第11話 覚悟の船出

 今日は同窓会、俺にとって決戦の日だ。


 戦場に向かう前に、どうしても彼女の声を聞いておきたくて、俺は震える指先で、隣人の『中の人』、伊藤千秋の部屋のインターフォンを押した。


 さっきから自分の心臓の音が聞こえる。大丈夫だ、彼女が仮に居たとしても、絶対出てこないはずだ。


[はい……あれ!?青空さん?どうしました!]


「あ、どうも、あの……」

(しっかり会話しろ俺、これじゃ不審者だろ)


「……はい」


「ちょっと、千秋さんの声を聞きたくて、その、あの、復帰の知らせ見ました!よかったですね!」


[あ、……そうか、それですよね、はい。あの、頑張ってます]


「あの、俺は……何があってもずっと支えますので。推しますので!」


[え?!……はい。ありがとう、いままでだって、ずっと感謝してましたから]


「千秋さん……あの!」


[はい!なんでしょう!]


「いや…えーと、会いたいと思ってます。」


[……え?あ、ああ。はい、期待を裏切らないように、わたし頑張りますから。]


「もしよかったら、伊藤さん、あの、今度、……食事でも、とか、というかあ、すみません、あ!行ってきます!頑張ります。では!」


[……あ、え?はい、頑張ってください!]


 俺はそのまま廊下を突っ走り、エレベーターに乗った。ついに言ってしまったが、最後はしどろもどろで、おそらく彼女は理解できていないだろう。


 ああ、もうクソだ俺。35歳の大人が、好きな人を食事にすらまともに誘えないとか、しかもあれは唐突でキモいし怖いだろう。


 とりあえず隣人とはいえ、ファンの一線を超えてるよな。


 伊藤さん、怖かっただろうな。しかも「何があってもずっと支えます」だと、一歩間違えたらプロポーズじゃねえか!思い出すだけで顔から炎が出そうだ。このままエレベーターが落下して人生終わらせてほしい。どうか通報だけはされませんように。


「だけど——覚悟は決まった。待ってろよ春木優花…さん。あのトラウマを終わらせてやる。そして俺は、伊藤さんを食事に誘える男になる。」


 そのためにも、今日は絶対に失敗できないんだ。


 俺は何事もカタチから入るタイプだ。仕事でもまず道具を揃えるのが基本だし、ファッションにも気を遣ってる。最新のPCやガジェットが出たら、すぐに買って試してみたくなる。服装も、いつも清潔感を大事にしてるし、身だしなみにはこだわってる。


 実際、今日のために奮発したこのイタリアメゾンのジャケットも、気合いを入れて選んだ。見た目が大事ってわけじゃないけど、やっぱり第一印象は重要だと思う。


 待っててくれ、千秋さん。


 俺は、冒険に旅立つ新米勇者のごとく、新たな一歩を踏み出した。



 ◇◇◇



 その頃、伊藤千秋は部屋で軽くパニックを起こしていた。


 びっくりした!突然、青空さんの方からコンタクトしてくるなんて……。


 ずっと「秋空かえで」のことを話してると思ってたけど……たしか最後の方で、え?


 えー?


 えーーー?わたしを食事に誘ってなかった?


 千秋は、インターフォンの録画機能を思い出し、さっきのやりとりを再生する。


[→…伊藤さん、あの、今度、……食事でも…←←]

[→…今度、……食事でも…←]

[→…食事でも…←]

[→…食事でも…←]


「やっぱり、青空さん、わたしを食事に誘ってる……よね?」


「わー!どうしよう!どうしよう!」


 伊藤千秋は極度のコミュ障だ。しかも伊藤のコミュ障は普通ではない。


 そもそも彼女には、リアルな恋愛という概念がよく分からない。もちろん経験もない。


 今まで二次元にはガチ恋することは多々あった、しかし人生で一度も、リアルで恋愛したいと思う男性に出会ったことがないのだ。

 男性への警戒心が先立って、そういう感情まで至らないのだ。


 それを自分でも気にしていて何度か友人に相談したことはあるが、大抵は真面目に考えすぎるからだとか、高望みが過ぎて拗らせてるのだとか呆れられるのがオチだった。


 そんな自分を変えたいと何度か行動に移したことはあった。しかし、恋愛感情がまったく湧かないのに、中途半端にデートして、相手に期待させて、結局傷つけたり、断って逆恨みされたことが幾度かあった。


 結局それが、彼女をオタク的な文化にどっぷり浸からせた原因でもあるし、Vtuberという世界に飛び込ませた要因でもあった。


 伊藤千秋はVtuberアイドルを自分の天職だと確信している。しかし、こんな自分がファンから注がれているはずの愛情は偽りで、そして自分は大嘘つきで、皆をずっと騙しているのではないかと悩み、精神を病んだことすらある。


