第6話 ババアとバトル

 マズい……非常にマズい……。


 窓の隙間から袴田の両親と謎のババアを見て戦慄した俺だったが、袴田の方は初めこそパニックを起こしていたもののすぐに冷静に戻って荷物を手に取って立ち上がる。


「お、おい、どこに行くんだよ」

「逃げます」

「逃げるっ!? 逃げるってどこに逃げるんだよ。それにパジャマ姿だし」

「中谷くんや中谷くんのご家族にこれ以上迷惑はかけられません。エアクリップを持ってある程度逃げて彼らをおびき寄せて、適当なタイミングでクリップを捨ててどこかに逃げるつもりです」


 そう言うと袴田は俺の部屋から出て行こうとするので、慌てて彼女の腕を掴む。


「いや、もう夜も遅いし、そんな格好で逃げるのは無理があるだろ。それに仮にここで逃げ切れたとして、その後どうするんだよ」

「それは中谷くんの家に泊めてもらっても同じことですし、その後のことはその後の私に任せます」

「いやいやマズいでしょ」


 さすがに無謀すぎる。もう夜も更け始めているのだ。いくらここが平凡な住宅街だったとしても、未成年の女の子がうろつくのはリスクが大きすぎる。


 とはいえ居場所がバレてしまったのは事実である。


 ここでこのままなにもしないでいると彼らは家にやってきて彼女を無理矢理にでも家に連れ戻すだろう。


 そうなったらうちの両親だってそれを拒むことはできない。


 下手したらこっちが誘拐でおまわりさんのお世話になりかねない。


 ってかなんでこんなことになってるんだよ……。


 その想像以上に深刻な事態に俺は頭を悩ませる。


 ここは『星屑のナイトレイド』の世界だろ? 山なしオチなし意味なしの三拍子揃った平和な美少女ゲームの世界でどうして逃走劇が繰り広げられているんだよ……。


 正直、納得はできないが目の前で起きていることも事実に変わりない。


 こんなことになった以上、なんとかするしかない。


 ということで。


「とりあえず両親に会うしかなさそうだな。両親と会って一緒に説得しよう」

「で、ですが中谷くんに迷惑がかかりますし……」

「迷惑ならとっくにかけられてるし、今更少し増えたところで変わらねえよ」


 そう。もう袴田と会話をしてしまった時点で迷惑はかかっているのだ。


 できることならば両親と話して穏便に話をつけて、以後のシナリオに影響がでないようにしておきたい。


 ということで、その場で躊躇っている袴田の手を引くとやや強引に彼女を家の外へと連れ出した。


 が、さすがに家の前で口論をするのは迷惑がかかるので。


「とりあえず俺についてこい」

「ええっ!?」


 俺は袴田の手を引いたまま駆け出す。困惑する袴田と「ちょ、ちょっと待ちなさいっ!!」と俺たちを追いかけてくる袴田の父。


 そんな父の言葉を無視して100メートルほど走ると目の前に小さな公園が現れた。


 とりあえず家の前で会話をするよりは迷惑がかからない。ということで、そこで足を止めると息を切らせた袴田の父と袴田の母とババアを乗せたセダンが公園へとやってきた。


 ということで説得を開始するしかない。


 申し訳程度に滑り台とブランコが設置されたその小さな公園に、俺と袴田、さらには袴田の両親と謎のババアが集結する。


 袴田は怯えたように俺の背中に隠れており、俺の前に対峙するように袴田の両親とババアが立っていた。


「美優、どうして私たちから逃げるの?」


 最初に口を開いたのは美優の母親だった。見たところ30代後半から40代前半と言ったところだろうか。こんなことを言うのはあれだが袴田とよく似ていて綺麗な人だった。


 そんな母親の言葉に袴田は俺のTシャツを掴む手に力を入れるだけでなにも答えない。


「美優、母さんはお前が心配で泣いていたんだぞ? 母さんを泣かせて恥ずかしくないのか?」


 なんて母親に加勢をするのは父親だ。


 父親は袴田とはあまり似ていない普通の中年男性で、腕を組んだまま俺ごしに袴田を睨んでいる。


 そしてババアは少し落ち着いたようにただじっと立っていた。


 いや、だからこのババアは何者なんだよ……。


 どう考えてもこいつだけ場違い感半端ないだろ。


 両親は袴田を睨んでいるつもりなのだろうが、袴田は背中に隠れているので結果的に俺とにらみ合うような形になっている。


 ここは俺から何か言わないとマズイよな。


「初めまして僕は袴田さんのクラスメイトの中谷大河と言います。この度はご両親ともに大変心配のことかと存じます」


 丁寧にそう挨拶をすると、両親はやや面食らったように顔を見合わせてから俺へと視線を向ける。


 そして父が口を開く。


「この度は急に押しかけてしまい申し訳ございません。おそらく娘を心配してくださった上で保護してくださったのでしょう。ですが、ご心配はご不要です。我々が責任を持って彼女を保護いたしますので、速やかに彼女をわれわれにお引き渡しください」

「お言葉ですが彼女はあなた方に酷く怯えている様子です。僕としては彼女をこのままあなた方に引き渡すのにはいささか不安があるのですが」


 とりあえず、思っていることを素直に口にするとまた両親は少し動揺したように顔を見合わせた……のだが。


「不安? いったい何の不安があるのかしら?」


 そこで口を開いたのはババアだった。


 おそらく年齢は50代ぐらいだろうか? 恰幅の良いそのババアは俺へと一歩歩み寄る。


 その手には高級そうな宝石の付いたリングと首にはこれまた高級そうなネックレスがかかっている。


 成金……というのがぱっと見の俺の印象だ。


 突然、口を開くババアに俺を含め両親もまた驚いたようにババアへと顔を向ける。


優子ゆうこさま……。優子さまのお手を煩わせるわけには……」


 そこで口を開いたのは父である。


 おいおい、さま付けってどういうことだよ。なんかそれだけでヤバい香りがぷんぷんするんだけれど……。


 情報量の多すぎるやりとりに困惑していると、ババアこと優子さまは父を手で制して俺を見つめた。


「あなたがどういうつもりでこの子を連れ回しているかしらないけれど、あなたがこの子を連れ回せば連れ回すほど彼女は不幸になるの。彼女のことを思うならばすぐに彼女を引き渡しなさい」

