3-3 皇都流のおもてなし
私はエベール侯爵とファルネティ伯爵と離れ、夫人達へ挨拶に向かった。
やはり、彼女達は私が分からず怪訝そうに視線を交わしあったが、エベール侯爵夫人が気付いて「まぁ」と声をあげる。
「ファルネティ伯爵夫人、こんばんわ。そのお召し物、素敵だわ。とてもお似合い」
エベール侯爵の母親であるエベール侯爵夫人は、笑みを浮かべて、私のドレスを誉めた。
他の夫人達も追従して、愛想笑いを浮かべ、口々に挨拶する。
この貴婦人達は、ファルネティ伯爵と同じ派閥に属する紳士の配偶者たちだ。皆、セレスより年上で、殆どがセレスの母親ぐらいの年齢だった。
そしてこういう場では、一番高位の人が主導権を握る。ここの集団の輪の中心は、エベール侯爵夫人だった。
エベール侯爵夫人は息子より色の濃い金髪で、瞳の色は青い。アデライードみたいな北部美人の理想の容姿だ。彼女の年齢は四十代後半だと聞いたが、充分に美しかった。
他の夫人達が、セレスのことをどう思っているかは分からないが、エベール侯爵夫人は少なくとも歓迎する素振りを見せた。
(よかった、取り敢えず合格かな)
私は胸を撫で下ろしつつ、エベール侯爵夫人以外の夫人達が、好奇心でうずうずしていていることに気付いた。
(おそらく、エンドルフ流のおもてなしがくるんでしょうね……)
だが逃げられないし負けていられない。
しばらくは、当たり障りのない、天気や、ここの舞踏会の人の多さなんかを話していたが、ある夫人が少し声を大きくして話しの主導権を握った。
「ところで、ファルネティ伯爵夫人、先日の狩猟では大変でしたわね」
やっぱり、セレスが答え辛い話題をふられた。リュリーがジェラール公爵の妾をぶったことは、もうエンドルフ中に広まっているのだろう。
この人は確か、ギベル男爵夫人。セレスより少し年上でウィットと意地悪を履き違えた人だった。つまり性格がよろしくない。
「あら、あのルゴフ子爵が主催された狩りのことかしら。あなたは参加されたの?」
私ではなく他の夫人が口を挟んで、ギベル男爵夫人に尋ねた。
「うふふ、まさか。狩猟に参加される貴婦人は、クラン伯爵夫人ぐらいですわよ。あの方、馬に乗って獲物を狩るんですって。でも狩るのは動物だけかしら?」
上品ぶっているけど下品な言い方と思いながら、周りの他の夫人の様子を窺った
楽しそうに笑うのは一人だけで、不快そうにする夫人が圧倒的に多く、何故か困ったように目線を忙しなくさせている人が一人いた。
「それで、ファルネティ伯爵夫人、色々と大変そうでしたが、あれから大丈夫でしたの?」
場の雰囲気も気にすることなく、ギベル男爵夫人はセレスに再び尋ねた。
セレスはこの夫人よりは身分が高い。――嫁ぐ前の身分でもセレスの方が上だ。彼女が場の雰囲気も地位も気にすることもなく、強気に出られるのは、セレスが、自分より下位の人に、いつもそうやって貶められていたからだ。彼女は見た目が変わったぐらいでは、セレスは変わらないと、周りに見せつけたいのだろう。
私は、上品に微笑んでみせた。セレスの祖母の真似だ。
「クラン伯爵夫人にはお会いしたことがありませんが、狩りが出来るほど乗馬がお上手だなんて、素敵ですわね。ものの上下も分からない下品な雌鶏も狩るのもお上手なのかしら。だとしたら、是非、お会いしたいわ。
狩りには私も参加はしていないので、何があったかは詳しく存じ上げないのです。ですが、きっと下らない些末なことですわ。ギベル男爵夫人のお耳に入れることではありません」
訳せば、
狩りが出来る女性って素敵。あなたは身分の上下も分からない下品な雌鶏ね。クラン伯爵夫人に狩られちゃえばいいのよ。
それに妾同士の下らない争いなんて私にはどうでもいい。あなたに話すことなんてないわよ。
……ということだ。
ギベル男爵夫人はセレスが、いつものように、もじもじと何も言えなくなるのを期待したのだろう。一瞬、目を見開き、屈辱のためか顔を紅潮させた。
(よかった……予想通りのことを聞かれて。それに、どう対応するか考えておいて良かった)
これは咄嗟に出たものではなくて、おそらく聞かれるだろうなということを、予想して、どう返すかミア達と相談していたのだ。
目上の人に対しての対処方法、目下の人への牽制……。特に後者を重点的に考えた。セレスは舐められまくっていたから。
そして、どの小説よりも、記憶にあったセレスの祖母の言動が役に立った。それに、クレマンの魔術がなければいつものセレスように何も言い返せなかったかもしれない。
さて、次はどうでるかなと構えていたが、ギベル男爵夫人が口を開く前に、エベール侯爵夫人がセレスの肩に手を置いた。
「ファルネティ伯爵夫人、私、喉が乾いてしまって、お酒以外のものが飲みたいの。付き合っていただけないかしら」
