4-4 診療所にて
「あんた、クレマンに騙されたねぇ。こりゃ、何の効果もないよ」
クレマンからもらった魔法陣をギゼラに見せると、彼女は呆れたようにそう言い、私は「えっ?」とつい声を出した。
ギゼラたちの診療所を訪れると、クレマンはちょうど患者を診察中で、ギゼラが台所で他の近所の奥さんたちと昼食の準備をしていた。
そこで、魔法陣を見せたところ、先程のことを言われたのだ。
「クレマンはたいした魔術は使えないんだよ。せいぜい魔法陣を光らせるぐらいさ」
バルビエを脅し、そして舞踏会でもクレマンの『気丈になれる』魔術は、とてもよく効いたのに……何の効果もないってどういうこと?と、私は呆然となった。
私が今日、早めに起きて、この診療所に訪れたのは、約束した寄付の銀貨十枚を渡すこと、ギゼラがジェラール公爵のことを何か知っていないか聞く目的もあったが、クレマンにあの魔術をかけて欲しかったのだ。
これから大事な要件が二件ある。エベール侯爵に会って腹を探り、ストローブ男爵に会う、そんな大事な時にオドオドして喋れなくなっては困るから……。
「うちの亭主もそれでタバコやめれたんだよ。クレマン先生の『騙り』はねぇ、すごいよ。あんな派手に魔法陣光らせて、生真面目そうな人が嘘つくなんて誰も思わないだろ?」
奥さんの一人が笑いながら教えてくれて、私はようやく合点した。
(つまり、気丈になったって、思い込まされたってコト?)
私がショックで暫くぼうっとしてると、クレマンが台所にやってきて、テーブルにある魔法陣を見つけると「あっ」っと声をあげた。
「母さん!何を言ったんですか」
「あんた、また、つまんない治療試したんだろ。その種明かししただけさ」
「この治療にはね!段階ってものがあるんです!徐々にならして……」
「ほんと、つまんない子だねぇ。まぁファルネティの奥さんそういう訳だよ」
私は肩を落として、クレマンを恨めしげに見上げた。
「……よく効いたのに」
クレマンはごまかすように笑って、テーブルの上の光の消えた魔法陣を私に渡した。
「嘘の魔術でもよく効いたのなら、あなたは、ちゃんと人と話せるんですよ。これは、その証です。
呼吸が上手くできなくなったら、今までのことを思い出してみてください。慣れれば自然に上手くできますよ」
クレマンは、不安になっている私を励ますように言った。
言いくるめられた気がしたが、確かに、この魔法陣が光っている間、悪徳医師ハビエルを脅し、根性悪のギベル男爵夫人に一泡吹かせ、初対面のクラン伯爵夫人とも交流が出来た。
ジェラール公爵が刺された時は混乱してしまったが、彼と会話し、完璧とは言えないが、踊ることも出来たのだ。
この体の主であるセレスの気弱さに引っ張られては、場合によってはそれが死に直結してしまうし、何よりも以前の気弱なセレスのままではアデライードの足を引っ張るだけだ。
私は渡された魔法陣を大切にしまって、約束した寄付金、銀貨十枚が入った革袋をクレマンに渡した。
「有り難く活用させて頂きます。
せっかくですから、母と私がしている研究も見ていってもらった方がいいでしょう。
母さん、台所は僕がやっておきますから、夫人に見せてあげてください」
肉切り包丁を持ったままギゼラは振り返り「病人食に塩いれすぎるんじゃないよ」とクレマンに注意した。
ただ料理をしているだけなのに、包丁を握ったギゼラは、かなりの迫力があった。
……セレスが子供のころ絵本で読んだ暗い森に住む緑の魔女みたいだった。親の言うことを聞かない子供を拐って使い魔に変えてしまう恐ろしい魔女。本人には絶対言えないけれど。
ギゼラは卓の上にあったランプを手に取り、私に着いてくるように言った。
ギゼラと共に廊下に出ると、窓から中庭の様子が良く見えた。今日も陽気はよく、窓から差し込む光がまぶしい。
中庭で遊ぶ子供たちは今日も元気に駆け回っている。
ギゼラは子供が薬草を踏んでいないか気にしているのか、窓から子供たちの様子を窺った。
そのうち一人の子供が転び、ギゼラは「言わんこっちゃない」と、庭に出ていき、私も慌ててついていく。
ギゼラが窓の外を気にしていたのは薬草ではなくて、遊んでいる子供達だったのだ。
私が地面に転んだ男の子を起こしにいこうとすると、ギゼラはそれを止めるように持っていたランプを私に押し付けた。
男の子はまだ四、五歳ぐらいの小さな子だったが、自力で立ち上がって、泣きながらギゼラにしがみついた。
「ばあちゃん、痛くなくなる薬飲ませてッ!」
「前みたいに腹が痛い訳じゃないだろう。きかないよ。頭は痛くないかい?」
