第9話 ご神託

 あれから一週間ほど袴田は学校を休んだ。


 事故の直後、袴田は両親に連れられてババアの運ばれた病院へと向かった。


 正直なところ混乱状態の袴田を両親に引き渡すのが心配で引き留めたのだけれど、なぜか突然落ち着きを取り戻した彼女が同行すると言ったので見送ることにした……のだが。


 さすがに一週間も学校に来ていないのは心配になるよな……。


 見たところババアは骨折こそしていそうだが命に別状はなさそうだったし、袴田が一週間も学校を休んでつきっきりになるような怪我ではないはずだ。


 それなのに袴田は学校に来ない。


 これまで物語の傍観者に徹するつもりでいたし、これからもそのつもりではいるけど、こん回のことは俺も関わっているだけにただ傍観しているわけにもいかない。


 が、残念なことに俺は袴田の連絡先をなにも知らない。


 かといって他のヒロインに袴田の連絡先を聞くのはいたずらにシナリオに干渉することになりかねないのでできそうにない。


 いや、どうするのこれ……。


 袴田があのババアに洗脳されているのではないか?


 もしくはババアに洗脳された両親から酷い目に遭わされているのではないか?


 心配で気が気じゃなかったのだが、なにもできない以上彼女が無事なのを祈るほかない。


 そんなこんなで、もやもやした学園生活を送っていた俺だったが『星屑のナイトレイド』の主人公、生田京介やその他のヒロインたちは相変わらず平和な日常を送っていた。


「ねえねえ京介くん、今日の放課後はカフェに行こうよっ!! この間ね、とても雰囲気のあるおしゃれなカフェを見つけたんだっ!!」

「京介、私は京介と猫カフェに行きたいぞ……」


 などなどヒロインたちは京介に積極的なアプローチをして、京介もまた鈍感さを炸裂させながらも彼女たちのラブコールに応えている。


 そんな彼らを見て俺は思う。


 まるで袴田なんて最初からいなかったみたいだな……。


 以前はこの輪の中に袴田も交じって楽しそうに談笑をしていた京介たち一行。


 そんな輪から突如として袴田がいなくなった。


 俺が盗み聞きしている限り、彼らは彼女の心配をするような素振りは全くなく不気味なほどに平常運転だった。


 まあ、俺はあくまでこいつらの会話を盗み聞きしているだけだし、もしかしたら俺の知らないところで彼女と連絡をとっている可能性もある。


 けれども外から見ている限り、あまりにも袴田の影を感じないので少し違和感を覚えた。


 願わくば京介が秘密裏に連絡をとって、彼女の心の支えになってくれていればいいのだけれど……。


 なんて考えながらいつも通りモブに徹して学園生活を送っていたある日の朝、袴田が学校にやってきた。


 始業の一〇分ほど前、ガラッと開いた扉から現れた袴田の姿に教室が一瞬にして静まりかえる。


「「「「「………………」」」」」


 まあさすがに一週間以上休んでいた生徒がやってきたら、こんな空気になるのもしょうがないか……。


 なんて思いつつも心配になり、彼女の表情を眺めていたのだが、なんというか彼女は俺が想像していた疲弊した様子……ではなく晴れやかな表情を浮かべていた。


 ん? どしたどした?


 その予想外の袴田にやや動揺する俺だったが、袴田の方は心から晴れやかな表情を浮かべたまま一心に俺を見つめていた。


 そして、彼女は俺の元へとまっすぐ歩いてくると、相変わらず晴れやか過ぎる笑顔で首を傾げる。


「中谷くん、おはようございます」

「え? お、おう……おはよう……」

「できれば、少しお話をする時間をいただけると嬉しいのですが」

「話?」

「ここではなんですので、できれば教室を出ましょう」


 そう言って彼女は俺の返事を待たずに俺の手を掴むと教室の外へと歩き始める。


 あーやめてやめて……目立つから止めて……。


 あんなことがあった後だから彼女の話を聞いてやりたいのは山々だが、さすがに彼女の行動は目立ちすぎる。


 現に教室の外へと引かれている俺はクラス中の視線を集め、主人公生田京介をはじめヒロインたちの視線も俺に向いていた。


 あーマズいマズい……。


 が、袴田の引っ張る力は想像以上に強く、半ば連行されるような形で俺は廊下へと出た。


 その後も廊下の生徒たちの視線を集めながら、閉鎖された屋上へと続く階段の踊り場へとやってくる。


「は、話ってなんだ?」


 やや困惑しながらそう尋ねると袴田はなぜか頬をぽっと赤らめながら俺から視線を逸らした。


 いや、どういう反応だよ……。


 なんて考えていると彼女は話を始めた。


 彼女の話を要約するとこうである。


 あの後、ババアと一緒に病院へと向かった彼女は、両親たちと一緒にババアの面倒を見ることになったらしいのだが、ババアの家に日用品を取りに行った袴田はそこで袴田一家を洗脳するためのノートを見つけたらしい。