そう言って彼女は私を促し、夫人達の輪の中から私を連れ出した。
「まったく、ギベル男爵夫人の下品さには辟易します」
夫人達から離れると、彼女は不快そうにそう呟いたが、私に目を向けると優しく微笑む。
「暫く会わない間に、すごい変化だわ。見直しました」
「ありがとうございます。……でも、あのまま、あそこにいたら、前のように上手くお話し出来なくなっていたかもしれません」
「それでも、よくやったわよ。見ていて気持ちが良かった」
そう言って、彼女は私の腕に、自分の腕を絡めた。友人同士で歩くみたいに。セレスがこうやって歩いたことがあるのは、アデライードだけだった。それにエベール侯爵夫人が気を使ってくれるのが嬉しかった。
こんな優しい人が、あの血が凍ったみたいなエベール侯爵の母親とは思えない。
「ギベル男爵夫人は、今後、家に招くのをやめるわ。私の前で、私の親友の悪口を言うなんて」
エベール侯爵夫人はそう忌々しげに言った。先程、一人の夫人が困ったようにしていたのは、そのせいだったらしい。
エベール侯爵夫人が助け舟を出してくれたのは、セレスが、親友を誉めて、悪口を言った人に一泡吹かせたからのようだ。思わぬところで好意を得た。
それにしても、ギベル男爵夫人は、浅はかとしか言いようがない。陰口を言うなら、同じ派閥の高位夫人の交遊関係ぐらい把握しておくべきだ。――いや、人の悪口なんて、人前で言うものではないのだ。
向かった大広間の続きの間には休憩と飲食が楽しめる場が設えてあった。舞踏会が始まったばかりのせいか人はまばらで少ない。
真っ白のクロスがかけられたテーブルの上には、赤、白の葡萄酒、火酒、薔薇水などの飲み物が入ったデキャンタ、ハムやゼリー寄せ、パテ等の摘まめるようなものと、果物と菓子類を盛った皿が置かれている。
女性客が多いためか菓子の種類は豊富だった。
「ここでならゆっくりできそうね、少し頂きましょうよ。あらやだ、お菓子ばかりね」
エベール侯爵夫人はそう言いながら、自分で小皿にパテをのせたが、すぐに給仕が気付いて皿を預かり、料理を盛っていった。さすが主賓対応だ。本来であれば、こういう場所では自分で料理を取る。
私もそれにあやかって、ケーキを取ってもらった。
部屋に飾られた大きな花瓶の近くの席に座ると、彼女はお酒以外と言ったのに、給仕に白葡萄酒を頼んだ。私は続けてお酒を飲むのは辛かったので薔薇水をもらい、私が選んだオレンジケーキを見て、彼女は笑みを浮かべた。
「甘いものはお好き?」
「ええ、大好きです。エンドルフは北部では食べられないお菓子が簡単に手に入るので、食べ過ぎてしまうことも多くて……」
「私も嫁いできた時、オレンジケーキを食べ過ぎてお腹を壊して夫に叱られたわ。あなたも気をつけてね」
そう言って、ハムを食べて、白葡萄酒を一口飲むと、切なげに溜め息をついた。
「でも、北部の味が恋しくなることはない?ハムにはやっぱり林檎酒よ」
「同感です。甘いっておっしゃる方もいますけど、辛口の良いものがあるのに、絶対に皇都の方はお飲みにならないんですよね。不思議でなりません」
「私に言わせれば、人生の半分は損しているわ」
私は声を盛らして笑ってしまった。口を尖らせてそう言う、彼女がとても可愛らしかったからだ。
「エンドルフの朝食には慣れて?」
私は今日の朝食のスープを思い出す。美味しかったが、セレスの体は「これじゃないのよ」と、違うものを欲していた。
「まだ、慣れませんわ。スープだけで、昼食まで耐えるのは辛くて」
「私もいまだに慣れていないの。……実はね、屋敷に息子がいない時は、北部の朝食を楽しんでるの。内緒よ」
「うらやましいです」
私は、というかセレスの体は心からそう言った。
「毎年夏は、避暑でリージュに行くのよ。それで林檎酒を何ケースか買って帰るの。こっそり一人で楽しんでる。
でも、最近はマリウスが別邸に行ったきりで消費料が増えて夏まで持つか分からなくなったわ」
その嘆き方が、また可愛らしくて、自然と口角が上がる。私は損得無しに、エベール侯爵夫人の人柄が好きだと思った。気を許して話すのは初めてだったが、こうやって彼女とお喋りするのが楽しい。
それだけに、この人が息子の起こす事件のせいで、どうなるか考えると胸が締め付けられた。『とある聖女の物語』では、彼女がどうなったかまでは書かれていなかった。だが、反逆の罪を犯せば、家族もただではすまない。
なんとかして止める方法はないだろうか。説得する?あのエベール侯爵相手に、そんな事が私に出来るだろうか。でも半年後にはアデライードとセレスは再会できる。その時にアデライードに全てを打ち明けて協力しあえば、なんとかならないだろうか?
