第8話 想定外の訪問者

「あなたの場合は、やはり過去の恋愛経験がトラウマになっているケースです。それが原因で自信を無くし、常にプレッシャーを感じることで症状が悪化しています。」


 カウンセラーは抑揚の少ない、ゆっくりとした口調で俺にそう告げた。予想通りではあったが、改めてはっきりと原因を言われることで、少し気持ちが楽になった気がする。


「あの、これを真剣に克服したいと思うのですが、何をすれば良いのでしょう」


 俺は真剣な表情で、カウンセラーの目を見てそう訪ねた。


「あなたを見る限りですが、しっかりと“今の自分”を受け止める”向き合う”ことが出来てると思います、それはとても良い兆候です、ただ——」


 カウンセラーは俺の目をみつめ、少し考えている。


「もっとも効果的な方法は、過去の失恋の経験を克服することです。」

「でも、どうやって」


「話を聞く限りですが……あなたは、のでしょうか?」

「え?それはどういう——」


「彼女が、そのラブレターのだと思ってるのですか?」


 ——そう言われてみれば、あの手紙を教室に張り出したのが彼女ではない可能性はある、いやむしろ彼女は困惑していたし、別の誰かの仕業かもしれない。


 考え込んでる俺に、カウンセラーは続ける。


「ひとつ聞きますが、あなたから、彼女を遠ざけたのではないですか?」

「え…………?!」


 そういえば、あの件以来、俺は彼女と一切話してないし、彼女の気持ちを直接聞いたわけでもない。


 まてよ、まて、思い出せ………。


 ◇◇◇


  ——たしかあの日、俺は、あまりの恥ずかしさに、教室を飛び出した。


 そして、学校の近くに架かる橋の下にある土手に座り込み、悔しくて膝を抱えて泣いていた。


 夕方になって気持ちが落ち着くと、荷物を取りに教室に戻った。


 その時にはすでに、貼られていた俺の手紙はなっていて、教室に彼女だけがポツンとひとり座っていた。


 彼女は俺の存在に気がついたが、何も語らず、ずっと机を見ていた。


 しばらくの沈黙が続いたあと、結局俺は、一言も話さず、教室から逃げるように帰宅した。


 その後の俺は、彼女に笑われた、馬鹿にされたと勝手に思い込んでいた。


 誰かのせいにしたかったのかもしれない、誰かを『悪』だと決めつけることで、目の前の現実から逃げしたかったのだろう。



 そうだ、勝手に彼女を『悪』にして、無視し続けたのは——


 ◇◇◇


「俺だった……。」



 気がつくとカウンセラーの姿が、ぼやけてよく見えなくなっていた。俺は無意識に、泣いていた。


「なんて、愚かなんだろう……あれは、最悪で最低の行動だった」


 泣いている俺に、カウンセラーは、強く、そして優しい口調で提案した。


「自分を責めても、何も解決はしません。その彼女に会ってみてはどうですか?そして今のあなたの気持ちを素直に伝えてみては?」


「でも、もう20年近く前の事ですよ……」


「いいえ、記憶や思い出に経年は関係ありません。気になるなら行動すべきです。」


 俺は涙を拭い、カウンセラーの顔を見て答えた。


「いまさら会っても、迷惑になるだけかもしれないです」


 するとカウンセラーが、俺の目を見て、ゆっくりと言った。


「失敗を恐れて何もしなければ、何も変わりません。勇気を出したなら、たとえ失敗しても良いのです。」


(やらずに後悔するなら、やって後悔しろ……)

 実践できていない、俺の、座右の銘と同じだ。


「大丈夫、あなたは必ず変われます。今日は、これくらいにしましょう。」


 その日のカウンセリングを終え、俺は家路についた。


 ぼーとした感覚で、雑踏の中を歩いているとき、高校時代からの友人からショートメッセージが届いていたのをふと思い出し、スマートフォンを確認した。



 コージ【来週の日曜、同窓会開くことになったけど、どうする?】



 コージーこと『小久保浩司』は、高校の同級生で数少ない友人の一人だ。同じ情報研究部にいて、同じITエンジニア志望で、腕を競い合った仲でもある。俺が絶対に同窓会には行かないってことを知っていながらも、気遣をつかってか、必ず誘ってくれるいい奴だ。



