四章
4-1 アデライード
アデライードと初めて出会った時のことは、鮮明にセレスの記憶に残っている。
冬が厳しくなると、北部の貴族の多くは避寒へリージュに訪れる。その間、北部人同士の交流を深めるのが昔からの風習だったのだ。
セレスが五歳になった冬、両親に他家が開いたお茶会に連れていかれた。
とは言っても、大人たちと一緒に参加するわけではなく、子供たちは乳母や養育係と一緒に別の部屋に押し込められる。
そこで同世代のお友達でも作りなさい、というわけだ。
セレスは、こういう空間が苦手で、集まりに連れていかれる度、憂鬱になった。
子供の頃から引っ込み思案で気弱で、エロイーズや養育係の後ろにいつも後ろに隠れていた。友達が欲しいと思っても、自分から友達なんて作れなかった。
おまけに、こういう場ではセレスに意地悪をしてくる子供が何人かいたのだ。
貴族の子女と言えど、子供だ。大人しくしている子もいたが、親と離されてぐずる子もいたし、走りまわる子や喧嘩する子もいて、大変、騒がしい。そういう騒がしさもセレスは苦手だった。
そして、その日もいつもと同じように大変騒がしかった。
姉のエロイーズはセレスの五つ上で、そんな子供と一緒くたにされるのを嫌がる年頃だった。
セレスとは違い同世代の友人も多くいて、セレスを残して友人たちと一緒に騒がしい子供部屋から抜け出し、庭へと出ていってしまって、気づいた養育係は、血相を変えた。
エロイーズは、ついこの間も、友達と子供部屋を抜け出して、お邪魔した家の生け垣をだめにしたばかりだったのだ。養育係は、知り合いの他家の使用人にセレスの世話を任せ、姉を探しに部屋から出ていった。
だが、そのセレスの世話を頼まれた使用人も、自分が仕える家の子供の世話があり、この家には四人も子供がいたからセレスばかりに構う訳にもいかなかった。
セレスは、こういう場で放っておかれることに慣れていて、言いつけられた通り、大人しく部屋の隅でコゼットと名付けたお気に入りの人形と遊んだ。
父がくれた皇都のお土産で、木製の着せ替え人形だ。父にねだってお針子にドレスを何枚も作ってもらい、コゼットはたくさんのドレスをもっていた。
一人でコゼットと遊んでいると、エロイーズぐらいの年頃の男の子にコゼットを奪われた。
男の子は奪ったコゼットの足を掴んで、乱暴に持ち上げ、コゼットは人間ならあり得ない方向に手足を曲げて、逆さに宙吊りになった。
ちょうど服を着替えさせようと脱がしていたので、コゼットは丸裸の無様な姿だった。
こういう人形は、見える部分は精巧に作られているが、服で隠れる部分は雑な作りだった。コゼットも類に漏れず、手足の関節は糸で部品を括っただけの簡単な作りで、男の子は不恰好なコゼットを馬鹿にして、コゼットを揺らしてガチャガチャと音を出した。
「なんだこれ、気持ち悪い!」
荒い作りの不恰好な体に、精巧な人の顔がのっているのは、男の子の言うとおり、気持ち悪いものだった。人の形をしているのに、関節があらぬ方向に動くのも……。
ずっと『見ないように』してきたことなのに、男の子はコゼットの今の姿をセレスに見せつけるように、目の前でぶらぶらさせた。
「なんでこんな気持ち悪い玩具で遊んでるの?友達いないの?」
セレスはぎゅっと拳を握りしめた。コゼットが気持ち悪いと言われたことも、友達がいないと言われたことも恥ずかしかったし悔しい。そして悲しくて寂しかった。
コゼットを奪い返すことも出来ず、ただ声を殺して泣くと、その子は面白がって、セレスの髪を引っ張ってからかった。
ぐすぐす泣いても助けてくれる養育係もおらず、ただその男の子から走って逃げることしか出来なかった。その子はしつこく追いかけてきて、セレスを突き飛ばした。
同じように人形遊びを一人でしていた同じ年ぐらいの女の子にぶつかって、その女の子を、押し倒す形で一緒に床に転がり、突然、床に転んだ衝撃のせいか、女の子は瞬きもせずにぼうっとしていた。
セレスは女の子を見て驚いて涙が引っ込んだ。子供の目から見ても女の子はとても可憐で美しかったのだ。白皙の顔の目鼻立ちの位置は完璧で、長い金色の睫毛に縁取られた青い目は吸い込まれそうなほど澄んでいた。
結わえていない金の長い髪は緩く波打って床に広がり、光を受けてつやめいている。
ぼんやりする彼女は、容姿が整い過ぎていて人形のようだった。
でもコゼットと違って、柔らかいし、温かい。変な方向に関節が曲がったりもしない。
お人形じゃなくて、ちゃんとした女の子がお友達だったら、ずっとその子と一緒にいられたのなら、どんなに素敵だろうかとセレスが女の子を見つめていると、女の子はぼうっとしたまま、手を伸ばし涙で濡れたセレスの頬を指で拭った。その指はコゼットと違って温かかった。
ぼんやりとしていた女の子の瞳がだんだんとはっきりしてきて、彼女は笑顔を浮かべた。それは、硬い蕾が綻んだみたいだった。
「何で泣いてるの?私、アデライードって言うの。あなたのお名前を教えて」
「……セレス」
あわてて立ち上がって、名乗ったが、小さな声しか出なかった。いつもそうやってぼそぼそ喋るせいで、知り合った他の子供は、セレスに飽きて、そばを離れていってしまったが、アデライードは、顔を輝かせて起き上がった。
「セレス、素敵な名前ね。あと、髪も素敵。お月様の光みたい」
彼女は小さな手でセレスの手を握った。
「ねぇ、一緒に遊びましょう」
――自分の記憶ではないはずなのに、あの時のセレスの喜びは、自分自身が体験したかのように、私を捕えて離さなかった。
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