3-4 ジゼルってこんな子だった?

「下品?」


「あなたの事を言ったのよ。ミレーヌ。あなたって本当におバカさんね」


 聞き覚えのある声は、間違いなくジゼル・ベルナールの声だった。


 だが、その記憶よりもしっかりした響きだったし、ジゼルは面と向かって人を批難するような人ではなかった。


「あなたは、ファルネティ伯爵夫人を目の敵にしているみたいだけど、最初から勝負になっていないわよ。ファルネティ伯爵夫人のご実家は、あなたの家、ストローブ家より、由緒正しい家門だし、それにあなたのお家よりずっとお金持ちよ。

負け犬の遠吠えにしか聞こえない」


「ま、負け犬ですって」


「そうよ、負け犬。だって、その通りじゃないの。ファルネティ家が先代の投資の失敗で負債を抱えた時、ストローブ家があなたとの結婚をすれば支援するって申し出たのに、すげなく断られたわ。

でも、ファルネティ伯爵夫人のご実家から結婚の話しがあった時はすぐに決められたもの」


「あ、あなた、自分が何言ってるか分かってるの?この舞踏会だって、私が口添えしなきゃ出られないのに、歯向かって良いと思ってるわけ?」


「残念だけど、あなたが口添えしなくても、この舞踏会には呼ばれたわ」


「なんでよっ」


「私があなたよりも身分が高いからよ。

あなたを舞踏会に招待したら、私も招待しなきゃいけないの。それが貴族の暗黙の決まりなのよ。


 情報収集とか言っていたけど、あなたが集めてたのはただの下品な噂話に過ぎないわ。あなたはこういうことを調べるべきだったのよ。


 それに、お父様のお力で、自分の為にブリュネ家が舞踏会を開いたと思っているなら、本当のおバカさんよ。確かに、ブリュネ子爵夫妻はあなたを丁寧に扱って、丁重に挨拶はしたわ。でも、誰か貴族を紹介された?されてないでしょう、一人もね。


 貴族同士でも、娘の社交界デビューの世話を頼み合うことはよくあるのよ。その場合は必ず、殿方を何人も紹介するわ。でも、あなたはされなかった。


 貴族はそうやって、相手に敬意を持っているように見せかけるのが得意なの。どれだけ、下に見ている人でもね、丁重に扱っているように見せかけるのが得意なのよずっと、そうやって人を支配してきた階級だもの」


 事実でも、そこまで言うのは可哀想だから、そろそろやめてあげてほしいと思ったが、この『ジゼル』はやめなかった。


「それにね、ファルネティ伯爵夫人、今日いらっしゃっていて、先程、偶然見かけたわ。あなたより、ずっとお綺麗だった。それに、あの方のマナーを見た?完璧よ。それに比べあなたのテーブルマナーはひどいものだわ」


 セレスの事が急に誉められて、顔に熱が集まった。エベール侯爵夫人が見かねて扇でパタパタと風をおくってくれる。

私は、心の中で、セレスにマナーを仕込んだ祖母に感謝した。セレスは、その厳しさによく泣いていたが。


「あんたなんか、社交界にいられなくしてやるっ!」


「別に良いわよ。できっこないんだから。あなたの家は、これからも高位貴族を招待できる舞踏会なんて開けないし、招待されることもないから。


 きっと、今頃、あなたのお父様は、負担するお金の額に青くなってらっしゃるわ。

その、みっともない涙を拭いて早くお婿さんを探した方がいいわよ。もう、これっきりの機会だもの。

でも、あなたの、そのお鼻で、殿方が振り向くとは思えないけどね。

さぁ、早く行きなさいな。時間は有限だわ」


 嗚咽とともに、パタパタと足音が聞こえ、おそらく、ストローブ嬢が泣きながら去っていき、それを追いかけるように、四人ぐらいの足音がまた聞こえる。


 私は、あまりにも予想外な、『ジゼル』の変貌に驚いていた。彼女は芯はあったけど、おしとやかで、人を泣かせるようなことを、ましてや容姿の事まで言って攻撃するような女性ではなかった。声だけ似た他人かもしれない。


 私はおそるおそる立ち上がって、声の主を見た。


 艶のある栗色の髪を綺麗に結い上げた女性が、気配に気づいてこちらを見る。


 薄水色のドレスに身を包んだ清艶な姿は、間違いなくジゼル・ベルナールだった。彼女は、いつもチョーカーのように首に幅の広いリボンを巻いてコサージュを飾っていたが、その装いはしておらず、首には銀とガーネットのネックレスをつけている。


 彼女に会えたことが嬉しくて微笑んだが、彼女は澄んだ水色の目を驚愕したように目を見開いて、そのあと俯き、顔を下げるとぎゅっと唇を噛みしめて震えた。何かに耐えるように、そして怯えているようにも見えた。彼女は一礼すると、私が声をかける間も与えず、足早にその場を去ってしまった。


(セレスに初めて会ったはずなのに、なんで怯えるの?)


 私はジゼルに逃げるように去られてしまって呆然となった。


「今日は面白いものが二つも見れたわ……。先程のお嬢さんは、あなたのお知り合い?」


「……いいえ、お名前は知っているんですが、初めてお会いしました」


 エベール侯爵夫人は不思議そうに首を傾げたが、私が呆然としたままだったので、私が先程の令嬢達の会話で傷ついていると思ったらしい。「あんな人達の言ったことなんて気にしないで」と慰めた。


「それにしてもひどい中傷だわ。側室だなんて、適当な事を言って。ストローブ家に、正式に謝罪させて、この侮辱を撤回させた方がいいわ。私が証人になります。あなたの名誉にも関わることだし放っておいてはだめよ」


「いいえ、そのつもりなんです。側室を迎えるつもりでした」


「ああ、何を言っているの……」


 エベール侯爵夫人はセレスの背中を落ち着かせるように撫でた。


「本当なんです。側室を迎えたかったんです」


 私はジゼルとファルネティ伯爵を、今生では結ばせたかったのだ。

だがジゼルの身分では、正妻に据えるのは難しい。だが、彼女が側室になって跡継ぎを産み、正妻の座が空けば望みがある。


 それに、彼女はこのままではルゴフ子爵の慰みものにされて妾にされてしまう。そればかりでなく、酷い殺され方をしてしまう。

水路に浮かぶ、無残な彼女の姿をファルネティ伯爵に見せたくなかったし、そんな酷い目に彼女をあわせたくなかった。


「まさか、ファルネティ伯爵がそう言ったの?そうなら、あまりにも厚かましい話しだわ」


「いいえ、私が望んでいるのです。誰にだって幸せになる権利はあるはずなんです。お願いです。お知恵を貸していただけないでしょうか」


 エベール侯爵夫人は、私に思い直すよう言い、せめて私に子供が生まれるまで待ちなさいと忠告してくれたが、結局折れて、自分では知恵は貸せそうにないからと、私にある夫人を紹介してくれると言った。

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