2-3 悪女爆誕 しかしその生はすぐに終える(不評のため)

 帰りの馬車の中で、ミアは珍しく「……疲れました」と本音を漏らした。

ギゼラに林檎の皮を剥いたあとは、ギゼラが砂糖煮を作る横で、食事の準備も手伝いをさせられたのだという。


「台所仕事が大変だったというよりは、ギゼラさんの迫力に気圧されてっぱなしで疲れました……」


 私は申し訳なくて「ごめんね。でもまた寄付を持って来なきゃいけないの」と謝ると、彼女は萎れたガーベラみたいにうつむいた。


「私、どうしていいか、混乱してます……。奥様は健康だったのに、ずっとあの主治医は嘘をついていたんですよね。でもギゼラさんはまだ妊娠するのは早いっておっしゃるし、あの主治医にも腹が立ちますが、主治医を変えて、そのお医者様がギゼラさんと同じように女性の体に詳しいかわからないし、だからって健康だって旦那様に知れたら……ああ、どうしたらいいんでしょう」


 ギゼラにいきなり診察されてしまって、ミアに健康なことがバレてしまったが、結果的には、私にはまだ結婚が早かったことがわかった。

 バルビエの嘘の診断は、あながちそうでもなかったのだ。この時点で、この医者の腕が大したことはないと、証明してしまったわけだが。


「あなたはどう思うの?」


「台所には近所の奥さん方が手伝いにきてたんです。そこで色々お話しを伺って、ギゼラさんが優れた魔術師で、優秀なお医者だってことはわかりました。

奥様の他にもどこかの貴婦人が訪ねてきましたし……。

だからギゼラさんの言うことに従った方が良いと思います」


「私、このまま、バルビエを雇い続けるつもり」


「奥様、正気ですか?」


「もちろん。それに、このまま白い結婚を続ければ済むことじゃない」


「……それはそれで困ります」


 ミアはそう言って、頭を抱えたが、結局どうしようもないと思ったのか、腹を括ったのか表情を引き締めて面を上げた。


「ですが、あんな医者を側においておくのは危険です」


「だから、この際、脅して利用してやろうと思うの」


 クレマンに提案されたことを彼女に説明すると、彼女の表情は言葉に出さずとも「面白そう」とわくわくしているものに変化した。





 私はバルビエを晩餐前に来るようにと呼び出した。


 昼用のドレスより、着飾った夜の装いの方が威厳があって良いかと思ったのだ。


 ただ、アングレ夫人の店で仕立てたものは昨日着てしまったし、この間頼んだものは、まだ届いていないので、ベルティーユ嬢の店で仕立てたドレスを身につけるしかなかった。


 なので、どうせ似合わないならと思いきって、ミアに「悪女ぽい感じにして」と頼んでみた。


「これから人を脅すんだから、悪女を演じてみようと思うの」


 今まで読んだ物語に出てくる敵役に「なんでこんな酷いこと平気でするの?」と思いながらも、同時に、欲望のまま、何のしがらみもなく、躊躇いもなく悪事に手を染める彼らが羨ましくもあった。

だから彼らの、倫理観を感じない心にあやかりたくなったのだ。

 例えば、そう……リュリーみたいな心に。


 彼女は私の前で、その悪女っぷりを披露したわけではないが、私は彼女を恐れてもいたけど、少なからず憧れていた。皇都育ちの女性というのは、こうも洗練されているのかと思っていた。

 だが、それよりも、彼女が垣間見せる意地の悪い賢しさに、惹かれていたのかもしれない。


 ミアと三姉妹のメイドは面白がって衣装と宝飾を選んだ。

彼女たちが選んだのは黒い天鵞絨のドレスとルビーだった。


 このルビーの首飾りは重いのであまり好きではないが、紅も深く赤い色を唇を引いたらもう、それはもう小説で読んだ、いかにも「悪女」っぽい装い。悪徳医師を脅すのに相応しい。


「どうなるかと思いましたが、お似合いです」


「いいわね、すごくいい」


 ミアの言った通り、思ったより似合う!姿見で自分の姿を確認し上機嫌になった。

 香水はいつも通り、大人しめの香りを選ぼうとしたらミアが止めた。


「きっと悪女はこんな軽い香りを選びませんわ」


「もっと人を圧倒して!」「殿方を惑わすような!」「妖艶な香りが相応しいです!」


 彼女たちがすすめたイランイランと麝香の香りをつけてみると、むせ返るほど甘く濃厚な香りに酔いそうになり、足を踏みしめて踏ん張った。


 こんな香水ぐらいで気圧されていてはダメだ。

今は、クレマンにかけてもらった魔術もある。


 私はなりきってみせるのだ。悪女に!


