第3話

 周星は現在、一人暮らし。一人で住むには広すぎる一軒家を買い切って生活している。

 十四歳の少年が家族から離れて暮らすのは健全とは言い難いが、本人は縁を切っているつもりでいる。

 寂しいと感じたことはなく、あったのは自由と開放感。気ままな生活を楽しんでいた。


 しかし今日からそれは壊れる。一人、新たな住人が加わることになる。

 師匠の資産でこの生活をさせてもらえている以上、師匠の命令には逆らえない。

 ペットみたいに扱えばいい、犬猫より遥かに楽、などと言っていたが、人間の飼い方など星は知らない。


「入れ」

「……」


 新しく招き入れるペットを、家に入れる。

 推定年齢二十代前半の、若い女。自身を狙ってきた暗殺者である。

 武器の類は全て処分し無力化。武器の扱い以外は人間の範囲を超えない程度の力しかないことは確認済み。

 拘束の類をせずとも、抵抗も逃走も許さない程の力の差がある。


「座れ」


 リビングの椅子を引いて座るよう促し、テーブルの対面にある席に自分も座る。

 唯唯諾諾と従う様は、確かに犬猫よりは楽だと思う。


「……で、お前名前は?」

「…………」

「だんまりか。まあわかっちゃいたが」


 家に連れていく最中もずっと黙っていた。

 話すことは何もないとばかりに、口をつぐんだまま。


「じゃあ、好きに呼ぶぞ。命名ミケ」

「……私は、猫じゃない」

「じゃあ名前言え」

「……ユキ」


 名無しの女暗殺者改め、ユキ。

 偽名か本名か確かめる術はないが、以後ユキと呼称する。


「とりあえず、ユキ。俺が生かすと決めた以上、お前は生かす。必ず生かす。決定事項だからな」

「……舐められたものね」

「そりゃそうだろ。言っちゃあアレだが、生物としての格が違うんだぞ」


 まるでそれが当然のように星は言い切る。

 普通の人間はウン十メートルの高さまで跳躍できないし、亜音速で空を走ることもできないし、大抵の銃弾であれば皮膚の一枚も裂けない。

 人間、というより怪物と称した方が収まりが良いまである。


「……生物としての格、ねえ」


 女はちゃんちゃら可笑しいと笑いが浮かぶ。

 たかが十四の小僧が、生物の格とまで言い出した。まるで人間を超えたかのような言い分が、まるで年相応の誇大妄想に聞こえてしまう。


 力は強い。身をもって知った、そこは認める。

 だが、それ以外はただのガキでしかない。

 、空っぽなバカなガキだ。


「……何笑ってる」


 周星にとって、力とは自分の根幹だ。

 それを嘲笑うことは、誰であろうと許さない。


 殺意の発露と共に、座っている椅子を少し引く。

 このままテーブルを蹴り出せば容易に女を圧し潰して殺せる。


「殺すの?生かすと言った舌の乾かぬ内に?」

「チッ……!」


 苛立つ星に、愉快さを隠さないユキ。

 容貌が美しいだけに、サディスティックに笑う姿は妙に様になっている。


「私、あなたのこと意外と嫌いじゃないかもしれないわ」

「俺はお前が大っ嫌いだよ」


 星ははっきり理解する。この女は苦手だと。

 ユキは確信した。と。




「……クソ、死ぬか逃げるか以外は好きにしろ」


 星はそう言いながら、一枚のカード──黒色のクレジットカードをユキの前に投げ渡した。

 師から貰ったクレジットカード、その予備。限度額なしで、一括でジェット機を買うのも容易であり、資金源もまた無制限で使った端から補充されていく。


 ユキに許されていないことは、死ぬことと逃げること。それ以外は自由を許し、金銭も与える。

 星としては自分が決めたこととはいえ、彼女に拘っている時間は最小限に留めたい。

 金さえ渡しておけば勝手に生活することができるのなら、確かに犬猫よりは楽なペットには違いないのだろう。


「ええ。そうさせてもらうわ」


 満面の笑顔。その笑顔の裏に、どれだけの皮肉が込められているのか。

 死ぬこと、逃げることを許さないというユキの制限は、逆を言えば星は彼女を死なせてはならない、逃がしてはならないという意味である。


 ──


 


