3-5 一樹之陰

「エレーヌこんなところにいたのね、探したわ」


 大広間に戻り、エベール侯爵夫人は、夫婦らしき二人と仲良さげに話す、背の高い女性に呼びかけた。夫婦は侯爵夫人に挨拶し、背の高い女性は「ああルイーズじゃない」と、親しげに抱きあう。


「久しぶり、領地はどうだった?」


「いつも通りよ。良い毛皮が手に入ったから今度贈るわ。それより息子さんのお守りはいいの?」


「あの子はもう二十二でお守りは不要よ。それに私が言っても何も聞かないわ。今日は娘さんの付き添いなの?」


「そう、ずっと楽しく踊ってるわ。良いわね若いって」


 背の高い女性は、エベール侯爵夫人と同世代ぐらい、日焼けした肌を白粉で隠すことはせず、唇に紅を塗っただけだ。つやつやとした健康的な肌は魅力的だった。


 彼女はエベール侯爵夫人の後ろにいた私に目を向けた。


「そちらのお嬢さんは?」


 エベール侯爵夫人は悪戯っぽく微笑んだだけで答えず、背の高い女性は、考えるように首を傾げたが、すぐに思い付いたのか「ああ、わかったわ」と、微笑を私に向けた。


「ファルネティ伯爵夫人ね。はじめましてエレーヌ・クランよ。

先程は、私のこと誉めて、私の陰口言った雌鶏に一泡吹かせてくれたそうじゃないの。ありがとう」


 クラン伯爵夫人は口調と同じで飾らない笑顔を見せて、手袋から右手を出した。私も慌て、右手を手袋から出して握手する。


「セレス・デュシャンです」


 私は、こんなに早く、本人に話しが伝わったことに驚いていた。そんな私に、エベール侯爵夫人が「こういうお話しはね、人が集まる場所だと広まるのが早いの」と説明した。


「皆、暇なのよ」


 クラン伯爵夫人は嘲笑うような表情を浮かべた。


「そんなことより、ファルネティ伯爵夫人に、あなたの助言が必要なの。少しお時間良いかしら?」


 クラン伯爵夫人は、近くにいた、夫婦らしき人達に「少し外すわ、レナをお願い」と頼んだ。夫婦は快く了承し、私たちは人気のない場所へ行くことにした。


「大切なお嬢様のお世話で、お忙しい時に時間を作っていただいてありがとうございます」


 親が、娘を舞踏会に連れて行くとき、どれだけ大変かはセレスの母親を見ていて知っていた。エロイーズ本人より母親の方が疲れはてていたから。先程の夫婦は彼女の親類だろうかと思っていたら、クラン伯爵夫人はこう答えた。


「退屈だったから、ちょうど良かったわ。私は、そんなにやることもないのよ。

さっきのあの二人は私の夫と、うちの第二夫人。レナは彼女が産んだ」


 エベール侯爵夫人が、何故、私にクラン伯爵夫人を紹介したのか理解した。




 エベール侯爵夫人が、人気のない場所で休みたいと従僕らしき男性に頼むと、彼は私たちを大広間の階段から二階の部屋へと案内した。


 おそらく、休憩するために用意した部屋だったのだろう。長椅子とテーブルがいくつか置かれている。エベール侯爵夫人が給仕は必要ないと断り、部屋には私たち三人だけになった。


 クラン伯爵夫人は、自ら火酒をグラスに注ぎ、私たちにも飲むか尋ねた。私は断り、エベール侯爵夫人は嬉しそうにグラスに口を着ける。この二人はかなりお酒が好きなようだ。


「それで、どんな助言が必要なの?」


 二人がグラスから口を離す、タイミングを見計らって、口を開いた。


「側室を迎えたいんですけど、ふさわしい女性をその座にすえる為には、何をしたら良いんでしょうか?」


 クラン伯爵夫人はセレスをまじまじと見つめたあと、眉間に皺を寄せた。


「……あなた、お子さんは?」


「いません」


「それなら、よした方が身の為よ。私も自分が息子を産むまでは待ったわ」


「少し待っていられない理由がありまして……」


「理由?」


 クラン伯爵夫人は、質問したが、私はなんと答えようか迷った。


「夫には運命の相手がいるんですが、彼女はこのままだと、他の男の妾になって、惨殺されてしまうんです。その前に彼女を救って添い遂げさせてあげたい」……なんて言えない。


