第8話 女の尻尾

 それから袴田美優は両親に連れられてあの女の運ばれた病院へと向かうことになった。


 はっきり言ってこれ以上あの化け物には会いたくない。少しでもあの女から距離を取って生きていきたい。


 それが美優の本音である。


 が、美優はそれでも両親に付き添って病院へと向かうことにした。


 当然ながら大河に止められたが、それでも彼女は病院へと向かうことにした。


 その理由はあの女……ではなく両親が心配だったからである。


 もしかしたらあの女は事故の原因を自分に取り憑いているという悪魔のせいにして、さらに両親を不幸にするかもしれない。


 が、今の美優は自分に悪魔なんて憑いていないと確信ができる。


 これまでは少し不安だった。もしかしたら本当に自分に悪魔が取り憑いていているかもしれない。


 自分のせいで両親が不幸になっているのかも知れないと思い悩んだこともあったからだ。


 けれども今は違う。


 なぜそう言えるのか?


 それは美優にとっての神様がそう言ったからだ。


『お前に逢隈が取り憑いているはずがない。俺はお前の行動で何度も癒やされて幸せになった男を知っている。だから、もっと自分に胸を張ってもいいんだぞ?』


 その言葉が本当かどうかはわからないが、美優にとってはどうでもよかった。


 神様が言うのだから信じれば良いのだ。


 美優は決めた。これからはこんな悪魔みたいな女の言いなりになんてならない。神様だけの言うことを聞いて神様のために生きていく。


 美優はそう心に誓っている。


 そして美優の予想通り、病床でのあの女の態度はふてぶてしいものだった。


「どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないのっ!? 悪魔の仕業よっ!! あの子に悪魔が憑いているから足が折れたのよっ!!」


 足を折ったのは車に撥ねられたからではなく、車を蹴ったせいである。


 にもかかわらず女は美優の仕業だと言い張って、その責任を擦り付けてきた。


 そんな暴論を平然と口にする彼女に両親たちもまた「優子さまの言うとおりでございます」「どうか美優に取り憑いた悪魔を」と言いながら彼女にへこへこしながら召使いのような生活を送ってる。