 …………だが、悪女……悪女って、どんなふうにすればいいのだろうと、分からなくなった。


 今読んでいる『モンヴォワザン夫人』は?

ダメだ。彼女は虫も殺せないような、たおやかな女性を装っていた。バルビエを毒殺するのではないので参考にならない……。


「……悪女ってどう振る舞えば、そのように見えるのかしら?」


 私が尋ねると、ミアは少し考えて答えた。


「そうですね。高飛車な口調で、目線は常に上からで人を見下すようにしています。高慢に、こう、顎を反らして」


「こう?」


 私は言われた通り、その仕草をしてみた。ミアと三姉妹は、うーん、としっくりこないような顔をした。


「顎を反らし過ぎかもしれません」

「口角は少し上げた方が良いかもしれません」

「もっと流し目にしては?」


 アドリーヌたちに言われた通りにしてみたが、やっぱりしっくりこない。


「奥様、何も仕草を真似しなくても、良いんじゃないでしょうか。

 悪女ではなくても、お近くにいらっしゃいませんでしたか?高慢で威圧的な方が。その方の真似をすれば良いんじゃないでしょうか」


 ミアに言われて、私はすぐに祖母を思い出した。

祖母は子供の目から見ても、とても権高で、威圧的だった。


 そうだ、祖母を真似ればいいのだ。

上品だがトゲがあって、人に有無を言わせない、あの高慢な口調と、飴と鞭の使い分けを。


 祖母の実家は没落していたが、歴史のある地位の高い家だった。

 祖母は、その血筋が何よりも誇りだったのだ。……いや、正しくは血筋しかなかった。血筋しか頼るものがなかったから、祖母は家の誰よりも貴族らしくあろうとしたのだ。


 祖母はただ威張り散らすのではなく貴婦人としての義務を充分果たしていた。未亡人を城で雇ったり、家族に病気の使用人がいれば休暇をやり、見舞いの品を持たせて帰郷させたりと、父や叔父が気付かない細やかなことに気を使った。

 意外と慕っている人は多かったのだが、自分を敬わない人に対しては、―――それはもう、容赦がなかった。





 バルビエは、三十代後半の、いかにも真面目そうな医者だった。

ミアが言うには父親もファルネティ家に仕えていてその跡を継いで、この職についたんだとか。


 この人がリュリーに言われるがまま、嘘の診断を報告していたのが信じられないほど、見た目だけは、生真面目そうだった。


 だが、だからこそ、というのもあるのかもしれない。


 そういう真面目だった人が色恋に溺れて、道を踏み外すのは、よく聞く話しだし、今まで読んだ本でもしょっちゅう出てくる。『モンヴォワザン夫人』も元々のきっかけはそうだ。

 恋は人を狂わすとは言うけれど、彼も恋に狂ったのだろうか。

 ただ、リュリーとバルビエに関しては、生臭さの方が強くて不快感しか抱けなかった。こういう題材が本になっても読みたくはない。


 バルビエは部屋に入ってくると、変わった私の見た目に、驚いたのか口をぽかんと開けていた。

 私は寝椅子にゆったり腰かけて、立ち上がらずに、そのまま彼を睨め付けて出迎えた。


 彼の情けない表情に少しだけ同情心を抱いたが、彼はすぐにいつも通りの表情に戻し、私が椅子もすすめず、茶を用意させる素振りを見せないことに、「今日は随分な扱いですね。礼儀もお忘れになったのですか」と、自分を棚に上げて礼儀も何もにないようなことを言ってきたので、容赦はしないことにした。


「もう、あなたの治療は必要ないわ」


 私が告げると、この男は、許しも得ずに鞄を開けてテーブルに金物の器具を広げた。


「奥様はどこかお悪いようで、検査が必要ですね」


 この男は脅すように金物を探り派手な音をたてた。少し強めに言えば、私が言うことを聞くと思ったのだろうか。ミアが凄みのある表情で睨んでいたが、この男は何とも思っていないのだ。

私は背筋を伸ばすと、彼を強く睨み付けた。


「バルビエ、あなたの態度には無礼にも程があります。自分がなんなのか分かっていますか?医者風情に、こんな侮辱をされる覚えはありません。

 いったい、誰から報酬をもらい、その地位にいられるのか考えてごらんなさい。さぁ、そのテーブルに広げた物を片付けるのです。許した覚えはありませんよ」


 バルビエは私の権高な態度に呆然としていて、何も言わないし、器具も仕舞わないので再度、警告した。


「バルビエ、その道具を片付けなさい」


 彼はようやく動いて、自分が広げた器具を片付けはじめ、横目でそれを見ながら、彼をよく観察した。

 確かに今は私の言葉に従っていたが、不服だと思っているのが表情でも態度でもわかった。彼はまだ謝罪の言葉を口にしていないのだ。もっと痛め付けてやる必要がある。


「……一つお聞きしたいんですけど、仕えている家の主と同じ果実を味わうのは、どんな気分でしたか?