 それを見ても袴田の両親はしばらく信じられないと言った様子だったらしいのだが、必死に彼女が説得した結果、洗脳が解けたようでババアにことの真意を追求したようだ。


 初めは白を切っていたババアだったが、ノートを見せたところ逆ギレをしてきたのだという。


 それでもババアに追求を続けた結果、ババアの罪を認めさせることに成功して二度と袴田家に近づかないという誓約書を書かせることに成功したらしい。


 まあ、とにかく洗脳が解けたようでなによりである。


「中谷くん、全ては中谷くんのおかげです。お礼なんかじゃ足りないぐらいに感謝しています……」


 そう言って袴田は俺に頭を下げてきた。


「いやいや、ババアのノートを見つけたのは袴田だし、俺はなにもやってないぞ」


 さすがに頭を下げられるほどお礼を言われる筋合いはない。


 が、そんな俺に袴田は首を激しく横に振る。


「そんなことないです。中谷くんは私の心の支えになってくれました。中谷くんがいなければ私はここまで頑張れませんでした。だから恩を返さなければ」


 ということらしい。そう思ってくれるのはありがたいことだが、袴田は少々俺を買いかぶりすぎである。


 下手に恩を感じて、ことあるごとに俺に後ろめたさを感じられるのはあまりよくない。


 だから、


「わかったよ。お礼は受け取った。これで全て終わりだな。これからは家族と今まで以上に仲良くできればいいな」


 なんて後腐れのない感じに誘導しようとするのだが、彼女はなぜか頬をさらに染めると俺に顔を接近させてくる。


 あー近い近い。


「ダメです」

「だ、ダメ?」

「お礼なんかでは恩は返せません」

「いや、そんなことはない。お礼で十分だよ」


 これはなかなかによろしくない展開である。


 さっきも言ったが彼女に必要以上に恩着せがましくすると、彼女は後ろめたい気持ちになる。


 そうなったら京介とのシナリオにも悪影響がでかねない。ただでさえ、もう既に彼女とは接触しすぎているのだ。


 ということで。


「もしも恩を感じるのならば、その恩は大切な人に返すべきだ。人間ってのは誰かから受けた恩を他の大切な人に返すことでどんどん幸せになっていく生き物なんだ」

「大切な人に返す……ですか?」


 そうだな。例えば両親とか京介とか京介とか京介とか……。


 そんな俺の言葉に袴田は純真無垢な瞳を浮かべながら首を傾げる。が、どうやら自分の中で納得したようにコクコクと頷くと俺に笑みを向けた。


「この恩を私にとって大切な人に返せば良いのですね?」

「そうだな。それでいい」

「それがあなた様からのご神託ですか?」


 ん? どした? なにその個性的な言い回しは?


「信託かどうかはわからんが、俺はそれでいいと思うぞ」

「わかりました。ではそのようにいたします」


 と、怖いほどに彼女は聞き分けがよかった。


 が、まあ納得してくれたのならなんでもいい。


「まあ、そういうことだから、あんまり気負いすぎないようにな」

「わかりました」


 と相変わらず顔を接近させたまま俺を見つめる袴田に困惑しつつも、俺はほっと胸をなで下ろすのであった。


 そして思う。


 俺がプレイした『星屑のナイトレイド』にはババアも洗脳された袴田の両親も登場しなかった。


 シナリオに登場しなかったということは大したストーリーではないということだ。


 おそらく俺がいなくても彼女や彼女の家族はババアからの洗脳を脱却していただろうし、そのことがシナリオに大きな影響を与えないはずだ。


 だからまだ大丈夫。ここからでも十分に俺の大好きだった『星屑のナイトレイド』を傍観することができる。


 というかそうであってくれ。


 そう心に願いながら俺たちは教室へと戻るのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る