第2話 インターフォン

(あぁ……俺は何やってんだろう)


 玄関前のドアに体育座りしていた俺は、膝を抱きしめるように引き寄せ体を丸めた。季節はもう10月を過ぎているし、夜風がけっこう寒い。

 そして今、さっきまでの出来事が頭の中でぐるぐると回っている。あの時、俺は咄嗟に行動した。隣のベランダで飛び降りようとしていた女性を救おうと、何も考えずにベランダへ飛び移り、助けて、部屋に入ったわけだが、これってもしかして不法侵入になるのか?


 そもそも、あのまま彼女が落ちてた分からないし、翌日冷静になって、キモい隣人に侵入されただの、触られただの、訴えるだのと、逆恨みされる可能性もなくはない。いや、ありえるね、あんな美人だし、そもそも人気Vtubarの『中の人』なわけで……警戒心も強いはず。


 もしやこの後、警察が訪ねてきて——


 ドンドンドン!

「青空聖夜だな、不法侵入罪、猥褻罪で逮捕状が出てる!確保だ〜〜〜!」

「ぎゃーーーー人生詰んだ!」

 急いでベランダへ逃げるが追い詰められ、隣の部屋に逃げようとした俺を『中の人』がニンマリとて笑う「ヘンタイ!」その拍子で足を滑らせて、転落死。


 ——なんて展開になる可能性だってあるような気がする。


 ああ、もう考えるのはやめよう。いやまて、考えずに行動した結果、自分の部屋の前なのに部屋にも入れず、秋空の下で凍えて震えているんだろ。こんなネガティブな思考回路の自分が本当に嫌になる。


(それにしてもあの人、大丈夫だったかな……)


 ふと心配の気持ちが頭をよぎる。あの時のベランダで放心していた彼女の表情が忘れられない。何か重大な問題を抱えているのは明らかだった。推しの『中の人』とかは関係なく、俺は無意識に彼女のために何かできることはないかと考えていた。


(いやいや、やめろ。これじゃストーカーみたいじゃん……)


 気づけば、体の震えが少しずつ増してきた。管理人が出勤するまで待たなければならないが、この寒さに耐えられるだろうか。そう考えながら、俺は自分の膝に顔をうずめた。


 やがて、目が重くなり、疲れが体を支配し始めた。寒さと疲労に負けて、意識が遠のいていく。




 ——そして朝日の眩しさで目が醒めると、なんだかほんのりと温かい。


(あれ、なんで俺、毛布に包まってるんだ……しかも、優しい良い匂いがするな……)


 少し幸せな気分で毛布に顔を埋めながら、柔らかい感触をしばらく堪能していた。


「うわ!なんだこれ!俺、あのまま寝たのか……」


 相変わらず廊下で体育座りのままの状態だったが、俺の体には見慣れない毛布がかけられていた。ふと足元を見ると、床にピンクの付箋が貼り付けられている。


【ご迷惑をおかけしました!ほんとうにごめんなさい! 1711号室 伊藤千秋】


 え?……俺、推しの『中の人』の本名まで知ってしまった……なんてこったい。

 じつは貴女は、俺の推しなんです。なんてことバレたら完全に逮捕されるかもしれない。


(でも、千秋からの秋空なのかな、どっちも素敵な名前だな)


 ていうか今何時だ?わがんねえ!とりあえず管理人室に行ってみよう。


 管理人室に着くと既に出勤していたので、さっそく部屋の鍵を開けてもらうようお願いした。その際にオートロックでもないのに何故部屋から締め出されてるのか執拗に聞かれたが、『中の人』こと千秋さんのとの事情を話してしまうと彼女にも迷惑がかかるし、色々と厄介な予感がしたので、とっさの思いつきで「コンビニの帰りに鍵を落とした」と言い訳をして納得してもらった。


 部屋に入る前に「コンビニ行くのになんで毛布を持ってるんだ」と追求されたが「寒かったから」とドヤ顔で答えたら、めんどくさい奴って思われたのか、それ以上は何も聞かれなかった。


 それから俺はシャワーを浴び、彼女に借りた毛布を丁寧に畳んでキャビネットの上に置いた、というか供えた。もちろん付箋も剥がしてクリアファイルにしっかりと保管した。


 いいじゃないか、これくらいのご褒美は!


