第14話 竜使いラメラス②

 執務室のようである。絨毯の敷かれたなかなかに広いスペースで、奥に立派な机が置いてあり、そのむこうにラメラスがこちら向きにかけていた。ラメラスのむこうに巨大な格子窓があって日差しがたっぷり入ってきており、ラメラスの姿は逆光気味である。

 机を挟んでラメラスのむかいに、二人の男がいた。あまり若くない人間の男たちで、こちらに背中を向けてたたずみ、ラメラスと何やらやり取りしていたようだ。ラメラスの視線で私に気付き、一度振り向いてこちらを見たが、すぐ前へ向き直ると「ではわれわれはこれで」と挨拶し、いそいそと部屋を出て行った。


「これはこれは、どなたかと思えバ魔王陛下ではありませんカ」


 ラメラスは椅子から立ち上がろうともせず、手元の何かをかぞえながら言った。いかにもおざなりな態度である。昔からそうであったが無礼な男だ。見ればかぞえているのは札束のようだった。かなりの厚みからして、そうとうな金額らしいことがわかる。


「今の二人は? 人間だったようだが」私は訊いた。

「いえいえ、お気になさらズ。こちらのことですかラ」


 ――はぐらかされてしまった。


 吸血鬼を髣髴とさせるほど色白の、顎のほっそりしたヒュム種の魔族だ。目は細く鋭く、鼻筋が通っている。波打つ肩までのつやつやした黒髪が、そのこけた頬にかかっていた。服装は白いシャツに襞のついたサーモンピンクの胸飾り、襟を立てたロングコート。

 ラメラスは札束をかぞえる手を、ぴたと止めた。細い目の中にある赤い瞳が、私の顔を捉えている。正確に言うなら私の額のやや上、前髪の生え際のあたりだ。


「おや……角をお取りになられたのですカ、陛下。陛下の母君レーネヤナ皇太后が古より伝わる秘術の持ち主だというのは、亡きお父君から伺っていましたガ」

「う、うむ。ちょっと、事情でな」


 あまり突っ込んだことを尋ねられたらどうしようかと一抹の不安があったが、ラメラスはそれ以上この件について質問はしてこなかった。もともと淡泊だった興味を完全になくしたかのように、札束をかぞえる作業を再開する。


「それにしても、まさかこちらへお越しになられるとは思いませんでしたヨ、陛下。本日は如何なご用件で?」

「いやなに、用という用があるわけではないのだが、諸国漫遊の旅すがら立ち寄ったといったところである。おまえがこの町を管理していると小耳に挟み、挨拶がてら、労いに来たのだ」

「労い、と」


 ラメラスは相変わらず札束をかぞえながら、抑揚なく言った。


「ほほウ……そのような言葉を、よもや陛下の口から耳にすることになろうとは思いませんでしタ。何やら変わったようですねエ、陛下」

「変わった……そうであるか?」

「少なくともワタシの知る限り、アナタは配下を労うような真似をしたことはないはずですヨ。お父君と同じように、ネ」


 ラメラスはかぞえ終わったらしい札束を机の上でトントンとやり、引き出しにしまう。


「勇者一行を打ち倒し、何か心境の変化でも?」

「べつだん大したことではない。だが、私は確かに変わったかもしれぬ。いや、正確に言うなら変わろうとしているのだ」

「変わろうとしている……勇者一行と対峙していた頃のご自身から、ということですカ」

「そういうことだ。あの頃の私は、ひたすら父上の真似事をしていたのである。おまえもよくわかっているように、父上の威光やカリスマ性は圧倒的なものだった。そんな父上が突然崩御され、急遽、即位する運びとなった私は、皆をがっかりさせまいとの強い思いから、父上と同じように振る舞った。極端に言えば、あの当時の私の態度や言葉は私自身のものではなく、父上のものだった、ということだ」

「ふうン? なるほどね、エ」


 ラメラスの赤い瞳に、うろんな輝きが宿る。王をそのような目で見るとは、つくづく無礼な男である。現役時代であれば即刻、怒鳴りつけてやっただろうが、今や人間たちとの戦いも終わり、私は変わろうとしているのだ。トモダチを作るための下地を整える意味でも、かつてと同じようには振る舞いたくない。


「ところで陛下は『竜の真似をする怪鳥』という人間たちのことわざをご存じですカ」

「竜の真似をする怪鳥? いや、知らぬな。どのような意味だ」


 ラメラスは、喉の奥をクックッと鳴らして笑った。その笑い方もまた、人を小馬鹿にしたようで快いものではない。


「……いや、知らぬのなら結構。ただ、気になったのですヨ。まわりをがっかりさせまいとしてお父君のように振る舞ったとのことですガ……果たしてそれは奏功したのでしょうカ?」

