1-8 結婚も色々

 リュリーを妾にしてから三日たった。

あれから、夫であるファルネティ伯爵とは会っていない。

どうやら、離れでリュリーと共に昼食をとり、夜は二人で夜会や劇場やらに出かけているらしい。


 エンドルフの貴族は、妻妾同居などよくあることで、同じ屋敷に住んでいながら、何日も夫婦が会わないなんて、別に珍しいことではなかった。


 だが、セレスの両親はそうではなかったし、叔父夫妻もそうだった。妻は一人しかいなかったし、同じ屋根の下にいれば、一緒に食事し、同じ部屋で眠った。


 セレスは父が亡くなるまでは領地シャッテンベルクの城で育った。

城と言うより、砦と言った方がいいかもしれない。何世紀も前に建てられた古い古い石造りの城。冬は寒くてたまらなかったのを、セレスは覚えている。


 父は鉱山の調査で、何日も帰ってこれないことが度々あって、母はそういう時、落ち着きがなくなった。

母がいないと思うと、決まって祭壇で祈っていた。

やがて、父が亡くなって、母は城に住むのを嫌がり、娘達を連れてリージュにある邸宅に移った。

母が嫌がったのは、古い城ではなくて、そこに父がいないのが、耐えられなかったのだ。

母は父を愛していたから。


 セレスは、自分がいずれする結婚というものが、両親がした結婚と、言葉は同じでも、全く違うものであることは分かっていた。


 確かに、セレスの両親のような夫婦のが理想なのかもしれないが、私は、このままセレスとファルネティ伯爵は、今のような関係を続けるのが、お互いにとって幸せだと思っている。




 私はリュリーが無茶苦茶にした、予算の立て直しで忙しく過ごしていた。


 気分転換と必要な服を仕立てにいくため「今日はアングレ夫人のお店に行きましょうか」とミアに提案すると、同じく帳簿と書類のにらめっこに疲れていた彼女は、喜んで、来店の予約を入れてくれた。


 昼食後に、アングレ夫人の店で作った服に身を包み、彼女のお店を訪れたのだが、彼女はすぐにセレスとは分からなかったようで、ミアが名乗り出て、ようやくセレスだと気付いた。

そうなるのも仕方がない。前のセレスは、悪い意味で印象的だったのだ。


 これからも、エンドルフの顔見知りに会うたびに、アングレ夫人と同じような反応をされるのだろう。慣れておいた方がいい。


 アングレ夫人のお店は、ベルティーユ嬢のお店より、小さかったが、瀟洒な内装で居心地が良かった。

ベルティーユ嬢の店は……なんと言うか、豪華だけどギラギラし過ぎて、セレスは始終落ち着かなかったのだ。


 アングレ夫人は沢山の布とレースを私にあてた。


「薄い色もお似合いですけれど、こういう鮮やかな色もお似合いになりますよ」


 彼女が強くすすめたのは、鮮やかな孔雀緑のタフタだった。


「派手すぎないかしら?」


「いいえ、肌と髪の色に馴染んで、お似合いですわ。この布はドレープが綺麗に出るんですよ」


 ミアと相談し、ミントグリーンのシフォンと紺の天鵞絨が気に入ったので、その二枚と、アングレ夫人の強くすすめた孔雀緑のタフタで三着作ることにした。


「もう、来ていただけないかと思っておりましたわ。もっと豪奢なところの方がお好みかと」


 アングレ夫人はうらみごとのようなことを、冗談っぽく言った。

その口調は、嫌みっぽくはなく、浮かべた表情も、人懐っこい微笑みだった。

友達がふざけて言ってくるような感じで、ちっとも悪い気はしなかったので、思わず口を滑らせてしまった。


「侍女を一人やめさせたんです。それで……あなたが色々と素敵な服をすすめてくれた事を思い出して」


 家のこと―――リュリーを妾にした事情を言うのは憚られたので、言わなかったが、アングレ夫人は、一瞬、理知的な顔を曇らせた。


 アングレ夫人はきっとリュリーが妾になったことを知っているのだ。

彼女は貴族達相手に商売をする人だ。貴婦人を接客するときに様々な噂を耳にするのだろう。


 リュリーがファルネティ伯爵の妾になった事は、エンドルフの貴族達の噂になっているに違いない。

ただでさえ、リュリーは目立つ容姿だし、あんな高価な宝飾を身につけているのだ。嫌でも人の目を引く。

正妻であるセレスが、なんて噂をされているのか、想像するのは容易い。


「主が口を開く前に、でしゃばって趣味の悪いものをすすめる侍女は最低です。そんな侍女は毒にしかなりません」


 優しい口調で彼女は言い、その言葉に、ミアが何度も頷いた。


「解雇は正解だったのだと今の奥様が物語っています。だって今の方が何倍もお綺麗ですもの」


 少し重くなった空気を変えるように、アングレ夫人は、明るい表情で言った。


「それに、今のお召し物も素敵です」


 最後に自分を持ち上げたので、私は思わず笑った。





 屋敷に帰ると、カルロから、一通の招待状を渡された。


「……ルゴフ子爵から?」


 私は、宛名を見て、眉間に皺を寄せた。

ルゴフ子爵は、ファルネティ伯爵と同じ派閥の貴族だ。第四皇子に皇位を継がせるべく支援している、宮廷で最大の派閥だった。

ただ、ルゴフ子爵は粗野な人で、ファルネティ伯爵と相性が良くない。私は胸が悪くなるほど大嫌いだ。彼がとんでもない人でなしの大悪党だと知っていたから。

……それに、このままだと、彼と子爵は、因縁の相手になる。


「はい。狩りのお誘いだそうで、規模の大きな催しだそうです」


 狩りは明日行われるとの事で、急な招待だった。


 早朝から男達が狩りをするのを、ただ天幕の中で待つのは、想像するだけで憂鬱な気分になる。


「出来れば行きたくないのだけれど、私も一緒に行くべき?」


 私が嫌そうにそう言うと、カルロは私の様子に安心したように息を吐いた。


「ようございました。不参加が正しい選択です。

もし、奥様がご参加されたいと仰ったら、私は全力でお止めするつもりでした」


 私は参加しなくてもよいと安心したのだが、カルロが不参加を強くすすめる理由が分からず、それを尋ねると、彼は歯切れ悪く

「普通の狩りの催しではなく……その、男性の、旦那様方の為の催しなのです」

と答えた。


 その説明で理解ができた訳ではないが、あえて言葉を濁したカルロに根掘り葉掘り聞くのは無粋な気がしたので、私は追及はせず、ファルネティ伯爵に参加しないことを伝えてもらうよう頼んだ。


 そして、その日も、ファルネティ伯爵とは会わずに一日が終わった。

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