第16話 本能に抗えない
『中谷くん……現在私は中谷くんの脳に直接話しかけています』
いや、どういうこと? ねぇ……どういうこと?
もうね……自分の想像が追いつく状況じゃないんだわ……。
え? 夢? 幻?
真っ暗闇の中で身動き一つろくに取れずに困惑しているとクスクスと脳内に笑い声が響く。
『中谷くん、怖いことはなにもないですよ。自分のしたいことをしたいようにすればいいだけです』
と、言われても視界は真っ暗だし身動き一つとれない俺は何をすれば良いというのだろうか……。
『私が中谷くんに念じているように、中谷くんも私に何かを念じて見てください』
『ん? こういうことか?』
『あ、そうですそうです』
なんじゃこりゃ……。彼女に向かって念じてみると彼女に通じた。
え? 魔法?
『ところで袴田よ。これはなんのつもりだ?』
『恩返しです』
なんでも恩返しって言葉を使えば許されると思っている節があるな……こいつは……。
『ちょっと言っている意味がわからないんだけど……』
『大丈夫です。安心してください』
いや、安心ってなに。
『まずは中谷くんにこの気持ちよさを実感して頂きたいです』
『はあ?』
と、思った瞬間、なにやら脳がとろけるような感覚に襲われる、まるでとろとろの液体の入ったカプセルがパキッと割れて脳内に浸透していくような感覚。
なんだろう……すげえ気持ちいい……。
その得体の知れない気持ちよさに困惑と喜びを感じながらも、同時に恐怖も感じる。
『どうですか? とっても気持ちいいでしょ?』
『き、きもぢいぃ……』
『クスクス……可愛いです……』
あ~マズいマズい……。袴田のテレパシーが骨に響かせ脳に心地よい振動を与える。
あぁ嬉しい……袴田が話すと凄く嬉しい……。
『もっと気持ちよくなりたいですか?』
『な、なりだいでず……』
頭の中ではマズいと警鐘を鳴っている。けれども袴田の言葉が気持ちよすぎて、体の方はもっと気持ちよくなりたいと言っているでござる……。
ヤバい……ヤバいんだけどやめられない……。
『も、もっと気持ちよくなるにはどうすればいいんだ?』
『やりたいようにすればいいと思います。私の体はもう中谷くんの物ですので、中谷くんのやりたいようにすればいいんです……。それが私のできる恩返しですから……』
『俺がやりたいこと?』
『中谷くん……私のことを使役したくないですか?』
『いや、さすがにそれはマズ――』
『使役したくないですか?』
『あぁ……ぎもぢいい……』
そう尋ねてくる袴田の言葉はさっき以上に脳内でぐわんぐわんと揺れて快感エキスが脳内にじゅわ~としみ出す。
『もう一回聞きますね? 私を物のようにぞんざいに扱って奴隷にしたいと思いませんか?』
『…………』
『したくないですか?』
『あぁ~したいです……』
あぁ~気持ちいい。なんだこの今まで体感したことのないような快楽は……。こんな気持ちよさを知ってしまったら俺は、今後何があっても気持ちいいなんて……。
脳がどんどん溶けていって思考力が鈍っていく。
あぁ……俺が俺じゃなくなってしまう……。なんて恐怖と快楽に脳を支配されてると徐々に俺の視界が明るくなっていく。
目の前の霧が徐々に薄れていくと、今度は徐々にはっきりとさっきまでの和室の光景が視界に広がる。
あぁ……亜空間から戻ってきた。
そのことを察した俺は慌てて首を捻って、自分に跨がる袴田へと顔を向けた……のだが。
「なっ…………」
「中谷くん……どうかしましたか?」
白々しく首を傾げて笑みを浮かべる袴田の首には風呂場と同じように首輪が嵌められていた。そして、これまたいつの間にか俺の右手首には鎖の繋がったリストバンドも嵌められている。
「中谷くん……私は中谷くんに救われました。だからこれから中谷くんの道具として生きて行きます。これからは私に気を遣う必要なんてありません。どうぞ無機質な道具のように扱ってください……」
「いや、そんなことできるわけねえだろっ!! 俺はお前にこんなことができるほど恩は売ってない」
「そんなことないです。中谷くんは私の人生に光を与えてくれました。それに……私を奴隷のように扱えば、きっとさっきと同じぐらい気持ちよくなれますよ?」
さっきと同じように気持ちよくなるっ!?