「それは、むしろ部下であるおまえのほうがよくわかっているのではないのか。私には正確なところはわからぬ。今となってはなおさら、な。ただはっきりしているのは、私は結局、父上にはなれなかったということだ」


 貴様にはまわりを強烈に牽引できるだけの威光、カリスマ性がない、という、いつぞやのルギ=アンテの言葉を思い返していた。そして、ある側面では父上に及ばず、しかも自分らしさを欠いてしまっていて、中途半端だとミレージュラから言われたことも。


「クックッ……物は言いよう、とでも言いますかねエ。陛下、それは言葉を変えれば、過去の自分の言動の責任はお父君にある、という意味にもなりますまいカ?」

「な、何――私がいつ父上のせいにした?」

「捉え方によれば、ということですヨ。アナタにそのつもりがなくても、そう解釈されかねない物言いでス。だからお気をつけあそばせと申し上げているだけのことですヨ」


 ラメラスはそう言って、口角をくいと持ち上げてみせた。


「なるほどお父君の振る舞いを模倣することで、上位魔族を除く配下の多くはアナタを恐れた。しかし、彼らはただ恐れただけダ。なぜなら、アナタ自身が自覚しているように、アナタにはお父君のような威光、カリスマ性はなかったからでス」

「わ……わかっている。ことさらに繰り返さんでもよかろう」

「アナタが若年だてらに無理されていることは、ワタシを含め、わかる者にはわかっていましたヨ。強ぉくお父君を意識されていることも、ネ。だから正直なところ、いささか滑稽に映ってもいたのですヨ……クックッ」

「こ……滑稽、だと……」


 さすがに頭に血が上るのを禁じ得ない。この男、なんという発言をしてくれるのだ。


「いや失敬、悪く思わないでくださいネ、陛下。ただ、何があったのかわかりませんが陛下は当時を顧みて自省し、変わろうとされているとのことですかラ、何と言いましょうカ……一種の老婆心から、ご助言差し上げているのでス」


 そう言うラメラスは、まったく悪びれた様子がない。むしろ人様を小馬鹿にしたような態度は健在である。何が老婆心だ。何が助言だ。白々しいにもほどがあるぞ。


「しかし、そこまで大きな方向転換を決意させるとは、よくよくのことがなければ思い切れるものではありますまイ。いったい何があったのでス、陛下? 何がアナタをそこまで心変わりさせたのでス?」

「それは……」


 私にはトモダチがいない。一人もいない。その現実に気付いたからだ。対等に腹を割って話せる相手がいない。そのことを思い知ったからだ。

 私は遊びたい。皆でワイワイ楽しみたいのだ。そのためにはトモダチが必要だと知った。学んだのだ。だからこれまでと同じようにしていてはだめだと気付いた。それが理由である――

 などという心の真実を、もちろん言えるはずはない。相手がこのラメラスでは、なおさらだ。ぜったいに話したくない相手の一人だと言って良いだろう。


「何があった、というものでもない。人間たちとの戦いが終わった今、敢えて父上のように振る舞い、皆を無理に引率する必要もあるまい――ただ、そう思っただけである」

「無理に引率する必要はない、ねエ」


 ラメラスはそう言って、組んだ両手を口元へ持って行った。何やら含みのある物言いである。


「何か言いたいことがあるのか、ラメラスよ」

「いえいえ、べつにどうということはありませんヨ。ただ、いつだったかルギ=アンテ様の言われていたことを思い出しましてネ……13世はエヴィリピア創設に着手する心づもりはないようだ、と……それで今の陛下のお言葉をお聞きして、なるほどと腑に落ちたのですヨ。暗黒の楽園を創るには世界中の魔族を率いねばなりませんガ、そのつもりがないのであれば無理にそうする必要もなイ」

「確かに、そのこととも関係しているのだろうな。ルギ=アンテが言ったことは事実だ。私はエヴィリピアを創設するつもりはない。ゆえに魔族たちを率いる必要もない」


 そんなことより私は早く遊びたいのだ。一刻も早く、一人でも多くのトモダチとワイワイ楽しみたいのだ。何がエヴィリピアだ。何が暗黒の楽園だ。くだらぬ。笑止千万なり。


「しかし、それで諸国漫遊の旅とは、いかな心づもりでス?」

「え? あ、ああ、それは」


 諸国漫遊の名を借りたトモダチ作りの旅である、という真相は、もちろん言って聞かせるわけにはいかない。


「よ、様子見と言うか……各地で魔族たちが無茶をしていないか確認のためにな。私がエヴィリピアを創るつもりがない以上、ことさらに人間の世界に恐怖や混乱をもたらすのは道理に合わんからな」