 俺はベッドに横になって、毛布という『ご神体』を眺めた。

 なんだか昨日の出来事が本当なのか、夢なのか曖昧な感覚になってきたけど、この毛布が実在する限り、夢ではなかったということだ。


「毛布は……やっぱクリーニングに出してから返すか、なんか洗いたくないけど」


 そんな事を考えながら、俺は落ちるようにぐっすりと眠った。


(ピロンピロンピローン、ピロンピロンピローン、ピロンピロンピローン)


 ——ん?なんだっけこの音


(ピロンピロンピローン、ピロンピロンピローン、ピロンピロンピローン)


 ん……あ、インターフォンだ……宅急便か、ダルいな…。


 俺は起き上がり、ふらつきながら、インターフォンに辿り着くと、モニタに映る人物を見て、一気に目が覚めた。


(あ、あ、秋空、じゃなくて、伊藤千秋さんじゃないの!どうしよう!)


 とりあえず急いで通話ボタンを押す。


「はい、あ、青空ですが……」


「あ!すみません、隣の伊藤です……昨日はすみませんでした」


 そういって彼女はインターフォンのモニタ越しに深々と頭をさげる。こういう所作に人って出るよな、千秋さん、性格良さそうだな。ていうかモニタ越しだとなぜか腹痛が起こらない!よかった!


「いえいえ!こちらこそ、毛布、助かりました!」


「すみません、わたしの所為で……その、どうしようか迷ったんですけど、あれしか思いつかなくて」


「十分ですよ!暖かかったです!……あ!必ず洗って返しますので」


「あ、いえ、お邪魔でなければそのまま使って頂いても」


 え?もらえるの?だったらこのままご神体にしますけど!

 ていうかまてよ?もうお前に会いたくないから関わってくれるなって遠回しに言われてるのかこれ、そうだよな、普通にそうだ。


(どうしよう、言葉が出てこないぞ、この場合なんて返事すればキモくないだろう)


「あの……わたし、あの、今、直接お話しできたりますか?」


「え?」


「あ!お邪魔なら今日でなくても!」


「え?あ!いや、あの、ちょっと今体調がわるくて、すみません」


 こんな機会を、あのクソ腹痛で台無しにされてたまるかよ!このままで良い、この声が聞けるだけで俺は救われるんだ。


「あ、あ、ですよね、外であんな、あ!風邪とかですか?!大丈夫ですか?」


「あ、か、風邪?あ!そうゴホゴホ、ちょっと熱っぽいので染っちゃうと大変なんで」


 俺はとっさに嘘をついてしまった。でも良い、顔見て腹痛なんて起こしたら失礼極まりないわけで、これは優しい嘘なのだ。


「ごめんなさい、わたしのせいで、もっと他にもやりようがあったのに、本当に……」


 彼女は今にも泣きそうな顔をしている。やめて、泣かないでくれ、俺の嘘で——

 その瞬間、俺の中で何かよくわかんないスイッチがはいった。


「……——貴女は何も間違ってませんよ!」


「え……」


「…あ、いや、いや!ぜんぜん気にしてないって意味です!本当に大丈夫ですから!」


「……あ、ありがとうございます。あの、では今日はこれで失礼します」


 そういうと、彼女は『中の人』こと伊藤千秋さんは自分の部屋へと帰っていった。


 あーーーーー俺のバカバカバカ!めちゃキモいだろ、何が「やらない後悔より、やった後悔のほうがいい。(キリッ)」だよ!バカがよ!意味不明だろあのタイミングで。完全にドン引きされてたわ。


 終わったな……、何もかも。真っ白な灰になったぜ……。





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