4-2 贈られた花束を燃やすまでが舞踏会です

 馬車での帰り道、同乗したファルネティ伯爵とは一言も話さず、私は窓から見える暗い街並みをぼんやりと眺めながら、アデライードのことを思い出していた。


 恐ろしい体験をしたせいか、アデライードと一緒に過ごした時を思い出して、それにずっと浸っていたかった。

今すぐにでもアデライードのいるリージュに帰りたかった。


 ジェラール公爵は、『とある聖女の物語』に書かれていたよりも、危険な人物だった。

あれだけの怪我を負っても死なない体と、それに残忍な報復。短時間過ごしただけで彼の恐ろしさは、嫌と言うほどよくわかった。


 しかし、もうセレスも子供と言える年齢ではないし、アデライードもそうだ。帰っても、あの頃には戻れない。


(それに、私が逃げたらジゼルはどうなるの?)


 ジゼルが城壁の外にある農業区画、ラパン地区の水路で発見されたとき、その遺体は惨憺たる状態で、そして、彼女がどんな扱いを受けていたかを物語っていた。

死後一日もたっていなかったが、遺体は酷い状態だったのだ。


 ただ遺体が流れ着いたのなら、そのまま捨てて置かれたかもしれないが、身につけた貴金属で身元がすぐに判明したのと、あまりに酷い殺され方だったので調査がされた。


 調査の結果、ジゼルはペガズの森で何者かに襲われ、矢を何本も射られて負傷して、ラルム川に落ちて溺死したのだとわかった。

そして、遺体はラルム川から水を引いているラパン地区の水路まで流されたのだ。


 彼女の体には、矢傷の他に、明らかにその時に負ったものではない虐待された痕が残っていた。


 次々と出た証拠で、ルゴフ子爵がジゼルを殺した犯人であることは間違いようもない事実だと判明する。

ルゴフ子爵は地位を利用して、逮捕を免れようとしたが、第四皇子は彼を許さなかった。

だが、彼が高位貴族だったので死刑はされず、彼は牢獄に幽閉された。


 ……例え、ルゴフ子爵に自身が犯した、おぞましい罪を償わせたとしても、ジゼルが蘇ることはないし、虐待された事実も消えない。


 そんなことがおこる前に、早く彼女を安全なところに、彼女を守れる、愛する人のところに連れてこなければいけない。

あんな悲劇は、起きなくていいのだから。


 私は視線を向かいに座っているファルネティ伯爵に向けた。今夜あったことは、彼の神経も磨り減らすような事だったのだろう。顔色も悪く、疲れた表情で外を眺めている。


 今夜、彼がセレスに独占欲のような感情を出したのは良くないと思った。彼なりに、夫婦関係を修復したいと思っているのかもしれないが、このままだと、彼は同情や義務感でセレスに引っ張られる気がした。それなら、早めに突き放した方がいい。


「側室を迎えませんか?」


 私のいきなりの提案に彼は驚いて目を見開いたが、すぐにその表情を消して、疲れたように息を吐く。


「……何を言い出すかと思えば、君はどうかしている。あんなことがあったばかりで気が動転しているのかもしれないが」


「ずっと考えていたことです。先日、バルビエ以外の医者にも診断を受けて、身ごもるには早すぎると言われました」


「……なら待てばいいじゃないか」


「私が産む必要はありません」


 彼はうつむいて両手で顔を覆った。


「リュリーとのことを怒っているのか?」


 彼の弱々しい声と、仕草で、リュリーとのことを後悔して、セレスに許しを願っていることはわかった。

彼の質問に私はなんと答えていいかすぐには分からず、少し考えた。リュリーがファルネティ伯爵との関係をかさに、セレスを陥れていたことには腹が立ったが、彼が誰と恋をしようと、関係を持とうと、セレスは彼が思うほど傷つかなかっただろうから。


「いいえ。でも、あなたとの子供が欲しいと思ったことは、一度もありません」と正直に答えると、彼は、顔を上げ、悲しそうに歪めた。


「君が変わったのは、妻としての意識が芽生えたからだと思っていた」


「伯爵夫人としての責務は果たす必要があったので、そうしました。あのみっともない格好では、ろくな社交活動は望めませんでしたから、あなたのためではないのです。

そして、今後とも、あなたの妻としての役目は果たすつもりは一切ありません」


「そんなことが許されるとでも?」


「私たちの結婚契約書には、持参金の額と私を第一夫人の座に据えることは記されていましたが、妻の役目に関しては何一つ書かれていません。私が産んだ男子を跡継ぎにすることは明記されていますが、私がそれを成さなくてはいけない、とは書かれていません」