「毎年、リージュにはマリウスもついてきていたの、でも今年は行かないんですって。二十も過ぎた息子が母親と一緒に避暑に行く必要もないしね。仕方がないわ。あなたは、避暑はどうされるの?」
「夏に親友が、エンドルフに用があって訪ねてきてくれるんです」
「あら残念。都合があえば、ご一緒したかったのに……」
エベール侯爵夫人は本当に残念そうに言った。私も一緒にリージュに行きたい気持ちはあったが、アデライードと再会することの方が重要だった。
きっとこの方ならアデライードを気に入ってくれるはずだし、アデライードもそう。いつか紹介したいなと、思っていたら、大きな花瓶の向こうから、若い女性のはしゃぐ声が聞こえた。
花瓶にはたくさんの花が盛られていたから、私たちからは彼女達の姿が見えず、彼女達にもセレスたちは見えなかったのだろう。若い女性特有の姦しさに、エベール侯爵夫人は眉をひそめた。
「今日の舞踏会は凄いわね。エベール侯爵もいらしたし、おまけにジェラール公爵もいらっしゃるって!」
私はジェラール公爵の名前を聞いて頭を抱えたくなった。エベール侯爵に続きジェラール公爵にまで会いたくない。エベール侯爵夫人と別れたら、理由をつけて帰ってしまおうか。
「本当?まだエベール侯爵しかお見かけしてないわ」
「でも、舞踏会にいらしてもジェラール公爵はご結婚する気はあるのかしら?愛人ばかり増やして」
「きっとお優しいのよ。可哀想な女性を見捨てておけないの。ルゴフ子爵とは天と地とも違いがあるわ」
「それに、あの方を悪く言う女性を見たことがないわ。素敵よね」
(それはね、言えないようにしているからよ)
私はうっとりとしているこの令嬢に、そう言ってやりたくなった。彼は人を駒のように扱い、情報を集めていた。その駒の大半は、彼の愛人たちだ。
彼は『とある聖女の物語』では、アデライードに何かと接触し協力しながらも、陥れるようなこともする。
アーヘル熱病研究の寄付をすることをちらつかせ、第四皇子から離反させようとアデライードに言い寄って、手駒にしようとまでする。もちろんアデライードは断ったが、そのせいで何かと邪魔をされるようになる。
人の生き死にが関わってくるのに、ゲーム感覚で、陰謀を楽しむ腹黒さが私は嫌いだった。
「私はエベール侯爵の方が良いわ。遠くで見たけど本当に素敵。一度で良いから彼と踊ってみたいわ」
「でもエベール侯爵、いつもの通りよ。誰とも、まだ踊っていないわ」
「あの方、本当につれないわ。ずっと殿方ばかりとお話しになって。先程、アンベール嬢が取り巻きと一緒に割って入って行ったけど、完全に無視されていたわ」
「気の毒に思ったのか、ファルネティ伯爵が取りなしてたけどダメだったわ。つれないわね、でもそこが素敵」
切な気に令嬢達は溜め息をつき、エベール侯爵夫人は、額に手を当て、呆れたように溜め息をついて「あの子ったら……」と呟いた。
「ファルネティ伯爵は優しくて素敵よね。本当に、半年前の結婚さえなければ最高だったのに」
「でもあの方、妾を持ったじゃない。嫌よ、そんな殿方。
ねえ、今日もその妾と来てたのかしら?一緒にいた女がそう?」
「やだ、噂じゃないの?」
話題がセレスのことに移り、私は居心地の悪さを感じた。しかし、ここで席を立って彼女達に私の姿を見られてしまうのも気まずい
「あなた知らないの?この間のルゴフ子爵の狩猟でその妾が、ジェラール公爵の愛人に手を上げたのよ。その妾を連れてこれるわけないじゃない」
「ルゴフ子爵主催の狩猟って、いわば愛人品評会じゃない。狩りとか言って、結局、殿方が愛人を伴って見せびらかす会でしょう。それに出席されたの?幻滅したわ」
カルロがルゴフ子爵の催しがどんなものか、言葉を濁した理由が、今、分かってしまった。
貴族の殆んどが政略結婚だ。仮面夫婦も沢山いるし、男性は妻を多く娶れる。お互いに愛人を持つことも珍しくない。でも、それを見せびらかすような催しを主催するなんて、あの男は想像以上に悪趣味だ。
