4-5 オスカー・シューベリ

「昔の知人に頼まれて、そういう子供を診たことがある。

そんな力を持った人間に会ったのは後にも先にも、その一回きりだ。そんな人間はそれまで見たことがなかった。


息子が怪我をしてもすぐ治っちまうって言うんで、その子供の力、――あれは魔力なのかね……。それを削ぐことは出来ないかって私に相談してきたんだ」


「魔力を削ぐって、そんなことが出来るんですか?」


「その頃の私には出来たんだよ」


「でも、せっかく授かった能力なのに、わざわざなくさなくても……」


「力があるからって、幸せになれる訳じゃないんだよ。その男の一族も、……厄介な家でね。

若い後妻貰って年甲斐もなく浮かれたんだろうけど、孫もいるってのに、その嫁さんが息子を産んだんだ。もう随分前に跡取りを決めたのに。その跡取りの母親は、身分が低くて、新しい嫁さんの方が身分が高かった」


 この国に住む人が、誰もが知っている一族が抱えた問題と同じだ。

ギゼラは元々はアカデミーにいて、皇室に仕えていた魔術師だった。……その息子が誰なのかは、想像するに容易い。


「おまけに、その息子が異質な能力を持ってたもんだから、老い先短いのもあって不安になったんだろうね。それで出ていった私なんぞをわざわざ頼ったんだ。


 その子供は、大事に育てられていたから、特異な体質がわかるまで時間がかかった。


 四つになったころ、乳母が息子を連れて塔の階段を降りているときに、何者かに押されて、二人は高い塔の階段から石畳の床に落ちた。

古い塔で柵が壊れていた。……いや壊されていたんだろうね。

産まれた男子を邪魔だと思う人間なんて沢山いたんだ。


 子供は頭を怪我して虫の息で……乳母は助けを呼ぼうにも声も出なかった。ただ腕の中でぐったりする哀れな男の子にすがって泣くことしか出来なかったんだ」


 ギゼラは淡々と暗い声で語った。


 幼い子供の暗殺は、皇宮で脈々と受け継がれた、忌むべき習慣だった。寵妃の流産や突然の死、皇子や皇女たちの変死、陰惨で血生臭い噂は市井にまで流れてくる。


 皇帝陛下の即位前、第一子だったウジェーヌ第一皇子も、母親の皇太子妃と叔母のヘレナ皇女と共に不可解な死を遂げている。


 歴史書で何度も読んだことがあるような出来事は、詳細を耳にすると、むごたらしさに顔をしかめずにはいられなかった。


「だが、暫くすると子供は何事もなかったように立ち上がって、乳母の折れた脚と腕を治した。子供は血で汚れていたが、頭の怪我は綺麗に治っていた」


「魔術ですか?」


「……その子に魔術を教える者なんていなかったよ」


 アデライードと同じだった。

でも、彼女が折れた骨まで治せるかはわからない。

私は、かすり傷を治してもらったことしかなかったから。


「乳母は奇跡のような体験をして……感激したんだろうね。アカデミーの魔術師も、神殿の神官も、折れた骨を魔術で治すことなど出来ない。ましてや瀕死の怪我を負ったのに、それを自ら治癒できるなんて、神の御業そのものだ。


 乳母は体験したことを両親に知らせたときに言ったんだよ『ご子息はシューベリの再来です。跡継ぎには、この方こそ相応しい』とね。

……それで、息子が選定を受ける前に、私に相談しにきたんだ」


 皇族は、大神シューベリの直系の子孫だと伝えられている。この大陸の伝承だ。


 大神シューベリは精霊の女王アポロニアを降臨させ、伴侶にした。アポロニアはシューベリの願いをきき、大神の理想の世界を創った。

海を陸を川を山を作り、様々な生命を誕生させ、そしてシューベリに似せた生き物――人間を作った。


 シューベリは自分の力を残すために、幾人も子を成した。その子孫が、シューベリの姓を名乗る者たち、つまり皇族だと伝えられている。


 神話では、代々の皇帝はそれこそ奇跡のような魔術を使った。疫病を治し、戦で傷ついた人々を癒し、仇なした逆臣を焼き、海からきた蛮族を嵐で退けた。……しかし、全て神話の物語だ。


 奇跡のような魔術を最後に皇帝が使ったのは、四百年ほど前。

皇帝アルチュールが瀕死の怪我を負った忠臣エレインを魔術で救い、アポロニアを祀る神殿の聖女も力を貸したと歴史書には記されている。

今では、そのような魔術は誰も使えないと言われていた。


 ギゼラは私の手を握る手に力を込めた。


「私は、その息子を診た。

その力は選定で測れるようなものではなかった。この世の理とは違うものだった。


 ……確かに乳母が言ったように、息子はシューベリの再来かもしれない。


 だが、同時に計り知れない重責を背負わされていた。人知を超えた役目をこの子が背負わされていることに、私は恐怖したよ」


「役目ってどんなものだったんですか?」


「……わからない」


「わからない?」


「私にはわからなかった。ただ、この子がいずれ味わう苦しみが流れてきた。人知を超えた力は恩恵というよりも呪いのようだった。普通の人としては生きられない。この世に何も残せない。……生きた証を残せない」