「跡継ぎには嫡出子がふさわしい。当たり前のことだから書いていないんだ」


「そんなこと、皇室では、とうに守られていないでしょう。皇帝陛下の母上が誰かお忘れになったのですか?」


「皇族と貴族は違う」


 彼は少し語気を強くした。悲しそうにしていた顔に、ふつふつと怒りが宿っていったので、私は呼吸を一つして、一気に言葉を続けた。


「私達が結婚した経緯を覚えておいでですか?

この結婚は、ファルネティ家はお金を得るため、デュシャン家は家名を高めるためにした契約です。

それに、あなたが姉ではなく私を選んだのは、私を気に入ったからではないですよね。

シモン夫人に相談されたのでしょう?助言に従って、気の弱い、冴えない私を選んだ。田舎者に家門を支配されるのを避けたかったから。

家門の権威を大事に思う、あなたにとっては、地位の低いデュシャン家との婚姻は屈辱だったのでしょう。それなら……」


「もういい、やめてくれ」


 彼は苦しそうな顔をしたので、胸が傷んだ。でも、ここでやめてはいけない。


「あなたは私を愛してはいないのでしょう?」


 私の言葉に彼は虚をつかれたように、息を飲む。


「私もあなたを愛していません」


 ここまで言うつもりはなかったが、二人に未来がないことを、わからせる必要がある。

彼は呆然としたまま、しばらく黙った。やはり彼もセレスと同じ気持ちなのだ。


 彼がセレスに気持ちを向けたのは、セレスが伯爵夫人としての責務を果たすために変わったから、彼も夫としての役目を果たそうとしただけだ。……そんなものは、私はいらない。


「……それで、君はジェラール公爵を選ぶのか」


 思ってもみないことを言われて黙った。ジェラール公爵に好意なんて抱いてはいない。彼はセレスを手駒にしようと画策していたような男だ。それに誰が好き好んで、あんな恐ろしい男の手駒に自らなろうというのだろう。


 それでも、ファルネティ伯爵を引き下がらせるためには、都合のよい相手だった。何か言ったほうがいいかと迷っている間、馬車が屋敷に着いた。


 彼は侮蔑したような表情を浮かべて「もういい。聞きたくない」と言い捨てると、セレスの手を取ることなく、一人で馬車から降りていった。


(これでいいのよ……)


 椅子に埋もれるようにもたれかかって長く息を吐いた。目的通りに事が進んだのだから、もっと喜びが溢れてくると思ったのに、そうはならなかった。


 従僕の手を借りて、外に出て玄関に向かうと出迎えたミアが心配そうに駆け寄ってきた。


「おかえりなさいませ、早いお戻りでしたね。旦那様と喧嘩でもされたんですか?」


 私はミアの顔を見て、押さえつけていた感情が溢れ泣きそうになって視界が滲んだ。


「奥様宛に沢山の荷物が届きました。マーサ様は中身に興味津々です。ご覧になりますか?」


 ミアは私を元気付けるように明るい声でいった。


 玄関ホールには、沢山の木箱が積まれていた。見慣れたブスケ家の紋章の焼き印に気付き、慌てて中身を開けてもらうと、中に入っていたのは瓶に入った林檎酒だった。


 ミアは「ずっとお待ちになってたでしょう?お手紙もありましたよ」と手紙を渡してくれた。赤い蝋封はグレゴワール家の印章ではなく無印だったが、間違いなく彼女のものだと思った。だって、ブスケ家の林檎酒は、セレスとアデライードに特別な思い出がある物で、これをねだったのは彼女だけだったから。


 ミアに渡された手紙を胸に抱いて急いで自分の部屋に向かい、紫檀のデスクに手紙を置くとペーパーナイフを蝋封の間にさしこみ慎重に中を開ける。紙を広げるとふわりと、インクと百合の香りが漂った。