 私には味わいようもないものだから、興味があります。甘いのかしら……?酸っぱかった?それとも苦いのかしら?」


 バルビエは持っていた鉗子をカランと床に落とした。


「幸い夫は、先に着いていた歯形に気付いていないようです。

 でも、いくら捨てた果実でも、あなたと同時に召し上がっていたと知ったらどうするかしら?」


 まわりくどく、そう、それこそお芝居みたいな台詞を言いながら人を脅すのって、すごく楽しい。

バルビエは真っ青になっていた。


「その果実に唆されて、嘘の報告を私と夫にしていましたね。

 夫は果実を―――あの女を屋敷から追い出しました。理由は私達に不敬をはたらいたからです。

 これもあなたにとって幸いだと思いますが、まだ夫はあなたが、あの女と共謀していたことに気付いていません。

 夫は穏やかな人ですが、貴族の権威を傷つけられることを何よりも嫌います。あなたが、今までしていた事を知ったらどうするでしょうね」


 バルビエは、ガタガタ震えて跪いた……と言うか、立っていられず膝から力が抜けたようだった。

おそらく、そこまで気丈な人ではなかったのだ。と言うか小物。ミアは震えるバルビエを見て、今まで見せたことのないような顔をしていた。

 もう、これぐらいでいいかなと思ったので、私は雰囲気を和ませるために朗らかに微笑んだ。


「椅子におかけになって。これからのことで話しがあります。

あなたの今の地位を守るために。

 ミア、バルビエ先生にお茶をご用意して差し上げて。

 先生はアフマルのお茶がお好きでしたよね。ちょうど良いものが手に入ったのです。ぜひ、ご賞味くださいませ」


 そう、すすめたが、バルビエは床にぺたりと座りこんだまま動かなかった。


 クレマンの魔術の効果は絶大だった。

 祖母を真似たのも正解だった。


 こうして、私はバルビエを丁重におもてなしをした。


 「床を共にするのは無理」だと診断書を書き、伯爵に報告してくれる医者を連れて、自分の診断に誤りがないと訴えることを約束させた。





 晩餐の席、ファルネティ伯爵は、雰囲気の変わった私を見て唖然と口を開いた。


「今日も、装いが………その、なんて言うか………その随分と…………雰囲気が、変わったね」


「いかがですか?気分転換に変えてみたんです」


 ちょっと気圧され気味の伯爵の様子に気が良くなって、私はくるりとまわって見せた。


「……悪くはないよ」


 悪くはない、と言いながら、彼は食事中も、なかなか視線を合わせようとしなかった。


 食事のあと、私の部屋に従者のブランが、伯爵の使いで金貨の入った革袋を持ってやってきた。


「明日、仕立屋に行って新しい衣装を仕立てみてはとのことです」


「……なぜ?」


「昨夜のような……もっと奥様にお似合いになるものを身につけてはどうかと仰せでした。あと香水も」


 ブランの、暗に「そんな格好はやめろ」と言われたことに、私たちはムッとなった。


「ブランさん、今の奥様の装いのどこがダメなんですか?素敵じゃないですか」


「そうですよ、とっても威厳があってよくないですか?」

「私たち一生懸命考えたんですよ。髪型もお化粧だって工夫したのに」

「香水だって、殿方がクラっとするって評判のものを選んだんですよ」


「えっ、君ら、本当に良いと思って、こんな風に奥様を着飾らせたの?」


 ブランはミアと三姉妹が捲し立てた勢いで、うっかり口を滑らせてしまったのか、ブランは口に手をあてて、しまった、という顔をした。


 ムッとして睨む、女たちの視線から逃げるようにブランが部屋を出ていくと、ミアとアドリーヌ、カロリーヌ、ポリーヌと私は全員で視線を交わしあって、唇を尖らせた。



 よく、女性たちの間で流行った装いが、必ずしも男性が良いと思うことはない……とは言われていたが、悪女ぶった装いは、それに当てはまるものらしい。


 それなら、女性たちも口をそろえて言うだろう。

逆もそうであると。

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