「それがエベール侯爵も出席されたのよ」
エベール侯爵夫人は息子の出席を知らなかったのか、花瓶が割れるのではないかというほど、強くそちらを睨み付けた。
「でも、お一人で参加されていたわ。高位貴族の方が何人も出席されていたから、断れなかったのよ」
付け加えられた情報に、エベール侯爵夫人は、あからさまにほっとして、椅子に体を預けた。
「本当、いつも感心するわ。ミレーヌって色んなこと知ってるのね」
「情報収集は何よりも大事だって、お父様が言うの。私もその通りだと思うわ。そうやって集めた情報でどう行動するか決めて、私は良い結婚をするのよ」
「ねえ、ミレーヌ、ファルネティ伯爵が妾を持ったなんて嘘よね?」
「ファルネティ伯爵が妾を持ったのも、その妾がジェラール公爵の愛人に手を上げたのも本当。妾は夫人付きの侍女だったって話しだわ。
でも、伯爵が妾を作るのは仕方がないんじゃない?だって、あの、みっともない妻よ」
エベール侯爵夫人が怒って立ち上がろうとしたので、私は慌てて止めた。セレスが悪く言われることはある程度は想定していたし、どうせなら、その情報とやらを最後まで聞いていたい。
「北部は未だにパニエで膨らませたドレスを着てるって聞いたわ。今の流行りは古典復古なのに」
「あの人なら、古い型のドレスを着てそうね」
私は「それは流石にないわね……」と言いたかった。パニエなんてかなり前の装いだ。
現皇帝陛下の即位の少し前から流行りはじめた古典復古は、人々の装いに劇的な変化をもたらした。今の流行りは、神話の時代にあったような、体に添ったラインのドレスだ。不自然にスカートを膨らませる時代が終わったのは、単に、こっちの方が楽だったというのもあるのではないかとも思う。
セレスの保守的な祖母でさえ、物心ついた頃にはパニエなんてつけていなかったし、彼女はセレスやエロイーズが、礼やダンスを上手く出来なかった時によく言った。「なぜ、こんな動きやすい服を着ているのに、きれいに礼ができないの?」と……。
「ファルネティ伯爵のご結婚、元々はあの妻の姉の方とするはずだったの。でも、ファルネティ伯爵にとっては北部の田舎者との結婚は本意じゃなかったのよね。お家の為に必要なことだから致し方なくよ。それで、教育係だったシモン夫人に相談したの。シモン夫人の小間使いを買収したから間違いない情報よ。
シモン夫人はこう助言したの。
『あの家は妹が一人いたはずです。そこから出来れば気の弱い、冴えない娘を選びなさい。そうすれば田舎者に家門を乗っ取られることもないでしょう』って。それで選んだのがアレよ。ひどいったらありゃしない」
令嬢達の笑い声が響いたが、私は、何の感情も動かなかった。ただ、やはりそうだったんだと思っただけだ。それよりも、飛び出していきそうなエベール侯爵夫人を止めるのに必死だった。
「おまけに、あの結婚、まだ白いままだって言うわ。きっと、みっともないだけじゃなくて、体にも欠陥があったのよ。今日、ここに来たのは侍女上がりの妾が使えなくなったから側室でも探すつもりじゃないの?自分じゃ産めないから」
再び、笑い声が響き、エベール侯爵夫人は怒りで震えていて、小声で「私は大丈夫ですから、もう少し彼女達の話しを聞かせてください」と頼んだ。
おそらく彼女は悪意で言ったことなのだろうが、本当のことだし、側室というのも、考えていたことだ。
――私は、ジゼル・ベルナールをファルネティ伯爵の側室に迎えようとしていたのだから。
花瓶の向こうでは、笑い声が続いていたが、ふっとそれが止み、不機嫌そうな声が響いた。
「ジゼル、ずっと黙ってないで何か言ったらどうなの?そんなに睨んじゃって。私達の話が難しくてついていけないの?」
「下品ね」
彼女の名と、会話に一度も入らなかった、聞き覚えのある声に、私は息を飲んだ。
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