『セレスへ

私は、あなたの願いが成し遂げられると信じている。だから負けないで。いつも、あなたを見守っているわ。

          愛を込めてアデライードより』



 いつもは何枚にも渡る長い手紙を送ってくる彼女にしては、短い文だったが間違いなく、アデライードの筆跡だった。


 私は手紙を胸に抱き締めて、その場に蹲った。


「ひぐっ」っと喉から嗚咽が漏れて、子供みたいに声をあげて泣いた。


 今夜あったことは怖かった。

今まであんな恐ろしい事が、この世にあるなんて知らなかった。

理解の範疇を越えた悪意や謀略に、自分が巻き込まれていくのが恐ろしい。


 でも、このままジェラール公爵の手駒になるわけにはいかない。

立ち止まってはだめだ。ジゼルがあんな目に会うのは嫌だ。

私には、アデライードとの未来があった。私のためにも、アデライードのためにも、逃げる訳にはいかないのだ。


 唇の隙間から漏れる嗚咽を堪えて、文箱にアデライードの手紙を仕舞おうと立ち上がったとき、ミアが花束とリボンがかけられた箱を持って部屋に入ってきたので、慌てて涙を拭いて、文箱にアデライードの手紙を仕舞った。


「奥様、贈り物が三つも届きましたよ!花はこの時期、高いのに。今夜早くお帰りにならなければ、もっと届いたかもしれません。やっぱりアングレ夫人の言った通り、あのドレスは正解でしたね。

……まぁ、あまり殿方から贈り物を頂くのは、旦那様のご機嫌が悪くなるかもしれませんが、兎に角、大躍進です」


 舞踏会の後、紳士がダンスを踊った相手や知り合いの配偶者にちょっとした贈り物を届けるのは、お近づきの挨拶みたいなもので、特に意味はない。……意味がある場合もあるが、いちいち本気にすることではないのだ。贈る側も、あらかじめいくつか品を用意しておいて、該当する令嬢や夫人にそれを贈るだけなのだから。


 ただ、そういうマナーみたいな贈り物ですら、セレスは貰ったことがなかったので、ミアの言うとおり、大躍進ではあった。


 ミアは抱えたそれらをテーブルに置いて、それぞれ誰から贈られたものか説明しだす。


「ピンクの薔薇の花束とリボンがかかっているのが、……ルゴフ子爵からの贈り物ですね。……あら、お菓子みたいです。アガット、有名店ですよ。カードはこちらです」


 ルゴフ子爵の名前を聞いて、不快感に顔をしかめた。いくら薔薇が綺麗でも、嫌悪感はあの男が産まれ変わったって拭えるものではない。

カードを見ると、お決まりの定型文。自分で書いたものではないだろうし、贈り物も彼が選んだものではないだろう。


「お菓子は階下の皆で食べて、私はいらないわ。適当にお礼の手紙を代筆してくれない?花とお菓子のお礼だけ書いておけばいいわ」


「わかりました。赤いダリアと薔薇は、ジェラール公爵から。贈り物は、ふふっ、これもお菓子ですね。アガットの」


 あんなことがあった後で、血肉を連想させる赤い花束を贈ってくるなんて趣味が悪い。

カードを受け取り、後で読もうとテーブルに置いた。


「お菓子はさっきのと一緒に皆で食べて。返事は私で書くわ」


「いいんですか?皆、喜ぶとは思いますけど、アガットは人気のお店なんですよ。一口ぐらい召し上がっては?」


「……いらない。あとの一つは?」


「これは、エベール侯爵ですね。花束とカードだけです」


 彼が送ってきた花束は白い薔薇と青いデルフィニウムの清楚なものだった。

慣例に従っただけなのだろうか。眉間に皺が寄せ、カードを受けとる。

これも後で読むことにして、テーブルに置いた。


「ありがとう、明日は三時間早めに起きるわ」


 午前中にギゼラたちの診療所に行って寄付を渡しにいきたかったし、相談したいこともあった。

ジェラール公爵やアデライードのような体質の人間は他にもいるのだろうかと。

ギゼラは、診療所を開く前はアカデミーにいた。何かジェラール公爵のことを、何か知っているのであれば聞きたかったのだ。

 

「ずいぶん早いですね。お出かけになるんですか?」


「ええ。ギゼラさんのところへ行こうと思ってるの」


 フォルミ街はセレスたち貴族が多く住んでいるルナール街から、そこまで離れている訳ではないが、朝食、沐浴、身支度と出かけるまで、二時間はかかるので、早めに起床する必要がある。


