する近道だからね。じゃあ、早く試験を突破しないとだ」
「そうですね、頑張ります。じゃああの……ありがとうございました」
親切な若者に礼を言って屋敷に向かおうとしたナナセに、リュウが声をかけた。
「よかったら手伝おうか? 俺がいればすぐに終わるよ」
「え?」
リュウの思いもよらぬ提案に、ナナセは驚いた。
「ここで偶然会ったのも何かの縁だしさ。ついでに魔物との戦い方も教えてあげるよ。いずれ役に立つことだからね」
ナナセはどう返事をしたらいいか迷った。リュウはとても親切だし、いい人のように見える。屋敷の中に入って画像を記録するだけの試験だ。時間はそれほどかからないだろう。彼の好意に甘えるべきだろうか。
「ありがとうございます。でも……初めて会ったのにお手伝いまでお願いするのは……」
リュウは申し訳なさそうな表情のナナセを見て、また甲高い声で笑った。
「気にしなくていいよ、ナナセ。この世界ではね、熟練の冒険者が新人を助けるのは当たり前のことなんだ。君も冒険者になったら分かると思うけど、魔物と戦う俺達は常に助け合って生きていかないと」
リュウの言葉には説得力があった。危険な魔物と日々対峙する冒険者は、協力し合わなければ生きていけない。
「分かりました。それなら……お願いします、リュウさん」
ナナセの迷いも消えていた。彼の申し出を有り難く受け取り、二人は一緒に屋敷へと向かうことになった。
♢♢♢
ナナセは玄関の扉を開け、先に中へ。リュウはその後に続いて屋敷に入った。
屋敷は外もボロボロだが、中は更に酷い。壁紙は剥がれて垂れ下がり、所々穴も空いている。窓は割れ、床に木の枝やら岩が転がっている。明かりは当然ないが、割れた窓から光が差し込んでいるので玄関周りは視界が確保されていた。
「本当に魔物が出るんですか……?」
ナナセは周囲を見回しながら不安げに呟いた。
「たぶんね。魔物が湧く『宵の泉』は見たらすぐに分かるよ。泉を見つけたらすぐに武器を用意して。魔物は俺たちに気づいたらすぐに襲ってくるから」
「はい」
ナナセは震える声で頷き、腰に下げたナイフの柄に手を触れた。
屋敷は二階建て、地下一階の造りだ。一階を一通り周ったが目当ての幽霊は見つからず、二人は薄暗い階段を上り二階へ向かった。
二階にはいくつかの扉がある。ここも薄暗く、窓からの光が寂しく廊下を照らしている。
「手分けして探そう。俺はこっちの部屋を見るから、ナナセはあっちの部屋を見てきて」
リュウはそう言うと、扉を開けて部屋の中へ行ってしまった。
「魔物……ここにいたらどうしよう」
ナナセは不安げに呟き、廊下を進んだ先にある扉を開けて中を覗き込む。
この部屋は寝室のようだ。大きなベッドが一つとサイドテーブル。背の高いチェストと、それと同じ色のアクセントテーブルが窓際に置かれている。一階の部屋の荒れ模様と比べるとだいぶましだ。ただ、窓を見ると無残にも割れていて、床は汚れていた。
壁には楕円形の額縁があり、肖像画のようなものが飾られていた。つい引き寄せられるようにナナセはその絵をじっと見る。美しい女性の肖像画だったが、じっと見ていたらなんだか怖くなり、ナナセは慌てて踵を返して部屋を出た。
寝室の隣にはもう一つ部屋があったので、そちらも見てみる。泉と呼ばれるものが現れる気配はなさそうだ。別の部屋も大体似たような造りで、やはり幽霊は見つからなかった。
「どこにいるんだろう。夜になるまでに見つけられるかな……」
持久戦になりそうな気配を感じて、ナナセは不安になった。
廊下に出ると階段のところでリュウが待っていた。
「こっちの部屋にはいなかったよ、そっちは?」
「いなかったです」
「うーん、暗い場所に隠れてるかもな。地下にいるかもしれないから、早速行ってみようか」
リュウは言いながらさっさと階段を下りていく。ナナセは慌てて後を追った。
一階から地下へと向かう階段は何も見えず、まるで底なし沼のようだ。
「真っ暗だ……」
ナナセの足がすくんだ。
「ちょっと待って」
リュウはネックレスの黒い石に触れた。するとパアッと光が湧きだし、辺りを照らした。
「わ、すごい。魔術ですか?」
ナナセは目を丸くした。
「そう。この石は魔力を貯めておけるんだ。まあ、こんなの魔術とも言えないよ。誰でも使える魔術なんだから」
誰でも使える、と言いつつもリュウはどこか得意気だ。
「助かります。明かりになるもの持ってなかったから」
「明かり持ってないの? 参ったなあ、冒険者なら明かりを持つのは基本中の基本だよ?気をつけないと。今日は俺がいたから良かったけどさ」
「あ、はい……覚えておきます」
リュウの言い方になぜか棘のあるものを感じ、ナナセはほんの少し違和感を持った。