「不幸? むしろ僕の目にはあなたがたに袴田さんを引き渡す方が不幸を招きかねないと思うのですが?」


 そんな質問にババアはため息を吐く。


「あなたのような祝福を受けていない凡人には悪魔が見えないのね?」

「は、はあっ!?」


 ん? どしたどした? 急にキナ臭い単語がいくつか耳に入ってきたけど……。


「この子には悪魔が憑いているのよ。悪魔に取り憑かれたこの子は自らの体で男を魅了して堕落させていくの。あなたも悪魔に憑かれたくなかったらすぐにでもその子を離しなさい」


 あーあーやばいやばい。このババア口を開いてからヤバいことしか言ってねえぞ。


 と、そこで袴田の母親がポケットからハンカチを取り出すと、涙を拭い始める。


「優子さま……どうか……どうか娘をお救いください……。そのためでしたら私たちは何でもいたします。お金が必要であればなにをしてでもお金を作ります……ですから……ですから……うぅ……」

「…………」


 なんだろう……彼らのやりとりを見ていて俺はなにかを察した……。


 なるほど……どうやらこのババアが黒幕らしい。袴田一家はこのババアに洗脳されてるようだ。


 そういえば前世の世界でも家族が赤の他人に洗脳されて、お金を貢がされる……どころか犯罪にまで手を染めたなんて事件を聞いたことがある。


 どおりで袴田が必死に逃げていたわけだ……。


「優奈、これ以上ご両親を心配させるのはやめなさい。あなたに取り憑いた悪魔は私が必ず祈祷で払って見せましょう。あなたを洗脳する悪魔と決別するのです」


 そう言って両手を広げながらこちらへと歩いてくるババア。ババアは優奈をハグするつもりなのだろうが、俺の背中に隠れているせいで俺がハグされそうで不安なんだけど……。


 が、事態はようやく理解ができた。なんとなくだが、昼間に袴田がいかがわしい撮影会に参加させられそうになっていたのも、このババアに原因がありそうだ。


 ということで。


「悪魔? ふざけたことを言うのは止めろ。ついでに袴田たち家族をこれ以上不幸のどん底に陥れるのはやめろ」


 強い口調でババアにそう言ってやった。そんな俺の言葉に袴田両親は驚いたように目を見開いて俺を見やると母親が「優子さまに向かってなんてことを……」と呟く。


 が、優子さまとやらのほうは動揺する様子はない。


「この子には悪魔が憑いているわ。すぐにでもそれを取り除かなければ」

「悪魔? そんな話、どこのバカが信じるんだよ」


 いや、信じてる奴がいるからこんなことになってんのか……。


「あなたが信じるか信じないかには興味はないわ。悪魔はいるの」

「はあ? いるなら証明してみろよ」

「悪魔を否定したのはあなたでしょ? いないというのならいないという証明を先にしなさい」

「んなの、それこそ悪魔の証明だろうがよ。お前がとっとと悪魔がいることを証明すれば済む話だ」

「どうしてあなたに証明する必要があるの?」

「決まってんだろ。袴田に被害が出てるからだよ。証明もできないもので相手を騙すなんて詐欺もいいところだぞ」

「詐欺? あなた詐欺がなんなのか知ってるの? 刑法のどこに書いているの? 他人を詐欺師呼ばわりするならもちろん言えるはずよね?」


 あーめんどいめんどい……。一番話していて面倒なタイプの人間だ。


 俺が何も答えられないでいるとババアは「あ、知らないんだ。最近、ネットで詐欺という言葉を知って使いたくなっちゃったのかな?」と挑発するように笑みを浮かべた。


 ぶん殴りてぇ……一発で良いからこの女の顔面をぶん殴ってやりてぇ……。


 が、当然ながらそんなことをしたら相手の思うつぼなので反応を示さないことにする。


 とりあえずこのババアを説得するのは無理だ。


 なんとか両親を説得して、せめて今夜だけでも袴田を家に泊めさせるつもりでいたけれど、この感じだとそれも難しそうだ。


 ということで。


「あ、あれは……」


 俺は驚いたように目を見開いてババアの後方を指さした。


 そして、彼女たちが一斉に後方へと顔を向けた瞬間、袴田の手首を掴んで駆け出した。


 こうなった以上逃げる以外にない。


 逃げたとはどうする? そんなものは知らねえ。とにかく、逃げるしかない。


 袴田とともに全速力で公園の出口を目指して駆けていく。


「な、中谷くん……どこに行くんですか?」

「知らない。けど逃げるしかないだろ」


 面倒なことはとりあえず後で考えるしかない。とりあえず俺はまだ未成年だし、彼女を連れ去ったとしても大した罪にはなんねえだろう。


 公園を飛び出した俺たちは、両親とババアを確認するために後ろを振り返ったのだが。


 その直後、とんでもない光景を目の当たりにした。


 後ろを振り返った瞬間、俺たちを追って公園から出てきた両親とババアの姿が見えたのだが、それも束の間、凄まじいブレーキとともにババアが走ってきた乗用車に撥ねられた。


「あっ……」


 その衝撃的すぎる光景に俺は思わず足を止めた。


 おいおい……大丈夫か……。


 なんだかとんでもないことになった気がする……。

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