第22話 恋する気持ち

 翌日、俺は伊藤千秋を食事に誘うことに決めた。

 今の自分の気持ちを、彼女に告白するためだ。


 しかし、俺は簡単に『推し』の本命になれるなんて、妄想じみた考えはもってない。


 そもそも彼女はトップVtuberだ。そして俺は彼女を推してる『単なるリスナー』。

 伊藤千秋は俺を『ブルースカイ』というフィルターを通して、戦友のような存在として慕ってくれているのだと思う。


 だから、春木優花の時以来、約20年ぶりのとなる俺の告白は……おそらく惨敗すると思っている。


 それでもいいんだ、仮にダメだったとしても、彼女を守るという俺の決意は揺るがない。あの時のように、もう現実から逃げたりもしない。


 昨夜、俺は、草壁香奈の告白で、自分の本音に気づいてしまった。

 そして、ひとりの女性を深く傷つけてしまった今、もう決断を先延ばしにはできない。


 推し活の延長ではなく、一人の人間としての伊藤千秋をもっと知りたい。

 そして、もっと近くで支えたい——それが、俺の一方的な思いだったとしても。


 そんな気持ちを抱えながら、俺は、緊張した手でスマホを握りしめ彼女にメッセージを送った。


 1224【話したいことがあります。もしよかったら、今夜にでも、食事にでも行きませんか?】


 返事はすぐには返ってこなかった。千秋がどう答えるのか不安に胸がざわつく。

 数分が、まるで数時間に感じるほどだ。


 そんな中、ポンと通知音が鳴り、画面には彼女からの返事が表示された。


 Chiappy【ごめんなさい、今、いろいろと大変な時期だから……。また別の機会に。】



 ——まあさすがに、断るよな。

 

 胸の高鳴りが、一気にトーンダウンし、冷めたくなっていく気がした。

 もちろん、彼女には彼女なりの理由がある。俺もそのくらいのことは分かっている。だが、それでもどこか拒絶されたような気持ちが拭えない。


 彼女への想いが募るのと同時に、草壁香奈の顔がちらついた。

 彼女は今、どんな気持ちでいるんだろう。これは因果応報なのかもしれない。


 ——でも逃げない。

 何があっても伊藤千秋を守ると決めた俺には、まだやることがある。


 春木優花に小久保浩司と会った時の話を報告する約束があった。

 俺は彼女にメッセージを送った。しばらくしてから春木からの返信があり、俺たちは自宅マンションの近くにある、恵比寿駅近くのカフェで会うことになった。



 春木優花はカフェに入ってくるなり俺に手をふり、いつものように足早に歩いてきた。他のテーブルにいた数人の男が彼女をじっと見ていた。

 コンサバティブな装いだが、その佇まいは女優のように美しく、まあ普通の男なら当然の反応だろう。


 俺は、彼女との約束で、小久保浩司との会話をボイスレコーダーに録音していた。

 小久保には内緒にしていたが、彼のやったことを考えればお互い様だ。


 彼女はイヤフォンで録音された会話を一通り聴き終えると、手帳を取り出し何かをメモしながら、すこし考え込み、やがて口を開いた。


「小久保浩司……。彼は犯人ではないと思う。でも誰かを庇っている可能性があるわ。もしかして、聖夜くんを裏切って、『あいつ』を隠そうとしているのかもしれない」


「確かに、浩司はソースコードを見て何かに気がつたようだった。表情から察するに、おそらく、関係の深い誰かが関わってるような……そんな感じがしたよ」


「どうする……?彼を任意でひっぱって、話させることも出来るよ」


「それはもう少し待って欲しい。あいつを信じたいんだ。かならず何か行動を起こしてくれるはずだ」


「その気持ちは分かる。でも、用心するに越したことはないわ。念のため、彼の人間関係を整理してみる。特に、話に出てた彼の共同経営者……現在のパートナーについては調べてみる必要があるかもしれない」


 春木の冷静な言葉に、俺は少し不安を感じた。

 小久保はもしかして『あいつ』が誰なのかを知っている?それなのに黙ってた理由はなんだ?俺にも言えないくらいの、何かもっと深い関係の『誰か』なのか?