 が、それでも美優の心は全く動じない。


 何度でも言うが美優には中谷大河という絶対的な神様が存在するのだ。


 きっと神様が私たちを幸せに導いてくれる。そう信じながら一週間ほど学校にも通わず両親たちとともに彼女の身の回りの世話をしていた。


 が、そんなある日、福音を美優は耳にした。


 それは母につられてあの女の自宅に日用品を取りに行ったときのことだ。


 母が着替えやタオルなどをせっせと用意しているのを横目に、美優は女の自室へと向かう。


 美優はしっぽを掴んでやりたかった。あの女のしっぽを掴んで引きずり下ろしてやろうと本気で思っていた。


 美優に悪魔が憑いているとのたまう彼女の家に美優が忍び込むことのできる機会など滅多にないのだ。


 だから彼女の部屋に忍び込んで女が両親を誑かしている証拠を見つけ出したかった……のだが。


「し、閉まってる……」


 女の部屋のドアは施錠されていた。がっくりと頭を垂れる美優だったが、そんな彼女に神が味方した。


「ねえ美優、ママ、近くのコンビニに行って優子さまの歯ブラシを買ってくるからしばらく家で待っていてね」


 そう言い残して母親が家を出て行ったのだ。千載一遇の大チャンスである。美優は母親が家を出て行くのを確認すると同時に家の物色を始めた。


 いつの日かあの女が父親に家具の修復を命じたときに使っていたカナヅチを工具箱から発見するとそれを持って再び女の部屋へと向かう。


 そして。


「絶対に暴くから……」


 そう呟いて美優は木造のドアをカナヅチで容赦なくぶっ叩く。


 カナヅチを振るうと先の尖った釘抜きの部分がドアにめり込んだ。それを引き抜くと何度も何度もドアにカナヅチを振るう。


 そして気がつくと拳ほどの大きさの穴が開いた。美優はカナヅチを投げ捨てると穴に手を入れて内側からドアを開く。


 彼女の眼前に高級ホテルのような空間が広がった。


 20畳以上ありそうな広い部屋の中央にはキングサイズの大きなベッドが鎮座しており、部屋の隅にはアンティークな木造の執務机が設置されていた。


 美優は迷わず執務机に向かうと引き出しをひっくり返してみる。が、中には筆記用具となにも書かれていないノートが入っているだけでこれと言ったものはなにもない。


 外れだったか……。


 引き出しを閉めようとした彼女だったが、その直前にふと違和感を覚えた。


 引き出しの中が妙に浅いのだ。外から見る限り引き出しの暑さは30センチ近くあるはずなのだが、いざ開けてみると引き出し内の深さは10センチほどしかない。


「あ、あれ? 変だな……」


 そう思った彼女は引き出しを引き抜こうとする。が、引き出しの奥にストッパーがあるようで上手く引き抜くことができなかった。


 ならば破壊するしかない。ということで美優は廊下に出て再びカナヅチを手に取ると、部屋に戻り容赦なく引き出しに振り下ろした。


 すると底にハンマーが突き刺さり、それを引き上げると底が取り外された。


「やっぱり……」


 どうやら引き出しは二重底になっていたようだ。底を取り外すとそこにはなにやら使用感のある大学ノートが姿を現す。


 ということでノートを手に取ろうとした美優だったが。


「ちょ、ちょっと美優っ!! あんたなにやってんのっ!?」


 そんな叫び声がしてドアの方を見やるとコンビニ袋を手にした母の姿。


 母親は袋を投げ捨てると慌てた様子で美優の方へと駆けてくる。


「美優やめなさいっ!! そんなことをしたら優子さまにっ!!」

「離してっ!! ママ、いい加減に目を覚ましてよっ!!」


 などとノートを持ったまま母親ともみ合っていた美優だったが、母親の手が当たりノートがベッドの上へと飛んでいく。


 美優は慌てて母親の体を振りほどくと、ベッドに上ってノートへと手を伸ばす。吹き飛ばされた勢いでノートは開かれており、そこには細かい文字でびっしりと何かが書き込まれていた。


「え? …………」


 ノートの文字を目にした美優は思わずそんな声を漏らす。


「美優、あんんたなに考えているのっ!?」


 と、依然としてヒートアップしている母親だが、美優はノートを手に取るとそれを母親へと向ける。


「ママっ!! これを見てっ!!」

「美優、止めなさいっ!!」

「いいから見てっ!!」


 と叫ぶ美優の熱意に母親は思わずノートへと目を向ける。


 そして、しばらく目線でノートの文字を追うと顔を青ざめさせた。


 ノートにはこう書かれていた。


『今週は100万円の大台に乗った。がんばったね私っ!! 袴田家から40万円、井口家から35万円。飯塚家、芳田家からそれぞれ10万円ずつにその他の家からも手堅く5万円ずつ。袴田家はプレッシャーをかければさらに搾り取れる。娘の容姿が良いから彼女の体を使えば10万上乗せも狙える。来月の目標金額は200万円っ!!』


「な、なによこれ……」


 文字を読みながら母親はそうぽつりと口にする。


「ねえいい加減に目を覚ましてママっ!! こんなのおかしいよね? 私たちはどうしてこんなにあの女に貢いでいるのに幸せになれないの? どう考えても私はおかしいと思う」


 そんな美優の言葉に母親は何も答えない。


 呆然としたままどこか遠くを眺める母親をおいて、再び引き出しへと歩み寄ると物色を続けた。


 そして再び怪しげなルーズリーフを見つけた。ルーズリーフにはいくつもの仕切りがあり、それぞれのしきりには袴田家を初めとしていくつもの名字が書かれていた。


 無造作にルーズリーフを開くと、美優は我が目を疑った。


 そこには袴田家のそれぞれの名前とともに、その下にそれぞれの性格や特徴、掴んだ弱みなどが事細かく書き込まれている。


 さらにはどういう状況でどう詰めれば上手くその人間を動かすことができるかの所感まで詳細に書かれていた。


「ママ……これ……」


 と、声をかけるが母親は「信じられない……信じられない……信じられない……信じられない……」とぶつぶつと呟いたままこちらに顔を向けようとしない。


 そんな母に美優はムッと口を噤むとルーズリーフを掴んだまま母の体を自分の方へと向けた。


「ママ、見てっ!!」

「ありえない……ありえない……ありえない……ありえない……」

「ママっ!! いいから見てっ!!」


 再度そう叫ぶと母親は相変わらず独り言をぶつぶつと呟きながらルーズリーフへと顔を向けていた。


 そして。


「ひゃああああああああっ!!」


 とヒステリーを起こしたように頭を抱えるとそのままその場にうずくまり始めた。

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