第19話 知らない一面
春木優花と別れた後、俺は部屋に戻り、彼女から渡された二つの情報に目を通していた。
まずひとつめは、秋空かえでに対して脅迫が行われた日時と、その時のログのデータ。
ログなんてひとめ見ただけで何か分かるわけではないのだが、それでも特定したい人物の行動ルーティンから、どういう人間であるか、どんな暮らしをしているかある程度絞り込むことができる。
史上最悪のクラッカーと呼ばれた「ケビン・ミトニック」も、こういったログからホワイトハッカーに人物像や居場所を推測され逮捕された経緯があるくらいだ。
まだ感覚値でしかないが、この犯人の行動ルーティンは……ほぼ夜の特定時間に集中している。
活動している時間帯からも、おそらく性格は真面目で仕事を休むようなタイプではない。
つまり外向きは一般的なオフィスワーカーか、公務員だろう。
二つめは、小久保浩司が警察のリストに載った要因となった、不正アクセスツールのソースコードの一部だった。
これを見た時、俺は思わず息を呑んだ。
「これって、anonymous……か?」
それは大学時代に小久保が自作したハッキングツールの名前だ。
そのツールの存在は、彼がよく見せてくれたから知っている。
「ちょっとした遊びさ」と笑って言っていたツールだったが、その性能は当時ずば抜けていて、あいつの才能に驚いたのを覚えている。
まさかそれが今、こんな形で目の前に現れるとは思わなかった。
春木さんは俺を「ホワイトハッカー」に例えたけど、正直言って俺は、ハッキングの技術に関しては小久保の足元にも及ばない。
彼は本物の天才で、俺のようなITエンジニアとして腕が良いなんてものとは次元が違う。
だけど、このソースコードを見る限り、明らかに彼の作ったanonymousと共通点が多い。
しかし、オリジナルコードでさらに進化している点が多いのも気になった……。
(あいつは、これを本当に使ってるのか?)
考えれば考えるほど、あの小久保が、こんな危険なツールを今も使っているという現実が信じられなかった。
俺たちは学生時代、ハッキングの話をしても、それはただの興味や技術の共有であって、実際に犯罪に使うなんてことはあり得ないと思っていた。
少なくとも、俺はそう信じていたし、小久保もそうだと思っていた。
だが、春木さんから聞かされた話によると、小久保は大学生の頃、anonymousを使って企業のサイトにイタズラで侵入し、セキュリティの甘さを指摘するメッセージを残したことがあったらしい。
それが発覚して検挙されたが、未成年だったことや反省していること、そして企業側も事件を公にしたくなかったため、不起訴処分になったという。
その事実を聞いて、俺はショックを受けた。
小久保がそんなことをしていたなんて、俺は全く知らなかった。
あいつとは親友だと思っていたのに、そんな大事なことを隠していたなんて——
彼の知らない一面が、俺の中に不安を呼び起こした。
——その上、もしあいつが「秋空かえで」つまり伊藤千秋を狙っていたなら。
俺はスマートフォンを取り出し、伊藤千秋にSNSメッセージを送った。
実はあの夜、彼女とプライベートなSNSのIDを交換したのだ。
ちなみにChiappyというらしい。
なぜなのかはさっぱりわからない。
1224『こんばんは!あれから変わったことはない?もう虫はいないよね?』
Chiappy『うん、大丈夫だよ、心配してくれてありがとう』
1224『『あいつ』の様子はどう?何か言われた?』
Chiappy『それが、復帰を決めた後の一通以外は、あれから来ていないみたい』
1224『そっか、まだ復帰する日も決まってないからかな』
Chiappy『それなんだけど、十日後の十一月一日に決まったよ』
1224『よかった!おめでとう、リスナーとしても凄くうれしいよ!』
Chiappy『公式な告知は『あいつ』の件が心配だから三日前にするみたい』
1224『分かった!トップシークレットだね、準備大変だろうけど頑張って』
Chiappy『ありがとう、青空さんにはすごく感謝してるよ』
彼女の復帰が十日後に決まったようだ。
彼女がVtuberとして戻ってくるその日までに、なんとしても『あいつ』の正体を暴かなければならない。
そうでないと彼女が安心して配信できないし、なにより殺人予告までしてくる相手だ、最悪何が起こるかわからない。
もし——それが親友、小久保浩司だとしたら?
俺は、胸の奥に押し込めていた感情が湧き上がってくるのを感じた。
小久保がラブレター事件の犯人だったことは、もうほぼ間違いない。
あいつにとっては軽いイタズラのつもりだったのかもしれない。
だが、だからといって、その後の俺の人生を台無しにしたことが許されるわけじゃない。
しかし、今の俺には、その件と「秋空かえで」に対してあいつが脅迫をしているという疑惑が、どう考えても"ひとつ"に結びつかない。
だからこそ、小久保浩司に直接聞くしかない。
本当のあいつが何を考えているのかを。
スマホを握りしめたまま、俺は深く息を吸い込んだ。
彼女の復帰が近いんだ、早いほうがいい。
明日にでも、小久保浩司と直接対峙しようと覚悟を決めた俺は、彼に電話で連絡を取ることにした。
俺は震える指で小久保の番号をタップした。
数回のコールの後、彼の落ち着いた声が耳に届いた。
『聖夜、どうしたんだ?珍しいな、こんな時間に』
「明日、会えるか?」
俺は意識的に声を低く、冷静に保とうとしたが、自分でも緊張が伝わっているのが分かった。
小久保は何かを察したのか、一瞬、黙った後、静かに答えた。
『もちろんいいぜ。どこで会おうか?』
「前に会った渋谷のカフェで。昼過ぎでいいか?」
『わかった……明日の昼の十四時でどう?』
「……ああ、それで」
電話を切った瞬間、俺の心臓が激しく鼓動しているのを感じた。
彼と会って、何を話すべきかはもう頭の中で整理できていた。
だけど、実際に彼と向き合った時、自分がどんな反応をするのかが怖かった。
それは、小さな箱にしまっていた記憶を再び開け放つような感覚だった。
そこには過去のトラウマや痛みが詰まっている。
小久保浩司という存在が、俺にとってどれほど大きな意味を持っていたのか——そのことを改めて感じずにはいられなかった。
夜は静かに更けていく。
ベッドに横たわっても、眠気は全く訪れなかった。
考えれば考えるほど、明日のことが頭を占領して、心が落ち着かない。
俺は目を閉じ、深呼吸を繰り返した。
小久保と話すことで、すべてが終わるのか、それとも——新たな疑問の始まりなのか。
明日の昼が、俺にとっての一つの決断の時となる。
それは、小久保浩司と俺の友情、そして彼が犯した罪と過去に対する、本当の決着をつけることになる。
何が起ころうとも、俺はその現実に立ち向かう覚悟を持つしかない。
俺たちの間に何が残り、何が壊れるのか。
そして俺の心が、これからどう変わっていくのか——それを受け入れるしかないんだ。
俺はキャビネットに置いてあった伊藤千秋の毛布を手に取ると、それに身を包み、ベッドの中で目を閉じて、心を落ち着けようとした。
心の中で、小久保との会話を何度も何度もシミュレーションしながら……朝を迎えた。
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