10

欲望を達成してまどろむ白馬はいつも美しい。閉ざされたカーテンは夏の太陽を透かし、寝室はほの明るい。黒馬は隣に寝そべる白馬を見ていた。横向きに丸くなるようにして寝そべり、目を閉じている。風が外の木を揺らすから、カーテン越しの日差しもゆれて、白馬の顔に陰影のわずかなグラデーションを踊らせる。裸体を包む夏掛けは白馬の体の形に合わせて膨らんでいた。黒馬が見とれていると、白馬がごく小さな声で黒馬を呼んだ。そして体を黒馬ににじり寄せると背中に手を回してくれと頼んだ。黒馬が言われた通りにそうしてやると、白馬は黒馬に身を寄せ、口元だけで微笑み、「ありがとう。」と言った。ほどなくして聞こえてきた寝息の穏やかさは、黒馬のまどろみを深くする。次第に解けていく思考で黒馬は白馬のピアノについて考えていた。


恐らく白馬は、ほとんど練習をしていない。


もちろん、黒馬の予想に過ぎない。白馬を見ていて、なんとなく、そう感じるのだ。白馬は練習のためにこの別荘に滞在していると言っていた。黒馬はこのちぐはぐについて真面目に考えようとした。白馬について、なにか知っておくべき重大な秘密があるような気がしたのだ。しかしこれを紐解こうとするにはあまりに材料が少なすぎるし、黒馬はほとんど眠りに落ちていた。黒馬は白馬の背中に回した腕に力を込め、より白馬に密着すると、すぐに深い眠りへと落ちて行った。


*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*


 目覚めた白馬は自分の両の手を見詰め、愕然とした。


動かない。


まったくでは無い。指先が鉛のキャップをはめられたように重たいのだ。感覚も鈍く、試しに噛んでみたがまるで痛みが無い。白馬は呆然とした。恐ろしくなって、脱力しきった手にあらん限り力を込めて、自分の二の腕を掴んで自分を抱きしめた。こうしていれば、繋ぎ止められるような気がした。絶望の淵に居る自分自身を。


手が動かないのは、初めてではなかった。


最初に不調を感じた時から、白馬の手はどんどん力を失っている。近頃ではふとした拍子にこうしてほとんど動かなくなることも珍しくはなかった。多くは、ピアノの練習中や、練習直後。数分もすれば落ち着いて、元通りに動くようになる。

 白馬は時が過ぎるのを息を殺して待った。震える呼吸と打つ度に痛くて早い鼓動。全身を強張らせ、空調の効いた寝室で脂汗をかいていた。

 ふいにのんきな声がして、黒馬が目覚めた。白馬は頑なに自分を抱きとめていた手を解くと、腕を伸ばし、黒馬の背に手を回して、すがるように額にキスをした。


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