ギゼラは男の子の擦りむいた肘と顎以外に怪我した所がないか確認すると、男の子を連れて、水場へと連れていった。
男の子はギゼラに擦りむいたところを洗われぎゃんぎゃんと泣いていたが、私は男の子が転んだ場所、崩れた塀が気になった。子供が安全に遊べる場所とは言えなかったから。
ギゼラは見守っていた年長者の女の子に「クレマンが台所にいるから、手当てしてもらいな」と言いつけ、女の子は頷くと、自分の手と男の子の手を洗って、屋内へと入っていった。
「塀をなおしませんか?研究費とは別に寄付します」
私の申し出にギゼラは、ふんと鼻を鳴らした。
「この間、クレマンにきつく言われたんだよ。あんたみたいな世間知らずのお嬢さんからこれ以上金をむしり取るなって」
「確かに頼りないかと思いますが、これでも成人済みで結婚して屋敷の帳簿を管理してます。クレマンさんには黙っておけばいいでしょう?他の貴族からの占いか診察の料金で貰ったとか言えばいいんです」
ギゼラは、私がそんなことを言うとは思っていなかったらしく驚いたような顔をしたが、私の提案が気に入ったのか、にやりと笑った。
「そりゃいい考えだ」
ギゼラはそう言いながら屋内へ戻り、私も後に続いた。
「私らなんかに寄付するなんて変わってるね。神殿に寄付した方がいいんじゃないのかい?」
「友達にギゼラさんたちのことを聞いて、間違いないって思ったからです。それに、神殿がアーヘル熱病の研究をしているなんて、聞いたこともありませんし」
「あっちにはあっちの本分があるんだよ」
「そうなんですか?」
「帝立アカデミーよりマシさ。持っている知識を蓄えるだけして活用する方法も知らない愚か者の集まりだ。あそこがやってる病院なんて、ただの収容所だよ」
彼女は、古巣であるアカデミーのことを忌々しげに言った。
廊下から地下へと続く階段へ降りる前に、私に持たせたランプを受け取るとそれに火をつけた。
階段を降りた先の地下室の空気はひんやりとして、ランプの光源があっても薄暗い。
ギゼラが、背の低くなった燭台の蝋燭に、火を灯していくと部屋の中が照らされた。
石が剥き出しの壁と床、天井には、干した草花が吊るされ、壁際には頑丈そうな棚には、よくわからない液体の入った瓶がたくさん並んでいる。それぞれにラベルが貼られて、植物や薬品の名前らしき文字が書き記してあったが、それがなんなのかは、私にはわからなかった。
部屋のほぼ中央に置かれたテーブルの上にはフラスコやビーカーの他に、白百合の花が入ったガラス瓶がいくつも置かれていて、百合は風もないのに、ゆらゆら揺れている。どれも萎れて元気がなく、花弁や葉には赤黒い斑点が浮いていた。
『とある聖女の物語』に記してあった通りの部屋だった。
ここは、アデライードが、ギゼラやクレマンと一緒に寝る間も惜しんで治療薬の研究をしていた部屋だ。
アーヘル熱病でギゼラが亡くなってからの彼女は、とりつかれたように、この研究に入れ込んだ。
十年前の大流行で、セレスが祖母を亡くしたのと同時期に、彼女も母親をアーヘル熱病で亡くしていたし、ギゼラまでも、この病で亡くしたことを悔やんでいた。
それに、アーヘル熱病で皆苦しんでいるのに、特に何もしない神殿や、アカデミーへの怒りもあったんだろう。
そんな彼女に寄り添えたのは、クレマンと、第四皇子だけだった。……父親や家族は彼女の気持ちを理解してくれなかった。
萎れかかった百合が、元の綺麗な姿に戻った時、今まで生きていて一番の達成感を味わった瞬間だったのではないだろうか。
ギゼラに「花に触るんじゃないよ」と注意され、私は伸ばしかけた手を、後ろ手にしてしまった。
「その花でアーヘル熱病の研究をしてる」
「魔術ですか?」
「そうだ。花を『人間』にしてるんだよ。それで、作った薬を試してる。
……昔、魔術で人間を作ろうとした愚かな魔術師がいてね、もちろん出来なかった。その代わりに出来たのがこれさ。全部アーヘル熱病にかかってる」
物語で読んで知ってはいたけど、病気が漏れたりしないかと少し不安になってギゼラに視線を向けると、彼女はため息をついた。
「うつんないよ。瓶にも魔術を仕込んでるから、病気は漏れない。今の私の力じゃ、瓶を管理するのが精一杯だけどね。
アーヘル熱病の研究は、私がアカデミーを出てからずっとしてるけど、少しだけ症状を和らげるぐらいの治療薬しかできていない。
私が生きてる間に完成するかもわからない。
クレマンはあの通り、子供騙しみたいな魔術しか使えないから、これを管理し続けるのは無理だ。
だから、私が死んだら、この研究は全部意味のなかったものになる。……意味はわかるね?」