 なんて答えようと、考えあぐねいているとクラン伯爵夫人は溜め息をついた。


「……分かったわ。理由は聞かない。でも私の場合はかなり、恵まれた立場だったの。だから参考になるかわからないわ。まぁ私の名前で分かるかと思うけど、私はクラン家の総領娘だったから」


 それは、彼女がエレーヌ・クランと名乗った時点で気づいた。この国では、結婚しても姓は変わらないのだ。養子にでもならない限り、ずっと生まれの家を名乗る習わしだった。


「それでもね、結婚は自分の思い通りにはいかなかった。父が望む相手を婿に選んで、父が望むように子供を産んで、それから、夫の『妻』を選んだのよ。私が好きに出来るようにね。

夫はそういうとこが、なかなか奥手で、踏ん切りがつかなくてね。それで、私は自分の選んだ令嬢を何度か招待して、夫にお見合いさせて今の第二夫人を迎えたわ」


「第二夫人はどこで探されたのですか?」


「やはり、こういう社交の場ね。未婚の娘が集まる場所なら、構わず色んなところに顔を出したわ。

会った娘の中から、下級貴族、持参金を用意できない中級貴族の令嬢を、それとなく夫に会わせた。

反応が良かった娘の中から候補者を選んで、夫が今の第二夫人を選んだの。

正直、息子の結婚よりも骨が折れたわね」


「何故ですか?」


「表だって捜すことが出来なかったのよ。方法はいくらでもあったけど、その頃は、私も若かったし、協力者もいなかったから」


「あら、私がいたじゃない」


「あなたはてんで役に立たなかったじゃないの。息子の婚約者を捜していると思われて、産まれたばかりの赤ちゃんを紹介されたわ」


 そう返されて、エベール侯爵夫人は口を尖らせた。


「側室は、自分の正室の座を守る為にも、必ず自分の実家より地位の低い家門から娘を選びなさい。

没落していても高位貴族はダメ。庶子でも、地位の高い家門の娘はダメよ。母親を側室にして後から認知されたら面倒だから。

その娘を、他の家門が欲を出して養子に迎える可能性もあるけど、そういう欲に靡かない娘を選ぶことね」


「他の家門が、側室を養子にする?」


「上手く行けば持参金も出さず縁を広げることが出来るから。そういう欲を出す人がいるのよ。

皇宮を見本にしてね。身分の低いお手つきの女官なんかを、貴族が養子に迎えて位を上げて妃にするの。そうすれば、その貴族が皇室と縁を深めることも出来るし、上手くいけば皇室の外戚として権勢をふるうことも出来る。デルフィーヌ皇妃が良い例かしら」