 ギゼラは私の手を離すと、うつむいて両手で目を覆った。神殿での祈り方と同じ仕草だが、何かに怯え、畏れているものを視界に入れないようにしているようだった。


「……シューベリ、あるいはアポロニアの呪い」


 彼女の小さな呟きは、震えていた。


 私は昨夜、ジェラール公爵が言ったことを思い出した。「シューベリの血を引く者は、皆、神への供物だ」と。


 私が神の存在を信じているかは微妙なところだ。

神殿へ行き祈りはするし、神々にも、信仰に対する敬意もあるが、それは刷り込まれた習慣のようなもので、信仰心が厚いとは言い難い。

なので、ジェラール公爵が言ったことは何かの比喩だと思ったし、ギゼラが怯えている畏れが、私にはよくわからなかった。


「その子供の名前はオスカー・ジェラールですか?」


 今更だが、その子供が彼なのか、確信を得たくて尋ねた。


「……私が会った時は、オスカー・シューベリだったよ。シューベリは自分の子孫に呪いを残したんだ」


 彼女は両目を手で覆ったまま、呻くように答える。


「その……彼は、今でも呪われているんですか?」


「私もやれるだけのことはした。

なんとかして剥がそうとして、あの子の背負わされた役目だけは剥がれて、どこかへいった。


 だけど、人が手を出せる領分ではなかったんだよ。

私の魔力をほとんど奪っていって、あの子には中途半端な力と呪いの一部が残った。……罰だと言わんばかりにね。


 オスカー・シューベリは、この世に何も残せない。生きた証を残せない。花は咲いても実をつけることはない」


 ギゼラはうつむいたまま、再び、両手で私の手を包みこむように握った。


「間違いだった。私は過ちを犯したんだ。人の情に絆されて、触れてはいけないものに触れた。


 剥がすべきじゃなかったんだよ。人の理から外れた力を持つのには、意味があったんだ。


 彼は役目だけはがれて、不相応な力だけを持った。

……空虚になった器に宿るのは、さもしい野心だけさ。しかもその器は、他の人間と同じ形にはなれない」


 私はアデライードのことを考えて、不安になっていた。彼女も、ジェラール公爵のような呪いがかけられているのだろうかと。


 アデライードの役目――物語を読んだ限り、アーヘル熱病から、人々を救うのが、彼女に課せられた運命だと思っていたが、ギゼラが言う人知を越えた重責を背負わされているのなら、そもそも『私』が読んだ物語とは、いったいなんだったのだろう。


 私は恐る恐る口を開いた。


「私の親友も、彼女も何か、その……呪いがかかっているのですか?」


「……診ていないから、なんとも言い様がないね」


ギゼラはまた重い溜め息をついた。


「オスカーの乳母がどうなったか知っているかい?」


「いいえ、知りません」


 オスカー・ジェラールは五歳の時に臣籍に下って、形式上、継承権を失くしたことは知っていたが、乳母のことまでは知らない。


「すぐに殺された。父親が命じたんだよ。口封じのためでもあった」


「自分の息子が助けたのに?だって彼はまだ四歳だったんでしょう?」


「乳母は時に母親以上の影響を与える。

乳母が皇帝になるのが相応しいと囁いて育てた子供はどうなると思う?成長したオスカーが継承権を主張しだしたら、どうなると思う?」


 ギゼラの言い分はよくわかったが、その残酷な選択に悲しくなった。四歳のオスカー・ジェラールには野心などなく、ただ乳母を助けたかっただけなのだろうから。


「国を統べる者として、国が二分されるような争いは避けるべきことだ。

だがそれ以上に、息子たちに殺しあいをさせたくはなかったんだろう……。


 為政者であるのなら、国のために個人を犠牲にすることは厭わないし、そういう地位にいる人間は、血族を守るためなら、どんな残酷なことでも平気でする。


 カール……いや前皇帝は、死ぬ間際に愚かなことをした。


 オスカー・シューベリの最大の後見だった継皇后の父親、ゴティエ公爵を自分の家族に毒を盛った嫌疑をかけて殺したんだ。現皇帝の第一皇子が叔母や母親と共に死んだことは知っているだろう?」


 現皇帝が即位前に妹であるヘレナ皇女、皇太子妃、そして息子のウジェーヌ第一皇子が不可解な死を遂げたことは知っていたが、ジェラール公爵の祖父であるゴティエ公爵がそんな罪で殺されていたことは知らなかった。


「ゴティエ公爵は外孫に皇位を継がせるために、第一皇子を毒殺したんですか?」


「……いや、彼ではないよ。幼子や女に毒を盛るような卑劣漢じゃない。

君主と国に尽くして、家門と娘、そして孫を守る為に自ら毒杯を口にした。


 だから、あんたが見たオスカー・シューベリのことは、誰にも言ったらいけないよ。それに親友のことも。特異な力があるからってそれは人を守るものとは限らないんだ」


 私が頷くと、彼女は両手で私の頬を包んだ。


「……あんたの体も、魂も一つだよ。二つじゃない。それを肝に銘じな」


 まっすぐに私を見つめてくる青い瞳は、アデライードと同じ色だった。

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