不覚にも彼女のそんな言葉が俺の体をゾクゾクさせた。
そこで気づいた。今の俺は快楽のためならなんでもしたくなってしまう猿と化していることに……。
いやいやマズいマズい。こんな一時の気の迷いで袴田に手を出してしまったらとりかえしのつかないことになる。
何十回何百回と言っているが、彼女は俺に恩を感じている。彼女が言っている言葉は全て俺への恩を返すためである。
これは本当の愛ではないし、そもそも恩がなければ彼女が俺にこんなことを言ってくることは絶対にない。
恩と後ろめたさを逆手にとって自らの欲望を満たしてしまうことは、ただただいたずらにシナリオに干渉することになりかねん。
しっかりと理解しろよ俺。彼女は俺が好きなわけではないのだ。ただただ後ろめたさで俺に恩を返そうとしているだけだ。
「袴田……そういうのは……」
「さっきみたく気持ちよくなりましょ? 一緒に快楽に溺れるお猿さんになりましょう」
ぬおおおおっ!! やめろぉぉぉぉっ!!
袴田から快楽というだけで涎が出てきそうだ。
なんだこれ……。絶対に手を出してはいけない果実の味を知っちゃったじゃん俺……。
気がつくと俺は背中に跨がる袴田から逃れると、今度は逆に彼女を仰向きに寝かせてその上に跨がっていた。
「中谷くん、その調子です」
「くそぉ……手が……手が勝手に……」
理性で必死に体を押さえようとしても、本能が俺の手を彼女を繋ぐ鎖へと伸ばす。
彼女に馬乗りになったまま、力一杯鎖を掴んだ。
「はぁ……はぁ……袴田……」
「どうしましたか?」
「お、お前は……俺の……」
やめろ…………良くないぞ俺。思いとどまれ。
「私はあなたさまのなんですか?」
「お、俺の……俺の……」
やめろ俺っ!! やめろ俺っ!!
「ど、どれ……」
と、そこまで口にしたところでガチャリと玄関の方から扉が開くような音がして、ふと我に返った。
袴田もまた驚いたように玄関の方へと顔を向けた。
「ただいま~」
玄関から母親の声が聞こえてきた。
おいおい、旅行に行ったんじゃなかったのかよっ!! ってか、こんな姿を見られた既成事実が出来てしまう。
そのことを悟った俺は慌てて鎖から手を離すと、慌ててリビングへと駆けていくとそのまま脱衣所へと向かう。そして、世界記録を更新できそうな速度で近くにあった俺のTシャツを手に取って和室に戻ってくると上体を起こしていた彼女の頭にそれを被せた。
「ちょ、ちょっと中谷くんっ!?」
「ちょっと匂うかもしれんが我慢しろ」
有無を言わさず彼女に強引にTシャツを着せると同時に両親がリビングへとやってきた。
「はぁ……ただいま……」
と口にする母親はリビングを見回してドアが開きっぱなしの和室へと顔を向ける。
「あら? 美優ちゃんじゃない。もしかして今日もお泊まり?」
「はい……中谷くんのお言葉に甘えて……」
「あら~そうなの? 大河ったら意外と積極的なのね」
と、勘違いする母親。
いや、それはそうと……。
「お、おい、旅行に行くんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったの。だけど、雨で新幹線が途中で止まっちゃって今日中に着けそうになかったからキャンセルして帰ってくることにしたの……」
「パパ、母さんとの旅行がなくなって悲しいぞ」
いや、親父の意見は聞いていない。
が、どうやらそういうことらしい。なんだかよくわからんが、両親が帰ってきたことによって俺は平常心を取り戻すことに成功した。
袴田へと顔を向けると彼女は頬を真っ赤にしたまま鼻をぴくぴくさせていた。
やっぱり汗とかついてるし臭かったか……。
「悪い……」
そう謝るが彼女は「え? なにがですか?」とぽかんと首を傾げていた。
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