地下へ降りると、そこはだだっ広い空間だった。太い柱が何本も視界を遮るように立っていて、奥は暗すぎてよく見えない。ボロボロのソファや木箱がいくつか置かれているのが見えるが、物置としてはあまり使われていなかったようである。
「動かないで、ナナセ。武器を持って。魔物が湧いてる」
前を歩いていたリュウは突然ナナセの動きを制し、小声でナナセに告げた。
「えっ、どこに?」
ナナセはじっと目を凝らした。奥に「何か」の気配を感じるが、彼女にはその姿が見えない。
「気づかれてる。こっちに来るよ」
「魔物が……? ほんとに、ここに? でも『宵の泉』のようなものは……」
「奥に湧いてるんだろうな。ほら、早く武器を構えて」
ナナセがどれだけ目を凝らしても、泉のようなものは見当たらない。だがその時、彼女の瞳に怪しい影が確かに映った。
「あれが魔物……?」
黒い大きなものがぬるりと闇の中から現れ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。そしてそれはナナセの想像する魔物とは全く形が違っていた。
それの背丈はナナセやリュウと同じくらいある。二本足で立ち二本の手がある、ナナセ達「ドーリア」と同じ形をしたものだ。ボロボロの衣服を身にまとい、破れた袖から見える腕は枯れ枝のように細かった。
「そうだよ。あれは泉の向こう側にある『宵の国』からやってくる魔物だ。見た目は俺たちに似ているように見えるけど、よく見てみろよ。目がないだろ?」
ナナセは魔物の顔を見て思わず息を飲んだ。その魔物には確かに目がない。黒いもやのようなものが体中を覆っている。服も体も、全てがもやと同じように黒い。
「ぼーっとしてるとやられるよ」
「は、はい!」
ナナセは不安でいっぱいだ。戦い方もろくに知らないのに、彼女が持つ武器は小さなナイフ一つだけ。後ろで援護してくれるリュウを信じるしかなかった。
魔物は武器のようなものを持っていないようだ。ゆっくりとした動きでナナセに近づいてくる。
ナナセは無我夢中で武器を振るう。ナナセの攻撃が当たると、魔物が唸るような声を上げ、枯れ枝のような腕を素早く振り下ろしてきた。
ナナセの顔が苦痛でゆがむ。間髪入れずに魔物の次の攻撃がナナセに当たり、ナナセは吹っ飛んで床に転がってしまった。
「……強い」
ナナセの視界が赤く染まりだした。自分の体力が大きく削られていることが分かる。魔物はゆっくりとした動きなのに、こちらを攻撃する時はとても素早い。早く傷を治さないと危険だ。この世界に生まれたばかりの彼女でもそれは分かった。
「リュウさん、助けて」
体を起こしながらリュウを見たナナセは、彼の表情を見て体が固まった。
リュウはとても冷たい表情でナナセを見下ろしていた。
「何やってんの? 攻撃を避けないとこっちがやられるよ」
「でも、この魔物強すぎます。私の力じゃ無理です」
ため息をつきながら、ようやくリュウはナナセに回復魔術を使った。ナナセの体力は戻ったものの、状況は少しも変わっていない。
魔物は再びナナセに襲い掛かる。ナナセはどうにか避けようと動いたが魔物の攻撃が再び彼女を襲った。ナナセは再びリュウに向かって叫ぶ。
「リュウさん! お願い」
だがリュウの返事はまたしても信じられないものだった。
「はあー、下手くそだなあ。もうちょっと動けると思ったのに」
下手くそ……? ナナセは何を言われているのか分からず、頭が混乱している。
(私が戦い方も知らない新人だってことをリュウさんはよく知っているはず。なのに何故この人はこんなことを言い出したんだろう?)
「攻撃を予測して動かないと。ヒーラーに迷惑をかけるつもり? ほらほら、敵の動きをよく見て」
リュウの冷たい声を背に、ナナセは魔物に向き合う。攻撃を予測して、避ける……頭では分かっているのに、魔物は思わぬ動きで彼女を翻弄する。ナナセは再び魔物に殴られ、床に伏せた。彼女の視界はもう真っ赤に染まっていて、周囲がぼやけ出した。
「お願い、回復を……リュウさん」
リュウは大きくため息をついた。
「はー、なんかもういいや。飽きちゃったし帰るわ」
「は……?」
ナナセは耳を疑った。
リュウはナナセの言葉に耳を貸すそぶりも見せず、胸元から何かを取り出すと、彼の足元にそれを落とした。
すると、足元から彼を包むように光の柱が立ち上る。
「じゃあ俺先に帰るから。後は頑張ってねー」
「待って、リュウ……!」
光が更に強くなり、そして弾けた。光はリュウを飲み込み、そして辺りは急に暗闇に包まれた。
リュウは本当にナナセを置いて帰ったのだ。リュウが照らしてくれていた明かりもなくなり、今度こそ本当の闇の中にナナセは一人取り残されてしまった。
いや、ナナセともう一つ……恐ろしい魔物と。
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