 言外にそう含めている気がして、ますます苦虫を噛む顔色を濃くしていく。

 死なない程度に力で従わせることを頭に過ったが、元々死ぬ覚悟が決まった暗殺者にそれが通じるとは思えず。

 力しか誇れるものがない子供に御せる女ではなく。

 今の星は、ユキの手のひらの上で転がされている状況に他ならなかった。




「……上旬とはいえ、七月だから暑いわね」


 この部屋はクーラーを効かせてはいるものの、今のユキの格好は防弾対策がされた厚手の服を着ている。

 当然、汗でベタついて気持ちの良い状態ではない。






「シャワー借りるわ」






 ユキは躊躇せず、着ている衣服をその場で脱ぎ始めた。

 自由にしていいのなら、止められる義理はない。

 それがたとえ、年頃の男子の星の目の前であってもだ。


「おま、バカ!ここで脱ぐな!」


 咄嗟に目を逸らしたものの、動揺を隠せない。

 聞こえ続ける衣擦れの音。一瞬だけ見えてしまった、スポーツブラに覆われた大きい峰と細すぎる腰部。

 中学生男子にとって、大人の女性の艶姿は刺激が強すぎる。


「あら、見たかったら見たらいいじゃない。私、あなたのペットになったのよ」

「は、はあ!?」

「謂わば、私はあなたの所有物。殺す以外、私にどんなことをしても誰も咎めない」


 そう言って、テーブルの対面に座っていた星へとゆっくり歩いて近づく。

 星は動けなかった。椅子に座ったまま立ち上がれず、目を閉じ続けていた。

 蛇に睨まれたカエルの如く。彼女は、蛇だった。


「目を開けて、逸らさないで。これがあなたが飼う奴隷ペットよ」


 恐る恐る目をゆっくりと開けると、下着姿のユキが間近に立っていた。

 機能性を高めた色気のない下着であるはずなのに、大きい胸は谷間の深い闇を覗かせ、腰部から臀部は引き締まっていながらも肉付きの良い理想の曲線を描いていた。


「もっと見たい?それとも触りたい?好きにしていいのよ」


 近づくほどに汗と女の匂いが鼻孔を強く刺激する。それが脳を揺さぶり、正常な感覚を奪っていく。

 星の手を取り、たわわな胸に寄せて触らせ揉ませる。下着越しでも伝わる深く指が沈む柔らかさと押し返してくる弾力が心地よいものとして認識し、思考を奪っていく。

 揉めば小さな声と吐息が返ってきて鼓膜を震わす。声も吐息も甘くとろけて、正気を失わせていく。


「────一緒に、お風呂入る?」


 耳元で、小さく囁くように、鼓膜を通り越して脳髄を直接震わせるような誘惑。

 この薄布を取っ払った生まれたままの姿を見たくはないか、下着越しではない柔肌を思う存分触ってみたくはないか。

 ──お互いが、世界で一番近くなりたくないか。


「っう、うああああああああっ!!」


 正気を取り戻させたのは、子供らしいつまらないちっぽけなプライドだった。

 彼女を押しのけて寝室に使っている部屋にかけていき、閉じこもった。

 あられもない姿の女性を間近に見て触れてしまった罪悪感と興奮で心臓が爆音を鳴らしづけ、それを少しでも抑えて隠すように布団にくるまった。


「……やっぱり、子供ね」


 逃げられてリビングに一人となったユキが、独り言ちた。

 焦らず、少しずつ、ゆっくりと。にじり寄って、毒を流す。






 ──私はあなたから逃げないから、私もあなたを逃がさない。

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