 それに午後は、ジェラール公爵と戦うためにしなければいけない事があった。午前中にギゼラとクレマンのところへ行きたかった。


「私の身支度が終わったら、あなたとアドリーヌ達には休暇を明後日まであげるから、ゆっくりしてて。夕食は自室で取るから、代わりのメイドは湯の用意と食事だけ部屋に運ぶように頼んでちょうだい」


「お付きもなく、お出かけされるのは危険です。それに昼食はどうされるのですか?」


「危ないことはしないから大丈夫よ。それに御者がいるわ。お昼は適当に取るから私はいらない。御者のへのお弁当だけ手配して」


「御者って、従僕はつけずに?前のような馬車でお出かけされるおつもりですか?」


「そのつもり、目立ちたくないの。あと、明日伺うとストローブ男爵に先触れを出してもらえる?」


 ミアは、私が一人で出かけることに不服そうだったが、エベール侯爵夫人と、クラン伯爵夫人に贈り物をおくるようにと頼んだので、そちらに気をとられた。


「花束はお部屋に飾りますか?」


「このままにしておいて、自分で始末するから」


 ミアは私の着替えと入浴の準備の為に部屋から出ていって、私はジェラール公爵からのカード開いた。

『また、会えるのを楽しみにしています』そう書かれたカードをぐしゃぐしゃと握り潰す。


 『とある聖女の物語』には書かれてはいなかったが、彼は、きっとアデライードみたいな魔力を持つ人間なのだろう。

アデライードは、人を陥れるようなことはしないし、自分の力を人の為に使ったが彼は違う。

血筋というのは、こうも人格を左右するものなのだろうか。


(……彼は、私を歯向かうことが出来ない無力な小娘だと思ってる。ならつけ入る隙があるはず)


 私はルゴフ子爵から、贈られたカードと花束を暖炉の火の中に投げこみ、続けてジェラール公爵の花束とカードも投げ込んだ。


 火は燃え上がり、気分が少しだけ良くなる。


 炎というのは不思議だ、見ていると心を落ち着かせ、こうも気分を高揚させる。


 だが、花束に飾られた絹のリボンに火が燃え移ると、嫌な臭いが漂い、咳き込んだ。綿を燃やしても出ないような不快な臭いだ。絹を燃やすと、人の髪の毛を燃やしたような臭いがすると、セレスが教師に教えられたことを思い出して、何も考えずに暖炉に放り込んだことを少し後悔した。


 怒りに任せて『何もかも燃やす』のは簡単だ。

『何を燃やす』のか、よく考えて、行動しなくてはいけない。


 次に、エベール侯爵の花束を投げ込もうとしたが、カードに書かれた文に目を向け、それをやめた。

カードにはこう書かれていた。……『愛と友情に』と。


 まだ、彼のことはわからない。好意も悪意も、何か感情を向けられた訳ではなかった。

アデライードの瞳みたいに鮮やかな青いデルフィニウムの花を指でつついた。


「……あなたが使うべき言葉じゃないでしょう」


 エベール侯爵に、これから、どう接していくのが良いのか、考えても何も思い浮かばなかった。

彼が後に起こす謀反のこと以外、いまの彼のことを何も知らなかったからだ。投げ込もうとした花束をテーブルにおいた。


 わからないことを、考えても仕方がない。気を取り直して手袋を脱ぐと、私はデスクに向かい、紙を出してインク壺にペンを突っ込む。


 エベール侯爵夫人と、クラン伯爵夫人へ今夜のことへのお礼の手紙と、叔父への手紙を細心の注意を払って書いた。


 ジェラール公爵へお礼状を書く気はなかった。どうせ私のことは彼に筒抜けだろうから。


 エベール侯爵へのお礼状はどうしようかと、迷っている間にインクが紙ににじみ、文字とはいえない模様になった。駄目にした紙を丸めて暖炉で燃やそうと立ち上がると、テーブルにおいた贈られた花束に目がいった。


 クラン伯爵夫人は言った「使える縁はとことん使うべきよ。どんな縁でもね」と。


 人の腹の内を探るのは得意ではない。あのエベール侯爵相手に上手く出来るかはわからなかったが、やるだけの価値はある。


 それにアデライードがいる。

彼女がいれば、私はなんだって出来ると思った。

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