 1224【出席する】


 コージー【え?打ち間違えたか?】


 1224【俺も参加するわ】


 コージー【まじか!明日は大雪かもな!じゃあとで場所と時間を連絡するよ】



 同窓会に彼女が来るかはわからないが、行動しなければ何も変わらない。すこしづつでも過去と向き合い、変わらなければいけないんだ。


 気がつくと空は茜色に染まり、すっかり夕方になっていた。秋の風が肌を冷やし、少しずつ夜の気配が漂い始める。遠くでカラスの鳴き声が聞こえ、日常の喧騒が少しずつ静まり返っていく。


 俺は近くのスーパーで色々買い込んで、自宅マンションへ戻った。

 買い物袋の中には、今夜の夕食の材料や明日の仕事に備えるためのエネルギードリンクが詰め込まれている。


 明日は例の、大穴を開けた仕事を確実に遂行しなければならない。

 ミッション完了するまで一歩も家を出るつもりはない。


 エレベーターに乗り込み、自室のある階に到着すると、廊下の薄暗い照明が迎えてくれる。静まり返った廊下に響く自分の足音が、どこか心を落ち着かせる。


 自室のドアの前に到着すると、そこにはまったく想定外の人物が立っていた。


「え?草壁さん………??なんでここにいるんですか?」


 ドアの前にいたのは、会社の上司、草壁香奈だった。


 オレンジ系のタイトなスカートに、ふんわりしたホワイトベージュ系のブラウスは袖がタイトに絞ってある。彼女の服装は、仕事のしやすさと女性らしさをうまく合わせた感じで、まるで女性雑誌のオススメコーデのモデルが飛びしたみたいだ。


 彼女の身長は高くないが、顔が小さく、キリっとした二重の瞳が印象的で、画面を通して見ると実際よりも背が高い人に見える。その瞳は今、心配そうに俺を見つめている。クール系の美人でありながら、周囲に対する気遣いを忘れない彼女は、実際に社内でもすごくモテる。


「青空さん、病気だって言うから、心配で見に来ちゃったのよ」


 なんとまあ律儀で真面目な人だろう。まさか『恋愛恐怖症』のカウンセリングに行ってましたなどと言えるわけないし、何か言い訳しなければ。


「あ、もう大丈夫です、体調はバッチリ戻りましたので」

「よかった〜、なんかいつもと様子が変だから、何かあったのかと思って」


 あれ?俺、草壁さんと普通に話せてる。もしかして、もうカウンセリングの効果が出てるのだろうか。


「今日これから仕事始めますので、ご心配おかけしました」


 すると草壁香奈は、俺が手に持った袋をじっと見つめた後、


「ねえ、私、何か作ろっか……?」


 彼女の提案に、一瞬思考が停止する。


 何それ……、家に上がるってこと?掃除してたっけ?!変なグッズや本を出しっぱなしで出てきてないよな?いやいや、それよりダメだろ、年下の美人上司を、万年童貞の部下の家に連れ込むとか、どんなエロゲーのシナリオだよ!


 ていうか何言ってんだ俺!せっかくきてくれた草壁さんに失礼だろこのゲス男め。


 いや、待て、待て……落ち着いて合理的に最適なお断り方法を考えるんだ。さすがに部屋で草壁さんとふたりっきりで集中してミッションなんてこなせる自信はない。断じてない。


「えっと、草壁さん……」


「何か問題でも?」


 彼女の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。その瞳に映るカウンセリング帰りにスーパーの袋を持った自分の姿が、なんだか情けなく感じられる。


「いえ、そんなことはないんですが……」


「そっか。じゃあ、一緒に晩ご飯を作ろう。たまには、こういうのも悪くないでしょ?」


 どうする俺、どうしよう。

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