第9話 すれ違う関係
いや草壁さんに異議あり!やっぱ突然やってきた美人上司を、はいどうぞと男の部屋に入れるなんて普通じゃない。
「これ以上、上司に負担かけるわけにはいかないですよ!あと早く作業したいので。」
「じゃ青空さんは仕事してていいから、私が家事をやっててあげる。これも上司のサポートと思って!」
あちゃー裁判長に異議を取り消されました!えーっとまてよ、草壁氏の主張は、回避不能な合理性があり、もう打つ手なしです。
「いいよー遠慮しなくても、とりあえず寒いから話は中でしましょうよ」
そういって草壁さんは、手際よくヘアゴムを取り出して、長い髪をひとつに結んだ。すでに戦闘準備は万端といった感じ。
俺の持ってる買い物袋をよこせと言わんばかりにニコニコしながら手を出している。
はい、たしかに俺はポニーテールの女の子が、けっこう好きです。
やばいです、これは部屋に入ったとたんに腹痛大発生するパターンではないのか?いやラブコメなら間違いなくそうなるだろ。
「いや!だめですって!」
「なんでそんな嫌がるのよ!」
「い、嫌とかではなく」
「じゃあいいでしょ!」
こんな美人が家まできてるのに、ここまで拒否する必要ないだろ?童貞のくせに遠慮すんな!と読んでる貴殿は思うかもしれませんが、俺は腹痛でのたうち回るのが怖いんだよ!拒むよりそっちの方が失礼だしな!
そうだ、部屋の中にじつは彼女が居ますってウソつくか、いやすぐバレるな。……ん、そういや俺には「秋空かえで」こと伊藤千秋さんていう大事な人が……ってなにキモ痛い拗らせファンみたいなことを考えているんだ。思いっきり他人だろ、いよいよ自分が情けなくなってきたわ。
その時「キィ」と音を立てて、隣の伊藤さんちのドアが少しだけ開いた。
「あの……ぉ、何かトラブルですか?」
ドアにはチェーンがかかったままなので顔は見えないが、間違いなく伊藤千秋さんの声だった。
「あ、お隣の伊藤さん!もしかしてうるさかったですか?!すみません」
俺は振り返り、伊藤さんちのドアの隙間に向かって慌てて頭を下げて謝罪をした。あぁ、この声はやっぱ癒される……この際、声だけなのがとても助かる。
「いえ、言い争う声が聞こえたので、何かあったのかと心配になって声をかけました……お隣の青空さん、大丈夫ですか?」
草壁さんは突然で驚いたのか表情が固まり、顔が真っ青になっている。
「あ、あの……大声だしてすみませんでした!今日は帰りますね。」
そういうと草壁香奈は、俺と、伊藤さんちのドアにそれぞれ一礼をして、ツカツカと早足で廊下を歩いてエレベーターへと向かった。
俺は一瞬呆気に取られていたが、急いでエレベーターまで彼女を追った。
「あの、なんか申し訳ないです。せっかく来てもらったのに追い返すみたいになっちゃって」
「いいのよ、気にしないで、じゃ明日中にしっかり終わらせてね。」
そう言うと草壁さんは、いつもと少し違う作り笑のような表情をして、エレベーターのドアを閉め帰っていった。もしかして女性に恥かかせちゃったのかな……恋愛経験ゼロだからわかんないけど、なんかすごく罪悪感が残る。
とぼとぼと部屋の前に戻ると、まだ伊藤さんちのドアが少し開いてる。
「青空さん、わたし余計なことしちゃった?」
「いや……助かりました」
伊藤さんの顔が見えないのでやはり腹痛は起こらない。ていうかこの秋空ボイスやっぱ癒されるなぁ。ドア越しでいいから毎日聞きたいわ。
「よかった、じつは怖かったんですぅよぉ……」
「え?でも喧嘩してたわけじゃないんですよ」
「わたし超人見知りなんで、普段はこういうこと出来ないんです」
「あぁ、それで」
「はい…かなり勇気を出しました」
「あの、さっきの人は上司なんですよ」
「ええ!?」
彼女は草壁さんをセールスか何かだと思ってたのかしら?ドア越しにかなり焦っている様子だ。
「あぁ!どうしよう〜失礼なことしちゃったかも」
「あ、大丈夫ですよ良い人なんで」
それにしても伊藤さん、意地でもドアを開けないし、出てこないつもりだな。まあガチリスナーが隣人て正直怖いよね、このチェーンが俺に対する警戒心を物語ってる、まあ気持ちは分かるけど……とほほだよ。
それでは失礼しますと、伊藤さんがドアを閉めたので、俺もようやく部屋に戻って仕事に取りかかった。
よし!少しでも早く今夜中にでも仕事を終わらせよう。草壁さんへの、せめてものお詫びに。
◇◇◇
一方で部屋に戻った伊藤千秋は鏡に映る自分を見つめながら考えていた。
——いつもなら、あんな状況で絶対に人に関わったり、話しかけたりしないし出来ないのに、なぜ青空さんの事になると行動的になってしまうんだろう。ほっとけないんだろう。
でも
そもそも、あんなにコミュ力がある青空さんが、こんなメンヘラで根暗でコミュ障な女が推しの『中の人』だとわかって、やっぱガッカリしてるよね。ほんとうに申し訳ない。
だからこそなるべく直接顔を合わさないように、これ以上「秋空かえで」に幻滅させないように、努力しなきゃ、プロとして!
でも時々思う——わたしだって「秋空かえで」の中に生きてる、心も感情もある人間なんだよ。
一心同体なのに別の存在、ヴァーチャルアイドルってもどかしいな。
それにしても……さっきの人、すごく美人さんだったな…上司って言ってたけど、あれは絶対に青空さんのこと好きでしょ。
あんな熱烈に迫られても毅然と拒否するなんて、青空さんてすごく女性慣れしてるんだな、やっぱモテる大人なんだろうな。私とじゃ釣り合わないよなあ。
ていうか青空さん、わたしのことどう思ってるんだろう。
やっぱ隣人って迷惑なのかな。
そもそも、わたしにとって、彼はどういう存在なのだろう。
推しと恋愛の違いって何?
(ピロリン♫)
その時、千秋のスマホにSNSメッセージが届いた。
マネちゃん【復帰の準備には最短でも2週間くらいかかるみたい】
かえで【ありがとう、色々迷惑かけてごめん】
マネちゃん【それより、ちょっと問題があったの】
かえで【え?どうしたの?】
マネちゃん【「あいつ」から、さっきまた脅迫メッセージが届いたみたい】
活動休止してから大人しくしてた「あいつ」が、どうして?まさか復帰に気づかれた?
マネちゃん【復帰すること、まだ誰にも話してないわよね?】
かえで【うん同僚メンバーにも話してない、いったいどうやって知られたの?】
マネちゃん【分からないけど、内部も疑う必要があるかもね、何かわかったら連絡するね】
ふたたび動き出した「あいつ」の存在。
秋空かえでの復帰に、暗雲がたちこめていた。
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