「私の知る限り、そこまで無茶をする魔族は現れてはいないようですがネ……現在のところ」

「現在のところ?」


 その言い回しが気にかかる。


「そう、現在のところ、ですヨ」


 ラメラスは私を上目で見て、うっすらと笑んだ。


「よろしいですカ、陛下。エヴィリピアを創るつもりはないなどとアナタは平然とおっしゃるガ、事はそう簡単ではなイ。エヴィリピアの復活を願っている魔族は世界中に大勢いるのでス。彼らは勇者討伐の暁には当然、それがもたらされるものと思い込んでいタ。それは魔族の歴史であり夢であり、原点への回帰なのでス。そう、初代メディウスが築いた暗黒の楽園という、われわれ魔族の心のふるさとへのネ」


 そこでいったん言葉を切って、顔の前で両手を組んだ。


「ところが陛下はエヴィリピアを創らないと言う。おそらくそれを知れば落胆する者は少なくないはずでス。われわれが長年夢見ていた、そして五千年前の魔族しか見ていない故郷へ帰ることができないわけですからネ。われわれはいったい何のために勇者一行を始め人間たちと対峙してきたのかと、怒り出す者も現れるかもしれませんねエ」


 と、片方の口角をぐっと持ち上げた。こちらを挑発するような笑みである。


「おまえがまさにそうだと、そう言いたいのか」

「いえいえ、ワタシは怒ってなどいませんヨ、陛下」

 

 ラメラスは、相変わらず口元に不敵な笑みを浮かべたまま言った。


「ただ……お父君からその甘さを再三指摘されてきただけあり、アナタもずいぶんとぬるい発想をお持ちのようダ。エヴィリピアを創らず、魔族を率いることもせず、果たしてそれでどこまで歩んでゆけるものでしょうかねエ」


 言葉の最後を、嘲るように鼻を鳴らして締め括った。

 私はうっすらと眉を顰めた。ラメラスの言っていることははっきりとはわからないが、そのどこか不穏な響きと、挑発するような口ぶりに、だ。


「……おまえが私ではなく父上の派閥の旗頭であることは有名である


 しばし間を置いてから、私は口を開いた。


「参謀の任を解いたこともあって、おまえが私を快く思っていないこともわかっているし、現役時代から関係が良好であったためしはない。だが勇者一行との戦いが終わった以上、お互い新たな道が拓けると多少の期待は持ちながら足を運んだのだが、まったく当てが外れたようだ」

「それはそれは」

 ラメラスはうなずきながら笑う。

「来たのはまちがいであった。私は不快である。帰らせてもらおう」

「そうですカ。ただ、ここポートクレイクはルギ=アンテ様より拝命された私の管轄でス。こちらに何日滞在のご予定か存じませんガ、そのことはゆめゆめお忘れなきよウ」

 私は答えず、くるりと踵を返した。そのまま扉に向かう。


「そうそう……もう一つだけ言わせてくださイ、陛下」


 ラメラスが、私の背中に話しかけてくる。私は扉の手前で立ち止まり、しかしそちらを振り向くことはせず、「何だ」と耳だけを傾けた。


「アナタが勇者を打ち倒し、魔族が勝利した今、人間たちの住む地域はすべからく敗戦国なのでス。人間たちにしてみれば土台の崩された無秩序な環境ダ。この管理を甘くすれば、おそらく世界は腐敗と混乱が加速する一方でしょウ」

「私にどうしろと言うのだ、ラメラス」

「ア・ハ・ハ! これは異なことを。アナタにむかってどうこうしろなどと、どの顔を下げて言えますカ。勇者討伐という偉大な快挙を成し遂げた英雄である、アナタに」

 

 ラメラスは、口ぶりに皮肉を滲ませて言う。


「ワタシはただ説明責任を果たしただけですヨ、陛下。ぬるい発想をお持ちだと、怖れ多くも先ほど発言させて頂きましたが、そのことの、ネ。さっきはいささか説明不足のようでしたのデ、まあ、老婆心からねエ」

「それは、わざわざすまなかったな」


 皮肉めいた言い回しで応酬すると、私は扉を開け、部屋を出て行った。

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