第17話 春木優花の告白
あの後、さすがに草壁さんとは顔を合わせづらくなり、彼女も何か忙しそうだったので、俺は早めに会社を出て、春木優花と待ち合わせをしている六本木のカフェレストランへと向かった。
少し早めに到着してしまったが、店員さんが気を利かせてくれて、席に通してくれた。とりあえず飲み物だけを先に注文し、時間を過ごすことにした。
窓の外を眺めると、退勤する人や、これからどこかに出かける人、カップル、呼び込みの店員や外国人など、通りを行き交う人々で賑わっている。そんな風景を見ながら、俺は高校時代の記憶を思い返していた。
——恋愛なんてものは、だいたいが自己満足の延長線上にある幻想でしかない。中学生の頃から俺は、そんな厨二病全開のひねくれた考え方を持っていた。まあ、単に恋愛などする勇気も根性もないヘタレのガキがかかる麻疹みたいなものだと思う。そういうわけだから高校に入っても、一度も彼女なんてものを持ったことがないし、恋愛すらよくわからないという事実を前にすると、そんなひねくれ思考をさらに強めることで自分を納得させるほかなかったのだ。
世間一般では、学生生活の青春の一コマにはキラキラした恋愛がセットでついてくるように思われているらしい。ほら、クラスのあのリア充どもなんかがいい例だ。放課後に仲良く帰る二人組を横目に見ながら、俺はまっすぐ家に帰って漫画を読み、ゲームをする。まさに俺の青春は、画面越しに広がるバーチャルな世界にしか存在しなかった。
けどさ、だからって俺が恋愛に全く興味がないかと言えば、それは違う。むしろ、憧れがないなんて言ったら嘘になる。現実の俺はどうにも恋愛には縁がなくて、ただその代わりにアニメやマンガの世界で、魅力的なヒロインたちと出会っていることで満足しようとしていた。あのキラキラした世界の中で、俺は主人公になりたい。いつか誰かに本気で愛されたい、ってね。
でも現実ってのは、アニメやマンガみたいに都合よくできていない。クラスのマドンナ的存在である美人で性格の良い女の子と廊下の角でぶつかって、それをきっかけにキラキラな青春ラブコメが始まるとか、暴漢に襲われる美女を助けて犠牲になり、異世界に転生してハーレム生活とか、そんなのは小説や夢の中でしか起こりえない。
そう思っていた——あの日までは。
あの日、クラスの席替えがあって、俺の隣にいわゆるマドンナ的な女子がやってきた。それが春木優花だった。いや、マドンナなんて大げさかもしれないけど、実際彼女が隣に座った瞬間、クラス中の男子が恨めしそうに俺を見ていたのは確かだ。親友のコージーこと小久保浩司ですら「おまえ、あの子にちょっかい出すなよ」とか言ってくる始末だった。なんてったって彼女は、同じ高校生なのにバイリンガルで英語がネイティブ級に流暢で、長い黒髪に大きな瞳、まるで女優のようなルックス。とにかく男という性別がついている奴は、誰もが彼女に興味津々だった。
その春木優花が俺の隣の席に座ることになったのだ。全くもって、漫画みたいな展開だ。だが現実は甘くない。彼女が俺に話しかけてくれるわけでもなく、もちろん俺から話す話題なんてない。俺は時々彼女を横目で見ながら、心の中で勝手に彼女との物語を膨らませていただけだった。
そんな俺に、あんな展開が待っているとは、この時点では全く予想していなかった。
「ねぇ、青空くんって、もしかして漫画好き?」
彼女が放課後、俺に話しかけてきたのだ。それも、俺が愛してやまない漫画のタイトルについて。今までの俺の地味で平凡な日常が、少しずつ変わり始めた瞬間だった。
それからは、憧れのマドンナだった彼女が、少しずつ俺の学校生活に入り込んできた。漫画の話から始まった関係が、やがて恋愛へと発展するのか、それともただの友達で終わるのか——それは、俺次第という段階にまで二人の関係は近づいていった。
こうして俺の、妄想が現実になる、まるでイケてない主人公が突如マドンナ的ヒロインといい感じに意識し合うみたいな、ラブコメのテンプレ的な青春が始まりそうな予感があったのだが……俺のストーリーをこれまで読んでいる人にはご承知のとおり、例のラブレター事件によって、俺の人生は真っ逆さまに転落していった。
——はあ、思い出しただけでも鬱になりそうだ。
彼女が読みたがっていた漫画にラブレターを挟んで渡すなんて、少年誌の妄想ラブコメみたいな告白を選択しなければ、俺と春木優花は今頃付き合っていて、学校中が羨む恋愛カーストの頂点に立っていたのかもしれないと思うと、本当に人生って選択肢次第で、ここまで大きく変わっちゃうんだな。