 エベール侯爵夫人はデルフィーヌ皇妃の名前を聞いて顔を曇らせた。


「……デルフィーヌ皇妃は後宮に入る前にダシルヴァ侯爵が養女にしたわ。親戚の側室の娘だって触れ込みだけど、それもどこまで本当か」


「ごめんなさい。そうだったわね」


 クラン伯爵夫人は、エベール侯爵夫人の手を握って謝った。


 私はその話が初耳だったので驚いた。『とある聖女の物語』にも、そのようなことは書かれていなかったからだ。

だが、そもそも、この物語はアデライードの視点で描かれた物語だった。きっと、アデライードが知り得たことしか書かれていないのだ。

リュリーの横領のこともそうだったが、この世界のことが、全て書き記してある訳ではないのだろう。


「……まぁ、たまにいるのよ。皇宮でしていることを真似しようとする人が。

理由は夫が恋に狂って、側室を正室の座に据える為とか、色々よ。もちろんとても非難される行為だし余程のことがない限り、起こらないわ。

でも、欲深い女が絡むと、話しは変わってくる。

だから、恥知らずな欲深い娘は絶対にダメよ」


 正妻のセレスから見れば、リュリーは側室に迎えてはならない女だった訳だ。

リュリーを妾にする事をすすめた時、ファルネティ伯爵がごねなくて本当に良かったと……心から、そう思った。


「ただ、いくら無欲な娘でも子供が出来たら変わることも多い。

クラン家は私の子供が跡を継ぐことが、何よりも大事だったから、夫がいくら他の女と子供を作っても、問題は生じなかった。

でも、他の家は違うわ。私の言ってる意味は分かるわね?」


「はい、わかっています」


 今やっている行為は、セレスの伯爵夫人という立場を危うくするものだとは分かっていた。


 だが、『とある聖女の物語』では、セレスが死んだあと、セレス以上にデュシャン家を盛り立てる結婚をエロイーズが勝ち取り、そして、追い風のように時代の流れも変わってくる。富裕層と呼ばれる地位を持たない商人、そして銀行家が力を着けてくるのだ。貴族だけが国を動かす時代は終わりが見えてくる。


 セレスがファルネティ伯爵夫人に長く留まる必要もなくなるし、お飾りの妻でも支障はない。すぐには無理でも、いずれ離婚することも可能だろう。


 でも、私は、それらの未来がなくても、セレスはファルネティ伯爵と離れた方が良いと思っている。この結婚は間違いだったとしか思えないのだ。


 結婚さえしなければ、セレスは死ななかったし、ジゼルだってあんな酷い殺され方をすることはなかった。


 それに、一番の問題は、この結婚には愛がない。

愛されなかった妻に縛られたせいで、愛した人を救えなかった。そんな悲劇は起こらなくてもいい。


「ファルネティ伯爵夫人は、エンドルフに来てどれぐらい?」


「半年ほどです」


「その間、社交活動は?」


「必要に迫られない限り、貴族の集まりには参加しませんでした……」


 クラン伯爵夫人は何故か腑に落ちないように首を傾げた。何かおかしな事でも言ったのだろうかと思ったが、彼女はすぐに表情を元に戻した。


「まずは、社交界で知り合いを増やしなさい。

何も、皆が皆、ギベル男爵夫人のような人じゃないわ。

今度、娘のために、お茶会を開くの。まだこの季節だから、園遊会は早いでしょう?

軽い催しで、ここまで大規模じゃないけど未婚の令嬢を多く招待しているから、あなたもいらっしゃい」


「ありがとうございます。……あの、ベルナール家の令嬢は招待されているんでしょうか?」


「ベルナール男爵の妹さんのことかしら?」


「そうです」


「招待しているわよ。綺麗なお嬢さんだから、彼女を呼ぶと殿方の食い付きが良いのよ」


 ジゼルは美人だ。多数の男性が彼女とすれ違ったあと、振り返るぐらい。


 生前のセレスがジゼルと初めて出会ったのは園遊会だった。確か、亡くなる数日前。アデライードと再会して、本来の自分を取り戻しかけていた時で、アデライードも一緒にいたお陰か、口下手ながらセレスも少しだけ話しも出来た。口拙いセレスにも、嫌な顔をせず、彼女は優しかった。

彼女は既にルゴフ子爵の妾になっていたけど、それでも彼女に話しかける男性は多くいたのだ。



「それなら、今すぐにでも交遊関係を広げないと。あなたに何人か紹介したい夫人がいるのよ。こんな所に閉じ籠ってちゃだめね」


 エベール侯爵夫人が席を立ち、私の肩に手を置いた。


「何から何まで、ありがとうございます」


 私が心からお礼を言うと、エベール侯爵夫人は苦笑した。


「……あなた、危なっかしくて、ほっとけないのよ」


 私は赤面した。セレスはアデライードにも、よく言われた。セレスに言わせれば、アデライードも人の事が言えないぐらいお人好しで危なっかしかった。


 部屋を出て廊下を三人で歩いていていると、クラン伯爵夫人が、私の横に並び、扇で口元を隠して、小声で告げた。


「ファルネティ伯爵夫人、ご不快かもしれないけど、私も、エンドルフに戻って、あなたの噂を色々聞いたわ。自分の立場を守る為には、使える縁はとことん使うべきよ。どんな縁でもね」


