人の行動というのは、必ずと言っていいほど矛盾する。出会い、いきなり抱き合ったことに対してあれほど強い抵抗を示したにもかかわらず、あれから白馬は黒馬と何度も会い、時には寝ている。競馬場跡地の敷地内の空き地で会話をしたり、言葉も無く夕日を眺めるだけのこともあった。白馬の車の中でアイスを食べたり、ほんの数分涼をとるだけのこともあった。だがだいたいは、街に行くついでに黒馬が白馬の滞在する別荘を訪ね、それはほとんど仕事が終わった夕方から夜にかけて。夜の時は街に行った帰りに、黒馬はスーパーの袋を下げて白馬を訪ねる。そうして黒馬は別荘で一泊して朝には仕事に行く。しかし男女の付き合い、つまり二人は恋人同士かと問われればそうではない。

 ある日こんなことがあった。黒馬は朝訪ねて来て、白馬を誘った。ので帰ろうとする黒馬に白馬はさすがにそれは止めてくれと言った。黒馬は今さら形式など気にする事だろうか?と思ったものの、白馬に従うことにした。つまりこの友情は、セックスフレンドとかそういうことでもない。

 二人は各々の時間を生き、時々生活の時間を共有する。それ以上互いの心と体に侵入することは無い。約束もしなかった。白馬と黒馬が互いに友情を抱いた時、この付き合い方が最も適当なのだ。出会った誰かと自然に握手を交わすように二人は抱きあう。

 二人共他の誰ともそういう風にはしたことがなかった。いや、これにはほんの少しばかり語弊がある。これまで、そういう対象が二人共、他に現れたことはなかったし、黒馬の色歴史は悲惨で、風変わりなのだ。黒馬には一度も恋人が居たことが無い。けれど白馬にもそうしたように、誘いを断ったことは一度も無かった。つまり黒馬にとってセックスはそういうもの、相手の思惑がそうであれば挨拶がわりのようなものでしかなく、それは寝ることによって生じる人間関係についても同じことだった。今のお相手白馬はそれにしては黒馬に従順だし、黒馬のことをよく見て理解しようとしている。その瞳は透き通ってまっすぐだ。美しい、そう言って過言でないように。


*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・


 白馬はカウンターキッチンからリビングに居る黒馬を見詰めた。いつもと同じように、一心不乱にノートに何かを書き込んでいる。横顔は凛々しく、勇ましい。他のどんな時も、黒馬はこんな顔はしない。白馬は視線を手元に戻し、果物を切り始めた。

 黒馬が顔を上げるとキッチンに白馬が居た。白馬は少し顔をうつむかせて、どうやら集中しているようだ。白い額と整えられた眉、その下のふっくらとしたまぶたには年頃らしいつやがあった。黒馬の視線に気がついた白馬が顔を上げ、黒馬を見詰めてにっこりと微笑んだ。黒馬は表情もなく、呆然とそれを眺めていた。

 示し合わせたわけでも無いのにお互いに義理立てして他の誰とも付き合ったり、寝たりはしていないから、恋人と言われれば確かにそうなのかも知れない。黒馬はそう考え、急に居心地が悪くなって肩をぶるりと震わせた。一人で肩をすくませている黒馬に、白馬は疑問符を浮かべ、けれど黒馬の調子がおかしいことなどいつものことだから、別段取り合いもせずに、今しがた切り終えた果物を皿に盛り付けた。


 夕食後、二人は室内の灯りを落として、白馬が借りてきた洋画のDVDを見ていた。白馬が幼い頃に流行った、懐かしの名画だ。黒馬は映画よりも、白馬の横顔を観察していた。映画は時々色鮮やかな閃光を放つ。それが白馬の顔の高い所に当たって低い所に影を落とす。瞳は光りを反射して、輝いたり陰ったりする。光りのベールだ。黒馬はふいに不思議な気分になった。朝陽の中で白馬と裸で抱き合う時、白馬の全身には同じように光りが落ちて、呼吸や動きに合わせて影が踊っていたように記憶している。けれど今ここに居る白馬はまるで別人のようだ。色とりどりの仮面を被り、黒馬を楽しませたり、悲しませたりする、目前の女は一体、どんな本性を隠し持っているのだろう?あるいは、隠していないのかも知れない。いつか黒馬に、それを見ることは叶うのだろうか。黒馬は一人、白馬を見詰めたまま首をかしげた。