「せめて青空さんにだけは、こんな『中身』を知られたくない、もうこれ以上、彼を失望させたくない……」


 それが、青空聖夜=『ブルースカイ』に対する、千秋なりの決意でありプロ意識だった。


 ——そもそも「秋空かえで」ではヴァーチャルな存在。


 超コミュ障で恋愛の経験すらないリアルの自分が、彼の期待に応えられるわけがないと彼女は思っていた。


「結局、こんなわたしじゃ、「秋空かえで」以外では……青空さんの好きな人には、なれないんだ」


 ◇◇◇


 大人の街、赤坂は多くの人で賑わっていた。


 テレビ局の近くにある商業施設には、人気映画のショップなんかができていて、その衣装を着たカップルや家族連れが楽しそうに歩いている。テレビや広告の会社が多いからか、スーツのサラリーマンというより、ノーネクタイのおしゃれな社会人や、モデルみたいな女性や、外国人など、多種多様な人たちで賑わっていて、ザ・都会って雰囲気がある。リモートワークが長い俺にとっては、こういう場所の方がかえって居心地が良い。


 同窓会の場所「春夏秋冬」は、駅を少し歩いた大通りの先にある大きなビルの上層階にあった。35歳の同窓会ともなると、学生が集う居酒屋とは違うんだな。店の入り口は、いかにも有名デザイナーが設計した感じのオシャレな雰囲気で、中に入ると映画『ブレードランナー』みたいな内装で、おしゃれな都会の大人達で賑わっていた。


(…コーディネート、奮発しといてよかった)


 さっきから緊張で背中に妙な汗をかいているが、気を引き締め店員に声をかけて、予約席へと案内されると、そこには同級生らしき同年代の男女がポツポツと席を埋めていた。20年ぶりともなると、正直言って、誰が誰なのかよく分からないし、仮に名乗られたとて、思い出す自信がない。


 その時、誰かが、俺の肩を軽く叩いた。


「おっす!聖夜、リアルで会うのは2年ぶりだな。」


 それは、コージーこと小久保浩司だった。渡りに船とはこのことだろう。浩司の登場で一気に気持ちが楽になってきた。やっぱり確実な顔見知りがいるってのは頼もしい。見知らぬ外国旅行で日本人に会った時の気分だ。


 俺と浩司は並びの席に座り、他愛もない会話をしながら出席者が揃うのを待っていた。周囲に座っている同級生達も気を使っているのか、会が始まるまでは積極的にこちらにコミュニケーションをとってこようとはしないので、ある意味で助かってる。やっぱり大人の社交って、こういうものなのかもな。


 だいぶ緊張が解れてきたと感じたその時、彼女が現れた——春木優花だ。


 高校時代の面影を残しつつ、それをさらに洗練させた美しさ——まるで、昔の記憶が磨き上げられて今ここに具現化したような彼女の姿があった。


 黒髪は艶やかに揺れ、笑みを浮かべるその表情には、大人の余裕と輝きが漂っている。周囲の人々が口々に「相変わらず美人だ」と賞賛するのも無理はない。


 その場の空気を一瞬でさらってしまうような存在感だ。


 俺は思わず息を呑んだ。記憶の中の彼女は確かに美しかったが、目の前にいる春木優花はそれ以上だった。


 もしや俺って、面食いだったのか?……なんて冗談めいた思考で、なんとか心の動揺を誤魔化そうとする自分が情けない。


 しかし、それどころじゃない。今、俺が本当に気にしているのは、彼女がどこに座るかだ。


 ——視界に入らない遠くの席に座ってくれればいいのに。


 そんな淡い願いを込めつつ、目の端で彼女の動きを追う。けれども、運命は容赦がない。彼女が選んだのは、なんと俺の目の前の席だった。


 背筋がピンと伸びる。喉がカラカラに渇き、心臓が胸の奥でドクンドクンと鳴り響く。視線を逸らしたいのに、彼女の存在感があまりにも強すぎて、それすらできない。


 彼女が椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろす。まるでその一連の動作がスローモーションで再生されているように感じた。周囲のざわめきも、聞こえているのかいないのか分からない。


 世界が一瞬にして彼女を中心に回り始めたような錯覚さえ覚えた。


 そして、彼女が俺の目をじっと見つめて言った。


「ひさしぶりだね——青空くん」


 その声は、かつての懐かしい響きを残しながらも、どこか凛とした大人のものになっていた。その瞬間、頭の中に高校時代の思い出が一気に溢れ出してきた。彼女の笑顔、教室での会話、何気ない日々の一コマ一コマが鮮やかに蘇る。


 けれど、同時に胸の奥が締め付けられるような感覚があった。懐かしさと緊張が入り混じったこの感情を、どう整理すればいいのか分からない。


 俺はなんとか平静を装おうとするものの、頬が熱くなるのが自分でも分かる。下手な返事をすれば、その瞬間にすべてが崩れ去りそうな気がして、口を開くタイミングを計ることしかできなかった。


 彼女の視線がまっすぐ俺を捉えている。それは逃げられない、と告げているようだった。


 俺はただ、目の前の彼女の存在に圧倒されていた。


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