「それにしても、青空くん『秋空かえで』の、いいえ隣人の伊藤千秋さんの事、かなり本気なのね……」


 俺は彼女の突然の話題に驚き、飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになった。


「ゴホゴホ、ちょ、え?……あ、そうか録音で」


「それもだけど、あなたが彼女のトップリスナーだってことは、最初から知ってたわよ、いちおう警察にいるからね」


 そう言うと彼女はちょっと小悪魔的に微笑みながら、俺の顔を覗き込んだ。


「まあ、所詮は『推し』への一方的な片思いだよ。彼女はトップVtuberアイドルだし、俺もそれくらいは、わきまえてるさ」


 俺は思わず彼女から目線を逸らし、窓の外を見ながらそうつぶやいた。




 その後、俺たちは揃って店を出たが、春木優花が「近くの本屋に寄りたい」と言い出したので、俺は気分転換も兼ねて、彼女を馴染みの本屋に連れて行くことにした。


 本屋に到着し、俺が雑誌コーナーで適当に立ち読みしていると、彼女は何かの本を手に取り、レジに向かっていた。

 俺は彼女が何を買っているのかは気にせず、店の入り口で出てくるのを待っていた。


「じゃあ、行こうか」と彼女が出てきたきた後、俺たちは駅前まで歩くことにした。夜の冷たい風が、ほんの少し俺の心を落ち着かせてくれた。

 高校時代の告白が成功していたら、彼女とこんな風に並んで歩いていたのかもしれないな。


 駅前に到着すると、春木優花は突然バッグの中から買った本を取り出し、俺に差し出した。


「これ、覚えてる?」


 彼女の手にあったのは、懐かしい一冊のコミックだった。高校時代にラブレターと一緒に彼女に渡した『ヒーローキングの神巻』だ。


 あの頃の記憶が一瞬で蘇ってくる。


「これは……あの時の」


「あなたが貸してくれたあの本は、私の宝物だから返せない。だから、これはその代わり。欠けたピースは揃えないとね。」


 そう言って、彼女は優しく微笑んだ。その瞬間、胸が熱くなり、言葉が詰まってしまった。俺は何か言おうとしたが、うまく言葉が出てこない。


「なんか……ありがとう。なんて言っていいか」


 俺がそう言うと、春木優花はそっと俺に近づき、軽くハグをしてきた。


 ——その温もりは、驚きとともに、冷えていた俺の心に染み渡った。


「あなたは大丈夫、今度はきっと大丈夫だよ」


 彼女が耳元で囁くその言葉は、まるで魔法のように心に響いた。

 俺は春木優花の温もりを感じながら、ただその瞬間の癒しに浸っていた。


 それから、俺は、改札へと消えていく彼女を見送った。

 見えなくなる直前まで彼女は、何度か振り返って手を振ってくれた。


 春木優花が去った後、俺は深いため息をつきながら、胸の中で何かが少しだけ軽くなったように感じた。



 ◇◇◇



 伊藤千秋は、買い物から帰る途中で偶然、青空聖夜をみつけた。


 声をかけようかと思ったが、今の自分は深い帽子と伊達メガネをかけていて、ぱっとみ自分と気づかれない可能性があった。

 あと、外で安易に声を出せば身バレする危険があるので、咄嗟躊躇ってしまった。


 しかも彼は、黒髪の美しい女性と一緒に歩いていた。


 深い意味はなかったのだが、二人の様子をしばらく見守っていると、美しい女性が青空聖夜に抱きつき、耳元に何かを囁いている様子を目の当たりにした。


 その光景を見た瞬間、千秋は激しく胸が締め付けられ、自分でも分からない激しい感情に翻弄されてた。


 それは、今まで生きてきたなかで、感じたことのない感情だった。


「なに、これ……」


 改札へと消える女性を手を振り見送る聖夜を見て、胸の中に強烈な何かが湧き上がった。そして、それが不安という感情だと、すぐに気づいた。


「私が、断っちゃったから……かな。いや、いや、聖夜さんが誰と一緒にいてもそれは彼の自由だよね」


 千秋が、聖夜の食事の誘いを断ったのは、事務所から復帰までの間、うかつな行動を控えるよう強く言われていたからだ。特に異性とのスキャンダルは絶対に避けろと念を押されていた。


「もう、なんで……断らなければよかった……」


 今、彼女の中で渦巻くのは、聖夜を失いたくないという強烈な思い。そして、春木に対する嫉妬心。彼女は自分でも驚くほど強烈な感情を抱いていた。


「やっぱり私……聖夜さんに、恋してるんだ」


 千秋はその瞬間、自分の気持ちをはっきりと自覚した。

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