つまり寄付をしても全て無駄になるかもしれないと言うことだろう。でも私は知っていた。アデライードがギゼラの弟子になって、彼女の意思を継ぐことを。
「ギゼラさんに弟子入りしたいっていう魔術師がいるかもしれないじゃないですか」
「……こんな銅貨一枚にもならない研究に付き合う魔術師がいるもんかね。そんな奴はとんだ間抜けだよ」
ギゼラは憎まれ口を叩いたが、その間抜けと言われたことをアデライードはやってのけるのだ。
「とにかく、この病気の研究の現状はこういうわけさ。それでも寄付したいんなら止めはしないよ」
説明はここまで、とギゼラは、地下室を出ていこうとした。
だが、今日、ここへ着たのは、もう一つ用があった。……ジェラール公爵の怪我をしても治ってしまう体質のことをギゼラに聞きたかった。
「寄付の話しとは別に、ご相談したいことがあるんですけどいいですか?」
ギゼラは怪訝そうに片眉を上げた。私は彼女が手を出す前に金貨を彼女の手に握らせた。
「……前みたいにクレマンに言うんじゃないよ」
「もちろんです。塀をなおす費用は別でお支払いします」
「それで、どんな相談なんだい?惚れ薬や媚薬なんて調合しないよ」
「ギゼラさんってアカデミーにいらっしゃったんですよね。高名な魔術師を何人も見てきたと思うんですけど、その中に怪我してもすぐに治ってしまう人っていましたか?」
ギゼラがまた煩わしそうな顔をするかと思ったが、渋い顔をして、椅子を引っ張り出す。私にも向かいに座るように言って、まじまじ私の顔を見つめると、頬に手を添えた。
「……アンタ、剥がれてる」
「えっ?」
「魂が剥がれてんだよ。弱っちい魂だね。今まで死ななかったのが不思議なぐらい弱っちい」
「よ、弱っちい?」
「そう弱ってる」
「えっ、でも、前に診察されたとき、ギゼラさん、私のこと健康だって言いましたよね?」
「体の丈夫さと、魂の強さは違うよ。アンタはね、運命に抗う力がない」
「それってどういう意味ですか?」
「砕いて言えば、運が悪い。このままだと死ぬよ。擦りきれて消えそうだ」
……確かにセレスは、運が良いとは言えない。物語ではセレスはリュリーに毒殺されたけど、私は、その『セレス』じゃない。腑に落ちなくて変な顔をしていたんだろう。ギゼラは頬をつねった。
「占いしてやったじゃないか。その内容、忘れるんじゃないよ」
彼女はそう言って、頬から手を離す。
……誤魔化されたような気がする。彼女が席を立とうとしたので私は慌て、彼女のローブを引っ張って引き留めた。
「質問のこと答えてません」
ギゼラは、今度こそ煩わしそうな顔をして、仕方なく上げかけた腰を椅子に座り直す。
「誰かから聞いたのかい?」
「いいえ、この目で見たんです。何度もお腹を深く刺されて……なのに、そんな時間もたたないうちに、無傷な姿で、私の前に現れたんです」
あの時の光景を思い出して、血の気が引いていった。ギゼラは考えるように沈黙したが重々しく口を開いた。
「その怪我をした奴はアンタの知り合いかい?」
「……そうです。仲が良いわけでもないですし、出来れば関わりたくない人なんですが」
「その男は、あんたに何をした?」
ギゼラは少し緊張した様子で尋ねた。
「まだ、特には何もされてません」
「……逃れられないのかい?」
「出来ればそうしたいんですが、彼は私を手駒にしたがっているようで、諦めるかどうかわからないんです」
ギゼラは、私に手を出すように言って、私は手袋を脱いで、両手を彼女に差し出すと、それを包むように、手を重ねた。
「実は、私の友達も……この診療所を教えてくれた友達です。彼女も怪我をしてもすぐに治ってしまう体でした。
私が知らないだけで、こういう体質は、珍しいものじゃないんでしょうか?」
「友達?」
「……はい、ずっと前からの大切な親友です」
「名前は?」
「アデライード・グレゴワール」
ギゼラは、アデライードの名前を何度か呪文のように繰り返した。風もないのに短くなった燭台の蝋燭の火が一斉に消えて、光源はギゼラが持ってきたランプだけになり部屋は急に薄暗くなった。
「力のある名だ」
ギゼラは立ち上がり蝋燭を変えて火をつけた。ジジジと音をたてて燭台の炎が揺れる。
「こんな弱い魂に、なにをさせる気なのかね……」
ギゼラは重いため息をついて、椅子に腰掛けると、再び私の手を握った。
「あんたは、知っておいた方がいいだろう。でも今からする話しは誰にも言うんじゃないよ」
私が頷くと、彼女は「気分のいい話しじゃないよ」と沈んだ声で言った。
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