第14話 夜の大ハプニング
ピンポーンという音が鳴り響き、それが妙に大きく感じられる。
俺は、深く息を吸い込んだ。恋愛恐怖症を克服したら、伊藤千秋を食事に誘うことを決意していたものの、気になる女性をいわゆるデートに誘うなど、まだ俺にとって大きな挑戦だった。
(大丈夫だ、インターフォン越しなら何とかなるはず)
すぐに返事がない。もしや留守? ほっとしている自分に気づいて苦笑いした。ところが次の瞬間、インターフォンから信じられないほどの叫び声が響いてきた。
「青空さん!!助けてーーー!!」
「ええ!?どうしました!?」
突然の悲鳴に、俺は飛び上がるように驚いた。まさか、彼女に何か? 暴漢に襲われてるとか? 夜にストーカー的なファンが訪ねてきたとか?! いや、それは俺だろう。
とりあえずドアノブを力一杯に回したが当然鍵がかかっている。俺はドアを拳でドンドンと叩きながら叫ぶ!
「おい!やめろ!お前は包囲されているぞ!」
心臓が激しく鳴る中、再度インターフォンを押したが、返事はない。俺は数歩後ろに下がり、無駄かもしれないが体当たりで突入する準備をした。するとドアがガバッと開いて、涙目で怯えた千秋が顔を見せた。
「青空さん……!ムカデが!ムカデが出たんですぅー!!」
「ム、ムカデ!え?ムカデで?」
予想外の展開に、俺は呆然と立ち尽くした。彼女の顔を改めて間近で見られた嬉しさはあったものの、極端に怯えている表情の方が気になった。これはただの虫嫌いというよりも、何かもっと深い恐怖が彼女を襲っていることに気づいたからだ。
「だ、だって……怖いんです!あれは無理なんです……」彼女の声は震えていて、目には幼い頃のトラウマでもよぎっているかのようだった。
「わかりました、と、とりあえず落ち着こう。ムカデって……どこに出たの?」
「ベッドの近くに……見た瞬間、すぐ逃げたんですけど……もう怖くて、部屋に戻れないんです」
「わかった……俺がなんとかするから、待ってて、部屋に入っていいかな?」
「はい、おねがいします!」
彼女の部屋に足を踏み入れた瞬間、最初に出会ったあの日を思い出した。あの時はスタンドライトに照らされた薄暗い部屋で、彼女の部屋の状況が細部まではっきり見えたわけじゃない。
明るい状態で見ると、配信者ならではのハイスペックなPCや機材はともかく、ふんわりとした色使いの綺麗に整った小物や、タオル類、ほのかな石鹸のような甘い香りが女性らしいというか、一瞬で癒された。
「……ムカデか……どこに隠れてるんだろう……」
俺はゴキブリは案外平気なのだが、足が多いムカデの類は苦手だ。でも、今は彼女を安心させるために、探すしかない。
俺はベッドの下、クローゼットの中、机の裏と、あらゆる場所を探し回ったが、結局ムカデの姿は見つからなかった。ほっとしたような気持ちと、まだどこかに隠れているのではという不安が入り混じる。それにしても、ここは都会のど真ん中、芸能人だって住んでる恵比寿だ。こんなところにムカデなんて出るのか?と疑問に思ったが、彼女の怯えようからして本当にいたんだろう。
「いないみたいだな……多分、どこかに隠れたんだと思う。明日、業者を呼んで徹底的に駆除してもらおう。」
俺がそう告げると、千秋はさらに不安げな表情になった。
「でも……今夜、どうしたらいいんですか?部屋に戻れない……」
彼女の震えた声を聞いて、俺もどうすればいいのか困った。夜も22時を過ぎているし、まさか彼女をこんな廊下に放っておくわけにはいかない。
「えっと……じゃあ、その、誰かに連絡しますか……」
言いかけた瞬間、千秋が突然、俺の袖を掴んで小さな声で言った。
「青空さん、あの……お願いがあります。私、しばらく青空さんの部屋に行ってもいいですか?ここにいるのが怖くて……」
「えっ!? 俺の部屋に……?」
予想外の提案に、思わず言葉が詰まった。まさか、こんな展開になるなんて……。頭の中がぐるぐると回り、どうすればいいのか分からなくなった。
「誰も部屋には入らせない主義なのは知ってますけど、どうか……」
「は?いいえ、そんな主義はないですけど……」
「え?前に美人の上司の人を絶対に部屋に入れようとしなかったのでてっきり……」
「美人の?上司、あ、草壁さんか……」
「私なんか、色んな意味ですごく迷惑だし鬱陶しいのはわかってますけど、今日だけお願いします……」
(え?何を言ってるんだこの人は、どう考えてもその逆でしょ!)ともかく、彼女の必死な様子を見てほっとけるわけがない。しかも俺は彼女が好きなわけで、断る理由もない。俺は深呼吸をして、(大丈夫、なんとかなる)と自分に言い聞かせた。
「わ、わかりました。でも、あと俺も一応男なんで、本当に俺の部屋で大丈夫ですか?あと、そんなに快適じゃないかもしれないけど……」
「全然構いません!青空さんがいれば安心できますから」
俺は再び深呼吸をして、緊張で鼓動が早まってる自分を落ち着かせようとした。とりあえず恋愛恐怖症の症状は完全に克服できてるようだし、二人っきりになっても腹痛で逃げ出すような無様を晒す心配もなさそうだ。
「じゃあ、ちょっと準備してくるから、少しだけ待っててくれ」
千秋は頷き、簡単に荷物をまとめ始めた。俺はドキドキしながら自分の部屋に戻り、彼女を迎える準備をすることにした。
(落ち着け、青空聖夜。これはただの一晩のことだ。善意だ、ただの隣人としての親切心……だけど、まさか『秋空かえで』が、いや『中の人』が俺の部屋に……いやいやいや、変なことを考えるな!)
心の中で自分に言い聞かせながら、俺は部屋を適当に見渡し彼女を迎える不備がないか調べた。秋空かえでのグッズやポスターは彼女には周知の事実なので問題ない。特に掃除するような物もない。普段から部屋を整える習慣がこういう時に役に立つとは。
玄関に戻りドアを開けると、彼女はすでに外で立って待っていた。
さっきはオロオロと怯えた雰囲気だったのに、こんどは少し顔を赤らめ少しうつむいて恥ずかしそうな表情をしている。『秋空かえで』と同じように、面白いようにコロコロとテンションや雰囲気が変わる人だなと思ったが『中の人』なのだから当たり前か。
「よ、よろしくお願いします!」
「こ、こちらこそ、ど、どうぞ!」
こうして、玉砕覚悟で食事デートに誘うはずだった、推しの『中の人』こと伊藤千秋が、どういうわけか俺の部屋で一夜を過ごすことになったのだった。
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