「ねぇ、星が見たい。」まだ映画が終わらないというのに、白馬はそんなことを言う。黒馬は一層首をかしげた。

「うん。いいよ。」ほとんど直角に首をかしげるくせに、色よい返事をする黒馬が可笑しくて、白馬は呼気をもらして笑った。

 黒馬は立ち上がり、窓辺に寄った。カーテンを開けると窓の向こうから熱気が伝わってくる。白馬はDVDを放ったらかしにしたまま、窓を開けようと黒馬に歩み寄った。突然黒馬が白馬にじゃれかかり、額にキスをした。抱きつかれた白馬はじたばたと黒馬の腕から逃れようとする。黒馬は笑いながら白馬の耳を噛み、白馬は短い悲鳴を上げた。二人はいつもこうしてはしゃぎ遊ぶ。白馬は黒馬の腕から逃れ、窓を開けて裸足のまま外に出た。後を追うようにして出て来た黒馬の頭に、レースのカーテンが絡みつく。白馬はそれを笑うとカーテンを解いてやり、ついでに黒馬の頭を撫でた。

 二人は並んで夜空を見上げた。なんて素晴らしい景色だろう。ここでの景色は、都会のそれとはまるで比べ物にならないくらい美しい。夏というのに澄んで遠い空はどこか涼しげで、星を沢山浮かべていた。崖の下の街は灯りでいっぱいだ。地上の夜空のように点々、と灯りが灯る街の向こうには海が開けている。海は白い光りをチラチラと空に向かって反射していた。二人は仲良く夜空を堪能していた。時々身を寄せ合うとにじんだ汗が互いの肌に移り、熱い体温が伝わる。

 突然、突風が吹いた。一陣の突風は目前の木々を揺らし、それはここからは見えない、遠くの木々までもを激しく揺さぶった。白馬は、風で巻き上がり、顔にかかる髪を両手で抑えた。驚いて目を見開いたけれど、街灯に照らし出されている一部の木の様子だけでは全貌は分からない。とにかく激しい音がする。それは木々が風に揺さぶられ、しなり、こすれ合う音らしかった。ギィ・・・ギィ・・・という音の後に、バチバチバチッ!とひときわ大きな音が鳴り響いた。白馬は風で勢いよく捲れ上がったワンピースを直そうと慌てて両手を内股に置いた。その時である。黒馬が白馬の手を絡め取り、きつく握った。あまりの力に白馬は顔を歪めた。空いた方の手で視界を邪魔する自分の髪を払い、白馬は黒馬を見た。黒馬は身動き一つせず、ただ前方の木々を見据えていた。暗くて表情はよく分からない。けれど白馬には一つだけ分かったことがある。黒馬は怖がっている。それは突風で揺れる木々のことでは無く、それがゆえ鳴り響いた騒音のことでも無い。白馬の知らない黒馬が居て、その黒馬は今、何がしかの恐怖の中に独りで居る。もしかしてそれは、記憶の中の、恐怖なのかも知れなかった。

 白馬は急に心細くなって、自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「黒馬?」

白馬が呼びかけると黒馬は白馬を見た。家の灯りが丁度よく黒馬の顔を照らしだす。黒馬は一見、いつもと変わらない様子をしている。黒馬は手を解き、白馬の首筋に触れるとキスをした。白馬はこれに応え、黒馬の首に手を回した。二人は離れると手をつなぎ、家の中に入って行った。窓を閉める前に、白馬はもう一度夜空を振り返った。それから急かす黒馬に従ってすぐに窓を閉め、カーテンを引いて二人は寝室へと向かった。

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