「使える縁ですか……?」


 階段に足を踏み出そうとした時に、踊場にいる長軀の赤髪の男が目に入って、足を思わず止めた。


「たとえば、ああいう方」


 クラン伯爵夫人は、戸惑う私を気にせず、私の腕に腕を絡めるとそのまま、その男の前に私を引っ張っていって彼の名を呼ぶ。


「ジェラール公爵、お久しぶり」


 ジェラール公爵は、年の頃は二十七、八歳。彼の姿を見た誰もが美丈夫と認めるだろう。赤い髪と鮮やかな緑の瞳と共に、そのやんごとない血筋も、彼を彩った。


 ジェラール公爵ことオスカー・ジェラールは、前皇帝と継皇后の間に産まれた嫡出子だった。にも関わらず、彼が至高の座に着けなかったのは、既に現皇帝が、もう十年も前に皇位継承者――皇太子となっていたからだ。

現皇帝の母親は、皇后ではなく女官上がりの妃だった。


 前皇帝は劣腹でも、皇太子の宣誓を覆すのは国が乱れると考えたのだろう。ジェラール公爵が五つになった時に、臣籍に下らせた。


 優しげで整った顔立ちと恵まれた身体つき、そして優雅な物腰は、若い令嬢たちの心をときめかせ、アデライードも最初は彼に好印象を抱いた。

だが、彼の親切が、良心による行動ではなく、計算ずくの、全て自分の企みの為だと知るのは、すぐだった。


 彼はアデライードと第四皇子が知り合いであり、セレスの毒殺事件の解決に、第四皇子が関わったことに大いに興味を抱き、その詳細を知りたがった。

彼は第四皇子の弱点を知りたかったのだ。彼は第四皇子を快く思っていなかったから。


 彼は口許には笑顔を浮かべていたが、その双眸の奥は抜け目のない狡猾な光が宿っている。


 彼もエベール侯爵と同じ、緑の瞳だ。

思えば、第四皇子も鮮やかな緑の瞳で、アデライードに関わる男は皆、この色の瞳だった。


「クラン伯爵夫人、この時期は、まだ南部にいらっしゃるかと、随分早いお戻りだ。それにエベール侯爵夫人、いつ見てもお美しい」


「ジェラール公爵、相変わらず口がお上手ね」


「あら、私には会いたくなかったのかしら?」


「いいえ、そんなはずはありません。あなたと狩りをするのが楽しみだ。もう皇都に帰っているのなら、ルゴフ子爵の狩りに参加されればご一緒できたのに、残念です」


「ああ、招待状がきてたわね。でもあの男は好まないのよ」


「私も同じです」


 ジェラール公爵とクラン伯爵夫人は笑いあった。二人は親しそうだったが、エベール侯爵夫人は、挨拶はしたものの、少し硬い表情からして、あまり親しくはないようだ。


 三人の様子を眺めていると、鮮やかな緑の瞳が、こちらを向いた。


「あなたがファルネティ伯爵夫人だね」


 彼は親しげにセレスの称号を呼んだので、私は背筋がぞわりとした。

エベール侯爵とは違い、彼とは初対面のはずだった。


 それでも、彼は皇室に列なる目上の貴族で、挨拶はちゃんとしなくてはいけない。スカートの襞を両手でつまんで少し引き上げ、片足を後ろ斜め内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げて、礼をする。


「ジェラール公爵、初めまして。お声をかけていただいて光栄です。先日は夫が素晴らしい絵画をいただいたのに挨拶が遅れて申し訳ありません」


「そういう堅苦しいのはいいよ」


 彼はにこやかにそう言ったが、私は微笑むことが出来なかった。この人の前で安心出来る訳ないのだ。

彼は私の手を取ると屈んで耳元に唇を寄せた。


「私の愛人は君の役にたったかい?」


(やっぱり、偶然じゃなかったんだ……)


 私は固く目をつぶった。

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