第20話 カミングアウト

 カフェのドアを開けた瞬間、暖かい空気が俺を包んだ。平日の昼間であるにもかかわらず、店内にはいくつかのテーブルに客が座り、穏やかな時間が流れていた。


 だが、俺の心はまるで嵐のようにざわめいていた。


 小久保浩司は、いつもの席で俺を待っていた。コーヒーのカップを手に持ち、少しだけ微笑んでいる。だが、その笑顔にはどこか緊張感が漂っていた。


「聖夜、ここで会うのは久しぶりだな」


「……ああ、そうだな。」


 俺は小久保浩司の前に腰を下ろした。心の中で言葉を選びながら、どう切り出すべきかを考えた。だが、どうやらそれを待っていたのは小久保のほうだった。


「あの後、春木さんと会ったんだろ?」


 小久保が先に口を開いた。


「彼女がおまえに何を話したのかは、だいたい予測がついてるよ」


 俺は驚いたように小久保浩司を見つめた。彼はそのまま話を続けた。


「ラブレター事件のことだろう?あの事件の真相を、春木さんが教えてくれたんだろう」


「……そうだ」


 俺は静かに答えた。


「彼女から聞いたよ。あの日おまえが……」


「そうだよ……俺なんだ。おまえが、彼女に渡そうとしてたラブレターを漫画から抜き取って、壁に貼った犯人だ。」


 小久保は穏やかな声で、しかしどこか緊張したように言った。


 俺は拳を握りしめた。胸の奥に抑えきれない怒りが沸き起こってくる。だが、彼をただ責めるだけでは、この状況は何も変わらないことも理解していた。


「なあ……どうして、そんなことをしたんだよ……」


 俺の声は怒りで震えていた。親友に裏切られたというショックもあるが、あの事件のせいで、俺の人生がどれほど狂わされたか、その苦しみを思い出すたびに、怒りと悲しみが交錯する。


 なにより小久保は、こいつは、それを一番身近で見てきたはずなんだ。いつも支えてくれてたことに俺はずっと感謝してた。だが、その原因がおまえだったのか?いったい何なんだよ!何故だよ!


 小久保は深く息をつき、重々しい口調で話し始めた。


「聖夜……俺は、おまえにずっと言えなかったことがある。いや、絶対に言わないと決めていたことだ。だけど、今ここで……言わなきゃいけないと思うんだ」


 小久保の言葉がしっかりと重く響く。何か相当な告白をするのだろうという気配を感じた俺は、何も言わず静かに次の言葉を待った。


「俺は……同性愛者なんだ」


 その言葉は、俺の胸に重くのしかかった。だが、驚きはしなかった。心のどこかで、ずっとそれを感じていたのかもしれない。


「高校生の頃、俺はおまえのことが好きだった。それは友人としてではなく、つまり恋愛の対象としてだ。でも、なかなかそれを言うことができなかったんだ。」


「……それで」


「俺はあの日、焦っていた。もしおまえが彼女と結ばれたら、もう俺には、おまえに気持ちを伝えるチャンスはなくなる。このまま後悔したくないと思って……俺は、少しでもおまえと彼女の関係が進むのを遅らせようとしたんだ。そして気が付くと、あんなことをしてしまっていた」


 小久保の言葉は、まるで自分を責めるかのように痛々しかった。だが、それでも俺の中の怒りは消えなかった。


「お前のせいで、俺は……俺の人生は台無しになったんだぞ!」


 俺はついテーブルを叩き、声を荒げた。


「お前が、あんなことをしたせいで、俺は恋愛恐怖症になった。今までどれだけ苦しんできたか、どれだけ人を信じることができなかったか、お前が一番知ってるだろ!」


 小久保は、俺の言葉を静かに受け止めていた。その目には後悔と悲しみが宿っていた。


「本当に、本当に、申し訳ない……まさかおまえが、あんなに苦しむなんて、俺は考えもしなかった。俺は、自分の気持ちをおまえに伝えることができなかったことに苦しんでいた。でも、おまえがあんなに傷つくなんて……死ぬほど後悔している」


 小久保は拳を握りしめ、目を伏せた。


「それから俺は、この気持ちを一生隠すと決めた。そして、普通の友人としておまえに接する、振る舞うことを自分に誓った。おまえに対する気持ちを断ち切ることで、俺も罰をうけよう、少しでも償おうと思ったから……」


 その告白に、俺は何と言えばいいのか分からなかった。彼がどれほど苦しんできたのか、そして俺がどれほど苦しんできたのか、その重さを天秤で測れるわけじゃない。


 ただ、よくわからない様々な感情が交錯して、心が沈み混乱していくのだけが分かった。


 だが、小久保浩司がラブレター事件の犯人だったからといって、それだけでは終わらない。俺にはもうひとつ、明らかにしなければならないことがあるんだ。


「なあ、浩司……」


 俺は意を決して口を開いた。


「『秋空かえで』っていうVtuberを知ってるか?」


 小久保浩司は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに落ち着いた表情に戻った。


「ああ、名前くらいは知ってる。でも、それ以上のことは知らない。Vtuberなんて、俺はほとんど興味がないからな」


 その言葉を聞いて、俺は少しだけ安堵した。だが、まだ安心できるわけじゃない。小久保浩司には俺の知らない過去の一面があったのだから。


「単刀直入に聞くが、おまえ『秋空かえで』の脅迫事件に関わってないか?」


「え?脅迫事件……?どういうことだ、ちゃんと説明してくれよ」


「『秋空かえで』は俺の『推し』なんだ、それもかなりの……俺が彼女を応援しているのを、おまえがどこかで知って、春木優花の時のように妨害してるんじゃないかって、俺は疑ってるんだよ」