あれから恋愛恐怖症を患い、彼女いない歴=年齢の35歳ひきこもりワーカーなんてモンスターになろうとは、あの頃は夢にも思わなかったよ。
店内の落ち着いた雰囲気と、心地よいBGMが流れる中、俺は自分の考えに没頭していた。
しかしだ、先日の同窓会で春木優花に再会し、彼女が当時俺に対して抱いていた気持ちを知ることができたことで、俺は長年患っていた恋愛恐怖症をほとんど克服できた。過去の自分が引きずっていた苦い思い出からも解放されたのだ。
(結果的に、彼女との出会いは俺にとって良いものだったのかもしれない。彼女との再会が、もう一度俺に、前を向く力をくれたんだからな……)
ふと、思考が過去の出来事に戻る。あのラブレター事件。俺の純粋な思いを綴った手紙が、教室の壁に無残にも張り出されていた、あの屈辱的な仕打ち。春木優花に渡すはずだった手紙が、どうしてあんな形で晒されたのか。それをやったのは誰だったのか。
(当時は誰もが怪しい。彼女はマドンナだったから、クラスの男子全員がライバルと言っても過言じゃない。でも、そこまでやる動機があったのか……)
心の中で、当時のクラスメイトたちの顔が次々と浮かびながら考えに耽っていると、店の入り口が開く音がした。顔を上げると、そこに春木優花が立っていた。
彼女は軽く手を挙げ、微笑みながらこちらに向かって歩いてくる。その姿を見て、俺の心臓が少しだけ速くなるのを感じた。
春木は変わらずの美人で、35歳とは思えないほど若々しい。長い黒髪はさらりと流れ、清潔感のあるメイクがその端正な顔立ちを際立たせている。今日は、少しコンサバティブなスタイルを選んだのか、パリッとした白いブラウスにシンプルなブラックのタイトスカートを合わせている。足元は、程よくヒールのあるパンプスで、全体的にきっちりとした印象を与えている。
その服装が、彼女の知的で凛とした雰囲気にぴったりと合っている。彼女は昔からスタイルが良かったが、今でもそのプロポーションを完璧に保っているのは本当にすごいと思う。
彼女が俺の前に立ち止まると、淡い香りがふわりと漂い、さらに心拍数が上がるのを感じた。彼女の存在が、周囲の空気までをも変えてしまうような、そんなオーラをまとっている。
「青空くん。もしかして待たせちゃった?ごめんね」
「いや、俺も早く来すぎちゃったんだ。先に席に座らせてもらってたよ」
俺は笑顔で応え、彼女を席に招き入れる。彼女が席に着くと、少し緊張した表情を浮かべながらも、落ち着いているように見えた。昔と変わらない、でもどこか日本人離れしたような、大人びた優雅な佇まいがそこにあった。
「この間の同窓会、楽しかったよね。みんなと話して、懐かしい思い出がいっぱい蘇ってきたわ」
彼女が楽しそうに話し始めたのを聞いて、俺も自然と笑顔になる。昔話や共通の友人たちのことを話しながら、少しずつ緊張が解けていくのを感じた。
「そうだね、久しぶりに会えた人も多かったし、なんだか不思議な気分だったな。まるでタイムスリップしたみたいで」
俺たちは、当時のクラスメイトたちの近況や、当時の思い出を語り合った。昔と変わらない彼女の笑顔を見ていると、心の中に温かい感情が広がっていくのを感じた。
しかし、会話が一段落したところで、彼女の表情が少しだけ硬くなったのに気づいた。彼女は少し沈んだ声で話し始めた。
「ねえ、青空くん……あの、ラブレターの件、覚えてるよね」
その言葉に、俺の心臓が一瞬、ドキリとした。もちろん、あの出来事を忘れるわけがない。それが俺の人生を大きく変えた瞬間だったからな。
「……ああ、覚えてるよ。あの時は、本当にどうしようもない気持ちになった」
俺がそう答えると、彼女は少しだけ眉をひそめ、真剣な表情で俺を見つめた。
「実は……あの事件について、どうしても青空くんに伝えたいことがあるの」
彼女の言葉に、俺は驚きと共に緊張を覚えた。彼女が何を言おうとしているのか、それを聞く準備はできていない気がした。
「え?……何があったんだ?」
彼女は一瞬、言葉を詰まらせたが、深呼吸をしてから口を開いた。
「青空くん、漫画にラブレターを挟んで渡したって言ってたよね……でも私があの漫画をもらった時にはもう、ラブレターは入ってなかったのよ」
「いや、俺は部室で漫画に挟んで……その後すぐに君に渡しに行ったんだけど」
「あのね……言うべきかずっと心に引っかかってたことがあって、私、あの日見ちゃったのよ……」
その言葉に、俺はさらに興味をそそられた。彼女が重大な事実を知っている気配があったからだ。
それを聞いた瞬間、俺たちの間の何かが変わる予感がした。
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