「推し?妨害?ちょっと何を言ってるのか良くわからないんだが……」


「そこはいい……ようは、その脅迫事件におまえが関係してるかってことだ」


 俺の告白と疑問に、小久保は一瞬言葉を失ったようだった。だが、すぐに彼は静かに首を振った。


「……聖夜。俺には今、付き合っている男性がいるんだ。今は彼との関係が大切だし、そのVtuber?に嫉妬する理由はないんだよ。」


「大事な人がいるっていうのは本当……なのか?いったいどんな人なんだ?」


「ああ、彼は……会社人時代に知り合ったエンジニアで、かなりスキルもあってな…今は独立して俺と一緒にソフトウェア会社を共同経営してる、調べればすぐわかるよ」


 そう言って小久保は、自分の会社の名刺を取り出し、俺に差し出した。


「そうか……信じていいんだな」


「俺は、おまえを傷つけるようなことは、もう二度としないと誓ったんだ。信じてくれ。」


 その言葉は真剣だった。その目には嘘がないように思えた。俺は小久保の話を信じるべきなのか、まだ迷っているが、少なくとも彼が俺を傷つけようとしていないことだけは信じたいと思った。


「……分かった。だけど、もしお前が『あいつ』である可能性があるなら、俺はお前を許すことはできない。もし本当にお前が無関係なら、それでいい。でも、俺はこの件の真相を必ず突き止める覚悟だ。」


 俺の言葉に、小久保は静かに頷いた。


「聖夜。おまえが誰かを追ってるのなら、俺も協力するよ。もうおまえを裏切るようなことは今後絶対にしないと誓う。」


 うっすらと涙を浮かべる小久保の言葉に偽りがあるとは思えなかった。そして自分の心が少しづつ落ちいているが分かった。俺の心の奥には、親友を信じたいという願望があるのだろう。


 だが、ここで終わりではない。まだ話さなければならないことがある。


 もし小久保が『秋空かえで』を知らなかったとしても、彼を疑わなければならない理由が、もっと根深いところにある。


「浩司、俺は、お前が大学生の頃にanonymousアノニマスを使って検挙されたことを知っている……」


 その瞬間、小久保の表情が変わった。彼は驚いたように俺を見つめ、次第にその顔に緊張が走るのが分かった。


「未成年で反省していたことで、公にならず、不起訴処分になったらしいじゃないか……そんな大変なことを何で俺に、黙ってたんだ?」


 小久保はしばらく沈黙した後、静かに頷いた。


「ああ……そのことは事実だ。俺にとってもショックな出来事だったし、余計な事を話してお前に迷惑をかけるんじゃないかって黙ってたんだ。あの時以来、俺はanonymousアノニマスを二度と使わないと誓った。今ではもう、ハッキングなんてしていない、本当だ。」


 小久保の言葉には、深い反省と後悔が感じられた。だが、俺はまだ疑念を捨てきれなかった。だからこそ、直接彼に確認しなければならないことがあった。


「じゃあ、このソースコードを見てくれるか?」


 俺はタブレットを取り出し、春木さんから送られた『あいつ』が使用していたanonymousアノニマスのソースコードの一部を小久保に見せた。


 彼はその画面を凝視し、しばらくの間、じっと見つめていた。


「これは……確かに俺が書いたanonymousアノニマスがベースになっている。でも……けっこう改良されてるな……しかもこのクセ、どこかで」


 ソースを見つめ、指を指す小久保の表情が徐々に険しくなり、その手が微かに震え始めたのが分かった。


「……まさか、そんな」


 小久保の声が途切れた。彼は何かに気づいたようだったが、言葉を詰まらせたまま黙り込んだ。表情が硬直し、目の奥に何かを恐れるような影が浮かんでいる。


「浩司、どうしたんだ?何が分かった!」


 俺は彼の変化に気づき、強く問いかけた。だが、小久保はただ黙って首を振った。


「……このソースコードのパターンに、見覚えがあるんだ。でも……ごめん、今は何も言えない。まだ確信がないんだ……だから、まだ言えない」


 小久保の声は、いつになく低く、重かった。その様子を見て、俺はさらに胸が締め付けられるような不安を感じた。何かが起こっている、だがそれが何なのか、俺にはまだ理解できなかった。


「分かった、今は無理に聞かない。でも……俺はお前を信じたい。だから、協力してくれ、何か分かったら必ず俺に教えると約束してくれ!」


 俺の言葉に、小久保はゆっくりと頷いたが、その目にはまだ迷いと苦悩が残っていた。


「もちろん……俺はおまえを裏切るようなことはしない。だが、この件はもう少しだけ時間をくれ……」


 俺たちはそれ以上、言葉を交わすことなく、静かにコーヒーを飲み干した。小久保の心に何が潜んでいるのか、それはまだ分からない。だが、俺は彼を信じることを選んだ。


 それでも——その信頼が崩れるかもしれないという不安は、俺の心から消え去ることはなかった。

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